54. 巌 An Sceilg
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次の日の朝。
ポトリーグはもっそりと起きて小舟天幕を持ち上げ、……そして驚いた。
「……」
少年が言葉を失ってしまうくらい、美しい世界がそこにあったのだ。
るる波とうず雄は、すでにいなかった。海へ魚を食べに行ったのだろう。
吹きつける冷風に震えあがりつつも、ポトリーグは自分のいるこの巌の島にみとれた。
明るく濃い緑の空に、白っぽい金の朝日が東から差している。その輝きに照らされた黒い巌は、天に向かっていっぱいに手を差しのべているよう……。
見渡す限り、他の島影がどこにも見えない大海原。
そのど真ん中でこの黒い巌の島はたったひとり、さびしさも哀しさも苦しさも全てを飲み込んで、ただひたすら朝日の温かさに喜び輝いているのだった。
押し寄せる荒波のきつさに耐え、吹きつける寒風にひるまずに、まっすぐと背骨をのばしている。
巌はそういう、勇気ある姿をしていた。
――ゆうべ着いた時は、こんなすげえとこだとわかんなかったな……!
厳しくも、圧倒される光景である。
寝床にしていた海藻に火をつけて起こしながら、ポトリーグは黒い山の稜線を視線でたどり、頂の鋭さを見つめた。
そして、ふと笑う。
どうしてなのだか、その頂上にのぼってみたい……。そう思う自分に気づいたからだ。
沸かしたてのお湯をのみ、りんごとはしばみの実を噛んでから、ポトリーグは立ち上がった。まだ温かい鍋の取っ手を細綱につるして肩にかけ、とねりこの杖を右手に携える。
明るい緑の空にくっきりと映える、黒い岩肌と草々のいりまじる斜面を、ポトリーグは慎重にそろそろと歩き始めた。
・ ・ ・
「ふひーっっ」
あまりの道の悪さに、ポトリーグはうなった。しかし好奇心もぎんぎんに全開である。
と言うのも、自分のたどっている岩々のあいまが、どう見ても道だったからだ。
けもの道ではない。過去に人間が作り、踏み分け続けた形跡が、確かにそこにあった。
――こんな、すさまじいとこに! 人間さまが住んでた、だとう??
住んでた、とはっきり過去形にしているのは、もう長く使われていない様子だからである。
それでも大きな岩石をよけてあるのが、よくわかった。また、比較的平らな部分を選んで道は続いている。
ごくごく小さな経路が、うねうねと折れ曲がりながら、東よりの島の頂へとポトリーグを導いていく。
ひーふーと荒く息を継ぎながら、ポトリーグは頂上近くに到着した。
その前が小さな窪地になっていたから、今まで見えなかったものが、急に視界に入ってくる。
「……」
肩で息をしつつ、まずポトリーグは振り返った。ずうっと下、小舟を置いた夜営地を見下ろす。そこへるる波が、もそもそと這いのぼってくるのが小さく見える。
ポトリーグは姉あざらしに手をぶんぶんと振ってから、そうっと窪地に降りた。
……石を積み重ねて作った家が、そこにぽつんと在った。
≪池島≫の井戸っぽいものとはわけが違う、正真正銘の人間の巣。
「……とは、言い切れねえぞ」
自信なし! ポトリーグはぼやきつつ、用心のために鉄鍋を頭にかぶる。≪池島≫の紫おばけのように、また危ないものだったら厄介だ。
改めてよく見ると、それは家と言うより窯に近いかも、とポトリーグには思われた。
ヒベルニアの村の中には、やきものを作る家族がいて、自宅とはまた別に工房を持っている。その中で使われる特別に大きなかまどを、ポトリーグは見て知っていた。
そそり立つ頂上岩近くのかげ、風から守られている狭い窪地に建てられたそれは、吹きさらしではあるが、ちょうどそのかまどのように見える。
近寄って行くと、まるい屋根の部分も丁寧に積まれた平石づくり、ということがわかった。
――なんか……。職人わざ、って感じだな! 平べったい石をこんなにたくさん積んで重ねて、きれいな壁を作っちまうなんて。
ふと視線を落とすと、自分の立っている場所にもところどころ、石が敷いてある。合間に草が吹き出しているからわかりにくいが、ここは小さな石家を中心とした、砦のようなところだった。
ごくり、とつばを飲み込んでから、ポトリーグは家に向かって声をかける。
「ここんちのひとに、聖母さまの祝福を」
返事はかえってこない。返ってくることを、そもそもポトリーグは期待していなかった。
ひとの気配のまるでない、大昔の廃墟という見かけなのだから。
誰か……。人間が、ここに住んでいたのは間違いない。けれどそれは遠い時代のことであり、その人はもうとっくにどこかへ行ってしまったらしい。
そういう経過を、ありありと語る荒れようである。
当然、家の中も空っぽなのだろう。
全く身構えず、ポトリーグはせまい戸口をくぐった。鴨居のところにひときわ大きな石がはめこんであるが、そこにぶつけないよう、ポトリーグはひょいと鉄鍋かぶとの頭をかがめる。
「ごめんくださーい。邪魔するっすー」
東に向かって開いた入口から、ポトリーグとともに朝日が差し込んだ。
ポトリーグとるる波ならぎりぎり、しかしうず雄は入れそうにない。三匹そろっての添い寝は絶対に不可能だ。本当に、ちっぽけな空間である……。
だから入ってすぐに、ポトリーグは気づいた。
気づいて、ひやっと身を引いて、かもいの下に立ちすくんだ。――がぁん!!
鉄鍋かぶとをはめ石に打ち付けてしまって、ぐわぐわんと振動が目まいになる。
朝日を受けて、きらきら・ちらちら……。
そこに暮らした石家の主の骨しゃれこうべが、白く尊くかがやいていた。




