一話「吟遊詩人に会いに」
魔界都市の南区は「異界」と呼ばれている。
時に種族が、時に文明が、時には世界そのものが流れ着く。
下手を打てば世界のバランスが崩壊する。
そうならないように設立されたのが『ギルド』と呼ばれる組織だ。
またの名を冒険者組合。ここに所属する者たちは冒険者と呼ばれる。
彼らのは刻一刻と変化する南区のバランサー。
新人は薬草拾いからはじめ、ベテランは危険生物の討伐や希少素材の管理を行う。
夢のある職業だが、常に死と隣合わせ。年間死傷者数は千を超える。
高ランクの冒険者になるためには相応の実力と知識、経験が求められる。
冒頭でも話したが、南区は異界だ。
今現在、ギルドが観測できている領域は三割。
開拓できている領域は入口とその付近だけ。
それ以外は『未踏領域』とされ、今現在も調査が進められている。
現在攻略中の未踏領域は四つ。
7つ海域で構成されている大海原「オケアノス」。
凶悪な巨人が闊歩する平原地帯「ユミル」。
狂った妖魔が屍山血河を築く「伊吹山」。
古代文明の痕跡がある未知の大陸「ハイパーボリア」。
以上四つの未踏領域を踏破しなければ先に進めない。
踏破しないという選択肢はない。
放置するにはあまりにも危険過ぎる。
特に平原地帯「ユミル」と未知の大陸「ハイパーボリア」が危険視されており、中でも「ハイパーボリア」は邪神群が関連しているとされている。
現在邪神関連の専門家や有識者が集い、会議と遠征を繰り返している最中だ。
そんな南区に今日、表世界出身の若者が足を運んでいた。
新鋭気鋭の考古学者である彼は、良い意味でも悪い意味でも有名だった。
彼には会いたい存在がいた。
この世界の真実を知る伝説の吟遊詩人、ギリシャ神話の英雄の一人。
オルフェウス。
彼はオケアノスにある絶海の孤島「アイアイエー島」にいるという。
そして島を治める大魔女キルケーだけが、その居場所を知っているのだという。
若き考古学者はアイアイエー島を訪れると何故かキルケーに気に入られてしまい、手作りのキュケオーンをたんまりと振る舞われた。
それをなんとか完食し、オルフェウスの居場所を聞き出すことに成功した。
そしてトイレの住民となった。
◆◆
「くぅぅ……っ、まだ腹がゆるいっ。大魔女サマめ、いくらなんでも作り過ぎだっ」
食い慣れていない麦粥百人前は如何に大食いに自信があってもキツい。
完食できたのは父親譲りの体質のおかげだろう。
若き考古学者はグルグルと鳴るお腹を押さえていた。
「味はマジで美味かったから、今度ご馳走になる時は少食なんですってあらかじめ言おう。絶対にそうしよう」
そう言って、少し丸くなった腹を叩く。
今時の爽やかな青年だ。
年齢は二十代前半あたりで、東洋系と西洋系のいいとこ取りの顔立ちをしている。
金髪は地毛なのだろう、強い日差しに負けじと輝いていた。
瞳の色は綺麗なサファイア色で、まるで外に広がるオケアノスの海のよう。
服装は黒のシャツとズボン、白のシューズ。肩から大きめのワンショルダーバッグをかけている。
男にしては長めの金髪はメンズカチューシャでオールバック。
彼はキルケーの館の裏にある森、その奥に続く獣道を歩いていた。
(しっかし、噂には聞いていたが……魔界都市の南区、予想以上だ。文明が違うなんて次元じゃねぇぞ)
軽い呼吸を繰り返すだけで全身に魔力が満ちる。
表世界ではこんなことありえない。
有名なパワースポットにいっても、ここまでの効果は得られない。
(時代が……いいや、そもそもの世界観が違う。異世界だって言われても納得できるレベルだ)
青年は道を確認しつつ考える。
(オケアノス、オルフェウス、アイアイエー島に魔女キルケー。これだけでも十分だが、港町で聞いた話……古代遺跡アトランティスにセイレーンの歌、スキュラの海峡。ここまで来ると確信に変わる)
ここは、ギリシャ神話の世界だ。
今から数千年前にあったかもしれない世界。
あったかもしれない、というのは神話ではあるあるだ。
神々や英雄は実在したのか?
創作なのか、それとも真実なのか──
鶏が先か卵が先か。
真実であるなら、神が人間を創造したことになる。
創作であれば、人は猿から進化したことになる。
しかし、実際はどうだ?
神魔霊獣は確かに存在し、神話の世界は今まさに目の前に広がっている。
鶏が先か卵が先か……
答えは鶏だった。
となると、新たに疑問が浮上してくる。
人類を創造した神は一体誰なのか?
一体何時から歴史が始まったのか?
そもそも、自分たちの知る歴史はどこまでが真実なのか?
「……あー、くそっ。よくもまぁここまで騙せたもんだぜ」
科学的に証明させることで神秘の存在を否定させた。
それをした者たちに、青年は悪い意味で感心を覚える。
黄金祭壇。
欧州全土を統べる魔術結社。
彼女たちの役割は世界各地の神話にまつわる情報の管理。
現代文明に不必要な情報は全て隠蔽し、最悪無かったことにする。
(実際、何度も刺客を送られたしな。後半はマジで死ぬかと思ったし)
彼は世界各地を冒険中に何度も刺客に襲われていた。
最初は魔術士が複数人。次は魔法使い。その次はなんと、魔導師がやってきた。
もう駄目だと諦めていたところ、魔界都市の南区にいるギルドマスターにこれを見せろと手紙を渡された。
そうして今に至る。
青年は命を救ってくれた手紙を出し、やれやれとため息を吐いた。
彼はふと、父親の言葉を思い出す。
「この世界は、神秘で満ちている」
「そして、知らなくてもいいことがある。覚えておくといい。好奇心は猫を殺すよ」
青年はムッと眉を顰めた。
(舐めんなよ、クソ親父。猫は猫でも山猫だぜ俺は)
獣道が終わり、綺麗に設備された山道に出る。
まだ遠い山頂で、一人の女性が手を振っていた。
「おーい、大丈夫かーい? キュケオーンでお腹痛めてないかーい?」
「あー、大丈夫っす! 今そっちいきます!」
山道を駆け上がる。
凄まじい脚力だ。あっという間に山頂に到着する。
女性は目を丸めていた。
次にはおかしそうに笑う。
「フフッ、元気な子だねぇ」
青年は思わず見惚れてしまった。
それほど美しい女性だった。
年齢は二十歳前半……いいや、もっと若く見える。
白銀色の滑らかな長髪に同じくらい白い肌。
アメジストを彷彿とさせる紫色の瞳は不思議な輝きをともしている。
服装は白を基調とした衣装。下に際どい黒のインナーを着ている。
彼女はその細く小さな手を青年に差しだした。
「さぁ、いらっしゃい。久々の客人だ。歓迎しよう」
「……あー、えっと」
「?」
首をかしげる女性に、青年は困った風に聞く。
「オルフェウスさんの家であってますかね? ここ」
「……プッ、アッハッハ!」
女性は腹を抱えて笑った。
青年はムッとするが、女性は悪気はないと謝罪する。
「ごめんね。本気で聞かれたものだからつい……。もしかして、ギルドマスターから聞いてないのかい?」
「何を……ですかね?」
青年の疑問に、女性は答える。
何もないところから竪琴を取り出し、柔らかい笑みを浮かべた。
「僕の名前はオルフェウス。ギリシャ神話……いいや、神代の吟遊詩人さ。さぁ、君の名前を聞かせておくれ」
青年は大層驚くと、次には恥ずかしそうに名乗る。
「明……大黒谷明です。今回はよろしくお願いします」
「ああ、よろしく頼むよ」
オルフェウスは庭にあるテーブル席に明を案内する。
「寛いでいてくれたまえ。茶菓子を用意しよう」
「いや、俺は……」
「そう焦らずに。まずは体調を整えよう。……お腹、痛いままだと辛いだろう?」
「……うす。なら、お言葉に甘えて」
「うんうん♪ 素直でよろしい♪ 君みたいな子は好きだよ」
その言葉に明は頬を赤く染める。
オルフェウスは木造りの家の中へと入っていった。
明は「やられた」と頭をおさえる。
(ギルドマスターも、魔女キルケーも、何で教えてくれなかったんだ。オルフェウスが女性だって)
明の顔は、まだ熱を帯びていた。




