『決意』
私の聞き間違えでしょうか。いえ、確かにヒナ様は死んでいると、はっきりおっしゃいました。そんなはずはありません。
「ヒナ様、主は眠っているだけですよ」
口を結び、首を激しく横に振るヒナ様。
「違う。違うよ、レッカ。君の主は、死んでいる」
「信じられません。なぜですか、なぜそんなことをおっしゃるんですか」
ヒナ様の一言一言が、私の胸に突き刺さる。そんな真摯な眼差しで、見ないでください。このままではヒナ様の言うことが、真実のように思えてしまう。今の私は、これ以上ヒナ様を見ることができません。見続ければ、きっと認めてしまう。
認めたくありません。
「主は死んでなどいません」
部屋に響く私の声。空気を震わせるほどの大声に、ヒナ様は肩をびくりとふるわせました。
私は、なんてことを。ヒナ様を怯えさせてしまうなんて……そんなつもりは、そんなつもりはなかったのに。
「ねえ、レッカ。君の主は錬金術を学んでいたんだね」
ヒナ様は部屋を見渡し、つぶやきました。
「そうです。この部屋に置かれた本や液体が入った瓶、これらは全て、主の仕事道具です」
「実はね、僕のお母さんも学んでいるんだ。この部屋に入ったとき、見慣れた道具や本があったから、もしかしてと思って」
「私が片づけようとすると、自分が決めた場所に置いてあるから触るなと、よく怒られました。いつ見ても、乱雑に積まれているようにしか見えないのに」
「うん、母さんにも似たようなこと言われた。意味がないように見えて、意味があるんだって。……錬金術って、未知を追求するために、日々調合や実験を繰り返すんだ」
ヒナ様は、部屋に置かれた主の仕事道具をゆっくり見渡しながら、私を諭すように、言葉を選ぶように、ゆっくりと喋りました。
「その結果、命を落とすことにも繋がりかねないって」
「ですが、主の顔は、こんなにも綺麗な顔をしているのに」
そうです。主の顔は生前と何一つとして変わっていない綺麗な寝顔をしています。
「レッカ、体を触ってみて」
ヒナ様の言葉に促されるまま、主にかかっていた毛布をめくり、手を伸ばす。主の右手にそっと触れた指先から伝わってきたのは体温ではなく、ひんやりとした冷たい皮膚の感触。
動揺する私に、ヒナ様は躊躇うように言葉を重ねました。
「呼吸もない」
私は、死んだ主をそのままにして、今まで掃除と賊退治に精を出していたという訳ですか。
情けない。そんなの、ただの間抜けではありませんか。
「起きて、起きてください」
主の体を揺さぶり続けますが、反応はありません。目を開くことも、面倒くさそうに寝返りを打つこともせず、ただ揺られている。
「起きては、くださらないのですね」
「……レッカ。休ませてあげよう」
ありのままを受け入れなければ、ならないのでしょうか。
持ち上げた主人の身体はとても軽く、されるがままぶら下がる主の手足。こうした事実の積み重ねが、私に事実を受け入れろと迫ってくる。
急に目を開けて、降ろせと騒いでも不思議ではないほど、主の体は生きていた頃のままです。叶うことのない願いを頭の中で繰り返しながら、私とヒナ様は部屋を後にしました。
「せっかくです。景色が綺麗な場所でお休みになりますか」
やってきたのは城の裏手。ここから主と一緒に見た景色は、今までも鮮明に思い出せる。徹夜明けに見た朝、夕陽が沈み夜が訪れる黄昏時も。その全てを私は覚えています。
錬金術が、自分の命を蝕んでいくことを知っていたのでしょうか。今となっては聞くことも出来ません。なにが、そこまで貴方を駆り立てていたのか、私には理解できないのです。
「ヒナ様。そろそろ戻らねば風邪をひいてしまいますよ」
ヒナ様の小さな手は泥で汚れ、衣服も同じように汚れています。
「主の為に、ありがとうございました」
「ううん、レッカにはお世話になってばかりなんだ。これくらいどうってことないよ」
主人を埋葬した場所を彩る花。ヒナ様は、私が墓石に見立てた石の周りを懸命に飾ってくれました。
「これで、主さんも寂しくないよね」
ヒナ様は沢山の涙を流し、私の悲しみを分かち合ってくれました。それだけで私の心がどれほど救われたか。言葉では言い表せません。
「ええ、主人は花が好きでした。愛でるのも材料としても」
「材料はともかくとして、喜んでくれたら嬉しいな」
喜びますよ。きっと。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夜はこんなに静かなものでしたか。
連日現れた賊も今日に限って来てくれません。ああ、いけません。これでは、まるで賊が現れることを願っているようではありませんか。
ですが、この胸騒ぎのせいで、どうにも落ち着きません。
いえ原因はわかっています。知らないうちに、私の手からこぼれ落ちていた命。どうあがいても、拾うことは絶対にできないもの。
それが、私の目が行き届くべきだった所で、今も失われようとしているのかもしれない。そう考えてしまうだけで行動せずにはいられません。
扉をそっと開けば、そこには安らかな寝息をたてるヒナ様がいました。
そう、主人もこうして寝ていました。でも、いつからか鼓動がなくなったのです。私はそれに気づかぬまま、しばらく寝るといった主をそのままにして、起き上がるのを待ち続けていたという訳です。
助かったかもしれない命をそのままにして。
それが真実。私が主人を殺したといっても過言ではありません。
今の私に、ヒナ様を見守る資格などないかもしれません。ですが、触れた手から伝わるヒナ様の体温。主の手とは、まったく異なる感触。熱がじんわりと私の手にも伝わってきます。
「どうしたの」
呼びかける声に、私の意識が現実に引き戻されました。ベッドに横になりながら、ヒナ様の目は私を見つめています。
私はヒナ様が起きていることに気づきもせず、思いに耽っていました。
よくよく考えてみれば、寝ている間に忍び込むというのは、あの賊達の行為となんら変わりません。生きているのか確かめるために忍び込んだ、などとは口が裂けてもいえません。
「大丈夫だよ」
お叱りを受けると思いましたが予想に反し、ヒナ様は微笑んでいます。
ヒナ様の優しい声と濁りのない透き通った瞳は、私の不安を見透かしているようです。
「そのまま、手を繋いでいて」
離そうとした手を握り返され、私とヒナ様の手は繋がれたままです。
「私が、ここにいても宜しいのでしょうか」
「いいよ。僕はちゃんと生きているよ。怖がらないで」
胸が苦しいです、ヒナ様。貴方の言う通りです。私は怖い。不安でたまりません。貴方の閉じてしまった瞳が再び開くのか、私にはわからないのですから。だからせめて、こうして側にいたい。もう大切なものを手放したくはないのです。主の命を見捨てた愚かなメイドだとしても。
「ねえ、レッカ」
「なんでしょうか」
「自分のこと責めないで」
貴方は、どこまで私の心を見通しているのでしょう。
「レッカのせいじゃない」
その言葉を最後に、ヒナ様の意識は再び眠りに落ちていきました。
ある意味助かりました。だって、今の私の顔はきっと、とても人に見せられるようなものではありませんから。
こんなにも朝を待ちわびたことはありません。地平線から、かすかに顔を出した太陽は次第に高く昇っていきます。部屋に差し込む光の強さに思わず目を細めてしまいました。
朝焼けの光の眩しさに、ヒナ様はかすかにくぐもった声をあげ、目に当たる光を手で遮りながら、ゆっくりと瞼を開けました。
「おはよう、レッカ」
「おはようございます」
何気ない挨拶。こんな他愛のない言葉を交わせる幸せ。ヒナ様には色々なことを気づかせてもらってばかりです。
私、決めました。
あなたは私が守り抜くと。赤髪鬼と呼ばれる、この私が命を懸けて。