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第十一部 第二章 第16話

 「……順を追って説明するわ。まず、第一層の東側通路で確認した未記録の石造扉から」


 アリスは端末を操作し、記録映像の該当箇所を呼び出す。

 指先に沿って淡い魔力光が走り、空中に円環状の投影陣が展開された。

 青白い粒子が集束し、やがて立体映像がゆっくりと浮かび上がる。


 苔むした崖の陰。

 湿気を帯びた空気が揺らぎ、冷たい水滴が岩肌を伝っている。

 その陰に、ひっそりと口を開くようにそびえ立つ巨大な石造扉。


 高さは人の三倍を優に超え、横幅も厚みも尋常ではない。

 表面は長い年月に削られ、無数の亀裂と風蝕痕が刻まれている。

 だが、その荒れた外観とは裏腹に、存在感は圧倒的だった。


 まるで――そこだけが時間の流れを拒絶しているかのように。


 扉は静かに、しかし威圧感をもって視線を受け止める。

 ただの遺構ではない。

 意志の残滓すら感じさせる、異様な静謐。


 「旧標識C―七区画北西斜面沿い。地図では“行き止まり”と記されていた場所に、この構造があったの」


 アリスの声は落ち着いているが、その奥にはわずかな緊張がある。


 「私たちが踏破した時点で、周辺の魔力反応はほとんどなかった。でも、扉自体は物理的にも術式的にも、極めて強固に封印されていた。偶然露出したとは考えにくい」


 映像が拡大される。

 扉の縁を取り囲むように刻まれた術式痕。


 かすかに残った魔力の粒子が青白く揺らめき、完全には消えていないことを示していた。

 断続的に明滅するその光は、かつての封印の名残だ。


 クラリスが光窓越しに映像を凝視する。

 眼鏡の奥の瞳が鋭く光り、小さく息を吐いた。


 『封印の構成、解析できた? 系統は単一? それとも混合?』


 研究者としての声音。

 だが問いの速度は早い。


 「一部だけ。古い結界術の断片と、空間遮断系の術式痕跡。それも複数層に重なっていた。第一層は物理封印、第二層が魔力遮断、第三層に空間干渉。明らかに長期間、人為的に“何かを隠すため”に重ねられた構造だったわ」


 アリスは映像を切り替える。

 層構造を示す半透明の解析図が浮かび上がる。


 クラリスの眉がぴくりと動く。


 『三重封印……しかも空間干渉まで? 時間経過で術式活性がほぼ失われていたのね。でも、それでも残滓が残っているということは……当初は相当高位の結界よ。王都級の術者でなければ構築できない』


 室内の空気が一段と重くなる。

 投影映像の青白い光が、クラリスの横顔を硬質に照らした。


 続いて、レイラが口を開く。

 腕を組んだまま、低く落ち着いた声で。


 『構造材質は? 魔力鉱石、混じってる? 外殻だけなら自然石だろうが、内部が問題だ』


 アリスは映像を操作し、扉の断面解析図を投影する。


 「確認した限り、表層は通常の石材。でも内部層に希少魔導鉱――“カルミナ鉱”系と思しき混合材の反応が出ていた。反応は薄いけど、確実に魔力を弾く特性があった。通常の攻撃魔法なら散らされる」


 レイラの瞳がわずかに細まる。


 『……本物だな。訓練用でも、模造でもない。カルミナ鉱は王族級施設か封印施設にしか使われない』


 淡々とした口調。

 だが、その奥に滲む緊張は隠せない。


 クラリスも低く続ける。


 『カルミナ鉱は魔力干渉を分散させる。つまり、外から破ることを想定していた封印ね。中に閉じ込めるだけじゃなく、“開けさせない”意思が強い』


 映像の中で、扉に刻まれた無数の紋様が映し出される。

 今はほとんど力を失い、ひび割れている。

 だが、かつては鮮烈な光を放っていたはずだ。


 報告室に広がる投影光が、三人の表情を青白く染める。


 誰も口を開かない一瞬の沈黙。


 その静寂が、かえって扉の異質さを強調していた。


 アリスは映像を一時停止する。

 指先で角度を切り替え、正面からの映像へ。


 無骨な石の質感が画面いっぱいに広がる。

 削られた紋様のひび割れ。

 苔の湿り気。

 微細な鉱物の反射光。


 まるで今、その場に立っているかのような臨場感。


 その場の空気が自然と張り詰める。


 アリスは少し沈黙した。

 灯火が揺れ、投影された石造扉の青白い光が彼女の横顔を静かに照らす。

 蒼い瞳が、まっすぐ映像の中の“それ”を見据えていた。


 やがて、ゆっくりと口を開く。


 「――これ、“門”なのよ。私は、そう感じたの」


 『門?』


 クラリスが小さく首を傾げる。

 光窓越しに映る横顔が、研究者の緊張を帯びて硬くなる。


 「ただの扉じゃない。“通過すること”そのものに意味がある構造。閉じるためだけじゃない……向こう側へ“渡る”ことを前提にした形状だった」


 アリスは指先で映像をなぞる。

 扉中央の紋様が拡大される。

 円環を幾重にも重ね、その中心へと収束する術式。


 「視線を向けた瞬間、何かが脳裏に流れ込んできたの。言葉にならない断片。曖昧な記憶か、直感か、それとも……もっと深い何かかはわからないけれど」


 小さく息を吐く。


 「“開けるべきではない”……でも同時に、“開かれた時、何かが戻る”……そんな感覚があった。私だけ、何かに“覚えがある”ような、そんな感触」


 光窓の向こうで、クラリスとレイラの目が同時に細まる。

 二人とも無言のまま、アリスの声を聞き逃すまいとするかのように視線を固定していた。


 アリスの声音が一段低くなる。


 「……実はね。あの門、私……前に見たことがあるの」


 『……いつの話だ?』


 レイラの問いは短いが、鋭い。


 「第一次、そして第二次石碑調査隊。その時に接触した石碑――その守りのために存在していた術式断片と、酷似していたの」


 その瞬間、クラリスが小さく息を呑む。

 眼鏡の奥の瞳がわずかに揺れた。


 アリスは続ける。


 「規模は違う。石碑の方が限定的で、局所封印。でも構成理念が似ていた。結界層の重なり方、魔力流の封鎖方向、外界からの波動遮断……“何か”を封じ、なおかつ“見せないため”の構造だった」


 投影映像に、石碑調査時の断片的ログが重ねられる。

 波形の類似グラフ。

 封鎖方向を示す矢印。


 クラリスが低く呟く。


 『石碑の門と類似……。それが本当なら、その扉の向こうは単なるダンジョン拡張空間じゃない可能性が高いわ。研究用結界でもない。もっと……厳重な隔離施設、もしくは封印領域』


 レイラがゆっくりと言葉を重ねる。


 『封印対象が存在する前提の構造だな。外から守るのではなく、“内側を閉じ込める”』


 その低い声音が、空気をさらに重くする。


 アリスは小さく頷く。


 「だから、私たちは開けなかった。封印の構造そのものが警告に思えた。あれを開けるには、装備も情報も足りない。それに……覚悟が必要だと思った」


 レイラは深く目を閉じ、短く息を吐いてから頷いた。


 『正しい判断だ。感覚を軽視するな。お前の“それ”は、何度も命を救ってきた』


 クラリスが続ける。


 『……それでも、記録に残したのは? 封印領域の存在を公にすれば、好奇心の強い者が動く可能性もある』


 アリスはわずかに視線を伏せる。

 灯火の影が頬に落ちる。


 しかし、すぐに顔を上げた。


 「……今回のダンジョン演習で、誰かが“開けてしまう”かもしれないから」


 静かな声。

 だが、揺らぎはない。


 「情報がなければ、好奇心だけで触れる人が出る。封印だと知らなければ、ただの隠し通路だと思うかもしれない。だから先に残した。警告として」


 光窓の向こうで、クラリスとレイラの表情がわずかに揺れる。

 緊張の中に、理解と、そしてわずかな恐れが混じる。


 そのまま口を開こうとしたレイラだったが、わずかに顎を引いた瞬間、通信越しにクラリスの声が静かに割り込んだ。


 『議論は――最後まで聞いてからにしようか。まだ、他にも報告があるんでしょ? 途中で遮れば、判断材料を自分から削ることになるわ』


 声音は穏やかだった。

 だが、眼鏡の奥の瞳は鋭く、理性と責任を宿していた。


 レイラは一度まぶたを伏せる。

 胸の奥に溜まりかけた言葉を飲み込み、短く呼吸を整える。


 『……了解だ。感情が先走るところだった。続けてくれ』


 椅子に深く座り直し、背凭れに身を預ける。

 腕は組まれたままだが、視線の硬さはわずかに和らいでいた。


 クラリスも再び端末側に身を乗り出す。

 反射する光が眼鏡を白く染め、その奥の瞳に研究者特有の冷静な火が灯る。


 アリスは小さく頷いた。


 「ええ。じゃあ――次は、第三層の話をするわ。ここからは、戦闘も含めて少し長くなる」


 記録端末に触れる。

 魔力が流れ、淡い蒼光が空間に広がる。

 壁面に映し出された映像は、薄暗く湿った石造通路だった。


 苔が石壁を覆い尽くし、指で触れればぬめりそうな湿気が画面越しにも伝わる。

 天井から落ちる雫が、一定の間隔で床を打つ。

 その音が反響し、閉塞した空間に低い残響を生んでいた。


 「この時点では、地図には存在しないルートだったの。通路の接合角度が不自然で、既存の区画と噛み合っていなかった。私たちも最初は錯覚かと思った。でも進むごとに――そこが“自然の侵食”じゃなく、“設計された構造”だって、はっきりしてきた」


 映像の中で、アリスたちの足音が湿った床を踏みしめる。

 次の瞬間、暗闇の奥から低い唸り声。


 影が弾ける。


 獣型魔獣が天井から跳びかかる。

 鋭い爪が石壁を削り、火花を散らす。


 「最初の襲撃は、斜面側からの奇襲だった。魔力反応は直前まで消えていた。擬態型か、もしくは魔力遮断能力を持つ個体」


 映像の中、アリスが瞬時に踏み込み、魔導剣《ルミナ=コード》を抜く。

 青白い光が狭い通路を満たす。


 斬撃。


 爪と剣が交差し、金属音にも似た衝撃が響く。

 背後ではレティアが防壁を展開し、魔術陣が石壁に反射する。


 「三体、五体……次々と出てきた。通路幅を活かして包囲しようとしていた。狭所戦を想定した配置だったわ」


 炎の術式が閃き、氷槍が石床を砕く。

 魔獣の咆哮が反響し、空気が震える。


 レイラの眉がわずかに動いた。


 『連携は崩れていないな』


 「ええ。でも圧力は強かった。正面を維持しながら、側面を削られる形だった」


 映像が進む。

 やがて通路が開け、視界が急に広がる。


 「その後、進んだ先で、突然――広い空間に出たの」


 光が拡張される。


 天井は高く、黒ずんだ石材が組み合わさっている。

 自然洞窟の歪さではない。

 直線と曲線が意図的に交差する人工構造。


 苔が天井近くまで這い、床には崩れた石材が散乱する。

 紫がかった魔力の残滓が、靄のように漂っていた。


 「空気が違った。閉じ込められた魔力が、まだ完全には抜けきっていない感じ。侵入者を拒むような圧があった」


 映像が奥へ向く。


 巨大な石像群。


 風化した輪郭。

 欠けた装飾。


 だが、その威容は圧倒的だった。


 「その広間には、いくつもの石像があった。顔は削れ、装飾も摩耗していた。でも一体だけ――私は見覚えがあった」


 アリスの声がわずかに沈む。


 「私、その像を見た瞬間、名前を口にしていたの。“リディア・エルファーレ”って」


 『……リディアの石像? 本気で言っているのか?』


 レイラの声音が低くなる。


 『それは確定なの? 感情的な連想ではない?』


 クラリスも続ける。


 アリスは静かに首を横に振った。


 「断言はできない。でも――姿勢、剣の構え、外套の流れ方。資料で何度も見た肖像画と一致していた」


 深く息を吸う。


 「あの像、かつて調査隊で発見した“石碑”と材質や構造が同じだったの。表層の加工、内部の魔力反応、封鎖紋の配置……共通点が多すぎる」


 クラリスが低く呟く。


 『つまり、“あの時の石碑”と同じ起源を持つ構造体が、あの場所にも存在していた可能性が高いということね』


 重苦しい沈黙。


 レイラが腕を組んだまま言う。


 『ダンジョンに遺構が混ざる仮説はあった。だが、地図外空間に“リディア”姉の像があるとなれば、話は別だ』


 アリスはゆっくりと頷く。


 「演習用ダンジョンの構造設計と、過去の遺構が混在している可能性は否定できないと思う。意図的か、偶発的かはまだわからないけれど」


 クラリスが顔を上げる。


 『詳細な位置データと、像の映像を後で送って。三次元解析に回す。今のままでは断定できないけれど、放置もできないわ』


 「もちろん。それも含めて、報告データはすべてまとめてある。構造断面の推定図も添付する」


 短い沈黙。


 光窓の向こうで、クラリスとレイラが同時に端末を操作する。

 淡い光が横顔を照らす。


 『……その像が本物なら、学院は演習どころではなくなる』


 クラリスが静かに言う。


 レイラが続ける。


 『過去の遺産に干渉することは、魔術師としての責任を伴う。記録は正確に、慎重に扱え。これは単なる演習報告ではない。国家級の保全案件だ』


 アリスは背筋を伸ばし、両の手を膝に置いた。


 「わかってる。軽い好奇心で触れていい領域じゃない。だからこそ、私たち――途中で引き返して、報告を選んだの」

【お知らせ】

ep.399より、第十一部第三章が開始となります。

次話、ep.400からは夜18時の更新を取りやめ、以後は毎朝7:30の1回投稿へ変更となります。

※ep.400より更新時間が変更となります。

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