去来挽歌(五)
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「チクショウ……訳が分からん」
冷たい石畳の上、身体中の痛みと共に目を覚ましたキルトは、周りを見渡し心中の言葉を吐き出した。
石で造られた部屋は重苦しく冷たい印象だ。分かりやすく鉄格子が設けられた先に見えるのは、薄暗く埃っぽい一本道の廊下。幾つか他の牢が確認出来るが、人の気配はしない。
キルトは簡単に推測できる現状にため息をつき、自分の身体に異常はないか調べる。頭痛と疲れ、石の上で寝ていた事による痛み以外はどうやら怪我は無いらしく、服装も変わっていない。隠していた装備はさすがに没収されているようだが。
手足は自由にされている事を考えると、無理矢理にでも牢を突破するのは不可能だろう。試しに身体強化の魔法を使ってみるが、うまく魔力が操れず発動には至らない。魔力操作を阻害する何らかの仕掛けか、薬を使用されているか、どちらにせよ恐ろしい状況には違いはないだろう。
「おーい、誰かいねぇのか?」
焦りと混乱からか、大して考えずに発した声が自分の鼓膜を揺らした瞬間、後悔で舌打ちをする。状況の分析や推測、対処方法や行動方針が決まっていない内に事態動かすのは良くない。出来る事と出来ない事の検証さえ終わっていないのだ。
苦い顔で廊下をじっと見つめるが、反応はない。どうやら本当に人はいないらしい。
ここまできてようやくキルトの脳は回り始めた。最初に思ったのは、監視がいない事への疑問。念入りに脱走を防ぎたいのなら監視役は必要不可欠だ。放置されていた事も考えると、相手にとってキルトを確保した意味は薄いのだろうか。何のアクションも起こさずにただ放置するなら、その可能性が高い。
ーー狙いが読めねぇな。
本来、キルトはこういった思考を得意としていない。瞬時の判断能力や咄嗟の行動力は高いものの、搦め手や理解不能な事態に対する能力は低いと言える。考えすぎると墓穴を掘った事の方が多いのだ。
かといって、何もしないでただ待つだけというのも馬鹿らしい。状況を悪化させない程度に、キルトは行動する事にした。
「どうすりゃいいんだ」
そうは決めたものの、八方塞がりなこの場で何をしろというのか。何も考えつかない己の無能さに頬をひくつかせて、近くの壁にもたれかかり座り込む。
膝を抱え、ため息をもう一度。ここにきて不安や焦燥が心を乱し、余計な事まで考えるようになってしまう。
自分がいなくてアリスは大丈夫だろうか。依頼の方はどうなったのだろうか。ミコトは怒っているはずだ。そもそも助かる見込みはあるのだろうか。
万が一、牢を突破出来たとしても脱出は不可能と思われる。頼みの魔力は使えず、装備も全て没収され、敵の姿は分からず、どこにいるのかも把握していないこの状況、キルトの力で打破するのは不可能だ。
どうしようもない現状に、大きく息を吐いた。
「無能なのは理解してただろうが」
これまで生き残ってこれたのは、もちろん誰かに守ってもらっていたからだ。しかしそれが全てではない。出来る事と出来ない事の線引きをして、出来る事をこなしてきたから。冒険者として生きてからは、自分の要領の悪さに頭を抱える事も多かった。
どうにか生きてこれたのはアリスという精神的な支柱があったからで、決して自分だけの力ではない。戦闘能力は高く、頭の回転も悪くない方だと自負しているものの、肝心な場面で失敗する。
「そういや、生まれた時から運は悪かったな」
こうして一人、虚空に言葉を放つのは孤独を忘れてしまっていたからか。その事に気付き、自嘲の笑みを浮かべる。
「あー、クソッタレ。ふざけんな。チクショウ。まただ、また……」
こういった精神的な弱さが招いた結果ではないか。そう自らを戒める。キルトにとって現状での停滞はあり得ない。そんなもの、許してはならない。受け身であってはならないのだ。
強くならねばならず、その為に力を示す必要もあった。ならば、こんな事で停滞していいはずもない。
ーー出来る事と出来ない事、か。
絶望的な状況ではないのだ。手足は自由で思考も出来る。そもそも、このような状況を解決する力を持つのは、ミコトのような規格外ぐらいだろう。他にはブレンニアも規格外の優秀さだが、彼ならばこのような状況に陥っていない。
自分に出来るのは状況を解決するのではなく、少しでも長く生き延びる事。有利になる材料を探し、情報を取得し、分析し、事が起きた時に備える。つまり、今この場でキルトに出来るのは準備を怠らない事だ。
どうにか使えるモノは無いかと視線を巡らし、立ち上がる。
その時、廊下の先の暗闇から足音が響き身を硬直させた。数は一つ、ゆったりとした足取り。息を殺し、足音のリズムを確かめる。少しばかりブレがあり、一定ではない。訓練を積んだ者の足音とは思えない。こちらに向かって近づいてくる事から、目的は自分だろうと予想する。
このタイミングで自分に会いに来たという事は、やはり監視されていたのか。いや、そもそも状況が異様すぎる。仮に監視されていたとしても、なぜ抑止力としての人員を配置しなかったのか、なぜこんな面倒な事をしたのか、キルトにはわからなかった。
少なくとも、今から会う人間も裏社会の者である事は間違いない。対応を間違えたら取り返しのつかない事態になるのは目に見えている。
無難に、間違いのない対応をしようと心に決め、自然に表情が険しくなる。
「そんなに緊張しなくて良いよ」
その声は、聞き覚えのあるものだった。
「君に危害は加えない。これは君との契約だからね」
暗闇から現れたのは、キルトが最後に戦った白い少年。今は不満げに表情を歪め、年相応な顔を見せている。
牢の前まで歩いてくると、ため息をつきしゃがみこんだ。まるでキルトに会いたくなかったかのような動作である。
「で?」
少年が顔を傾げ、一言で終わらせるように不機嫌な声を出す。
「いや訳がわからんし」
それに対しキルトは素直な心情を言葉に乗せた。




