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閑話 第一六二回 王立魔導学院 学内武術競技会 -四年次- 第2話

閑話、四年次の武術競技会編 第2話です。

 その直後、各自にリーグ戦表が配布される。


 薄く硬質な紙が手渡される際、指先に伝わるわずかな冷たさと紙同士が擦れる乾いた音が周囲のざわめきに紛れて小さく響き、演習場全体には試合とはまた異なる種類の緊張がゆっくりと広がっていく。


 アリスは受け取った紙を開き、視線を走らせる。

 レティアも同様に、自分の配置を確認していた。


 並んだ名前の中に、自分と相手の位置関係がはっきりと示されている。

 文字列として整然と並んでいるだけのはずの情報が、二人の中では瞬時に立体化され、対戦順、相手の傾向、戦闘距離、想定される展開が一つの流れとして組み上がっていく。


 その構成を一目で把握し、二人は同時に理解する。

 さらに、そのリーグ配置と本選トーナメントの接続条件も読み取る。


 本選もお互い一位通過すれば、当たらずに総合部門の本選へとそのまま進む仕組みだった。

 だが――どちらかが一位で、もう一方が二位となった場合。

 その時点で配置は交差し、一位対二位として、最初のトーナメントで激突する構造になっている。


 つまり、回避するための条件は一つだけ。


 “両者ともに一位で抜けること”。


「……別リーグだね、最初から直接当たる配置じゃないみたいだ。少なくともリーグ戦の段階ではぶつからないってことになるのかな」


「うん、配置的にはそうなってる。最初から当たることはないね、少なくともここでは回避されてる」


 レティアはわずかに息を吐き、紙を軽く持ち直す。

 指先で端を揃えるように整えながら、ほんの一瞬だけ視線を落とし、その情報を頭の中で再配置していく。


「少し安心したような、残念なような……そんな感じかな。すぐに当たらないのは助かるけど、でも同時に、ちょっと拍子抜けというか。やっぱり戦うならちゃんとしたところで当たりたいし、でも――これ、条件付きだね」


「うん。どっちも一位なら、そのまま本選まで当たらない。ここでは完全に別ルート」


 アリスは淡々と答え、視線を紙面に落としたまま続ける。


「でも、どちらかが二位になったら、その時点で最初のトーナメントで当たる。回避できるのはそこまでで、その先は強制的に交差する配置になってる」


「……なるほどね、回避したいなら両方とも一位通過が絶対条件ってことか。片方でも落としたら即合流。しかも初戦でぶつかるとか、なかなか容赦ないね」


 レティアは小さく笑い、わずかに肩をすくめる。

 その仕草は軽いが、視線は鋭く、すでに自分のリーグ全体の構成と突破条件を整理し終えている。


「じゃあ、私が一位通過するよう頑張らないとだね。アリスといきなり当たるのは……さすがにちょっともったいないし、どうせならちゃんと準備して、納得できる形で戦いたいし」


「うん、できれば、もっと上で当たりたい。途中で当たるのは……もったいない」


 アリスは短く言い切る。

 だがその言葉の奥には、単なる勝ち上がりではなく、戦う場の質を選んでいる明確な意思があった。


「だね、どうせなら、本選でしっかりやりたいね。お互いベストの状態で当たって、その上で結果を出したいし」


「うん、そのためにも、まずはリーグを抜けること。ここで取りこぼすわけにはいかない」


 短い言葉。

 だが、その中に迷いはなかった。


「……どう? リーグ内の対戦相手、ざっと見た感じでも結構差がありそうだけど、アリスの方はどうなってる?」


 レティアがふと視線を向ける。


 アリスは一度だけ視線を落とし、対戦表を静かに見つめた。

 名前の並びを一つずつ追い、その配置と力量差を瞬時に組み立て、戦闘時間、消耗、対応優先度までを無言のうちに整理していく。


「……うん、頑張ろうかな。ちゃんと加減しないといけないかも」


 ぽつりと、短くそれだけを口にした。


 レティアはその言葉にわずかに眉を上げる。

 その一言に含まれた意味を理解し、同時にその“加減”がどれほど難しいものかを知っているからこそ、軽く受け流すことができない。


 そして、アリスの持つ対戦表へと視線を移した。


 並ぶ名前。

 見慣れた顔ぶれ。


 そして――理解する。


「……ああ、うん、確かに……大変だね。これ、戦う側じゃなくて、相手側が」


 そう言いながら、レティアはほんのわずかに困ったような、そしてどこか相手に対して同情するような表情を浮かべる。


 言葉にはしない。

 さすがに、この場で「一位通過は確定だね」などと軽く言える空気ではない。


 だが、それでも。


 対戦表を見れば、誰の目にも明らかだった。


 アリスがよほど手を抜かない限り、対戦相手はまともに勝負にすらならない。

 下手をすれば、大きな負傷に繋がりかねないほどの実力差がそこにはあった。


 探索者育成部四年次。

 その中で、アリスと正面から渡り合える可能性がある者は、せいぜい二名。


 だが――それでもなお、紙面に並ぶ名前のどれを引き当てたとしても、その先にある結果はほとんど揺らがないという確信が場の空気の奥底に静かに沈殿しており、ざわめきの中にあってもその事実だけは不思議なほどに輪郭を持って共有されていた。

 もし真正面から対峙すれば。

 誰であっても、アリスには届かない。

 それは、口に出さずとも、誰もが理解している事実だった。


 アリスはゆっくりと視線を上げ、紙面から意識を切り離すようにして周囲の空気へと一度だけ意識を戻したあと、今度は自然な流れでレティアの手元へと目を向ける。


 レティアも自分の対戦表を見下ろし、指先で紙の端を軽く押さえながら静かに名前を追っていたが、その視線は単なる確認ではなく、一人ひとりの戦い方や間合い、得意とする領域を重ね合わせるようにして読み解いている。


 その表情が、わずかに変わる。

 穏やかなものから、ほんの少しだけ鋭さを帯びたものへと移行し、瞳の奥に戦術を組み立てる際特有の緊張と集中が同時に宿る。


 魔術主体の構成。

 だが、その中に一人、異質な存在がいる。


 ガントレットを武器にした近接特化。

 素手による打撃を主軸とした、典型的なインファイター。


 総合として見れば実力は拮抗している。

 魔術のみであれば、確実にレティアが上回る。

 だが――距離を詰められた瞬間、話は変わる。


 レティアにとって、最も不得手とする間合い。

 踏み込み一つで一気に戦局が反転する領域。


 その事実を、レティア自身が誰よりも理解していた。


「……なるほどね。これは綺麗に分かれてるように見えて、ちゃんと一枚だけ“引っかけ”が入ってる配置だね。魔術主体で押し切れる構成に見せておいて、近接特化が一人混ざってる。しかもこの位置だと当たるタイミングも嫌なところだし……」


 小さく呟く。

 だが、その声には迷いが混じっていた。


 勝てない相手ではない。

 だが、楽に勝てる相手でもない。


 そして――ここで二位に落ちれば。

 トーナメント初戦で、アリスと当たる。


 それだけは、避けたい。

 どうしても。


 その感情は、言葉にしなくとも十分に伝わるほどに明確で、呼吸のわずかな変化や視線の硬さとして表に現れていた。


 アリスはその横顔を一瞬見ただけで、すべてを理解する。


「レティア」

 短く呼ぶ。


「直接対戦は来週の授業だよね。あの形式だと対面でしっかりやる流れになるし、時間もそこそこ取られるはず」


 レティアが顔を上げる。


「うん、そうだけど……どうしたの? 急にそこ確認するなんて、何か考えてる顔してるけど」


「それまでに、時間あるよね? 放課後も使えるし、自由練習場も空いてる時間あるはずだし」


 アリスはわずかに首を傾ける。


「私と特訓する? 今回の相手、近接に入られた瞬間の処理が鍵になると思うし、そこを潰せばかなり安定する。私ならその間合いは再現できるし、むしろそのための練習としてはちょうどいいと思う」


 一瞬、空気が止まる。


 周囲のざわめきが遠のいたように感じられるほどに、その提案は真っ直ぐで、そして迷いがなかった。


「……いいの? その、時間取らせちゃうし、アリスだって自分の調整あるでしょ。それに私の対策に付き合うってことは……その、結構きつい内容になると思うけど」


 レティアの声がわずかに揺れる。


「うん、大丈夫。むしろその方がいい。私も調整になるし、あのタイプの踏み込みは見てるだけじゃ意味がないから、実際に受けて慣れておいた方がいいと思うし。レティア相手なら遠慮なくやれるからちょうどいい」


 その言葉に、ためらいはなかった。


「……ぜひ、お願い。正直あの間合いは一度ちゃんと潰しておかないと本番で崩されると思ってたし、アリス相手なら再現どころかそれ以上になるだろうから、その方が安心できる」


 ほとんど間を置かず、レティアはそう言った。


 その瞳には、迷いはもう残っていなかった。


 その時、結界上空に淡く広がっていた魔力が一瞬だけ収束し、空気が軽く震えるような感覚とともに拡声の術式が再展開され、透明な波紋のような干渉が演習場全体へと滑らかに広がっていく。

「――本日は各リーグごとに分かれ、一戦目を実施する。移動と準備は迅速に行え、余計な遅延は許可しない」

 ギルベルト教官の声が、指向性を持ったまま空間全体へと均一に行き渡り、耳元で直接囁かれているかのような明瞭さで場の隅々まで届く。


「二戦目以降は来週の授業にて行う。各自、指定されたリーグ別対戦区域へ移動せよ。動線は混雑するが押し合うな、足を止めるな。指示に従え」


 短く、明確な指示。

 余計な言葉は一切ない。


 その瞬間、場の空気が一斉に動き出す。

 静止していたはずの空間に一斉に足音が生まれ、霜を踏み砕く乾いた音と装備が擦れる音が重なり合い、冷たい空気の中でざわめきが一気に膨らむ。


 学生たちはそれぞれのリーグへと分かれ、戦闘区域へ向かい始める。

 流れは整然としているが、その内側には抑えきれない緊張と高揚が混ざり合い、視線の動きや呼吸の速さとして微細に表れていた。


 アリスとレティアも、互いに視線を交わした。


「……じゃあ、また後で。無理はしないでね。でもレティアなら大丈夫だと思うけど、それでも油断だけはしないで。あの配置だと一つ崩れると一気に持っていかれるから」


「うん、わかってる。アリスも気をつけて、そっちはそっちで加減が一番難しいでしょ? ちゃんと抑えながら戦うのも大変だと思うけど、でも――アリスならできるよ」


 それだけの言葉。

 だが、そこに余計なものは必要なかった。


 二人はそれぞれの方向へと歩き出す。

 同じ場所にいながら、別々の戦場へと向かうその足取りは自然で、迷いはなく、それぞれが自分の役割を理解しているからこそ交わることなく分かれていく。


 総合演習という名の戦いが、いよいよ始まる。


 リーグ別の対戦地へと向かいながら、アリスは手元の対戦表にもう一度視線を落とした。

 冷たい空気の中で紙がわずかに震え、その震えが指先に伝わる感触とともに現実を強く認識させる。


 そこに記された順番を静かに追っていく。

 並ぶ名前、配置、対戦順。


 そして――理解する。


 今日の一戦目。

 自分が最初に実施する側であることを。


「……最初、か。流れを作る側になるってことだね。変に長引かせるのも良くないし、かといって一方的すぎても意味がない。バランスは考えないと」


 小さく呟く。

 声は落ち着いている。


 だが、その内側ではすでに戦闘へ向けた思考が静かに回り始めていた。

 距離、間合い、相手の傾向、どの程度で決着をつけるか、そのすべてが無意識のうちに整理されていく。


 視線をさらに下げる。


 対戦相手の名前。


 ――カイル・ネヴィン。


 魔術を主軸とした戦闘スタイル。

 術式の展開速度と精度に優れ、距離を取った制圧戦を得意とするタイプであり、無理に攻めず確実に詰めていく堅実な戦い方が特徴。


 堅実で、無理をしない。

 だがその分、隙も少ない。


「……悪くない相手。ちゃんと戦えばちゃんと返してくるタイプだね。崩し方も単純じゃないし、雑にやると逆に時間がかかる」


 アリスはそう評価し、紙を軽く閉じる。

 指先で一度だけ整え、視線を前へ戻す。


 だが。


 ふと、違和感がよぎる。


 視線を上げる。


 対戦地へと向かう人の流れ。


 本来であれば、同じリーグの者たちだけが移動するはずの導線。

 しかし実際には、その枠を明らかに超えた人数が同一方向へと流れ込んでいる。


 足音が重なる。

 ざわめきが膨らむ。


 まるで別の集団がそのまま流れ込んでいるかのようだった。


「……多い、明らかに多すぎる! リーグ単位の移動じゃない人数が混ざってる? これ完全に見に来てる流れだね」


 アリスは足を止めることなく、周囲を観察する。

 歩調を崩さず、そのまま自然に視線だけを滑らせることで流れの内側を読み取っていく。


 同じ方向へ進む学生たち。

 見覚えのある顔。


 だが、その多くは自分のリーグとは関係のない者たちだ。


 あり得ない数。

 違和感は確信へと変わる。


 耳を澄ます。


 断片的な会話が、冷たい空気の中で拾われていく。


「――やっぱ最初から来るよな。どう考えてもこの流れで外す理由がないし、むしろ最初に見ておかないと後悔するってやつだろ」


「当たり前だろ、見逃すわけないって! あの人の試合だぞ。しかもリーグ一戦目とか一番“素”が出る可能性あるし」


「一戦目からだぞ? 普通なら様子見とかあるだろうに、あの人に限ってはそれがないってのが逆に怖いんだよ」


「いや、むしろ一戦目だからだろ? 最初から基準ぶつけてくるタイプだって前回でわかってるし。ここ外したら何も見えねぇぞ」


 ざわめきの質が、明らかに違う。

 ただの観戦ではなく、明確な意図を持った視線と声が混ざり合い、空気の密度そのものが一段階引き上げられている。


 観戦者のそれ。


 そして、理解する。


 今日、対戦のないメンバー。

 そのほとんどが――


 アリスの試合を見るために、ここへ集まっている。


 視線が、自然と集まる。

 意識的に向けられているわけではないのに、結果として一点へ収束していく圧が、空間そのものに歪みを生むかのように感じられる。


 言葉にされなくとも、その意図は明確だった。


 期待。

 好奇。

 そして、確かめたいという意思。


 そのすべてが、無言の圧力となってアリスへと向けられている。


「……なるほど、見に来てるわけだね。ここまで露骨に集まると、さすがにわかりやすいけど、まあいいかな。どうせやることは変わらないし」


 アリスは小さく息を吐く。

 歩みを止めることはない。


 ただ、ほんのわずかに視線を前へと向け直す。


 その先にあるのは、これから始まる戦場。

 そして――それを見届けようとする、無数の目。


 対戦地に到着すると、既に審判を行う教員が待機していた。

 区画の中央には簡易結界が展開され、淡い光の膜が地面すれすれに揺らぎながら空気をわずかに歪ませ、その境界線が冷気を反射して細かく煌めいている。


 周囲には観戦のために集まった学生たちが半円状に広がり、足場となる霜を踏み固めながら位置を調整し、その外側では記録用の魔導装置が静かに起動しており、淡い光を帯びた記録術式がすでに展開されている。


 空気は冷たい。

 だが、その場だけは明らかに温度が違う。


 張り詰めた緊張。

 視線の集中。

 静まり返ったざわめき。


 すべてが、これから始まる一戦へと収束している。


「――第一試合、準備を開始する。無駄な動きはするな。合図までは静止を維持しろ」


 審判の教員が短く告げる。


「カイル・ネヴィン」


 その名に、一人の学生が前へ出る。

 足取りは一定で、無理な力みはなく、だが踏み出す一歩ごとに霜が細かく砕ける音が静かな空間に響き、その存在感を確実に示していく。


「アリス・グレイスラー」


 続いて、アリスが静かに歩み出た。

 その動きは自然で、余計な力は入っておらず、ただ必要な距離を正確に詰めるだけの無駄のない歩行だった。


 互いの距離が縮まる。


 数歩。


 それだけで、空気が一段と張り詰める。


 カイル・ネヴィンはアリスの前で足を止めた。

 その表情は落ち着いている。


 だが、その奥にある感情は明確だった。


 緊張。

 そして――尊敬。


「……対戦、よろしくお願いします。全力で行きます。胸を借りるつもりで挑みますので、どうか遠慮なくお願いします」


 まっすぐな声。

 余計な力みはない。


 だが、その言葉の一つ一つに、覚悟が乗っている。


 胸を借りる。

 その意志が、はっきりと伝わってきた。


「うん、こちらこそ、よろしく。無理に合わせなくていいから、普段通りで来てくれれば大丈夫だからね。その方がちゃんと見えるから」


 アリスは穏やかに応じる。


 差し出された手を、静かに取る。


 短い握手。


 だが、その接触の一瞬だけで、互いの体温と緊張の質がはっきりと伝わる。


 手を離す。


 同時に、二人は一歩ずつ距離を取る。


 足音が乾いた音を立て、位置が開いていく。


 やがて、それぞれの開始位置へ。


 一定の間隔。

 正対する構え。


 視線が交わる。


 そこにもう言葉はない。


 あるのは、ただ――戦うという意思だけだった。


 両者が待機位置に移動しきるのを見届けた教員が、一歩前へと出る。

 靴底が霜を踏み砕く乾いた音が、静まり返った演習区画に小さく響いた。


 その視線が二人を正確に捉え、周囲を取り囲む観戦者たちのざわめきが、波が引くように消えていく。


 冷たい空気が一瞬だけ重く沈み、時間そのものが凝縮されたかのような静寂が訪れる。


「――これより競技を開始する!」


 拡声術式に乗った声が、結界の内側でわずかに反響する。


「――始め!!」


 その瞬間、結界の内側の空気が一気に押し出されるように弾け、冷気と魔力が混ざり合った密度の高い圧が場全体に走り、霜が細かく砕けて足元から白い粉塵のように舞い上がる。


 カイルは即座に動く。

 一歩踏み込むと同時に両手を胸の前で組み替え、その動作はまるで呼吸と一体化しているかのように滑らかで、次の瞬間にはすでに前方へと掲げられていた。


 動作に一切の無駄がない。

 魔力が収束する。

 空気が震え、足元の霜が細かく砕けて舞い上がり、見えない圧力が一点へと集中することで周囲の空間が歪んだように波打つ。


 詠唱。

 低く、しかし明確な言葉が紡がれていく。

 一音一音が正確で、乱れがなく、魔力の流れと完全に同期したその詠唱は単なる準備ではなく、すでに術式そのものを構築しながら進行している攻撃工程の一部だった。


 収束する魔力が急速に圧縮されていく。

 空気が軋み、微細な振動が地面を伝い、踏み固められた地面の内部にまで振動が入り込むことで靴底越しにわずかな震えが伝わる。


 明らかに――最大火力。

 一撃で勝負を決めるための構成。


 対して。


 アリスは動かない。

 ただ、静かにその様子を見ていた。


 視線は冷ややかに。

 しかし、確実に。


 詠唱という“隙”。

 本来であれば、その瞬間に踏み込み、間合いを詰め、すべてを断ち切る。


 戦場であれば――迷いはない。


 だが。


 ここは学院。

 競技。

 授業。


「……そういうルール、だよね。詠唱を見せるのも含めて戦い方なんだし、ここで潰すのは簡単だけど、それをやったらこの場の意味がなくなるし、カイルのやろうとしてることも全部途中で終わらせることになる」


 心の中で静かに整理する。


「なら、受ける。正面から、逃げずに、崩さずに、ちゃんと競技として成立させる。それでその上で――どうなるかを見せる」


 次の瞬間。


 アリスの魔力が、静かに立ち上がる。


 音もなく。

 揺らぎもなく。

 ただ、自然に。


 ――肉体強化魔フィジカルブースト


 筋繊維の一つ一つに魔力が浸透し、内部から引き締めるように出力が上がり、反応速度と身体制御が一気に引き上げられることで視界がわずかに鮮明になり、空気の流れや霜の粒子の動きすら遅く見える。


 ――物理障壁プロテス


 体表を覆う見えない層が形成され、外部から加わる衝撃を一点で受けず分散する構造が瞬時に組み上がり、打撃や圧力を“受ける”のではなく“逃がす”ための基盤が整う。


 ――魔法障壁シェル


 さらにその外側に、魔力そのものを弾く層が重ねられ、術式干渉を遮断する透明な壁が幾重にも展開されることで、純粋な魔力攻撃に対しての防御が完成する。


 ――俊敏速度向上クイックアクセル


 神経伝達と身体制御が極限まで加速され、一瞬の判断が即座に動作へと変換されることで時間感覚がわずかに引き伸ばされたように感じられ、世界そのものが一段階遅く流れているかのような錯覚を生む。


 四つ。

 同時。

 遅延なし。

 詠唱なし。

 完全並列。

 瞬間展開。


 空気が、わずかに軋む。


 その場にいた者全員が、同時に違和感を覚える。


 “何かが起きた”と理解する前に、それが完了している。


「……は? 今、何が起きた……? いや、動いてないよな……でも空気が変わった……!」


「今の……四重展開? いや、四層……? 同時に……? そんなことあるか……?」


「詠唱、してないよな……? いや、見えなかっただけか……いや違う、あれはそもそも詠唱してない動きだ……!」


 ざわめきが一気に広がる。


「いや、違う……あれ、詠唱してない。完全に無詠唱だ。しかも順番じゃない、同時だ。並列だぞ……!」


「そんなの……成立するのかよ?理論上でも無理だろ、一つでも集中必要なのに四つ同時って……!」


「しかも制御落ちてないぞ。どれも完全に安定してる。どうなってんだあれ……!」


 驚愕。

 理解が追いつかない。


 視線が一点に集まり、空気の密度がさらに上がる。


 だが、その中心で。

 アリスは、ただ静かに立っていた。

どうだったでしょうか。

少しでも楽しんでいただけていれば嬉しいです。


このストーリーは、予約投稿は行わず、出来上がり次第、即投稿していきます。

そのため、投稿時間や日時は未定となります。


次のお話も、これから書きます。

少しずつの更新になりますが、気長にお付き合いいただければ嬉しいです。


本編も引き続き、よろしくお願いいたします。

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