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第十話 温もり


(はぁ、気持ち良かった……)


部屋に向かいながら、余韻に浸る。

温泉のおかげで、身体の芯までぽかぽかだ。

しかも、異世界(ここ)に来て初めてのお風呂――。


(ちょっとゆっくりし過ぎちゃったかな……)


各務様の“気にせずゆっくりしてこい”の言葉に甘えて、つい長風呂をしてしまった。

今さらながら早足で部屋に向かう。


戸に手をかけた途端、一瞬、緊張と照れが交錯する。

小さく息を整えた後、そっと戸を開く。


「すみません、遅くなりました」


部屋の奥にいた各務が顔を上げる。

その視線が僅かに止まった。


「……気にする必要はない」

「あ――」


テーブルには、既に食事の膳が並べられていた。

色とりどりの小鉢、湯気を上げる鍋。


「すごい豪華ですね」

「ちょうどさっき、用意が終わったところだ。温かいうちに食べよう」


各務がそう言いながら、向かいの席を軽く示した。


「失礼します」


「酒は飲めるのか?」

「はい!」


その言葉に、各務はテーブルに置いてあった徳利(とっくり)を手にし、(さかずき)を湯呑に渡す。


「各務様、そんな。私が……」

「気にするな」


各務が湯呑の盃に酒を注ぐ。

受け取った後、今度は各務の盃に酒を注ぐ。


「……乾杯!」


こうして各務様と向かい合って食事をするなんて初めてだ。

それに……いつもと違う浴衣姿に何だかドキドキしてしまう。


盃を置いた各務が口を開く。


「温泉はどうだった?」

「めちゃめちゃ……」


そこまで言ってから、慌てて言い直す。


「ものすごく良かったです。”お湯も良くて、落ち着く場所”とおっしゃっていた通りでした」

「そうか。湯呑が気に入ったならまた来よう」

「は、はい!」


お酒のせいなのか、言葉のせいなのか、やけに頬が熱い。


(社交辞令かも知れないけど、やっぱり各務様って優しい……)


急に緊張が解けて、気付けば箸が進んでいた。

鍋も煮物も、どれも本当に美味しい。


そんな湯呑を、各務はふっと口元を緩めながら見つめていた。



***



ひとしきり食事を終え、二人の前にはお茶と茶菓子が並ぶ。


「湯呑は……パティシエと言ったな」

「はい」

「具体的にはどういうことをしていたんだ?」


その問いに、現実に引き戻される。


(つい最近のことのはずなのに、遠い昔のことな気がする……)


「……朝から晩までケーキを作っていました。最近はメニュー開発……新しいケーキの考案もしていました」

「大変ではなかったのか?」

「大変でした」


夢乃は迷うことなく答える。


「でも好きなことなので、やめたいと思ったことは一度もありません。作る過程も好きでしたし、出来上がったケーキは子供のように可愛いし、お客さんが美味しいって言ってくれると、また頑張ろうって思えるんです」


各務が静かに口を開く。


「……似ているな」

「え?」


各務の視線が、まっすぐ夢乃に向けられていた。


「俺もさっき言ったように陶器職人を目指していた。作品ができあがる過程も、完成した瞬間も、それを使う人が喜んでいる姿を見るのも幸せだった」


いつも“私”と言っていた各務様の一人称が、いきなり“俺”になったことに驚く、と同時に、それを超える疑問が頭を埋め尽くす。


「そんなに好きなら、どうして――」


そこまで言ってから、慌てて口を噤む。


「す、すみません。出過ぎた質問を……」

「いや……」


各務は開いた障子の向こう、夕暮れの空に視線を向けて呟いた。


「人生というのは分からないものだからな……」



***



山の向こうに夕日が傾いている。

少し冷たくなった風が頬を撫でる。


私はまた各務様の前で馬に揺られていた。

こんなに距離は近いのに……聞きたいけれど、聞けない疑問が頭の中を渦巻く。


(跡を継ぐはずだったのに、陶器を作ることに愛情を持っていたのに、どうして治安司という仕事に就いているんだろう……?)


でも、さっき“人生というのは分からないものだからな……”と呟いた、少し寂しそうな横顔を見て、それ以上は聞けなかった。


「……俺はこの後仕事に戻る」

「朝までお仕事ですか?」

「ああ」


(忙しい合間を縫って、オーブンを作りに来てくれたんだ……しかもこうやって温泉まで連れて来てくれて……)


「終わったら、そちらへ焼成しに行く」

「……あの」

「どうした?」

「あの……各務様、身体は大丈夫ですか?」


思わず尋ねていた。

ちゃんと休めているのか、今日だけじゃない――前から気になっていた。


「せっかくの休みなのに、私のためにこんなに色々と……」

「……」


その言葉に、すぐに返事はなかった。

馬が走る音だけが耳に響く。


「……俺が好きでやってることだ。迷惑でないなら気にするな」

「!」


喉の奥がツーンとする。

顔を見られなくて良かった。


(得体の知れない相手に……各務様はどうしてこんなに優しいんだろう……)


気付けば、涙が零れていた。


「!?」


その時、後ろに座る各務様の指が、不器用に涙を拭った。


「すみません……」


各務は何も答えない代わりに、僅かに湯呑の身体を引き寄せた。


西の空に夕日が今にも隠れそうだ。

オレンジやピンク、青色が混じる空の下、二人は家路を急いだ。



※明日以降、毎週水曜・日曜を目安に投稿してまいります※


お読みいただき、またブックマークや評価をしてくださった皆さま、本当にありがとうございます。とても励みになっています。

これからも丁寧に書いてまいりますので、今後の更新も見守っていただけたら嬉しいです。


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