第十一部 第一章 第2話
講堂内に通達が響き渡ってから数分。
高天井の梁に残っていた緊張の余韻は、いまやざわめきと熱気に塗り替えられていた。
石床を踏む靴音、椅子が引かれる軋み、紙をめくる乾いた音、低く交わされる声。
それらが幾重にも重なり、空気を震わせている。
各所では、早くも編成に向けた話し合いや声の掛け合いが始まっていた。
仲間同士で視線を交わし、確かめ合うように小さな輪がいくつも生まれていく。
腕を掴み、肩を叩き、互いの目を真っ直ぐに見据えながら言葉を交わす姿。
真剣な表情で戦力を計算する者。
静かに距離を保ち、周囲の動向を観察する者。
「俺たち、前衛三枚で固めるのはどうだ。深層は物理耐久型が出る可能性が高い」
「いや、二十日間だぞ。魔力管理を考えれば術士を一枚増やすべきだ」
「索敵が甘ければ終わりだ。探索専門を入れる」
「回復が足りなきゃ詰む。長期だ、継戦能力優先だ」
議論は熱を帯びる。
それは単なる班決めではない、命を預ける相手を選ぶ行為だった。
その中で、アリスとレティアはひとまず講堂の隅の壁際に立ち、状況を静かに見守っていた。
背後には冷たい石壁。
上方から差し込む光が、二人の輪郭を淡く縁取る。
交差する視線の多くが、明らかに彼女たち二人を意識している。
それは好奇心だけではない。
期待、畏れ、そして――警戒。
「……やっぱり、ちょっと目立ってるわね、私たち」
アリスが小声で呟く。
肩にかかる金髪がわずかに揺れ、その蒼い瞳には苦笑が滲んでいた。
「当然よ。学院から“危険任務の指名”を受けたんだから。むしろ視線が集まらない方がおかしいわ」
レティアは腕を組みながら穏やかに応じる。
その碧眼は真っ直ぐ前を見据え、揺らぎはない。
「危険任務、ね……。つまり深層か、未踏区域か、それとも管理外層の再封鎖か。どれにしても楽じゃないわ」
アリスは静かに息を吐く。
「あなたはどう思っているの?」
レティアの問いは落ち着いている。
「正直に言えば、不安はある。でも、それ以上に……期待もあるわ。任されたってことは、信じられているってことだもの。逃げる理由はない」
アリスは小さく微笑む。
「まあ……覚悟の篩ってところかしら。ここで立てるかどうかで、今後が決まる」
「覚悟なら、あなたはとっくに示しているわ。あの森で、迷わず前に出たでしょう。あのとき、私は確信したの。あなたは逃げないって」
レティアの声は静かだが、強い。
「逃げないんじゃない。逃げられないだけよ。……背中を預けてくれる人がいるなら、なおさらね」
アリスは視線を横に向けると、二人の視線が交わる。
そこにあるのは言葉を必要としない確信でり、共に歩んできた年月、そして積み重ねた戦い。
――誰が自分たちと共に立つのか。
――誰がこの責務を共に背負おうとするのか。
二人は黙って周囲を見渡しながら、その瞬間を待っていた。
そんなふたりのもとに、真っ先に現れたのは――ラースだった。
人波を押し分けるようにして近づいてくるその姿は、周囲の喧騒の中でもひときわ目立つ。
肩幅の広い体躯、鍛え抜かれた脚運び、無意識のうちに周囲を警戒している視線。
彼は人混みの隙間を縫うように進みながら、軽く額の汗をぬぐった。
「ったく……こんな隅っこにいたんじゃ、見つからないわけだ。呼びに行こうと思ったら、視線の先が全部こっち向いててな。逆にすぐ分かったけどよ」
視線はアリスとレティアの立つ壁際に定まり、その口元にはおどけたような笑みが浮かんでいる。
だがその奥にある光は、真剣だった。
「よ。もう決まってると思うけど、俺は行くぞ。深層だろうが特別任務だろうが関係ねぇ。前衛がいなきゃ困るだろ? 任せとけって。あの森みたいに、真正面から叩き潰す役は俺がやる」
その声音は力強く、迷いがない。
森での戦闘が脳裏をよぎる。
突進してきた魔獣の体当たりで盾が砕け散った瞬間。
土煙と共に横転した前衛の隙を、ラースは踏み込み一閃で埋めた。
爪が振り下ろされるよりも早く、刃が肉を裂き、骨に届く鈍い感触が伝わる。
衝撃が腕を震わせ、それでも彼は踏みとどまり、もう一撃を叩き込んだ。
あのときの背中をアリスは覚えている。
「ラース……でも、本当にいいの? 危険度、かなり高いって言われてたのよ? 深層で未知種が出る可能性だってあるし、帰還が遅れれば補給も難しい」
問いかけには心配が滲む。
「だから、だろ? その分、燃えるじゃねぇか。それにさ、あの森で俺たち、どうだった? あの突進、俺一人じゃ止めきれなかった。お前の一撃があったから崩せた。レティアの支援があったから踏みとどまれた。だったら、次も一緒だろ」
ラースは肩をすくめる。
「俺は強ぇ奴と組む。信じられる奴と組む。それだけだ。危険度が高い? 上等だ。そっちの方が、本気で戦える」
飾らない言葉に、アリスは何も言えず、ふっと息を吐いて笑った。
緊張で強張っていた胸の奥が、少しだけ解けていく。
続いてやって来たのはミレーネだった。
人波の間を小走りで抜け、軽く息を弾ませながら二人の前に立つ。
「わたしも、ご一緒させていただいていいかしら? ……いいえ、正確には“お願い”ね」
レティアが視線を向けると、ミレーネは静かにうなずく。
「確かに危険はあるわ。でも、あなたたちが行くなら、きっと無理をする。あの森でもそうだった。囲まれたとき、退路よりも突破を選んだでしょう? あれ、普通は撤退判断よ。でもあなたは前に出た。結果的に正解だったけれど、紙一重だった」
アリスは苦笑する。
「……そこまで見てたの?」
「見てたわ。わたし、後衛だもの。あなたの呼吸が荒くなった瞬間も、刃を振るう角度も、全部。だから思ったの。守る役が必要だって。防壁を一瞬早く張れる人間が、隣にいるべきだって」
ミレーネは一歩近づき、アリスの瞳をまっすぐに見据える。
「また、あの時みたいに無茶するつもりでしょう? なら、隣で止める役も必要よ。止めるだけじゃない、支える。あなたが踏み込むなら、その一歩先に障壁を置く。それがわたしの役目」
アリスは少しだけ肩を落とし、苦笑を浮かべた。
「……完全に読まれてるわね。でも、正直に言うと助かる。あのとき、あなたの防壁がなければ、私は二撃目を振るえなかった」
ラースは横で「だろうな」と鼻を鳴らし、レティアは小さく微笑んだ。
三人の声が重なる瞬間、周囲のざわめきが遠のいたように感じられる。
壁際の小さな空間に、確かな絆の輪が生まれていた。
ややあって、最後に現れたのは、背の高い眼鏡の少年――ザック・ミルドレイだった。
人波をかき分けるのではなく、静かに、しかし確実に近づいてくる。
「……やっぱり、君たちの班に入れてほしい」
その言葉は静かだったが、曖昧さはない。
眼鏡の奥の瞳には、冷静な光と、わずかな熱が混じっている。
「解析支援、転移装置の座標補正、危険区域での魔力変動感知、深層の術式干渉……やるべき仕事は、ある。むしろ、僕がいなければ不十分だと判断した。二十階層構造の再評価なら、魔力流の偏りや罠の周期性を読む人間が必要だ」
理詰めの言葉。
「それだけ?」
アリスが問いかける。
ザックは一瞬だけ視線を逸らし、しかしすぐに戻す。
「……それだけじゃない。あの森で、僕は一歩遅れた。解析に意識を割きすぎて、接近を完全に予測できなかった。君が斬り込む前に、警告できたはずだ。だから、次は遅れない。君たちが前に出るなら、その前提条件を整える。それが僕の責任だ」
レティアがくすりと微笑む。
「それって、言い訳に見せかけた本心ね。あなた、心配しているだけでしょう?」
ザックはわずかに口ごもる。
「……合理的判断だ」
だがその耳は、わずかに赤い。
こうして、アリスとレティアのもとには、迷いなく集まってきた者たちがいた。
ラース。
ミレーネ。
そしてザック。
共に戦い、共に生き延びてきた仲間たち。
「これで五人ね。前衛、後衛、支援、解析。最低限の構成は整っている」
レティアが数を数えるように言うと、ラースが大きな腕を組み、眉を上げた。
「六人まで組めるって言ってたな。あと一人、どうする? 火力を増やすか、それとも探索特化を入れるか。二十日間だ、役割は多い方がいい」
問いかけが放たれた瞬間、五人の間に小さな沈黙が落ちる。
周囲ではまだ編成に奔走する学院生たちのざわめきが響いている。
だが彼らの輪の中だけは、まるで時間が切り取られたかのように静かだった。
その言葉に、ふとアリスが周囲を見渡す。
講堂の天井近くに吊るされた魔導灯が淡い白光を落とし、磨かれた床石に無数の影を描いている。
編成を急ぐ声が幾重にも重なり、椅子の擦れる音や革靴の足音が絶え間なく響く。
その一角で、イリーナ、リゼット、ヴィクトールら別班の面々が集まり、真剣に相談している姿が見えた。
互いに顔を寄せ、地図を広げ、指先で魔力反応地点をなぞりながら意見を戦わせている。
空気は張り詰め、雑談の軽さはどこにもない。
「もう一人……入れるべきか、入れないべきか」
アリスの小さな呟きに、自然と皆の視線が集まる。
ラースは腕を組み、顎に力を込めて眉をひそめる。
ミレーネは唇に指を添え、瞼を伏せて思考を巡らせる。
ザックは眼鏡の奥で静かに視線を動かし、確率を計算するように沈黙する。
レティアもまた、真剣な表情でアリスの言葉を受け止めている。
少数精鋭で深層へ挑むか。
守備と支援を厚くするか。
未知層では一瞬の判断が生死を分ける。
魔力流の暴走、罠の連鎖発動に魔獣の不意打ち。
連携が崩れれば、その瞬間に前衛が崩落する。
あの森での戦闘が脳裏に蘇る。
霧の奥から現れた巨躯。
地面を震わせる踏み込み。
爪が振り下ろされた瞬間、地面が抉れ、石片が弾け飛ぶ。
魔力の衝撃波が空気を裂き、耳鳴りが走る。
その中でラースが踏み込み、アリスが続き、ミレーネの防壁が一瞬早く展開された。
わずかに遅れていれば、血煙が上がっていたのは誰だったのか。
選択の重さは、言葉にしなくとも全員の胸に響いていた。
その決断もまた、学院ではなく、彼女たち自身に委ねられていた。
講堂の別の一角。
イリーナ、リゼット、そしてヴィクトールが並んで椅子に腰かけ、小声で話し合っていた。
周囲から一歩距離を取り、静かな緊張が漂う。
それはまるで、戦場へ志願する前の最終確認のようだった。
「やっぱり、あの二人の班に入るつもりか」
ヴィクトールが低く問う。
視線はイリーナへ向けられている。
「うん。わたし、行きたいと思ってる。三日間一緒に行動して分かったの。あの二人の判断は速い。でも独りよがりじゃない。前に出る覚悟がある人の判断だった」
イリーナは迷わず答える。
その瞳には緊張と憧れが同居していた。
「近くで学びたい。強くなりたい。もし本当の危険が来たとき、自分が震えずに立てるように」
リゼットがゆっくりと息を吐く。
「……無謀になる可能性もある」
「それでも行きたい」
即答だった。
イリーナの拳は小さく握られている。
「演習で見たでしょう。あの深層想定訓練。罠の連鎖発動で前衛が崩れかけたとき、アリスは迷わず突っ込んだ。普通は引く場面。でも彼女は押し切った。結果は成功。でも、あれは賭けだった」
リゼットの声は静かだが重い。
「私も、考えていた。危険だけど……あのふたりの判断は信用できる。演習中、確かにそう感じた。彼女たちが進むなら、その先に“本当の現場”があるように思える」
「僕はどちらでも構わない」
ヴィクトールが淡々と言う。
「リゼットが行くなら、僕も行く。君が選んだ道なら、僕は背中を預けられる。君の盾ならなれる」
リゼットはわずかに目を見開き、そして微笑む。
「……ありがとう。でも、冷静に考えないと」
「でも、班に加われるのはあと一人だけ」
イリーナが俯きながら呟く。
その瞬間、視線が自然と講堂の隅へ向く。
背の高い眼鏡の少年ザックが、アリスたちの輪へ合流する姿が見えた。
空気がわずかに変わる。
「……やっぱり、そうなったか」
ヴィクトールが小さく呟く。
「つまり、残りは一枠」
リゼットが低く言う。
沈黙が落ち、遠くではまだ椅子の音と声が重なり続けている。
だが三人の間だけは、音が遠のいたかのようだった。
アリスたちの班に加わるのは、自分たちの中からただ一人。
その現実が、彼女たちの胸に重くのしかかっていた。
そして――。
「……私が行く」
静かに、しかしはっきりと口を開いたのはリゼットだった。
講堂の喧騒の中で、その声は決して大きくはない。
だが、不思議と耳に残る。
揺らぎのない響きがそこにあった。
魔導灯の白光が彼女の横顔を照らす。
伏せられていた睫毛がゆっくりと上がり、まっすぐに前を向く。
その瞳の奥には、迷いよりも先に、確固たる決意が宿っていた。
「私は、彼女たちの“目”になる。後方から見る目じゃない。深層で何が起きているのか、罠の構造がどう絡んでいるのか、魔力流がどこで歪むのか、全部を見て、判断して、伝える目になる。……あのダンジョンの奥に何があるのか、どうしても確かめたい」
小さく息を吸う。
「演習のとき感じたの。最下層想定区域で、あの魔力の淀み。表面だけじゃ説明がつかない歪みがあった。あれは偶発じゃない。意図がある。構造がある。……アリスも、たぶんそれをどこかで感じている気がする。だから前に出る。なら、私はそれを読み解く側に立つ」
その瞬間、イリーナとヴィクトールは言葉を失ったままリゼットを見つめる。
冗談でも勢いでもない。
本気の選択だと、瞬時に理解したからだ。
リゼットもまた、二人の視線を正面から受け止め返す。
逃げない。
逸らさない。
その覚悟が、何よりも雄弁だった。
数秒。
講堂のざわめきが遠くに感じられる。
椅子の軋む音も、革靴の足音も、まるで水の底から聞こえるように曖昧になる。
三人の視線が交差し、互いの想いを測り合う。
イリーナが先に視線を伏せた。
悔しさと誇らしさが混じった小さな笑みが浮かぶ。
「……負けた。理屈でも覚悟でも、リゼットには敵わないや。私も行きたい気持ちはある。でも今の言葉、あれは私じゃ言えない。そこまで覚悟、固めきれてない」
顔を上げ、真っ直ぐに続ける。
「だから託す。深層で何が起きてるのか、ちゃんと見てきて。危険だって分かってる。でも、あの二人の隣で立てるのは……今は、あなたの方がふさわしい」
ヴィクトールも肩をすくめ、息を吐く。
「そうだな……君がそう言うなら、僕たちは止められない。僕は盾になる覚悟はある。でも、あの班は前に出る連中だ。支えるだけじゃ足りない。読み、考え、決断できる人間が必要だ」
一拍置いて、穏やかに続ける。
「君ならできる。冷静に状況を分解して、混乱の中でも最適解を拾い上げられる。森での戦闘、覚えてるだろ。魔獣が二体同時に突進したとき、君が罠の再発動周期を読まなければ、僕たちは挟まれていた」
あの瞬間が脳裏に蘇る。
地面を裂いて飛び出した棘、魔獣の咆哮。
土煙の中でリゼットが叫んだ警告。
次の発動までの僅かな間隙。
そこを縫ってアリスが踏み込み、ラースが横薙ぎに斬り払い、ミレーネの防壁が衝撃を受け止めた。
その裏にあったのは、冷静な計算だった。
「……ありがとう」
リゼットは短くそう告げる。
声は落ち着いているが、指先はわずかに震えている。
それでも視線は揺れない。
イリーナがそっと立ち上がり、リゼットの手を軽く取る。
「私の分まで頑張ってきてね。でも無理はしないで。帰ってきて、ちゃんと報告すること。それ約束」
ヴィクトールも深くうなずく。
「君ならきっとやれる。だから――僕たちの分も背負って行ってくれ。ただし、背負い過ぎるな。仲間がいることを忘れるな」
リゼットの瞳に宿る決意の強さに、二人は根負けしたのだ。
それは敗北ではなく、託すという選択だった。
椅子の脚が静かに床を擦る。
リゼットは立ち上がる。
制服の裾が揺れ、魔導灯の光を受けて淡く縁取られる。
こうして、静かな合意がその場に成立する。
大声も握手もない。
だが確かな決断だった。
仲間ふたりにそっと背中を押されながら、その歩みはためらいなく、講堂の別の一角――アリスたちのもとへ、まっすぐに向かっていった。
【お知らせ】
短編『勇者を看取った元魔王、現代日本で平穏に暮らしたい』 https://ncode.syosetu.com/n5231mh/ を投稿しました。
長編ばかり書いている作者が初めて挑戦した短編作品です。
普段の調子で書いていたら10話以上になりそうだったので、必死に削りました(笑)。
『白銀の継承者 - Gate of Sealed Eternity -』とはまた違った雰囲気の作品になっていますので、よろしければ息抜きにでも読んでいただければ幸いです。




