29 胃袋は掴むものであって握りつぶすものじゃないです
「今日のお弁当はリクエスト通りハンバーグです」
神代 七が変なことを言うのは日常である。
特に彼氏の玖来 烈火と学校の昼食休みの時に、席を向かい合わせで食事なんて状況なら間違いなく。
烈火は弁当箱の蓋を開ける手を止める。目を細めて記憶を思い起こす。しかし該当する記憶はない。
忘れているのか。思って、恐る恐る伺ってみる。
「えっと、リクエストなんてしたっけ」
「いえ、ないですけど」
「……じゃあなんでリクエスト通りなんてワードが出てくるんだ」
「深い意味はありません」
七はあっさりと断言した。
気分で行動しないで。とは、烈火も気分屋なので言えない。
まあいいや、ともかくいただき――
「お兄ちゃん、お弁当忘れてるよー」
「えっ」
「はぁ?」
一瞬で七の表情が険しくなる。雰囲気が激変する。
声の主は烈火の妹、玖来 菊花。別学年、下級生であるのに全く物怖じせずに教室に入り、弁当箱を掲げている。
そして硬直する烈火の元へとやってきて、その弁当箱を渡す。今、烈火が別の弁当箱を手にかけていることなど一顧だにしない。
菊花は言う。ドジな兄の世話を焼く妹の風情で。
「もう、お兄ちゃんってばあわてんぼうだね。お弁当、忘れてるよ」
「待て。待って菊花。おれは弁当なんて頼んでないぞ」
「え、でもお兄ちゃん、いらないとも言ってないよ?」
どんな理屈だ。
誰かわかりやすく説明してくれ。
いや弁当を作ってくれるということ自体は烈火としてはありがたい。ありがたいよ助かる。だけども、ありがた迷惑にもなるのだ。
正面の彼女の射殺すような視線を浴びながら必死で話す。わかってもらえるようにと懸命に。
「だがな菊花、おれには七ちゃんの作ってくれたお弁当があってだな」
「そうだそうだー」
「別に神代さんに返せば?」
あ、これ七が弁当作ってきてること知って対抗してきたな。
烈火は無言の内でそれを悟る。
となるとどうやって言葉を積めば諦めてくれるかわからない。どうしよう。
途方に暮れている烈火をおいて、菊花は次に七に言葉を送る。不動の笑みで、仮面の如く不変の笑みで。
「神代さん一人暮らしでしょう? だったら夕飯にしたらいいよ」
「いえ! これは玖来さんのために作った弁当でしてね、玖来さんに食べてもらう以外には意味がないんですよ」
「じゃあ捨てれば?」
「…………」
一瞬の沈黙を経て、七は青筋立てて言い返す。
この野郎、そっちがその気なら容赦しねぇぞ。
「それにしても頼まれてもいないのにお弁当作ってくる妹ってどうなんですかね、重くてドロドロじゃありませんか?」
「あたしとお兄ちゃんは仲良しだからで問題ないよ」
「でも玖来さん困ってるように見えますけど?」
「節穴なんだね、眼鏡でも買ったらいいんじゃないかな。あ、節穴じゃあどんな眼鏡も意味なかったか」
「……」
「…………」
烈火は言い争うふたりの間で縮こまることしかできない。
なにこの状況、怖い。割って入れない。誰か助けて。
周囲に目線を飛ばすも、目を合わせてくれるような者はひとりもいない。烈火は自分の力でこの窮地を超えねばならなかった。
烈火は一度瞑目する。
彼氏として彼女を気遣う。兄として妹を気遣う。両方やらなくっちゃあならないってのが男のつらいところだな。覚悟はいいか。おれはできてる。
「両方食べる」
「「え」」
結局、苦しみながらも最後までおいしいという感想のみを残して、烈火はしっかり完食しましたとさ。




