09. 姉あざらし・るる波
どんぶらこ……どんぶりこ~!
ポトリーグの小舟は、あざらし・うず雄に引かれて、南にある大きな島へと近づいてゆく。
自分でもそちら方向にぐいぐいと櫂をこぎつつ、ポトリーグは蒼い目をいっぱいに見開いて、まわりの景色を観察していた。
――今日もやっぱし、空と海とが緑色だぞ? 天気のあんばいで、昨日たまたまそう見えてた……ってわけじゃねえのな。
見上げる中天で、柔らかく光を放っている太陽の姿は、ポトリーグにもなじみのあるものだが……。
――あっ! そうだ、≪星読みの術≫があるじゃねぇか。夜になったら、どういう星座が見えるんか、試してみようっと。俺が今どこにいるんか、わかるかもっ。
なじみのある星々の連なりを見つけたとして、それをどう航海に役立てるべきなのかを、修道士たちは少年に教えていなかったのだが。
深く考えないポトリーグは、とりあえずその気になって、しかつめらしくうなづいている。
すうーいっ!
ポトリーグと、海上のうず雄の頭上を、でっかい浜鳥がかすめて飛んでゆく。
『いい陽気~』
のんきに言い放つうず雄に、ポトリーグは聞いてみる。
「なー、うずっち。ここんち、どうして空が緑色なんだ?」
『お前んとこは、べつの色なのん?』
「うん、晴れてると青くなるぞ。白とか灰とかにもなるけど、ここんちみたく緑ってのはねぇ」
『へえー? この辺だと、たいていこういう緑色してるのん。でもずうっと北に行ったとこにある、でっかい島のあたりだと、わりかし青くなったりするかなあ』
「ふーん? ……でっかい島?」
『うん。どこの島よりもでっかいのん。自分は遠巻きにしか見たことないし、ひげあざらしの一族は誰も住んでない。遠いとこ』
――でっかい島……。もしや、大陸?
そんな土地が北にあるのか、とポトリーグは首をひねる。ひょっとして……。ブレンダン修道院長が目指しているという、究極の楽園ってそこのことなのだろうか?
――いや~、そらねえな! 【約束の地】は西方って話だろ。≪氷の海≫のさらにまた北って。どんだけ寒いんだかわかんねえぞ、息も凍っちまうぞ~?
「……ひと住んでんのか? そこ」
『うーん……。生き物はいっぱい、いるらしいのん。でも、よくわからない……おっ』
『うーずちゃーん!!』
高い声が、どこかから聞こえてきた。
ポトリーグが声のした方へ頭を向けると、波間の海面に、ぬぷっと黒い頭が浮いている。
『なあに、それ! へんな生きもの、つかまえたのねぇ?』
すいすい近寄ってきたのは、うず雄よりだいぶ小さなあざらしである。ひげが、ゆたかだ……。
『大きな殻に、ひょろい身がくっついているわ。あんまり、おいしそうじゃないわね?』
「おいこら、勝手に食材視してんじゃねえぞ」
うず雄を、初めおにくと見たことを鮮やかに忘れ、ポトリーグは小柄なあざらしに突っ込んだ。
『きゃっ、しゃべったわッ!?』
ひげは豊かだが、女の子だろうか。
『ポトリーグ。これ、自分の姉ちゃん。るる波つうのん』
「えっ! 姉ちゃんなのかよ!?」
うず雄は泳ぐ速度を少しゆるめて、姉あざらしにポトリーグを紹介した。
『えーっっ、蛇どもを追っ払ったんですってぇ!? いったい何をどうしたら、そんなことができるのよッ』
話を聞いた姉あざらし・るる波は、大きな黒い瞳をまん丸くしてたまげた。
「いや、俺も全然よくわかんねえんだ、るるっち。とにかく蛇に、嫌われてるらしくてよー」
『わからなくっても、わたしの弟を救ってくれたんじゃないの……、ありがとう! んもう、うずちゃんたら油断しちゃったのね!? 危うく、食べられちゃうところだったなんて。お願いだから、陸の上ではぼーっとしないでちょうだい!』
『うん。海の中でだけにする』
姉はだいぶちゃきちゃきしているが、うず雄はどこまでものどかだ。
るる波は他の親戚と一緒に、この≪ひげあざらし島≫に住んでいるのだと言う。
島の西側にやわらかい砂浜がある、とるる波に導かれて、うず雄とポトリーグの小舟はそちらへ向かった。
ずしゃーっ!
その砂底にのりつけたところで、ポトリーグは小舟から跳び下りる。
「ようっし、接岸だぁあ」
ばしゃばしゃと浅い海水中を歩いて行き、うず雄の頭から綱の輪っかを取り外した。代わりにその綱の端を自分で引っぱって、ポトリーグは小舟を完全に浜に揚げる。
「俺の航海譚、第二踏! ≪ひげあざらし島≫に、上陸だっ」
『へえー。ポトリーグって、二本足でそう歩くんだ……?』
どや顔、両手こぶしを腰にあてて偉そうに立ち尽くすポトリーグに、るる波がにじり寄る。
『ところどころ妙に毛深いのね。……むっ、おしりが驚異的にかたいわッ』
「こら、るるっち。それは鍋だ、けつじゃねえ」
『なべ?』
興味ぶかそうに鼻づらでつついてくる姉あざらしを、ポトリーグはたしなめる。
「それと、俺が着てんのはひつじ毛織だ。自前で毛深いわけじゃねえの」
『ほう~??』
好奇心を丸出しにして、姉あざらし・るる波は、ポトリーグの毛織り修道衣や肩掛けの麻袋、鍋にむいむいと鼻をくっつけている。
そう言うるる波こそ、全身つややかな短い黒毛でおおわれているのだ。濡れた表面がきらきら陽光に煌めいて、うつくしい生きものである! もちろん、ひげも豊かにしっとりと長い!
ぬうん、とうず雄が横に来た。
『ね、るるちゃん。婆ちゃんや大おばちゃんを、ここに連れてこられない? ポトリーグは迷子なのん。はぐれた群れに返す道を、見つけてやんないと……』
『おっと、そうなのよね! 長老たちなら、南のことも詳しく知っているだろうし……。ようし、ちょっと待ってて。行ってくるね』
じゃぶじゃぶ、するーん、とるる波は海に戻って行った。
「ここんちの島には、うずっちの家族親戚がいっぱいいるんか」
小舟を砂浜にひっくり返して、ポトリーグはうず雄に問うた。
『うん……』
「うずっちも、みんなと一緒に住んでんの?」
『……自分は、ねー。たくさんあざらしのいるとこ、だめなのん』
「? どうしたよ、うずっち?」
何となく、うず雄はさみしそうな様子だった。底を上にした小舟の傍ら、ポトリーグは乾いた砂の上に腰をおろす。
『他のあざらしが、いっぱいいるとこにまじると。なんかもう、怖くなってしまうのん』




