第十四部 第三章 第9話
「……うわぁ、あの建物、見て!」
ミレーネが指差したのは、通り沿いに堂々と構える魔導細工の工房だった。
磨かれた硝子窓の向こうには、浮遊型の小型魔導装置が宙を舞い、淡い光の尾を描きながらふわりふわりと回転している。
棚には、獣や鳥を模した自律玩具が所狭しと並び、木目や金属を巧みに組み合わせた精緻な造形は、まるで本物が小さな姿で動き出したかのように愛らしかった。
ひとつの装置が軽やかに羽ばたき、窓辺に止まると、内部の魔導回路が小さく脈動し、羽根の縁に沿って淡い光が流れる。
その動きはあまりにも自然で、まるで本物の生命を宿しているかのようだった。
窓の外からは、子供の弾むような笑い声が響く。
小さな手がガラスに触れ、目を輝かせながらその動きを追っていた。
「お土産にいいかもね。軽くて魔力消費も少ないなら、妹に贈っても喜ばれそう。」
ミレーネが目を輝かせながら呟く。
視線はすでに、窓際に展示された花を抱えた小鳥型の玩具に釘付けになっていた。
「この子、絶対かわいいよね……ほら、羽の動きがちゃんとリズム取ってるし。」
指先で空中の動きをなぞるようにしながら、夢中で観察している。
「おれ、ああいうのって精密すぎて苦手だな……魔導弓のほうが性に合ってる。」
ラースは肩をすくめつつも、工房の奥で器用に道具を操る職人たちの手元に目を凝らしていた。
火花が散るたび、彼の眉がわずかに動く。
興味を隠しきれていないのが明らかだった。
「でも、あの加工精度……かなり高いわね。動作制御も安定してる。」
レティアが静かに評価する。
「内部の術式構造、見てみたいな……。」
ザックが小さく呟き、無意識に一歩近づこうとする。
「ダメだよ、ザック。今は観光。」
ミレーネが笑いながら軽く引き止める。
――一行はその後も市場通りへと足を進めた。
石畳の両側にずらりと並ぶ露店からは、果物を山盛りに積み上げた籠の甘い香りが漂い、魔導香の専門店からは清涼な煙が風に流れてくる。
織物職人の屋台では、繊細な紋様を織り込んだ布地が陽光を浴びてきらめき、歩くだけで視覚も嗅覚も賑わされていった。
色とりどりの布が風に揺れ、香辛料の瓶が光を受けて輝き、焼き菓子の香ばしさが通りを満たす。
人々の呼び声が重なり、街の鼓動のように響いていた。
「この実、ガルシア連邦からの直送ですよ。試してみませんか、お嬢さんたち。」
陽気な店主が山高帽を揺らしながら声を張り上げ、艶やかな赤色の果実を差し出す。
その表面には透明な露が光り、芳醇な香りが鼻をくすぐった。
アリスとレティアは顔を見合わせ、同時に手を伸ばして果実をひとつずつ受け取った。
「……ん、すごい。蜜みたいに甘い。」
アリスが思わず目を細め、頬に微かな赤みを差す。
「ほんと。これ、魔力で熟成させてるのかしら。」
レティアも口元に笑みを浮かべ、果汁の滴を指先でぬぐいながら感心したように呟いた。
「甘さの質が違う……これ、普通の栽培じゃ出ないね。」
ザックが横から分析を挟む。
――そのふたりの自然な笑顔を、少し離れた位置からザックがそっと見つめていた。
手にしているのは、カメラ型の魔導端末。
レンズが微かに光り、ふたりの姿を記録していく。
――無音で、確実に。
もちろん、誰にも気づかれないように。
彼はただ、仲間たちの穏やかな一瞬を、記録という形で未来に残そうとしていた。
やがて街の中心部に近づくと、フォルセリアの象徴ともいえる魔力供給塔が、青空を背にそびえ立つ姿を現した。
塔の根本部には開放型の展望広場が広がり、石畳の広場には露店や軽食の屋台が並んでいる。
観光客や地元の子供たちが笑い声を上げて走り回り、魔導仕掛けの小鳥や風船を追いかける姿が賑やかな彩りを添えていた。
塔の外壁には複雑な魔力回路が刻まれ、淡く脈動する光が規則正しく流れている。
それは都市全体に魔力を供給する中枢としての機能を示していた。
「ここ、上に登れるんだっけ?」
ミレーネが目を輝かせて問いかける。
「うん、エレベータ式の魔導昇降台があるみたい。乗ってみようよ!」
リゼットが地図案内板を指差しながら答えると、皆が一斉に頷いた。
「せっかくだし、上から街全体見てみたいな。」
ラースが軽く顎を上げる。
受付で簡単な登録を済ませると、彼らは塔の内部に設けられた昇降台へと足を踏み入れた。
円形の台座が淡く光を帯び、術式が起動する。
足元に柔らかな浮遊感が広がり、空気がわずかに震える。
次の瞬間――身体がふわりと持ち上げられる。
視界がゆっくりと下がり、地面が遠ざかっていく感覚。
重力が一瞬だけ緩むような、独特の浮遊感が全身を包んだ。
「わ……これ、すごい……!」
ミレーネが思わず声を上げる。
「高度変化、滑らか……加速度制御もかなり精密だ。」
ザックが小さく呟く。
数十メートルを一気に駆け上がるその感覚は、まるで高度な浮遊術を受けているかのようで、胸の奥がわずかに高鳴った。
やがて台座が止まり、目の前に展望台の扉が開かれる。
「……うわ……」
「これは……綺麗すぎる……」
仲間たちの口から、思わず息を漏らす声がこぼれた。
展望台からの眺めは圧倒的だった。
足元にはフォルセリアの街並みが放射状に広がり、赤茶色の屋根と白い石造りの建物が整然と並ぶ。
その合間を縫うように碧い水路が流れ、魔導照明の光が水面に反射してきらめく。
さらに視線を遠くへ移せば、街外れに広がる果樹園の緑と、規則正しく立ち並ぶ風車群が大地にアクセントを添え、はるか彼方には連なる山々が青く霞んでいた。
そしてその向こうには、国境を隔ててうっすらと見えるガルシア連邦の大地――異国の影が広がっている。
「ここから見ても……あの街って、何か整ってるよね。意図があるっていうか。」
ザックが眼鏡を押し上げ、低くつぶやく。
「うん。街が“機能”として設計されてる。自然と技術の調和……そんな感じがする。」
アリスは欄干に手を添え、風に髪を揺らしながら遠くを見つめる。
その横顔には、前々世――都市設計に携わっていた頃の記憶が淡く重なっていた。
「……ちゃんと意味があって、この形になってるんだね。」
レティアが静かに呟く。
展望台の高みに吹き抜ける風は、頬を優しく撫でていく。
深く吸い込めば、街の香りと果樹園の甘やかな匂いが混ざり合い、どこか懐かしさを伴って胸に染み渡った。
仲間たちはしばし無言で景色を堪能し、それぞれに胸の奥で何かを感じ取っていた。
日が暮れ、街は柔らかな魔導灯に包まれていた。
フォルセリアの中心部、魔力供給塔を囲む商業街区は、夜間でも多くの人々で賑わい、通りには観光客向けの露店や雑貨店、飲食店が立ち並んでいた。
淡い光を帯びた灯りが通りの石畳に幾何学的な影を落とし、店先に吊るされた装飾灯が風に揺れるたび、色とりどりの光が波紋のように広がっていく。
アリスたちは各自で土産物を選びながら、街の夜を散策していた。
香ばしい焼き物の匂い、甘い菓子の香り、遠くから聞こえる楽器の音色が混ざり合い、昼間とはまた違う活気が街全体を包んでいる。
「……この街の夜景、思ったよりずっと綺麗ね。」
レティアが柔らかく言い、隣を歩くアリスも頷く。
「魔力灯が色ごとに分かれてるんだね。放射状の通りと相まって、まるで花みたい。」
アリスは視線を巡らせながら、街の構造を眺める。
中心から放射状に伸びる通りと、その交点に配置された灯りの配置は、確かに意図された設計だった。
「中心塔からの魔力供給と連動してるのかもしれない。光量も安定してるし、効率もいい。」
ザックが小さく呟く。
そんな中、ふとラースが店先の看板を見上げながら口を開いた。
「ここ……たしか、ガルシアの名産品の店だな。えっと……名物のエールと腸詰? たしか“フランク”なんとかってやつがうまいらしい。」
木製の看板には、香ばしそうに焼かれた肉と、大きなジョッキに注がれた黄金色の液体が描かれている。
店内からは賑やかな笑い声と、グラスが触れ合う軽やかな音が漏れ聞こえていた。
「エール……かぁ。」
レティアは少し困ったように首を傾げる。
「私はちょっと苦手なのよね。炭酸が抜けたみたいな、生ぬるい味っていうか。」
「うん、わたしもあまり得意じゃないかな。ワインのほうが好き。」
アリスも同意しつつ、内心で(まあ、レティシア時代の嗜好が混ざってるだけだけど)と思う。
「でも、せっかくだし一口くらいは試してもいいかも……って思うけどね。」
レティアが軽く笑う。
そんな二人の反応に、ラースは苦笑しながらも「いや、でも……」と額に手を当てて記憶を掘り起こすように言った。
「たしか違った。生ぬるいんじゃなくて……なんか名前が……そうだ、“生ビール”ってやつだった。キンキンに冷えてて、泡がのってるやつ。」
「冷えてるの?」
ミレーネが興味深そうに身を乗り出す。
「そうそう、氷みたいに冷えてて、飲んだ瞬間に喉が一気に――って感じだった気がする。」
ラースは曖昧な記憶を辿りながら説明する。
――その言葉を聞いた瞬間。
アリスの心臓が小さく跳ねた。
(……生ビール……!)
前々世、はるなだった頃の記憶が鮮烈に蘇る。
仕事終わりに仲間たちと居酒屋で喉を潤したあの感覚。
冷えたグラスの表面に浮かぶ水滴。
泡がきめ細かく盛り上がり、縁から今にも溢れそうになるあの瞬間。
そして――。
喉を駆け抜ける、あの圧倒的な爽快感。
(あの一口目……あれは、本当に反則だった……。)
思い出した瞬間、理屈抜きで「飲みたい」という衝動が胸の奥から込み上げてきた。
(……ああ、あれは本当に美味しかった。こんな場所で、その味をもう一度……!)
記憶の中の冷気が、現実の喉を刺激するかのようだった。
乾きが意識され、唾を飲み込む音が自分でもはっきりわかるほど響く。
気づけば喉が自然と鳴り、視線が店の看板へと吸い寄せられていた。
店の奥から運ばれてくるジョッキの中で、黄金色の液体が揺れ、白い泡が縁に乗っている。
それを見た瞬間、胸の奥がぐっと締めつけられる。
(……だめ、これは……危険……。)
もちろん仲間には悟られまいと、アリスは慌てて表情を整えたが、内心では抗いがたい渇望がじわりと広がっていた。
その瞬間――。
《アリスちゃん、今夜は飲もう! ぜっ~~ったい飲もう! そしてフランクフルトも食べよう! ああ、日本の味を思い出す~。じゅるりっ》
思念空間にいきなり勢いよく飛び込んできたのは、他でもないフローラだった。
まるで扉を蹴破るような勢いで意識の奥に飛び込んできたその声は、普段の軽やかさを遥かに上回る熱量を帯びている。
唐突なテンションに、アリスは思わず目を見開き、吹き出しそうになった。
現実の表情を必死に抑えながら、視線だけをわずかに逸らす。
(……はいはい。わたしも、もしそれが本当に“あれ”なら、かなり飲んでみたいかも。)
アリスが苦笑しながら返すと、思念の中でフローラは小さくガッツポーズを決めていた。
ぱっと花が咲いたような光のエフェクトが弾け、彼女の周囲にきらきらと星屑が舞う。
《やったぁぁぁぁ! これはもう確定事項だよね! 回避不能イベントだよね! 逃げられないよね!》
《ちょっと落ち着きなさいって……まだ入るとも決まってないでしょ。》
《いやいや、入る流れでしょこれは! 世界線がそう言ってるもん!》
思念空間の中でだけ、妙に確信めいたテンションが炸裂していた。
「……ビールって、エールが冷えただけのものなのかしら?」
首を傾げるレティアに、アリスは肩をすくめて笑う。
「行ってみようよ。せっかくだし、話のネタにもなるし。」
「うーん……まあ、そうね。ここまで来て避けるのももったいないかもしれないし。」
レティアは一瞬迷うように視線を揺らしたあと、ふっと柔らかく微笑んだ。
「アリスがお酒を飲もうなんて珍しいね。……よし、付き合おう!」
その一言が発せられた瞬間――。
思念空間では、アリスとフローラの気持ちがぴたりと重なり、同時に《よっしゃ!!!》という叫びが弾けた。
それは音というより、光と衝撃の波のように広がる。
二人の思念が一瞬にしてシンクロし、眩しい閃光と共に、力強いガッツポーズのイメージが空間いっぱいに炸裂した。
無数の光粒が弾け、まるで祝砲のように思念の空間を埋め尽くす。
フローラはその中心でぴょんぴょん跳ね回り、アリスもつられて同じポーズを取ってしまう。
《きたあああああああ! 勝った! これは完全勝利だよアリスちゃん!》
《勝負してた覚えないんだけど……まあいいか。》
《よし、あとは最高の一杯を引き当てるだけ! いくよ、いくよ!》
《ちょっと、変な期待値上げないで……!》
現実の世界ではもちろん誰にも気づかれない。
しかし、二人の内心だけは熱気を帯びて跳ね上がり、奇妙な高揚感が胸の奥に残った。
そんな秘密の盛り上がりをよそに、他のメンバーたちも興味を示し、自然と足取りは店先へと向かっていった。
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