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廃城のメイド  作者: 北都
22/26

『竜』

 オリジンを目指し、走り続ける。

 足も服も汚泥にまみれていますが、それでも足を止めることなく前へ走り続ける。

 

 片腕がないのは、戦いにおいて大きなハンデではありますが、戦いから退く理由にはなりません。

 オリジンに着く頃には雨は止み、満月が雲の隙間から見え隠れしています。淡い月明かりに照らされている夜の街は、とても静かで私が地面を蹴る音だけが響いていました。

 

 住民ですら滅多に足を運ぶことがないという祭壇へと一刻も早く駆けつけたいところですが、その前に一つしなければならないことがあります。

 街の中をしばらく走り続けると住宅街が見えてきました。その中でひと際大きい建物の前に護衛らしき人が数人立っています。しかし、彼らの視線は外ではなく家の中を見張る様に内側へ向いている。

 ここに来た目的を果たす前に、まずは掃除と参りましょうか。見張りの数は三人。動きは素人同然。手間がかからず有難い話です。


 扉をノックすること数回、中で人が動く気配がしました。


「こんな時間に何の用なの。主人ならもう寝ているわ」


 不機嫌な女性の声。軟禁されていたというのは本当だったようです。


「夜分遅くに失礼いたします。私、荒野の城に住むメイドでレッカと申します」


 一瞬の間のあと、勢いよく扉が開かれました。扉を開けた女性の目が驚きのあまり見開いております。ヒナ様は母親似のようですね。目や口元に面影がございます。


「ヒナ様のお母様、で間違いありませんね」


 女性は何度も首を縦にふっております。肯定していると受け取ってよろしいのでしょうか。そういえば以前にヒナ様も同じ様に何度も頷いていました。遺伝でしょうか。


「突然のことで驚かれると思いますが、ヒナ様が街の奥にある祭壇へと連れて行かれました」


 息をのむ声が聞こえました。さぞ驚かれたことでしょう。本来ならば謝るべきところではございますが、今はそれよりも優先すべきことがあります。


「これより私はヒナ様の元へ参ります。ですので、お母様とお母様も私に遅れることなく、ついてきては頂けませんか」


 一刻を争う状況ですから、人の手は多い方がよい。そして量より質。冒険者の中で最高峰との呼び声の高い、この方たちであれば、申し分ない戦力となってくれるはずです。


「ええ、もちろん。助けに行くわ。私だって昔は名を馳せた冒険者だったのよ」

「竜殺しのお父様も一緒にお願いします。露払いは私に任せてください。あなた方はヒナ様と一緒に逃げることだけを頭に入れておいてください」

「待って、主人を呼んでくるから」

「その待つ時間すら、今の私にはおしいのです」

「解った。準備してすぐに追いかけるから。ところで、貴方の主は一緒じゃないの」


 この方も主を知っているのでしょうか。主について色々お話を伺いたいところですが、余計を事をしている場合ではありません。


「主はいません。私一人です」

「そう。ちょっと待って……貴方、怪我をしているの」


 城から街まで全力で走ったせいでしょうか左腕に巻かれた包帯から、少々液体が漏れ始めていました。真っ白な包帯の先端が銀色に染まっています。


「私は人ではありませんので、治療は不可能かと思います」

「銀色の血……? そのまま包帯なんか巻いていてもダメ。完全に止めないと……入って」

「すぐにいかねば」

「わかっているわ。でもレッカ。貴方はこれが何か理解してる?」


 私が人とは異なるものであることを知ったのは、つい先ほどのことです。知っているかと聞かれれば、首を横に振るしかありません。


「この液体は、人に言い換えれば血液。あなたは痛みや不調を感じていないのかもしれないけど、体内から無くなるほどに、きっとあなたは動けなくなる」

「私を一目見ただけで、なぜもそこまでの予想がつくのですか」

「私も一応錬金術士だから。貴方の主みたいな天才じゃなかったけどね。そっか、本当に完成させていたのね。叶わないな」


 お母様は私を家の中に招き入れると、椅子へ座る様に促しました。


「傷口を見せて」


 テーブルの上に広げられた道具の数々。いくつか見慣れないものもありましたが、大半は主の部屋で目にしたことがあります。その一つ一つは磨耗して年季が入っていましたが、新品同然で曇りのない金属の輝きを放っていました。お母さまは口元にマスクをあて、両手には厚いグローブをはめた状態で、私の傷を念入りに調べていました。

 包帯に付着した液体を、器具ですくい試験管の中に落とすと、元々入っていた液体の色が白く濁りました。


「やっぱり……この液体は生き物にとって猛毒よ。間違っても人に触れさせては駄目」


 やはり、無闇に触らせて良いものではありませんでしたか。自分がみている限り、ミズキ様は触っていないはずです。問題はミソラ様ですが……まあ、あの方なら問題ないでしょう。万一何かあったとしても捨て置きましょう。

 傷口を観察するお母様の手は止まることなく、処置の判断にもためらいも迷いもありません。着実に一つ一つの行程をこなしていく様は、主の姿を彷彿とさせてくれました。


「よし、これで問題ないはずよ。でも応急処置にしかすぎない。部品の替えを持っていたりしない?」


 部品の替え、ですか。壊れた物のように、私の体も直すことが出来るということでしょうか。


「知らないのね。とにかく傷が開かないようにだけ気を付けて。無茶は駄目よ」

「ありがとうございました。無茶をしないというのは難しいですが、善処いたします」


 腕の傷は塞がったようです。これ以上、液体が漏れる心配はないみたいです。


「では、先に行ってお待ちしております」


 お母様は走り出す私に何か言い掛けた様ですが、その言葉を聞き返す猶予は残されていません。


 街の奥にあった朽ちかけた神殿に足を踏み入れると、通路には一定の間隔で灯された蝋燭が置かれ、燭台の上で火がゆらゆらと揺れていました。通路の先を微かに照らす、か細い炎ですが、これを辿っていけば、確実にヒナ様の元へと導いてくれるはずです。

 物陰や支柱の陰へと身を隠しながら、神殿の最奥へ進んでいくと、暗がりの中に見えた人の群れ。ようやく追いつくことができました。


「まって、まってくれ」


 狼狽する声が聞こえる方に目を向けると、顔に包帯を巻き付けた痛々しい男の姿がありました。私が殴り飛ばした男です。

 彼は両脇を黒のローブを着た二人に抱えられながら、祭壇へ続く階段を引っ張られるように登っていきました。

 その頂上にある祭壇の前に立っていたのは、ヒナ様を連れ去った剃髪した男。集団は口々に教主様と呼んでいます。教主は、怯えた男の元へと近づき耳元に顔を寄せました。


「待って、待ってくれ」


 制止する声も聞かず、男は猿轡をかまされると、再び両脇を抱えられました。逃れるために懸命にもがき続けていましたが、祭壇の上から背中を押され大穴へと落ちていきました。くぐもった叫び声が幾度も反響していましたが、ふと聞こえなくなりました。

 穴の中に何が潜んでいるのか分かりませんが、きっとその正体もすぐにわかるでしょう。


 祭壇に立つの教主が手にした杖を掲げると、祭壇の影からローブ姿の男たちに連れられるようにヒナ様が出てきました。

 ヒナ様は背中を押され、祭壇の上へ立たされる。


 教主は振り返ると声を張り上げ、杖を高く掲げました。群がる信者は、声に同調するかのように大声をあげ、両手を突き上げる。熱狂に煽られ、地鳴りのような声を神殿内に響かせ続けました。

 その声に応えるように教主は再びヒナ様の方へと振り返ると、両手で握りなおした杖で一突き。

 

 その瞬間、私の視界からヒナ様の姿が消えました。それと同時に、私は足に力を込め大きく一歩を踏み出す。祭壇へと続く階段の前にたむろする人々を避け、そして突き飛ばし、階段を一足で飛び越えれば、穴はすぐ目の前です。

 ヒナ様を突き飛ばした教主は、何故か狼狽えた目で私を見ている気がしますが、まあ気のせいでしょう。彼とすれ違う際、手元が誤り、手にした剣が彼の鼻先をかすめてしまいました。もだえるような声が背中越しに聞こえましたが無視します。


 穴は底が見えない程、深く暗い。ですが、恐怖も躊躇もありません。勢いに任せ、暗闇の中へ身を投じました。暗闇の底へと落ち続ける私の耳に届いたのは、風を切る音と微かな声。

 底へと落ちていくほど、はっきりと聞こえてくるヒナ様の声。全てが黒く塗りつぶされていく世界の中で、か細い光が照らしてくれたのは、ヒナ様の後ろ姿と赤い二つの瞳を光らせる巨大な生物の輪郭でした。長い舌をちろちろと動かす様は蛇のようですが、その大きさは蛇とは比べ物になりません。

 全容は確認できませんが、これが彼らが竜と呼ぶものの正体なのでしょうか。


 竜は鎌首を持ち上げ、喉を鳴らし、唾液を飲み込むと再び口を開き、ヒナ様が落ちてくるのを今か今かと待ちかまえている。

 視界が暗闇に覆われているにも関わらず、赤い瞳はヒナ様を捕らえて離しません。


 ぎりぎりでしたが、間に合いました。ヒナ様の命は失われていない。私が貴方を救い出して見せます。


「ヒナ様、お迎えにあがりました」


 私の声に、ヒナ様は驚き辺りを見渡していますが、暗闇の中では私の姿は見えないでしょう。ですが、問題はありません。だって、私の目にはヒナ様の姿が映っていますから。


「もう大丈夫でございます」


 ヒナ様を空中で抱き留めると、ヒナ様の腕は私の体をしっかりと掴みました。

 抱きとめたものの、さてこれからどうしようかと考える間もなく、足裏に衝撃が伝わってきました。どうやら偶然にも竜の口先に着地したようです。

 落ちてくる獲物の為に開いていた口を踏みつけてしまいました。無理矢理、閉じさせてしまったせいでしょうか、のどの奥から唸り声が響いております。


「初対面の方の顔に足跡を残すような無礼。お詫び申しあげます」


 赤い瞳が私を捉えると、竜は頭を大きく振り上げました。上へと吹き飛ばされる私とヒナ様。そのおかげで、穴の入り口付近まで戻ってくることが出来ました。


「なんでここにいるの」


 当然の疑問です。ここは何と答えるべきでしょう。貴方のメイドだから。いえ、何かしっくりと来ません。ミズキ様に言われたから。それも違います。もっと単純な答えで良いはずです。


「ヒナ様の事が心配で来ちゃいました」


 壁を蹴り上げ、上へと飛び上がる。城の裏側にある崖は力加減を間違えると足場が崩れ危険でしたが、それと比べれば踏み込む力に加減はいらなそうです。

 祭壇の上へと戻ると、目の前には人だかりが出来ていました。私達へと向けられた視線。その視線は徐々に私達から外れ、上へ上へと向けられていく。

 私もこのまま逃がしてもらえるとは、考えてはおりません。


「竜だ!」

「ついに! ついに姿を見せてくれた!」

「教主様の伝え通りじゃないか」


 突如として沸き上がる歓喜の声。崇める神の出現に、誰もが膝をつき両手を胸の前であわせ、祈りを捧げています。喜びを表しているつもりなのでしょうが、竜からして見れば餌が待ちかまえているようにしか見えないと思います。


「ヒナ様、これより決して振り返ることなく逃げてください。正直、今のこの体でどこまで保つか、私もわかりません。その為、万一に備えてご両親を呼んでおきました」

「お母さん、お父さんに会えるの」

「もちろんでございます。会わせると約束していましたよね。私、約束を違えたことは一度としてございませんよ。それは、これまでも、これからも、ずっとです」


 竜は地面を揺るがすほどの咆哮を上げました。空気を震わせほどの爆音と、体に伝わってくる振動の激しさに信者たちの顔が陰りを見せました。

 追い打ちをかけるような二度目の雄叫びに信者たちは悲鳴をあげはじめ、蜘蛛の子を散らすように散らばっていきました。


「逃げるな! その身を神に捧げるのだ!」


 教主の言葉に耳を貸すものは誰もおらず、逃げ惑う人の叫びがこだまする中、背後に迫ってくる圧迫感。

 ヒナ様と別れの言葉を交わす暇もないいようです。襲い掛かってきた前腕を、頭上で構えた剣で受け止めましたが、あまりの重さに身動きがとれなくなりました。

 

 暗闇より這い出てきた竜は、己の体を切り刻んでいく剣の存在を気にすることもなく、万力のようにじわじわと力を込めて、押しつぶそうとしてきます。


「レッカ……」

「逃げなさい! 走るのです! さぁ早く!!」


 体をびくりと震わせ、走り出すヒナ様。振り返ることはないとわかっていながらも、何故か目を離すことが出来ない。 彼が逃げ切るまで見届けることが出来ないのは心残りです。

 仮にヒナ様と一緒に逃げたところで、竜はいつまでも追ってくるでしょう。それは、ヒナ様とご両親の三人を守りながら戦うことを意味しますから、そうなれば敗北は必至。一人を守って戦うことすら危うい状況ならば、私はこの場にとどまり時間を稼ぐことが、最前と言えます。


「おしいな」


 気のせいでしょうか、低い重々しい声が聞こえたような気がします。


「それほどの力を持ちながら、隻腕とは」


 まさかとは思いましたが、竜が人と同じ言葉を喋っている……驚きです。


「喋る竜でございますか。竜を見るのは初めてですが、竜とは人と会話もできるのですか」

「私をただの竜と思うなよ、世界を飲み干す存在とまで言われた。この私を」

「それはそれは、大変結構な二つ名でございますね。ですが、大層な名前の割に少年一人見逃すことが出来ない器の小ささはどうにかなりませんか」


 私の言葉に耳を傾けていたかと思うと竜は急に笑い出しました。


「その状態で、その口の聞き方。人の身でありながら中々剛胆な奴だ。だが見逃すわけにはいかん。お前を食らい、先ほど逃げた少年も食らうぞ。あれは私への供物なのだからな」


 時間稼ぎ、と言いましたが訂正しましょう。私が退けば、ヒナ様が狙われてしまう。

 ならば、ここで命を絶つ。もしくは絶たれるか以外の道はなくなりました。

 ヒナ様がいなくなった今、様子見をする必要も加減の必要もありません。


 化け物同士、存分に殺しあうことにしましょうか。

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