第十五部 第一章 第1話
施設棟のエントランスを抜けた先――その廊下には、早くも調査隊用の機材が運び込まれ始めていた。
磨かれた石床の上を、低く唸るような魔導ドローンが滑るように進む。
その表面は淡い銀灰色の合金で覆われ、腹部の術式ランプが脈打つように明滅している。
機体の推進羽根が空気をかき分けるたび、風圧が裾を揺らした。
その周囲には、封印解析ユニットや術式支柱、感知補助端末といった専用装備が次々と搬送されていた。
解析ユニットは黒曜石のように鈍く輝く筐体を持ち、表面に刻まれた魔術刻印が紫光を帯びて瞬く。
術式支柱は人の背丈ほどの長さで、結界陣を展開するための魔力回路が複雑に組み込まれており、移動のたびにきい、と金属の擦れる音を立てた。
感知補助端末は水晶のような半透明の球体を中央に抱え込み、微かに脈動する光が内部で揺らめいている。
木箱や結界封印された収納箱が廊下の両脇に整然と並べられていく。
その木箱からはまだ乾いた木材の香りが漂い、結界封印箱の表面には青白い光を放つ紋様がゆっくりと浮かび上がっては消える。
運び込まれたばかりの箱の一部はまだ微かに熱を帯び、術式起動の名残なのか淡い霧が周囲に漂っていた。
時折、器具の金属が触れ合う乾いた音が廊下に反響する。
術式駆動の淡い光が瞬いては消えるたび、廊下の影が伸びたり縮んだりしていた。
搬送員や技術者の足音、記録端末を操作する硬質なキー入力の音が重なっている。
全体を包む空気には、術式を多重展開する際に漂う独特の匂い――焦げたオゾンに似た、鋭い刺激臭が漂っていた。
その光景を目にしたアリスは、思わず立ち止まり、小さく息を吐いた。
「……すごい……」
目の前に広がるのは、もはや学院での演習準備とは違う――国家規模の調査隊が動き出す光景だった。
石床を滑る魔導ドローンの低音が身体に伝わり、積み上げられた収納箱の列が廊下の先まで続いている。
(……これだけの装備と人員が投入される。
それだけ、第十二層の“封印門”は危険で、重要ということ……)
不安と緊張、そしてほんの少しの高揚感が入り交じる。
「……これ、本当に……」
過去の自分――学院の演習生としての立場ではなく、今は正式な調査隊員として、この光景の中に立っている。
アリスは無意識に右手を握りしめ、力を込めた。
「……行くしか、ないよね」
そのとき廊下を横切った魔導ドローンの光が、彼女の横顔を青白く照らした。
アリスは視線を前へと戻し、静かに息を吸い込む。
彼女の傍らには、クラリス・ノーザレインの姿があった。
深い藍色のローブに身を包み、端正な銀髪を首元でまとめたその佇まいは、研究者としての落ち着きと、戦場をも知る者ならではの確かな気配を放っている。
細縁の眼鏡越しに覗く灰青の瞳は冷静でありながら、周囲のざわめきを鋭く観察していた。
搬入の流れや機材の配置まで確かめるように、その視線がゆっくりと廊下を巡っていく。
クラリスの瞳は普段通り静かに見えながらも、その奥には緊張が潜んでいた。
「……ものすごい量の機材ね」
アリスが呟く。
彼女の視線の先では、搬入作業員と魔導ドローンが行き交い、結界封印箱や術式支柱が整然と積み上げられていく。
まるで戦場へ向かう軍隊の装備庫を思わせる光景だった。
クラリスは目を細め、低い声で応じる。
「ええ。搬入は昨夜から始まっていましたが、まだ半分も終わっていませんね。調査拠点としての本格稼働は明日以降。今日は“情報整理と方針確認”の日ですかね」
廊下のざわめきに紛れぬよう、クラリスは声を潜めてさらに告げた。
「……それと、王都からの追加派遣の調査隊メンバーは、今夜遅くに到着予定よ」
「追加派遣……やっぱり、それだけ大規模ってことね」
アリスの言葉は軽く吐き出すようだった。
クラリスは視線を横に流し、短く息を吐く。
「ええ。だからこそ、全員が“自分の役割”を外さないことが前提になります」
クラリスは頷き、眼鏡の位置を直す。
「明日午前十時に全体会合。その前に、今日の午後、セシリアさんたち第一次調査隊による報告があります。それに出席してくださいね。私も出席しますよ」
「……うん。私も経過を知っておかないと」
アリスは一瞬息を整え、廊下の喧噪から目を離してクラリスを見た。
口元を緩め、そっと礼を込めるように頷く。
掲示板に視線を移すと、そこには細かな日程表が整然と並び、魔力で文字が淡く光を放っていた。
紙ではなく、魔力を媒体にした記録板で、近づくと淡い波紋のように光が揺れる。
術式による簡易保護結界が張られており、許可のない者が触れようとすれば光が弾ける仕組みになっているらしい。
その一角に掲げられた案内が、アリスの目に止まる。
――「第十二層・封印門調査中間報告」
出席メンバーとしてセシリア准尉、マーロ中尉、レイナ・アスフォード技師、そしてアリス・グレイスラーの名も記されていた。
自分の名前を目にした瞬間、その文字が急に重みを持ったように感じられた。
演習の延長線ではない。
“責任ある任務”として呼ばれているのだと、改めて実感させられた。
「……私が演習で離れていた間にも、結構進展があったのね」
思わず口にすると、クラリスは短く頷いた。
「ええ。セシリアさんたちの第一次調査で、第三層と第十二層の封印構造に再反応があったそうです」
彼女の声は淡々としているが、緊張が混じっていた。
「三層と十二層……両方で?」
アリスは眉を寄せ、掲示板の文字をもう一度確かめる。
「ええ。そして、第一層の石門については、まだ予備調査段階の扱いですが……反応は継続しています」
「一層まで……。じゃあ、連動してる可能性もあるの?」
「その可能性は高いですね。少なくとも、独立した“単一の仕掛け”ではないでしょう。セシリアさんもそこを警戒して、報告に重点を置くようです」
クラリスは一瞬言葉を切り、視線を掲示板から廊下に戻す。
「……今回の会合は、単なる中間整理ではありません。今後の調査方針を大きく変える分岐点になる。アリスさん、だからこそ――あなたの視点が必要なのです」
アリスは短く息をのみ、無意識に胸に手を当てた。
(私の……視点……)
訓練ではなく、会議の場で発言を求められる。
その事実に緊張を覚えながらも、自分が必要とされていることを実感する。
「……わかった。午後までに、必ず資料に目を通しておく」
「ええ。そのつもりで、端末にも録画データを入れておきました。……それに、レイナ技師から直接の補足も入るはずです」
クラリスはいつもと変わらない落ち着いた声で答えたが、その響きは普段より少しだけ柔らかかった。
アリスは深く息を吐き、掲示板の光をもう一度見つめながら小さく頷いた。
そのとき、頭上をふわりと一機の魔導ドローンが通り過ぎた。
静かな羽音とともに漂う淡い青光が、廊下の壁にさざ波のような影を投げる。
背面には「魔術技術局・制御工学室」の識別紋章があり、黒銀に刻まれた封刻はアリスにとって見覚えのあるものだった。
その光を見上げた瞬間、研究者たちの真剣な眼差しや、幾度も繰り返された術式調整の議論が一瞬よみがえる。
(……あの人たちも、私と同じように“何か”を感じている)
それが何なのかは、まだわからない。
だが、第一層の石門、第三層と第十二層で再び確認された封印構造の反応、そしてこれから本格的に調査される第十二層の“封印門”が、無関係とは思えなかった。
廊下を行き交う人々の足音や、術式起動の金属音が響く。
午後には第一次調査隊からの報告があり、そこで何が語られるのか、三つの階層で起きている反応が何を意味するのかも、少しずつ明らかになっていくはずだった。
アリスはしばらく掲示板を見つめたあと、静かに視線を前へ戻した。




