第十一部 第二章 第14話
実地演習用滞在施設・管理棟会議室――。
重厚な木製の長机を挟み、アリスたちは整然と並んでいた。
椅子の背もたれは直角に揃えられ、六人の姿勢は崩れない。演習後とは思えないほど静かで、しかし内側に熱を秘めた空気が漂っている。
対面には、演習責任者のギルバルト教官をはじめ、魔術研究局の観察官、技術補佐官、記録担当官が数名。
部屋の中央では、ザックの端末から投影された魔術記録映像が淡く浮かび上がり、空中に半透明の立体映像として再現されたダンジョン内の第一層から第三層の地形と戦闘状況がゆっくりと回転していた。
管理棟会議室の空気は、磨き込まれた木材の香りとインクの匂いに満ちている。
壁際の魔導灯が低く唸り、卓上の記録水晶が一定の周期で脈動する。窓外から差す薄光が、積み重なった資料の断面や金具の縁に淡く反射し、青白い投影光と混ざり合っていた。
空中に浮かぶ報告要点が、順に表示される。
第一層・旧標識C-7区画北西の崖沿いにおける「未記録の石造扉」発見。
第三層・地下遺構のような空間への突入および継続的な魔獣の襲撃。
石像が複数鎮座した広間における「古代神像」の可能性。
石像群の内、一体は《リディア・エルファーレ》に酷似した石像の発見。
第四層入口目前の広場にて発生した魔獣の待ち伏せと十数分にわたる迎撃戦闘。
「――以上が、ダンジョン内の第一層から第三層での記録と、未確認構造物に関する私たちの報告です。座標、波形、映像ログはすべて保存済み。帰還直後に再確認も行いました」
報告が一巡し、アリスが静かに言葉を結ぶ。
声は落ち着いているが、その奥には揺るがぬ緊張があった。
ギルバルト教官は、分厚い指で報告書の角を揃えると、数枚をめくりながら重々しく口を開いた。
「まず、君たちが進入した地点――第一層旧C-7区画北西斜面の奥、ならびに第三層の地下構造に関してだが……念のため確認したうえで断言しておこう。学院の公式地図、過去十年分の更新履歴、改訂記録、封鎖指定区域――そのいずれにも該当箇所は存在しない」
乾いた紙擦れの音が止み、教官は顔を上げる。
鋭い視線が卓上の地図を越え、アリスたち一人ひとりを正確に射抜いた。
「我々学院の記録において、あの位置に“地図から意図的に除外した区域”など存在しない。そもそも、そういった情報操作はダンジョン演習において明確な規定違反にあたる。つまり――」
教官は長机中央の地図の余白を、短く、しかし迷いなく指先で示した。
指し示された箇所に、ザックの投影が重なり、魔力等高線と地形線が精密に走る。
「君たちが今回発見した構造物群と地下空間は、完全に“未確認エリア”だと断定できる。学院側の意図的な隠蔽でもなければ、演習用の追加区画でもない。純粋な未知だ」
密度の高い沈黙が室内に沈み込む。
魔導灯の芯が小さく鳴り、記録担当官のペン先が紙面を掠める音だけが続いた。
魔術研究局の女性観察官が、肘を軽く机に添えたまま静かに頷く。
眼鏡のレンズに投影の青白い光が差し、瞳がわずかに細められる。
「位置データは誤差一メートル以内。映像も連続性を保っている。今回の報告は、推測ではなく事実の積み重ね。間違いなく価値のある成果よ。未確認層の発見は、学院史においても数例しかない」
「現地の波動、構造、像の材質も通常層とは異なっていました。魔力干渉も通常より複雑です。意図的に設計された可能性が高いと考えます」
アリスの言葉に続くように、ザックが端末を操作する。
卓上の水晶記録器が低く応え、会議室中央に半透明の映像が立ち上がった。
第一層の崖沿い、C-7区画北西の断面が空中に再現される。
岩肌の質感、崖の角度、苔の付着分布。
その奥に、未記録の石造扉が鮮明に浮かび上がった。
「表面符刻の擦過痕、ヒンジ部の摩耗度合いから見て、近年の設置ではありません。魔力滞留も自然減衰曲線を描いている。少なくとも数十年以上、場合によってはそれ以上の経年が推定されます」
続いて、第三層で崩落した縦坑が投影される。
視点が滑るように地下遺構へ降下する。
柱列の基壇。天井の割れ目。床石に走る導魔の脈理。
「ここ、位相が二重化している……」と観察官が小さく呟く。
「ええ。通常の迷宮層とは干渉パターンが異なります。像の材質も第三層で一般的に見られる石灰質結晶より硬度が高い。微量の金属共鳴も検出されています。通常の祭祀像とは一致しません」
映像は広間へ切り替わる。
円形の空間中央に、大小さまざまな石像が整然と鎮座している。
武具を持つ者、祈りの姿勢を取る者、王冠を戴く者。
その配置は儀礼的であり、幾何学的な意味を持つかのようにも見えた。
ただし、詳細な個別像の解析には踏み込まず、あくまで「未確認の群像が存在した」という事実のみが報告として提示される。
資料の上で、レティアの万年筆が一拍置いて止まる。
ミレーネは息を詰め、ラースは腕を組んだまま視線だけを上げた。
会議室の空気は張り詰めたまま、しかし誰もがその緊張を正面から受け止めている。
ギルバルト教官は短く喉を鳴らし、端的に言い切った。
「未確認エリアの断定、そして像群の異常――いずれも重大だ。ここから先は学院として正式に動く。調査班を編成し、該当区域を封鎖指定とする可能性もある。よくぞここまで持ち帰った。冷静な撤退判断も含め、班としての統制は評価に値する」
その言葉に、室内の空気がわずかに緩む。
投影の光が揺れ、床板に青白い模様が瞬いては消える。
アリスたちは姿勢を正し、次の指示を待った。
報告は事実を尽くして終わった――だが、その余韻が示すのは、これが始まりであるという確かな予感だった。
そのとき、報告を聞いていた別の教官が、手元の資料からゆっくりと顔を上げた。
重厚な木製机の上に整然と並べられた報告書、その紙面に走る赤い注釈線が、魔導灯の白い光を反射してかすかに揺れる。
石造りの報告室は高い天井を持ち、壁面には結界術式の紋様が淡く刻まれている。静寂の中で、紙をめくる乾いた音だけが規則的に響いていた。
「石像群の一体について、“リディア・エルファーレ”と名指ししていたが……どういう経緯でその名を?」
声は低く、感情を抑えた調子だったが、その奥に潜む鋭い関心は隠しきれていなかった。
室内の空気が、わずかに張り詰める。
観察官がペン先を止め、女性監察官が視線だけをアリスへ向ける。
アリスは一瞬だけ視線を落とした。
仲間たちの気配が背後にある。
レティアの静かな呼吸、ラースの重い足音、リゼットの規律正しい姿勢、ミレーネの指先の小さな震え、ザックの端末から漏れる微かな電子音。
それらすべてを背に受けながら、彼女は深く息を整えた。
「……文献に記録された古代神像の構図と一致するものがありました」
声は静かだが、揺らぎはない。
映像結晶が再び光を放ち、空間に立体投影が浮かび上がる。
第三層地下遺構――石造りの広間。
無数の石像が並ぶ中、その一体だけが強調表示され、ゆっくりと拡大されていく。
女性像。
天を仰ぐように顔を上げ、長衣をまとい、背に流れる髪はまるで風を孕んだかのように広がっている。
頬の線は驚くほど滑らかで、眼窩の奥には深い陰影が宿り、今にも瞳が開きそうな生々しさを帯びていた。
髪の一本一本は精緻に刻まれ、石であるはずなのに柔らかな質感すら感じさせる。
アリスは映像へと指先を伸ばし、輪郭をなぞるように動かしながら続けた。
「周囲の群像はいずれも古代的意匠を示していました。粗い石肌、明確な風蝕、数百年単位の劣化痕。魔力の残滓も散逸している。しかし、この像だけは異質でした」
視線が再び像へ向く。
「表面にほとんど風蝕の痕跡がない。装束や姿勢も、現代的意匠に近い。さらに――輪郭の整い方、視線の角度、武具の意匠。いずれも文献に記された“生ける武神”の肖像と一致しています」
室内に小さなどよめきが走る。
「つまり……偶然ではないと?」
別の教官が問いかける。
アリスは迷わなかった。
「はい。エルファーレ王国現女王――リディア・エルファーレ。その記録と照合し、偶然の一致では説明できないと判断しました。魔力波形も、周囲と比較して異常な安定値を示していました。まるで“意図的に”残されたかのように」
観察官の眉がわずかに動く。
女性監察官が静かに息を吸う。
先ほどの教官は腕を組み、低く唸る。
「……現役の女王が、そのような形で石像として残されている。時代整合性は明らかに崩れているな」
「時間軸の干渉か、あるいは封印系統の術式か……」
別の声が重なる。
石造りの報告室は再び静まり返る。
魔導灯の光がゆらりと揺れ、投影像の陰影が床に伸びる。
やがて、ギルバルト教官がゆっくりと口を開いた。
「他班の進行状況も確認した。現在、ほとんどが第二層を進行中だ。早い班でも第三層入口に到達した程度」
彼は苦笑を浮かべる。
「つまり、君たちは最速で第四層入口へ到達した。そのうえで地下遺構を発見した。他班がまだ辿り着いていない以上、情報の流出も混乱も最小限で済む。不幸中の幸い、と言えるかもしれん」
室内の空気がわずかに緩む。
女性監察官がアリスたちへ視線を向ける。
「無理に進まず、撤退を選択した判断。それができるかどうかで、生還率は大きく変わる。君たちは冷静だったわ。誇っていい」
その言葉に、ミレーネの肩がわずかに震え、ラースの拳の力が抜ける。
「ありがとうございます」
アリスは立ち上がり、一礼した。
その動きは凛として無駄がない。
レティアも、リゼットも、ラースも、順に頭を下げる。
ミレーネとザックも静かに礼を取った。
短い沈黙。
「本件は学院側で検証を続行する。必要があれば正式な調査隊を編成する」
ギルバルト教官が告げ、映像が消える。
彼は資料を閉じ、改めて六人を見据えた。
「第四層への進行だが……補給、装備点検、記録精査を考慮し、出発はできれば明後日にしてほしい。二十日間と期限を切っておきながら心苦しいが」
アリスは即答した。
「了解しました。装備の再調整と魔力補充を完了させ、万全の状態で向かいます。今回得られた情報も整理し、共有可能な形で提出します」
ラースが小さく拳を握る。
「体力は回復させておきます。次はもっと派手に暴れられますから」
レティアが穏やかに続ける。
「術式の再確認も行います。第四層は未知数ですから」
リゼットは静かに言う。
「射撃装備の調整を優先します。地下空間では視界条件が変化する可能性がありますので」
ザックは端末を閉じながら頷く。
「データ解析を急ぎます。異常波形の正体、可能な限り絞り込みます」
ミレーネも深呼吸し、言葉を重ねた。
「……今度は、落ちないように気をつけます。でも、ちゃんと戦えるように準備します」
教官たちが静かに頷く。
こうして――学院の会議室での一連の報告と確認は幕を閉じた。
六人は席を立ち、厚い扉を抜けて外の廊下へと歩み出す。
石造りの床に靴音が反響し、その響きは、彼らが第三層での戦闘と発見を経て次なる決断と準備に向けて動き出すことを告げていた。
【お知らせ】
ep.399より、第十一部第三章が開始となります。
次話、ep.400からは夜18時の更新を取りやめ、以後は毎朝7:30の1回投稿へ変更となります。
※ep.400より更新時間が変更となります。




