【完】俺の航海譚、次は!
・ ・ ・ ・ ・
がちがちのへとへと。
≪蛇の島≫を東まわりに大きく迂回して、ポトリーグとうず雄は≪かいぎゅう島≫へ急ぎ戻った。
ようやくのことで前回夜営しかけた浜の奥、岩棚にのびている姉あざらしの姿を見つける。
ねね風と他のかいぎゅう達によって連れ戻されたるる波は、陸に転がしてもらったらしい。
『るるちゃんの、後ろ脚が……』
蛇の王にもぎ取られてしまった片脚、その無残な裂傷が、つるりと癒えていた。
「……? なんで傷んとこが、銀ぴかに光ってんだ??」
『ぐう』
しかし姉あざらしは、岩の上で深くねむるばかりである。
「つか……るるっち、またいびきかいてんぞ。やばくね?」
『横にするのん。せ~の~~』
ごろーん。うず雄とポトリーグはるる波を押し転がして、いびきを止め、とにかく長いこと見守った。
そうしたら、脚が生えてきたのである。
・ ・ ・
『ちょっと、うずちゃん……。この立派なお鮭、海の中でしゃべってなかったでしょうね??』
『ぜんぜん』
「光ってもいねえし、別人……別魚だぞ、るるっち。俺の掘ってきた≪はまうり≫食え」
『うーん、何でしょうねえ。あいかわらずに好物なんだけど、あの知恵のお鮭さまに救われてから、微妙にたべるの気が引けるわ……しゃけ』
「つうか、お鮭さまが食えっつったんだろ? 遠慮いらないんでないのかー。そうだ、こんぶも浜から引きずってこよ」
岩棚にのびて、うず雄とポトリーグのとってくるものを、姉あざらしは食べて寝た。
そうして銀ぴかに輝くるる波の右後ろ脚は、元の大きさまで育ってのびて、再び泳げるようになったのである!
≪黒き島々≫を縦断してその北端へと帰る、長大な旅路をたえるまでに。
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十かそこいらの夜と日を、≪かいぎゅう島≫で過ごしたのち。
冬の訪れに追われる形で、ポトリーグとあざらし姉弟は帰路につく。
『ばあい』
『またおいで』
『気をつけてお帰り』
『さようならー』
浅瀬の湾にぷかぷか浮かぶ、かいぎゅう達の群れにほのぼのと見送られた。
ポトリーグの小舟とうず雄、るる波は沖へと騎り出す。
つめたい風が、海の上をはしる朝である。しかし今日も緑色のあかるい空の下、白くたなびく雲を通して、金の光が満ちていた。
「うーん、だいぶ寒くなってきたな! この辺とか凍っちまうのかな、真冬は?」
『それゆえに、蛇のやつらは身動きが取れなくなる。次の夏までねぐらにこもるから、しばらく悪さはできんよ』
びょいん、と水の上に跳ねたのは、あの光る鮭だった。
るる波に食べられたはずの魚はしかし、数日の後にポトリーグ達の前に再び現れたのである。話をすれば同一人物……同一おさかなでしかなく、どうにもわけがわからなかったが。
あるいは血を失って危機にあったるる波が、何かの思い違いをしていたのかもしれない。
……それにしては再生したるる波の右後ろ脚が、鮭と同じ色に銀ぴか輝いているのが変なのだが。
『蛇の王は、長かいぎゅうとの盟約をやぶり、そしてお前たちとの約束をも反故にした。その代償として赫い目をひとつずつ、合わせて二つとも傷つけた。これに懲りて、しばらくは静かにしているといいんだがなあ……何世紀かは』
≪知恵の鮭≫は銀に光りつつ、水の中でもぐもぐと呟いている。
「じゃあ、お鮭さまも達者でなー。かいぎゅうの長じいちゃんに、よろしく言っといてくれよう?」
『うむ。また会おう、ポトリーグにうず雄。そうして身体をだいじにするのだぞ。いとおしのるる波や』
『はあ……?』
ぱしゃーん!!
小舟の先でひときわ高く宙に跳ね、銀に輝く水しぶきを盛大に散らしてから、鮭は海中に消えていった。
≪かいぎゅう島≫からの最後の見送り役がいなくなったところで、ポトリーグとうず雄、るる波は速度をあげることにする。
「――なんか、めっちゃ良い風だな! 北に向かって、押してくれてらぁっ」
小舟の帆いっぱいに、優しく力強い風があたっていた。
「うずっち、先導たのむぞーう!」
『まかしとくのん。行くど~』
姉に代わり、水の流れを読みとって進路を取るうず雄。
優しい心のつまったその大きな身体に、もう迷いはなかった。
すぐそばで、自分を信じてついてきてくれる友を得た今。引っ込み思案だった若あざらしは、ポトリーグを通して自分を信じられるようになっていたのである。……まぁ、知らないあざらし見知りなのは、変わらないけれど。
『ふふっ!うずちゃん、頼もしいわ』
「るるっちー。病み上がりなんだからよう、絶対むりすんなよ? ちょっとでも疲れたら、言えよー」
『はいはい。それじゃあポトリーグ、歌ってちょうだい! 歌にのって波にのって、ぐうんと気持ちよく進めるわ』
「ようーっっし」
帆をあやつりつつ、張り切ってポトリーグは息を吸い込む。緑色の空の下に広がる、つめたい空気。ポトリーグがやって来た世界の空気。
これからを生きてゆくあたらしい世界で、少年は息を吸い込む。
「♪波に抱かれ 海を騎くあなた
永遠にかわらぬ ぬくもりを
この胸のなかに 灯し
私はともにゆく 尊きあなたと」
――ブレンダン修道院長。修道士の兄さん達。世話になったのに、ごめんなさい。俺は皆と、別れるしかないっぽいです。
――けどたぶん、俺はここんちに来させられた……。聖母さまか、聖ポドリーグ様のお導きなんか、わかんねえけど? うん、とにかく来ることになってたんだ。
――だから俺は、俺の運命に騎ってきます。大事なうずっちと、大事なるるっちと。
ポトリーグはのりにのって、気持ちよく高々うたっていた。自分の前に、この海でこの歌をうたっていた人が、そうだよと背中を押して励ましてくれる思いがする。
航海者ブレンダン修道院長と、修道士たちを。彼らと発ってきた故郷ヒベルニアを、そこで共に暮らした人びとを、大おばを。先人マラキを――。
皆のことをずっと憶えていよう、とポトリーグは思う。忘れない限り、すべてはポトリーグと共に、常に在る。彼がどこへ向かって、航海を続けようとも。
「♪私はあなたと ともに騎く
永遠にかがやく ほほえみを
なみだを集めた 海にむけ
私とともに あなたは在る!」
水平線のかなたに散る、黒い小さな島々の影。
そのひとつひとつに数多の物語と謎のやどる、≪黒き島々≫。
海と空のあいだを、ポトリーグの小舟とあざらし姉弟は風になり波になり、走ってゆく!
「俺の航海譚ッ。――っって、いま第何踏だったっけぇーッッ??」
『え~。忘れたのん』
『ふふふ、次はどこへ行こうかー?』
ポトリーグは黒い巻き毛を振りたて、蒼い双眸を輝かせて、にいーっっと笑った。
「そうだなあ!! ずーーっと北のアイレー大陸、行ってみっかー!!!」
【完】
【あとがき】
皆様こんにちは。ポトリーグの物語はこちらでおしまいです。本作に触れていただき、誠にありがとうございました。よろしければページ下の方で評価などをお願いします。
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今回初めて歴史ジャンルでの投稿となりましたが、その理由は実在したアイルランドの聖人、ブレンダンに題材をとったからです。5世紀に南アイルランド貴族の子として生まれたブレンダンは、大ブリテン島やヨーロッパ大陸を活発に行き来し、初期ケルト系キリスト教の礎となる修道院を各地に設立しました。中世になってから彼の航海譚が普及しますが、これはケルト伝統の航海譚を下敷きとした壮大な探求の物語が、娯楽読み物として人気を集めたと言えます。また、彼は大航海時代に先駆けてカリブ海や北アメリカに到達していたとする説もあり、非常に興味深い人物なのですね。
『約束の地』をめざした聖ブレンダンは、最終的にアイルランドへ帰還することができました。けれど彼に従った修道僧の中には、帰ることのならなかった者も少なからずいたとされています。そんな名もなき存在が、実は別の場所へと到達していたら? そう考えて、自分なりの航海譚を綴ってみた次第です。皆様には長らくお付き合いいただき、本当にありがとうございました。また別の作品でお会いできれば幸いです、それまでどうぞお元気で。
2026年 門戸
【参考文献】
-Peter Wyse-Jackson, Irish Trees and Shrubs, Appletree Press, Belfast, 1994
-Ruth Isabel Ross, Irish Wild Flowers, Appletree Press, Belfast, 1982
-Des Lavelle, The Skellig Story; Ancient Monastic Outpost, The O'Brien Press, Dublin, 1976
-T.W. Rolleston, Myths and Legends of the Celtic Race, T.Y. Crowell, New York, 1911
-Louis Kervran, BRANDAN; le grand navigateur celte du VIe siècle, Robert Laffont, Paris, 1977
-Mary Condren, The Serpent and the Goddess; Women, Religion and Power in Celtic Ireland, New Island Books, Dublin, 2002
-鶴岡真弓『ジョイスとケルト世界 アイルランド芸術の系譜』平凡社 1997
-鶴岡真弓・松村一男『図説ケルトの歴史 文化・美術・神話をよむ』河出書房新社 1999
-田中仁彦『ケルト神話と中世騎士物語 「他界」への旅と冒険』中央公論社 1995
-藤代幸一訳著『聖ブランダン航海譚 中世のベストセラーを読む』法政大学出版局 1999
-ルネ・フレシェ『アイルランド』山口俊章・山口俊洋訳 白水社 1997
-『フランス民話 ブルターニュ幻想集』植田祐次・山内淳訳編 社会思想社 1991




