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第八部 第二章 第7話

 舞踏祭・一日目


 ――荘厳なる開会式を終えた大講堂には、まだ濃密な余韻が色濃く漂っていた。

 高い天井に反響した拍手の名残が、石壁の奥に溶け込むように残り、空気そのものが微かに震えているように感じられる。


 ティアナ殿下と騎士団の入場。

 その圧倒的な光景は、学院生にとっても、来賓にとっても、忘れ難い衝撃となって胸に刻み込まれていた。


 式典が閉じられた今なお、その名と姿は人々の口の端に残り続ける。


「すごかったな……まさか、あそこまで直々に殿下が来られるなんて」


 廊下を歩く男子学生が、興奮を抑えきれない声で呟く。


「うん……しかも、あの騎士団よ。動きも、間も、全部が完璧で……本当に、夢を見てるみたいだった」


 応じた友人は、胸に手を当てたまま、深く息を吐いた。

 まだ鼓動が落ち着いていないのが、声の震えからもはっきりと伝わる。


 廊下を行き交う学生たちは皆、頬を紅潮させ、目を輝かせたまま感嘆を交わし合っていた。

 通り過ぎるたびに衣擦れの音が重なり、ざわめきは波のように広がっていく。


 中庭では、さらに熱のこもった光景が広がっていた。


 石畳の上に自然と人の輪が生まれ、先ほどの場面を再現するように身振り手振りを交えながら語る者。

 友人の肩を掴み、言葉を畳みかける者。

 歓声と笑い声が、秋の澄んだ空気に混じって響き渡る。


 普段は冷静沈着な魔術学科の上級生ですら、珍しく声を張り上げ、興奮を隠そうともしなかった。


「いや、正直……あの剣の揃い方、魔術演算よりよほど精密だったぞ」


「分かる……あれはもう“武”じゃなくて、“儀”だ」


 昂揚の熱を抱えた群衆のざわめきが、学院全体をゆっくりと、しかし確実に祝祭の渦へと変えていく。


 一方で――。


 会場を後にした学院生会の面々は、表向きは平静を装いながらも、背中には冷や汗がじっとりとにじんでいた。

 整った歩調を保ちながら廊下を進むその足取りは、どこか張り詰めている。


「ふぅ……本当に、なんとか無事に終わりましたね……」


 庶務のエリナは、胸に書類を抱きしめたまま、ようやく絞り出すように息を漏らした。

 肩がわずかに落ち、緊張が一段抜けたのが見て取れる。


 だが、立ち止まる暇はない。


「……でも、ここからが本番です」


 自分に言い聞かせるように呟くと、エリナはすぐに視線を前へ戻し、次の進行へと小走りで向かった。


 副会長リヒトは、すでに懐中時計を取り出していた。

 蓋を開いたまま、秒針の動きを鋭い視線で追う。


「……予定、二分押しだな」


 低く呟き、眉を寄せる。


「この後の演舞に影響が出る。転換時間を詰めないと、後半が崩れる」


 声音は淡々としている。

 だが、額に浮かぶ細かな汗の粒が、彼の緊張を何より雄弁に物語っていた。


 リヒトは手帳に素早く書き込み、すぐさまスタッフ役の学生たちへ視線を投げる。


「次の配置、変更する。音響と照明、連携を詰め直せ。指示は後でまとめて出す」


 短く的確な指示に、学生たちは一斉に頷き、走り出した。


 会計のレティアは、人混みを縫うように進みながら、抱えていた帳簿と予算表を素早く確認していた。

 指先が紙面をなぞり、視線は一行たりとも見逃さない。


「……出店側の資材搬入。まだ完了していない場所があるわね」


 小さく息を吐き、周囲を見渡す。


「管理担当に確認を。遅れているなら、こちらで人を回す必要があるわ」


 その声音は落ち着いていた。

 だが、心の内では幾重にも積み重なった責務の重さを、確かに感じ取っている。


 それでも、彼女の碧眼に宿る強い意志は、微塵も揺らがなかった。


 こうして――。


 学院生会の仲間たちは、開会式の余韻に浸る余裕すら持たぬまま、それぞれの持ち場へと散っていく。

 舞踏祭一日目を滞りなく進めるため、祝祭の裏側で、静かに、しかし確実に奔走し続けていた。


 一日目 午前 ― 模擬戦と研究発表


 正午が近づく頃、学院の演習場はすでに観客で埋め尽くされていた。

 臨時に設けられた木製の観覧席には隙間なく人が座り、立ち見の学生たちがその背後に何重にも連なっている。


 ざわめきと熱気が絶えず渦を巻き、普段は訓練用に静まり返っている演習場は、この日ばかりは完全に祭の舞台と化していた。

 砂地を踏みしめる音、歓声、鎧の擦れる音、魔術詠唱の残響――それらが混じり合い、空気そのものが高揚している。


 「模擬戦演武」。

 それは学院内で腕に覚えある学院生たちが、一騎打ちや小規模戦術を披露し、己の技と研鑽の成果を示す晴れの場である。


 剣を執る者。

 魔術を操る者。

 弓や槍、特殊装備を用いる者。


 それぞれが自らの得意分野を背負い、名乗りを上げてこの場に立っていた。


「――始めっ!」


 審判役の学生が号令を放つと同時に、砂塵を蹴って二人の剣士が激突する。

 踏み込みの衝撃で砂が跳ね、鋭い剣閃が交錯し、火花が散った。


 金属音が乾いた高音を響かせ、観客席からは即座にどよめきと歓声が沸き起こる。

 来賓席の貴族たちも思わず身を乗り出し、視線を戦場へと集中させていた。


「見事な踏み込みだ、今のは!」


「受け流しが綺麗だな……基礎が相当仕上がってる」


 熱気を帯びた声が次々に上がり、演習場全体が揺れる。


 数戦が終わり、次の対戦者として名を呼ばれた瞬間――。


 観客の間に、小さなどよめきが走った。


 十五班の剣士、ラース・エルヴァン。


 学院内でも武術系の有力候補として知られる存在。

 その実力を一目見ようと、視線が一斉に集まる。


 ラースはゆっくりと演習場中央へ進み出た。

 腰に差した双剣に手を掛け、静かに抜き放つ。


 刃が陽光を受けて鈍く煌めき、低く澄んだ金属音が空気を切った。


 短く刈り込まれた黒髪。

 精悍な顔立ち。

 その瞳には、燃え上がるような激情はない。だが、張り詰めた鋼のような集中と、凄烈な闘志が確かに宿っていた。


「……よろしく頼む」


 低く告げるその声は、対戦相手――槍を得物とする上級生にも、観客にも、確かな覚悟を伝える。


 対峙する槍使いは長身で、長いリーチと突進力を武器とするタイプだった。

 穂先を地面すれすれに構え、獲物を狙う獣のように視線を細める。


「――始めっ!」


 号令と同時に、槍が唸りを上げて突き出された。

 一気に間合いを詰める、鋭く速い初動。


 だが。


 ラースは一歩も下がらない。

 身を低く沈め、踏み込みの瞬間を正確に見切り、穂先が喉を裂く寸前で身体を滑らせるように回避した。


 風圧が頬をかすめる。


 次の瞬間――。


 双剣が交差するように閃いた。


 斬撃は穂先ではなく、槍の柄を狙っている。

 木と金属が打ち合わさる乾いた音が響き、槍の軌道がわずかに逸れた。


「おおっ!」


 観客席が一斉に沸く。


 ラースは追撃しない。

 一瞬距離を取り、再び構え直す。


 相手が態勢を立て直そうとした、その刹那。


 踏み込む。


 地を蹴る音が低く鳴り、間合いが一気に詰まる。

 右の剣が牽制として走り、左の剣が本命として斜めに振り抜かれた。


 槍使いは反射的に防御へ回るが、既に遅い。

 間合いを殺され、武器の長さが逆に足枷となる。


「くっ……!」


 防御の上から伝わる衝撃に、相手の体勢が崩れる。


 その瞬間を、ラースは見逃さない。


「エッジ・ブレイク!」


 叫びと同時に、双剣に魔力が走る。

 刃から放たれた斬撃波が砂を巻き上げ、演習場に白い軌跡を刻んだ。


 衝撃が槍を直撃し、武器は弾き飛ばされて地面を転がる。


 驚愕に目を見開いた対戦者の喉元に、次の瞬間、冷たい刃が突きつけられていた。


 ぴたり、と止まる。


 刃は触れていない。

 だが、動けば即座に決する距離。


 勝敗は、誰の目にも明らかだった。


「――勝者、ラース・エルヴァン!」


 宣言と同時に、観客席から雷鳴のような拍手が響き渡る。

 歓声が重なり、演習場全体が震える。


 仲間たちの声援が飛び交い、ラースは双剣を静かに収めた。

 そして、観客席へ向けて一礼する。


 その所作は控えめでありながら堂々としており、武を誇示するのではなく、結果で示す者の風格があった。


 来賓席の貴族たちも目を細め、互いに低声で言葉を交わしている。


 同じ頃。


 大講堂脇の展示室では、魔術部や探索者育成部による研究発表が進められていた。

 演習場の熱気とは対照的に、こちらは張り詰めた静けさと知的な緊張に満ちている。


 そこに立つのは――レティア・エクスバルド。


 床に展開された大きな魔術陣が、淡い蒼光を放ちながら静かに脈動していた。

 幾何学的に組まれた術式が重なり合い、精密な演算構造を描き出している。


「展開……固定。境界、安定確認」


 澄んだ声と共に、結界陣は複層的に組み上げられていく。

 目に見えぬ防護の膜が空間を包み、会場全体に均一な圧を生んだ。


「おお……」


 観覧していた来賓の貴族たちが、一斉に息を呑む。


「実に精緻な術式だ。――エクスバルド家の名は伊達ではないな」


「恐縮です。ですが、これは学院での研鑽の成果でもあります」


 レティアは丁寧に一礼し、少し離れた位置で見守っていた親友――アリスと目を合わせて微笑んだ。


 その笑顔には、張り詰めた緊張はない。

 ただ、隣に親友がいるという確かな誇りと安堵が宿っていた。


 アリスもまた、照れくさそうに笑い返し、胸を張ってその成果を見届けていた。


 一日目 午後 ― 出店と賑わい


 昼を過ぎ、太陽が中天からわずかに傾き始める頃。

 学院の広場や中庭に設けられた学生たちの出店は、一斉に活気づき始めていた。


 焼き菓子の甘く香ばしい匂いが風に乗って流れ、砂糖を焦がす音や鉄板の弾ける音があちこちから響く。

 魔道具を扱う即席の屋台では、試作品が淡く発光し、小さな術式音を立てながら規則正しく動いていた。


 占い小屋の奥からは、結果を聞いた学生の歓声や悲鳴が交互に漏れ聞こえ、

 的屋風の屋台では、木製のくじ箱を振る音と、当たり外れに一喜一憂する声が広場に弾む。


 普段は厳格な規律に包まれている学院は、この日ばかりは色彩と音と笑いに満ち、

 まるで別世界に迷い込んだかのような賑わいを見せていた。


「見てください、アリス! この飴細工、すごく可愛いです!」


 ミレーネが弾むような声を上げ、掌に載せた飴細工を差し出す。

 透明な琥珀色の飴の中には小さな花模様が閉じ込められ、陽光を受けて淡く虹色に煌めいていた。


 彼女は少し身を乗り出し、まるで宝物を見せる子どものように目を輝かせている。


「ほんとだ……職人技だね。食べるのが惜しくなるやつだ」


 アリスが感心したように目を細めると、ミレーネは嬉しそうに頷いた。


「ですよね! でも、ちゃんと食べます!」


「おっ、じゃあこっちは剣型の串焼きだな。食べ応えありそうだ!」


 ラースが屋台から受け取った串を掲げ、豪快にかぶりつく。

 肉汁が弾け、香辛料の香りが一瞬で広がった。


「うまっ……これは当たりだな!」


 頬いっぱいに頬張りながら笑うその様子に、周囲の学生たちからも思わず笑いがこぼれる。


 そんな和やかな空気の中で、自然と話題は先ほどの模擬戦へと戻っていった。


「ラース、ほんとにすごかったですよ!」


 ミレーネが身を乗り出し、両手を胸の前でぎゅっと握る。

 その声には、純粋な興奮と誇らしさが混じっていた。


「槍を弾き飛ばしたあの斬撃……観客席、ほんとにみんな立ち上がってました。私も鳥肌が立っちゃって……!」


 隣で聞いていたザックは腕を組み、眼鏡の奥で冷静な光を宿したまま小さく頷く。


「うん。特に終盤の間合いの読みは完璧だった。

 槍のリーチを、たった一歩の踏み込みで完全に殺した。あの判断速度と精度は、学院でも上位に数えられる技量だと思う」


 分析めいた言葉に、ラースは照れくさそうに頭をかきながら苦笑する。


「おいおい、そんなに褒めるなよ。

 俺はただ、目の前の相手に全力で向かっただけだって」


 その素朴な返しに、周囲の空気がまた少し和らぐ。


 ふと、ミレーネが首をかしげた。


「でも……アリス、どうして模擬戦に出なかったんですか?

 もし出ていたら、絶対に大歓声になってましたよ!」


 その言葉に、全員の視線が自然とアリスへ集まる。


 当の本人は、少しばつが悪そうに頬をかき、困ったように笑った。


「えっと……ほら、私って何だかんだで注目を集めちゃうじゃない?

 開会式であんな大騒ぎになった直後に、模擬戦まで出たら……さすがにやりすぎかなって思って」


「なるほどな……」


 ザックが眼鏡の奥で目を細める。


「確かに、君が出ていたら話題は全部そっちに持っていかれてただろう。

 模擬戦そのものより、“アリスが何をしたか”に注目が集まるのは避けられなかった」


 ラースは肩をすくめ、串を軽く振りながら豪快に笑う。


「まあいいさ。

 俺たちの見せ場を奪わずにいてくれたってことだろ? それなら感謝しなきゃな」


 そこで、隣で静かに聞いていたレティアが、くすりと小さく笑みを浮かべ、さらりと口を挟んだ。


「――というより、アリスが模擬戦に出たら“模擬戦にならない”って、学院側から学院生会に釘が刺されていたのよ。

 だから、最初から控えるように言われていたの」


「えぇっ!?」


 ミレーネが目を丸くし、ラースは思わず串を落としそうになる。


 ザックでさえ、眼鏡を押し上げながら低く呟いた。


「……まあ、妥当な判断だろうな」


 アリスは苦笑混じりに笑う。


「ばらしたね、レティア!

 ――まあでも、正直言うと、ちょっとだけ出てみたかったんだけどね?」


 その飄々とした一言に、仲間たちは一斉に吹き出す。

 張り詰めていた空気が完全にほどけ、広場に明るい笑い声が広がった。


 そんなやり取りを温かく見守っていたレティアは、そっとアリスの腕を軽く引く。


「……ね、少し休みましょう?

 さっきまで、ずっと気を張っていたんだから」


 その穏やかな声音に、アリスははっとして振り向き、笑って頷いた。


 二人は喧騒の広場を抜け、出店の片隅に設けられた簡素な腰掛けに並んで座る。

 紙皿に盛られた甘味を分け合いながら、肩を並べて笑い合った。


 つい先ほどまで背負っていた緊張と責務を、ほんのひとときだけ脇に置き、

 ただ友人として、同じ時間を過ごす。


 舞踏祭は、学院生にとって誇りと実力を示す舞台であると同時に、

 こうした何気ない笑顔と会話を刻む、かけがえのない青春の一幕でもあった。

明日からゴールデンウィーク期間中は、お昼の12時10分にも投稿いたします。

お楽しみに。

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