始動「悪という悪が集った都市」
日本の首都、東京。
世界経済の一端を担うこの都市で、昨今とある都市伝説が流行していた。
曰く、世界のどこかに世界政府から黙認されている犯罪都市があるという。
そこは麻薬、人身売買をはじめとした違法売買で栄えており、法と呼べるものが存在せず、数多の犯罪組織によって統治されているとか……
倫理感も道徳感も曖昧で、常日頃から死者が出る。
あまりに悪徳であるため、妖怪や吸血鬼などの魔族が住み着いている。
この都市がもたらす巨万の富によって、現代社会は維持、継続できている。
巨悪たちが闊歩する魔界都市。狂気渦巻く人外魔境。
その名は──デスシティ。
まともな者が聞けば鼻で笑うであろう、幼稚な都市伝説だ。
しかし、実在するのだ。
世界の果てに。悪鬼羅刹が跋扈する魔界都市が──
◆◆
魔界都市の人気のない路地裏で。
不気味な瘴気が生温かさをともなって辺りを漂っていた。
道端では合成獣の群れが腐った死体を貪っている。
骨を砕く音と共に強烈な腐臭が辺りに撒き散らされていた。
カランカランと、どこからともなく下駄の音が鳴り響く。
腹をすかせた合成獣たちは音の主へと襲い掛かろうとしたが、身の危険を感じ情けない悲鳴を上げて逃走した。
音の主は褐色の肌をした、この世の者とは思えない美丈夫だった。
容姿的年齢は三十代ほど。見れば見るほど薫る男前である。
艶のある黒髪は後ろで丁寧に結われており、灰色の三白眼は鋭く、唇から覗くギザ歯は獰猛な肉食獣を彷彿とさせる。
目鼻立ちが神秘的なバランスを保っていて、妖しい色気を漂わせていた。
身長は二メートルを優に超えている。
驚くべき高身長だ。男性の平均身長……否、人間の平均身長を優に超えている。
肉体は筋肉質でありながら細身で、見せるための筋肉ではなく戦うための筋肉のみで形成されている。
まるで大型のネコ科の捕食動物だ。
服装は白と黒の着物をダブル。肩から真紅のマントを羽織っている。
奇抜な服装だが、よく似合っていた。
タバコを咥えながら歩く彼の目に、小さな屋台がうつる。
古きよき移動式の屋台車だった。
合金製の煙突からはモクモクと白煙が出ている。
かけられている暖簾には「おでん屋・源ちゃん」と達筆で書かれていた。
屋台の周辺には謎の発光体がいくつも浮遊している。
空気を洗浄するために品種改良された益虫だ。
不衛生な魔界都市において、きわめて有用な代物である。
暖簾をくぐると、店主の厳つい壮年が満面の笑みで頭を下げた。
「らっしゃい旦那。ご注文は?」
「焼酎とおすすめの盛り合わせ」
「はいよ」
店主はてきぱきと準備を始める。
男──大和は、いち早く出された焼酎をゆっくり飲み干した。
アルコール特有の臭さが染み渡る。鼻まで抜ける濃い香りは、酒好きにはたまらない。
店主はおでんの盛り合わせを出すと、上機嫌に話しはじめた。
「今日のはとっておきでさぁ。ミノタウロスの牛すじ、自信作です」
「ミノタウロス? あの牛頭のモンスターか?」
「へぃ、三日前に馬鹿な科学者どもがサンプルを数匹逃がしたらしくて。それがうちの前で暴れてたんですよ」
「一昨日の新聞に書かれてたな、そんなことが」
「うるせぇから細切れにしてやりましたよ」
物騒なことを言う店主。
しかし彼の肉体を見れば誰しもが納得するだろう。
まさしく筋肉の宮。
二の腕には太い血管が脈打ち、筋肉は岩のように隆起していた。
背後には人斬り包丁と魔改造済みの対物ライフルが立てかけられている。
只者ではない。
彼はその厳つい顔をほにゃっと崩してみせた。
「ミノタウロスを珍味として扱う奴らがいるって聞きまして。早速挑戦してみたんです」
「お前が皿として出すんだ、美味いんだろう?」
「勿論でさぁ! デスシティ製の圧力鍋でじっくりと煮込みました! どうぞ!」
店主にすすめられ、大和は牛すじを口に放り込む。
少々臭みがあるが、芳醇な味わいだった。
噛めば噛むほど野性的な肉汁が溢れ出る。
大和は笑った。
「うめぇ……やっぱイイ腕してんなァ」
「光栄です」
世辞抜きの言葉に店主──源次郎は照れくさそうに頭をかいた。
追加で牛スジを頼まれると、嬉しそうに盛り付けをはじめる。
ふと、暖簾が上がった。
現れたのは二十代ほどの美女だった。
肩辺りで整えられた黒髪、丸みを帯びた目。
日本人なのだろう、目鼻の形が小綺麗である。
漆黒の制服と帽子はバスの運転手を彷彿とさせた。
制服の上からでもわかる豊満な乳房は、雄の本能をダイレクトに刺激する。
彼女の名は死織。
デスシティの交通機関の一つ、闇バス・闇タクシーの運転手である。
彼女は大和を見つけると、表情を蕩けさせた。
「さがしましたよ、大和……」
「依頼か?」
「いいえ」
そう言って大和の隣に座る死織。
源次郎は注文を聞こうとしたが、予め手をかざされたことで何となく察する。
死織は熱のこもった声音で大和に言った。
「貴方を買いに来ました」
「お生憎様、今夜は予約済みだ」
肩を竦める大和に対して、死織は唇を尖らせる。
「前もそう言って断られました。今夜は引きませんよ。予約と言っても口約束でしょう? 契約書はありますか?」
「ねぇよ、そんなもん」
「であれば、競り落とせますよね?」
艶然と笑う死織に対して、大和は三白眼を細めた。
「額は?」
「10万」
「話にならねぇな」
「50万」
「まだまだ」
「80万」
「惜しい」
「……本当ですか?」
訝しげに眉をひそめる死織を見て、大和は鼻で笑う。
「100万だ。俺のアレがどうしても忘れられねぇってさ。馬鹿な女もいたもんだ……日を改めたらどうだ?」
この場にいない女を嘲り笑う、その笑顔すら美しい。
否応無しに女を引き寄せる魔性の色香は、あらゆる女を駄目にすることで有名だ。
彼が極上の雄であることを、女たちは本能で理解する。
だから集まってくるのだ。まるで灯盗蛾の如く。
死織はブルリと肩を震わせた。
どうしてもこの男が欲しい──
だからこそ、引かなかった。
「私も我慢できないんですよ。貴方の笑顔を見ていると……疼く」
「勝手に疼いてろ」
「うるさいですよ。いくらならいいんですか?」
「そうだなぁ」
大和は牛スジをかきこみ食らいながら言う。
「150万?」
「馬鹿ですか? 120万」
「140万」
「120万、譲りませんよ」
「……」
「……」
両者睨み合う。
しかし長くは続かなかった。
大和が折れる。
「まぁ、いいや。テメェは美味いから、サービスしてやるよ」
「決まりですね」
死織は蠱惑的に唇を舐めた。
大和は源次郎にお代を出す。
「ごっそうさん、美味かったぜ」
「おそまつ様です」
暖簾をくぐる大和の腕に、死織が蛇のように絡みつく。
豊満な乳房が制服の上からでもわかるくらい形を変えた。
大和は溜息を吐きながら歩き始める。
「金で男を買うなんざ、この都市の女はどうにかしてるぜ」
「それは男も一緒でしょう? それに──貴方には金を出すだけの価値がある」
死織は大和の大きな手を自身の腹……その下に押し当てた。
「しかし、これだけの大金を払ったんです。一夜じゃ帰しませんよ? 三日は付き合ってもらいます」
「いいぜ、お前の体力がもてばの話だけどな」
「……♡」
死織は目をハートマークに変えて大和に絡みつく。
そう──彼こそこの物語の主人公。
魔界都市で、いいや世界で一番腕の立つ殺し屋である。