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鍋聖人ポトリーグの異界イムラヴァ航海譚  作者: 門戸
第三踏 ≪金のりんごと山羊の島≫
18/54

18. 飛び越えた季節

「うずっち。……今って、春の始まりだよな?」



 弟あざらしは、きょとんとした。



『のん……? 秋だけどん?』




 ばちばちばち。ポトリーグは激しく、目をしばたたく。


 ふつふつ、と鉄鍋の煮える焚き火の横に、顔を向けた。そこにはさっき採ったばかりの、りんごの実の詰まったあみ袋が置いてある。



「春でなくって……秋ぃ??」



 そう。りんごが実っているのなら、当たり前に今は秋にさしかかるところなのだ。



「なんで……何で。あれっ……?」


『どうしたのん』



 動揺を隠せずに、ポトリーグは視線を宙に泳がせた。



「うずっち。俺らな、……冬の間はシャナキールの修道院に、ずっとこもってて……」



 うず雄に向けて話してはいるが、それよりも自分自身で季節の流れを確かめるようにして、ポトリーグは記憶をたどった。


 もうだいぶ早くから、ブレンダン修道院長は≪極北の地トゥーレ≫へ、そしてそこから西方に向けて【約束の地】を目指す航海の計画をたてていたらしい。


 そこで三月、ヒベルニアの冬の終わりを示すうつむき百合(水仙)の黄色い花が森に咲くのを見はからって、山のふもとのほったて修道院を後にしたのである。


 すぐ近くにある丸い小さな湾から風を受けて進み、いくつかの漁村を経由して、黒い皮舟の一団は大陸西端・アルモリカへ到着した。


 ブレンダン修道院長がかつて長くいたという、港湾都市アレート。そこの修道院にて復活祭を過ごし、大型ウェネテース帆船と乗組員とを借り受けて、再度出航。


 北上して、トゥーレへ……。だから今はまだ、五月ベルテナのはず。


 あの火柱のそそり立つ≪氷の海≫をくぐり抜けてから、信じられない距離を越えてだいぶ暖かいこの地域、≪黒き島々≫にポトリーグがたどり着いたのだとしても、だ。



 今朝の夢の中で、花咲くりんごの樹に変わった亡き大おばの姿が、ポトリーグの脳裏を横切る。


 いくら暖かい地域と言えど、白い花の春を経なければ、金のりんごは実らないはずなのに。


 冬を越えたばかりのポトリーグの前に、りんごが在るわけはない。



『人間も、冬ごもりするのんな? 前の冬も、だいぶきつかったっけ……。だから春の月夜を見た時は、ほんとに嬉しかったのん』



 もそもそ、穏やかに言ううず雄の顔を、ポトリーグはじいっと見つめる。



「……ここんち≪黒き島々≫には、ちゃんと春が着て夏が来たんよな?」


『うん』


「ほいじゃあ。どうして俺はその春と夏とを飛び越して、いきなり秋に着いちまったんだ……?」



 もさっとひげを揺らして、うず雄がぽかんと口を開ける。牙が色々とみえた。



『ポトリーグ。はぐれてひとりでいたのんは、一日かそこいらって言ってなかったか』


「言った、嘘じゃねえ。ほんとに俺は、ちょこっと気を失ってただけなんだ。それなのに……」



 わからない・・・・・ことが恐怖を引き起こす、という現象を、ポトリーグは初めて味わった気がする。



「……うずっち。すまねえけどよ。ちょっと、くっついていいかあ」


『いいど!』



 ひょろーと長い腕をのばして、ポトリーグはうず雄のでっかい胴体に抱きついた。


 あざらしの身体の表面をびっしりと覆う短くこわい毛に、頬っぺたがぞりぞりと触れる。その下に温かさがあった。


 そういう確かなものにしがみついていないと、ポトリーグは吹き飛ばされてしまいそうな気がしたのだ。


 自分はあまりにも不確かなもの、知り得ないものに囲まれている。うっかりしていたら飲み込まれて、二度と這いあがれないような、底のない闇……。


 金の陽光が満ちる緑色の空の下にいても、ポトリーグは寒気を感じていた。


 わからないものの淵に、ひとりっきり……。孤独と言う名の、原初のかなしみと恐れ。



『……さかな食べて。元気だすのん、ポトリーグ』



 ぼそり、とうず雄が言って、ポトリーグはうなづいた。




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