【パリの灯台編】第1話
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「Re:FLORA」が世に放たれてから、早2ヶ月が過ぎていた。
季節は移り変わり、東京の街路樹が少しずつ色づき始めた頃。
FLORIAの4人は、相変わらず忙しく、そして充実した日々を過ごしていた。
アルカディアのCM、ロイヤル・ソレイユのアンバサダー、そして自作曲のリリース——。
この数ヶ月で、FLORIAの名前は、以前とは比べ物にならないほど広く知られるようになっていた。
テレビの出演依頼も増え、雑誌の表紙を飾る機会も増えた。
この大手K-POP事務所内でも、FLORIAは立派な戦力の一つとして扱われている。
そんなある日の午後。
事務所の練習スペースで、4人がストレッチをしながら次の予定を確認していた時——。
チーフマネージャーが、いつもより少しだけ弾んだ足取りで、部屋に入ってきた。
「カエデ、ちょっといい?」
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チーフから伝えられた内容に、最初に反応したのは、カエデ本人ではなかった。
「えーーー!カエデさんパリで撮影!?」
ミジュの声が、練習スペースどころか、廊下にまで響き渡った。
「ちょっとミジュ、声……」
「だってパリだよ!?パリ!フランスの!」
「他にどこのパリがあるのよ」
カエデが苦笑する。
チーフが説明してくれた内容は、こうだった。
日本の大手ファッション誌が企画する、「今注目の日本人女性アイドル」という特集。
日本国内で活躍する複数の事務所から、選りすぐりのメンバーが集められ、パリの街を舞台にした合同撮影が行われる。
参加するのは、日本の大所帯アイドルグループの人気メンバーや、FLORIAと同じく国際的に活動するアイドルたち——。
そして、FLORIAからは、カエデが選出された。
この企画は《《日本人》》女性アイドルの特集であり、純粋な日本人はFLORIAの中にはカエデしかいない。
ミジュは日韓のハーフだが、そもそもFLORIAはK-POPアイドルであり、日本人アイドルの枠には入りにくい。
だから、特に誰かが《《選ばれなかった》》ような雰囲気はなかった。
「うん、なんか枠が空いててたまたま選ばれたみたい」
カエデは、淡々と、しかしほんの少しだけ嬉しそうに報告した。
「たまたまなわけないでしょ!」
サラが、カエデの肩をバシバシと叩く。
「ロイヤル・ソレイユのCMの効果だよ!あれで日本中にカエデさんの顔が知られたんだから!」
ミジュも力強く頷く。
「……そうかな」
カエデは、少しだけ照れくさそうに目を伏せた。
しかし、心の中では——確かに、自分でもそう思っていた。
Kさんが与えてくれた翼。
アルカディアのドレスを纏い、ロイヤル・ソレイユの時計を腕に輝かせ、世界最高峰のブランドの顔として立った経験。
それが、自分の名前を業界の中で一つ上のステージに引き上げてくれたのだ。
「カエデちゃん、よかったね!」
ソユンが、両手を握って、満面の笑みで祝福した。
「パリに仕事で行けるなんて……本当にすごい!」
「ありがとう、ソユン」
カエデは、穏やかに微笑み返した。
「……初めて行く場所だから、ちょっと緊張するけどね」
「カエデさんが緊張するなんて珍しい!」
ミジュがからかうように笑う。
「するわよ、普通に。海外一人は初めてだもの」
「一人……?」
ソユンが、少し心配そうに聞き返した。
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美咲とチーフマネージャーが、補足の説明をした。
「今回、私たちは同行できないの」
チーフが、少し申し訳なさそうに言った。
「ええ、今回かなり色んな事務所から集めての特集みたいでね。申し訳ないけど各事務所からは最少人数で……ってことになってるのよ。
もちろん、先方は大手だしそっちのスタッフはたくさんいるからね。」
「通訳さんだけ……」
ソユンの眉が、心配する子犬のように僅かに下がった。
「大丈夫よ」
カエデが、心配性のリーダーの不安を察して、穏やかに微笑んだ。
「現場には他の事務所の子もいるし、撮影チームもいるんだから。それに——」
カエデは、あえて少しだけ声のトーンを上げた。
「せっかくのパリを楽しまないとね」
その言葉に、3人の表情が和らいだ。
「カエデさん、お土産買ってきてね!」
「マカロン!絶対マカロン!」
「私はチョコがいい!」
「はいはい」
カエデは笑いながら、メンバーたちの注文を受け流した。
しかし——その穏やかな笑みの下で、カエデの心は、普段よりも少しだけ、浮ついていた。
パリ。
初めての海外単独仕事。
それは、FLORIAの「カエデ」としてではなく、一人の「カエデ」として、世界の舞台に立つということだ。
カエデは、それほど表情を出さない人間だった。
嬉しくても悲しくても、常に一定の温度を保とうとした。
しかし——この時ばかりは、少しだけ心の中で浮かれていた。
***
一方、その頃——。
日本、都内某所。
FLORIAの事務所とは全く異なる、別の大手芸能事務所のビル。
ここは、今日本国内で最も勢いのある大型アイドルグループ「空色パレット」が所属する事務所だった。
空色パレットは、16人の大所帯グループ。
国内の音楽番組を席巻し、年末の大型音楽祭ではトリを務めるほど、日本のアイドルシーンの最前線に位置する存在だ。
人気や規模ではFLORIAの一歩も二歩も先を行っている。
FLORIAが「世界をまたにかける」タイプのグループだとすれば、空色パレットは「日本の王道を極める」タイプ。
ファン層も異なり、両グループの間に特段の競争意識やライバル関係があるわけではなかった。
しかし——当然有名なアイドルグループ同士、お互いの動向は意識している。
その空色パレットの練習室の一角。
一人の少女が、タブレットの画面を静かに見つめていた。
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『理緒』——22歳。
空色パレットの中でも屈指の人気を誇るメンバーの一人。
長い黒髪をまっすぐに垂らした、透明感のある美少女。
その見た目から、「大人びた」「ミステリアス」と評されることも多い。
ステージ上では凛とした佇まいで観客を魅了しつつ、バラエティ番組でも独特のキャラで惹きつけるコメントを放ち、時折ツッコミ役やいじられ役にもなれる。
またその印象とは裏腹に——理緒は、周りのこともよく気にする人間だった。
業界の動き、他グループの戦略、メディアの潮流——。
自分たちが今どの位置にいるのか、そして周囲がどう動いているのかを、常に考えていた。
今、彼女のタブレットには、パリ撮影の参加メンバーリストが表示されていた。
自分の名前。他の事務所のメンバーたち。
そして——。
「FLORIA……カエデさん、か」
理緒は、小さく呟いた。
その名前の横に記載された経歴を、もう一度、目で辿る。
FLORIA所属。日本人。
アルカディア専属モデル。
ロイヤル・ソレイユ・グローバルアンバサダー。
理緒の瞳が、僅かに細められた。
***
「理緒ちゃん、どうかしたの?」
明るい声が、横から飛んできた。
『柚葉』——20歳。
空色パレットのムードメーカー。
短く切り揃えた茶色のボブヘアに、くりくりとした大きな目。
いつもどこかに太陽を隠し持っているような、弾けるような笑顔が持ち味だった。
グループの中では「元気印」として愛され、ファンの間でも「癒し枠」として絶大な支持を集めている。
理緒とは性格が反対だったが、不思議と馬が合い、プライベートでも仲良しだった。
「ほら……FLORIA、って」
理緒が、タブレットの画面を柚葉に見せた。
「アルカディアの」
「ああ!」
柚葉の顔が、ぱっと明るくなった。
「この前、理緒が話してた子たちか!」
「子たち、って……ミジュさん以外は柚葉より歳上でしょ」
「あ、そっか。えへへ」
柚葉は、理緒の隣に座り込んで、画面を覗き込んだ。
「パリの撮影、FLORIAからも参加するんだ!カエデさんかー。あの人、最近雑誌でも見たけど、すっごい綺麗だよね」
「うん」
理緒は、小さく頷いた。
「それに、あのアルカディアのモデルなんて!」
柚葉が、素直に感嘆する。
「事務所が激推ししてるってこと? FLORIAって最近勢いすごいもんね」
「すごいのは……間違いないけど」
理緒は、タブレットの画面をスクロールしながら、少し考え込むような表情を見せた。
「アルカディアのモデルなんて、事務所がプッシュして決まるものかな……」
「どういうこと?」
「アルカディアって、世界最高クラスのブランドでしょ。いくら事務所が推したって、ブランド側が首を縦に振らなければ実現しない」
理緒は、指先でタブレットの画面を軽く叩いた。
「それに、この前の時計……ロイヤル・ソレイユのCM。あれもすごい放映量だった。あのブランドも、本来はシニア向けの超高級路線でしょ。若いアイドルを起用するなんて、前例がないはず」
「うーん……まあ確かに、あのCMは、めっちゃ流れてたよね」
「あの事務所には他にも人気グループがあるのに……両方ともFLORIAにアサインした」
柚葉は、理緒の分析を聞きながら、首を傾げた。
「それは……たまたま、じゃないの?」
「……そうかもね」
理緒は、そこで言葉を区切った。
タブレットの画面を閉じて、天井を見上げる。
何かの答えに——辿り着きそうで、辿り着かなかった。
なぜFLORIAに、これほどまでに巨大な案件が続くのか。
ビジネス上の判断なのか。
事務所間の取引なのか。
あるいは——もっと別の、想像もしていない理由があるのか。
「……まあ、今はわからないけど」
理緒は、小さく首を振った。
考えても仕方がない。
今分かっていることは一つだけ。
FLORIAのカエデという人物が、パリで自分と同じ撮影に参加する。
その機会に、直接話してみたい——という、純粋な興味。
それだけだった。
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「今度会ったら聞いてみよーっと!」
柚葉が、能天気な笑顔で言った。
「アルカディアの撮影ってどんな感じだったんですかー、って!」
「やめなさい」
理緒が、即座に釘を刺した。
「色々事情があるかもしれないでしょ。初対面でいきなり聞いたら失礼だよ」
「えー、別にいいじゃん。聞くだけならさ」
「聞くだけが一番危ないの。相手がどう受け取るか分からないでしょ」
「ふっ……なんで理緒ちゃん、いつもそんな《《探偵気取り》》なの?」
柚葉が、にやにやしながら笑いを堪えてからかった。
「どうせ何もわからないのにー!」
「はあ?」
理緒の目が、すっと細くなった。
「あんた、この——」
理緒が、ふざけて柚葉の肩を叩こうとした瞬間、柚葉はひょいと身をかわして、
「きゃー!理緒ちゃんこわーい!」と練習室を走り回り始めた。
「待ちなさい!」
「やだー!」
二人の笑い声が、練習室に響く。
周囲のメンバーたちが、「またあの二人……」と呆れたように笑っている。
空色パレットの日常は、16人の個性がぶつかり合う、賑やかな毎日だった。
***
しかし——。
じゃれ合いの最中でも、理緒の頭の片隅には先ほどの思考の残滓が薄く残っていた。
パリで——直接会えば何か分かるかもしれない。
理緒は柚葉を追いかけながら——心の中で静かにその機会を待ち始めていた。
***
パリへの出発が迫っていた。
FLORIAの練習スペースでは、カエデが渡航の準備を進めながらも、日々のレッスンと仕事をこなしていた。
「カエデちゃん、パスポート大丈夫?」
ソユンが、母親のような心配顔で聞いてくる。
「大丈夫。何回も確認したから」
「向こうの水は硬水らしいから気をつけてね。お腹壊すかも」
「ソユン……私も大人だから大丈夫だって。」
「だって心配なんだもん……」
「カエデさん、スリに気をつけてね!パリはスリが多いらしいよ!」
ミジュが、スマートフォンで調べた情報を次から次へと教えてくる。
「メトロの中が特に危ないって!あと、カフェでスマホをテーブルに置いちゃダメだって!」
ミジュらしいネット知識の受け売り感に、カエデは思わず頬を緩ませた。
「……ありがとう、気をつけるね」
3人が、まるで娘を送り出す家族のように、口々に注意事項を並べ立てている。
その光景が——カエデには、たまらなく温かかった。
(……この子たちと離れるのは、少し寂しいな)
FLORIAとして活動を始めてから、カエデが一人で海外に行くのは、初めてのことだった。
4人で一緒ならどんな場所でも心強い。
しかし、今回は一人だ。
不安がないわけではない。
しかし——それ以上に、カエデの中には静かな期待があった。
一人で海外の仕事をこなす。
それ自体は不安もあるが、Kのくれた自信が背中を押してくれている気がした。
「……行ってくるね」
カエデは3人を見渡して、静かに言った。
「最高の写真を撮ってくるから」
「うん!」
「頑張って!」
「絶対かっこよく写ってきてね!」
3人の声援を背に——カエデはパリへの出発に心を整え始めていた。
***
そして——
カエデは、国際線ターミナルに立っていた。
隣には、今回同行する事務所の通訳担当者——30代の女性スタッフが一人だけ。
美咲もチーフも、他のメンバーのスケジュール対応で動けず、見送りにも来られなかった。
その代わりに——。
スマートフォンには、出発直前に届いた、3人からのメッセージが並んでいた。
ソユン『カエデちゃん、気をつけて!!何かあったらすぐ連絡してね!』
サラ『かっこいいカエデさんを見せつけてきて。世界を驚かせて!』
ミジュ『マカロン忘れないでー!あとカエデさんの自撮りもお願いします!パリの街並みと一緒に!』
カエデは、その一つ一つに、丁寧に返信した。
そして、最後に——。
(……行ってきます、Kさん)
心の中で呟く。
口には出さない。
表情にも出さない。
しかし、胸の奥には——確かにKへの想いが灯っていた。
搭乗ゲートが開く。
カエデは、荷物を手にパリへと旅立った。




