カインの歯車①
かなり間が空いたので、すこし前回のあらすじ。
超絶美形のカインが、片思いのリリスにボロカスにフラれ、凄く気まずい雰囲気。
カインとリリスは、お互い気まずい気持ちでカウンター越しに視線を合わせずに向き合っていた。
カインがサッと席を立とうとすると、リリスが縋る様な目で彼を見た。
「待って」
「いや、……また来る」
「服は? これから洗うのに」
「これを羽織って行く」
カインは先ほどリリスに渡された男物のシャツを、肩にひらりとかけた。洗う際にか、乾かす際にか分からないが、故意に付けられたであろう甘い香りにイラつきながら、彼は席を立ち、出口へ向かった。
「ねぇ、あの頃のままではダメ?」
追って来た声に、彼は立ち止まり、すぐに再び動いて彼女の家の外へ出た。
「カイン!」
閉まるドア越しから聞こえるリリスの声を無視して、彼はずんずん歩いた。彼女の家の近辺の、出鱈目さが彼は嫌いだった。なので早足で通り抜け、整然とした街並みへ入り込むと、ホッとした。
それから、街並みの中からでも良く見える丘の上のリリスの家を見上げた。
あの頃っていつだ?
だって俺は、出会った時からなんだ……。
おかしな峠の集落の、一番小高い所に建つ小さな建物から、ぽっぽと煙が立っている。
* * * * * * *
カインは子供の頃からどこか冷めていた。
何不自由無い暮らしをし、一人っ子だったのと、美しい見た目に生まれた為にちやほやされて育ったけれど、それに影響をされずに黙々と育った様な子供だった。他の子供達の様に泣いて駄々をこねたり、甘えたりという事も無かった。いわゆる『育てやすい子供』だったのだが、『感情があるのだろうか?』と心配される事もあった。
また、それを鋭く感じ取ってもいた。両親や、世話を焼く侍女たちがたまに寂しそうな顔をするのも、わかっていた。
だから、少し困っていた。どうすればいいか分からなかったから、彼はなるべく周りの者達が気に入る様に、『従順』でいた。
こういう場面では微笑もう。
こういう場面では喜ぼう。
こういう場面では少し怒って見せればいい?
こういう場面では軽く皮肉を……
別に苦痛では無かったし、周りがそれで少なからずとも自分の情緒に安心するならば、そうして過ごしてやろう、と思っていた。
歯車が動き出したのは、十の時。
カナロール国では、封魔師の資質探しの為、毎年一年がかりで十になる子供を任意検査する。国の誇りである仕事に就けたがる親は多く、カインの親も、それにならってカインを検査した。
検査は簡単だった。封魔師には封魔に必要な印が判るのだ。(なので、封魔師の子供はこの検査を受けない)集められ、係の封魔師に額に触れられるだけの事だった。
その結果、カインには資質がある事が判ると、一年に一度行われる『解封式』への出席があれよあれよと言う間に決まり、カインは何だか他人ごとの様な気分でカナロール城へ召される事となった。
王の間は、子供には息が詰まりそうな程重苦しい場所だった。
青いすべらかな糸束を縁取った、重苦しいダークグリーンの布が四方の壁に飾られている様は威圧的だ。 何の意味があるのか、天井まで届いていない円柱の石柱が向かい合って何本か並び、その間を赤い絨毯が真っ直ぐに通っている。高い天井からは、モスクに有る様な鉄の同心円状の蝋燭立てが幾つもぶら下がり、鉄の円に沿って並ぶ蝋燭が煌々と王座に明かりを落としている。
そこで息を殺す様に十数人の子供達が親に手を引かれ集まり、カインも大人しく両親の傍で王を待っていた。
すると隣に、とても身なりの良い親子が並んだ。カインの家も裕福な方だったが、明らかに格が違うと感じさせられるものを持った親子だった。否、その雰囲気を持っているのは、親――父親の方で、「立派」という言葉が立派な服を着て歩いている様な、そんな威厳のある男だった。その横に何故かよそよそしそうに佇んでいる男の子と、全然似ていなかった。男の子は茶色い髪を撫でつけられ、キチンとした恰好を「させられて」いる様子だった。
親子のちぐはぐさに、カインが退屈しのぎになんとなく男の子を見ていると、髪と同じく茶色の瞳と目が合った。
男の子は、少し反抗的にふい、と目を逸らせて俯いた。
なので、カインも顔を伏せた。
やがて王が現れ王座に着くと、子供たちの名が次々に呼ばれた。
一人一人が王の御前に跪いて、
「カナロールに忠誠を捧げます」
と誓うと、王が
「印の場所を」
と促す。その際、「印」は大抵額にあるので、王は既に腕を額へ向けて上げている。そうして子供が額を差し出し、王が手の平でそっと撫でると、子供の額に隠された封魔の力の封が解かれ、「印」がパッと輝いた。それは、人によってさまざまな形をしている。大抵何かに揶揄する程の事でも無い、ティーカップをひっくり返して出来るシミの様な形だ。カインのものも、そうだった。
「アシュレイ・ナザール」
と、誰かが呼ばれた。
横の男の子が、父親に肩をきつく揺さぶられ、半ば突き飛ばされる様に、王座へ一直線にひかれた赤い絨毯の上へよろめきながら進み出る。
カインは目を見張った。他の者も、男の子に注目した。
ナザールという名前が、皆にそうさせた。
* * * * * * *
この一族は、王族と血の繋がりがある唯一の一族で、ほぼ王族と変わらない。封魔の力は遺伝で引き継ぐ事は出来ないが、王族の血なら別だ。故に、王族は力を絶やさない。ただし、力を持って生まれるのは長子のみだった。もちろん、力を子に継承出来るのも、長子のみだ。
ナザール一族は何代か前に、その長子の種を手にいれた。
厳格に血統を守って来た王族が、どうしてそれを許したかと言えば、当時の皇子が原因不明の病になったからだった。皇子の容態は絶望的で、別の跡継ぎを考え様にも、王妃は既に亡くなっていた。王は亡き妻への愛と息子を諦め、血を絶えさせない為、王子の看護を務めていた美しい貴族の娘を妻にした。皇子の命を預けると共に、王もこの娘に心を癒されていたのだろう……。
しかし、娘の懐妊の知らせと共に、皇子はみるみる回復をしていった。
娘―――新王妃が、王へ言った。
それでは、私とお腹のお子はもう必要ありませんね。
家へ戻ります。そして、この尊き血をお守りするよう、お誓い申し上げます―――。
王は迷った。しかし、王族に長子が二人いるのは例が無い。前妻と、皇子を裏切ってしまった様な気持ちを、娘の子供の顔を見る度に味わう気がして、それも厭だった。
王は、弁えのある娘に地位と財産を与え、離縁した。
忠義をもって深く頭を下げている様に見せかけて、娘が磨き上げられた床に映る自分に微笑んでいた事も知らずに。
それから、娘の一族は封魔の力が絶えない一族となった。
娘の名は、プーラーン・ナザール。
* * * * * * *
この人が、とカインは厳しい目で男の子を見守る――と言うよりかは監視している―――男を仰ぎ見た。
ロスタム・ナザール。歴代一封魔の力に優れた男で、国では英雄や、カナロールの誇りと呼ばれている。 堂々とした彼は、まるでそうすれば操れるかの様に、唇を引き結んで男の子を見据えている。
男の子は、始めよろめいたものの、しゃんとした足取りで王の御前に額ずくと、顔を上げた。
「……」
黙って王の前に膝を付いている男の子に、傍にいる従者が「カナロールに忠誠を」と、促した。
男の子はあろう事か、首を振った。
前代未聞の反応に、王の間が忍びやかに騒めいた。
隣で、男の子の父親が怒りに身体を震わせ、ギリ、と奥歯を噛みしめる音が聞こえた。カインは彼の怒りの覇気に、恐ろしくてそちらを見る事が出来なかった。
「アシュレイ・ナザール。では、何故ここに来た」
「僕はアシュレイですが、まだナザールではありません。それでもこの名で誓っていいですか」
王が怪訝そうな顔をした。
「僕は、この儀の後、ロスタムさんの養子になります」
王は今度は困惑顔で、集まった人々の中からロスタムの顔を探し出し、眉を少し上げた。ロスタムはと言うと、冷静を保とうと必死の形相で、王へ頷き、男の子の言葉を肯定した。
「……今後アシュレイ・ナザールとなるならば、その名で誓って問題無い」
「わかりました。あと、僕はカナロール人になりたくないです。妖魔も怖い」
「それでは無理だ。下がれ」
王の苛立ちに、男の子は気付いているのかいないのか、やっぱり駄目か、と言う様に少し肩を竦めると、
「いえ、図々し過ぎました。『カナロールに忠誠を誓います』!」
と、さっさと終われとばかりに宣言してしまった。
……一体、何がしたかったんだ?
カインは、否、その場の誰もがそう思った。
王が彼をしばらく見詰め、もう一つの契約を彼に課した。これも異例な事だった。
「アシュレイ・ナザール。私はお前が信用ならないと判断する。よって、私の妖魔にお前の血の味を覚えさせる。お前が先ほどの宣言を顧みなければ、妖魔は直ぐにお前の血を干からびさせる」
「ええと……必要ならば。でも、契約違反は元々自分の妖魔に八つ裂きの刑ですよね?」
「そうだ。だがそれには猶予がある。自害をするな……。しかし、この血の契約にはその猶予は無い。また、天へ召されると思うな。……それでも解印を望むか」
王は、男の子の辞退を促したつもりだった。
ロスタムには長男がいたハズだ。でも、この子供は自分はそうじゃないと、王に伝えた。……多分、最初の宣言拒否は、その為の振りだった。そして、自分はカナロール人でも無い、封魔師を望んでもいない、と伝えて来た。
封魔師になる、ならない、という意見は、尊重せねばならない。なりたく無い者を無理矢理封魔師にさせた所で、害にしかならない。
王はそう考え、では、と周りの同情を引く選択権の様なものを与えてやったつもりだが、男の子は朗らかに「はい。喜んで」と儀式を呪いごと受け入れたのだった。
カインは、そんな不思議なやり取りを見て、首を捻っていた。横では「英雄」と言う名からかけ離れた様子でロスタム・ナザールが顔を青くしている。
「アシュレイ・ナザール。左手の小指を」
王はうねる深紅の液体の蛇の様な妖魔を額から召喚し、妖魔は男の子の小指の指先に鎌首を寄せ、チュッと音を立てた。
痛かったのだろうか? 男の子の身体が少しだけビクンと跳ねた。妖魔は仕事を終えると直ぐに宙へと掻き消え、王が男の子の額へ手を伸ばす。
「あ、僕はここです」
男の子が自分の左腰を指差した。
「ほう……。『剣』か」
王は頷いて、彼の腰に手をかざす。皆が珍しい位置の印を見ようと、首を伸ばした。額の印は珍しく無いので『額』だが、腰の印は『剣』と言われる。他にも、腕の場合は『腕飾り(バングル)』、足の場合は『足飾り(アンクレット)』などと呼ばれている。
「あ、王様……僕……」
男の子が言い掛けるよりも早く、男の子の腰が光った。黄金の光は服の布地を突き抜けて、添えた王の手を伝い、腕に纏わりついた。
―――それから―――
辺りが小物の妖魔で溢れかえった。
男の子が初めて居心地の悪そうに、背筋を丸めた。
「僕、もう封魔しちゃってるんです……。ただ、印が解けないと召喚出来ないみたいで……」
大騒ぎの城内で、呆気にとられている王と男の子をカインが盗み見れば、男の子の腰の印には、神の一文字が浮かび、輝いていた。
暫くカインの青春話になります。ただ、視点をどうしようか迷っています。
投稿したら、よろしくお願い致します。




