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第六部 第二章 第8話

 特別装甲魔導車両が静かに動き出したのは、雲間から朝日がようやくその姿を覗かせたころだった。

 夜の名残を引きずる薄灰色の空に、淡い黄金色の光がゆっくりと滲み、霧の輪郭を溶かしていく。


 三台の車両は一定の間隔を保ったまま、整然と列を組み、王立学院の敷地を後にした。

 舗装された中央道を抜ける間は、車体の揺れはほとんど感じられない。

 だが、やがて未舗装の林道へと入った瞬間、車輪の下で地面がわずかに軋む音が、低く鈍く車内へ伝わってきた。


 振動制御術式が常時稼働しているため、大きく揺さぶられることはない。

 それでも、細かく断続的に伝わる震動は、学院という日常圏から離れ、未知の地へと踏み込んでいる現実を否応なく意識させた。


 窓外には、まだ霧をまとった深い森が広がっている。

 枝葉の隙間から差し込む朝の光が、白い靄を裂きながら流れ、道の両脇に影を落としていた。

 その森の奥、ところどころに点在するのは、古い魔力遺構の影。

 半ば崩れ落ちた石柱。

 風化した刻印の残骸。

 かつて人と魔が刃を交えた名残が、木々の間から無言で姿を覗かせる。


 そのたびに、アリスの視線は自然と引き寄せられた。

 石に刻まれた痕跡は、まるでこちらを見据えているかのようで、冷えた歴史の気配が肌を撫でる。

 声もなく、動きもない。

 だが確かに、そこには過去が沈殿していた。


 車内は広めの空間が確保され、魔導式の照明と換気装置が、ほのかに青白い光を揺らめかせている。

 座席は黒革張りで堅牢な造り。

 壁際には魔導ライフルや術式対応弾を含む銃火器類が、安全ケースに収められ、整然と並んでいた。

 緊急時には即座に展開できる配置だと、一目で分かる。


 わずかに漂う革と金属油の匂いが、ここが学院の馬車ではなく、軍用の車両であることを強く印象づけていた。


 道中、先導車両では高精度魔力感知装置の投射データが定期的に更新され、前方に異常な干渉がないことを逐一確認している。

 最後尾の車両では、警備担当のナディアたちが小型魔導端末を操作し、周囲の魔力波をリアルタイムで監視していた。

 表示盤の上を流れる複雑な波形が、逆にこの地域の不安定さを強調しているようにも見える。


 中間車両――主調査班と記録班が乗る車両の内部には、静かな緊張と、抑えきれない期待感が同時に漂っていた。


「……昔はこの道、馬車で向かったって記録に残ってますよね」


 記録士エミリア・カリードが、感嘆を滲ませた声で呟く。

 手元の記録板にさらさらと走らせていたペン先を止め、窓の外へ視線を向けた。


「森を抜けるだけでも、丸一日以上かかったとか。今じゃ、こんな車両で数時間……本当に隔世の感があります」


 その言葉に、クラリスが小さく微笑んだ。


「魔導車両の発展は、この十年で飛躍的でしたからね」


 穏やかな口調で続ける。


「特に術式安定装置の実装は、王国技術局の大きな功績です。魔力供給と制御の両立が可能になって、初めてこの速度と安全性が実現しました」


「そうなんですね……」


 エミリアは尊敬の眼差しを向け、少しだけ頬を紅潮させた。


 その隣で、アリスは外の霧深い風景を眺めつつ、小型記録板に自分なりのメモを取り続けていた。

 視界に入る遺構の位置、地形の変化、霧の濃淡。

 無意識のうちに、観察する癖が出ている。


 窓に映る自分の顔は、やや強張っていた。

 呼吸のたびに、白い吐息がガラスに滲み、すぐに消えていく。


 そんな彼女の様子に、そっと視線が注がれた。

 ティアナ・レイス・ロアウが、少しだけ声の調子を落として問いかける。


「どう? 緊張してる?」


 アリスは一瞬だけ視線を戻し、正直に答えた。


「……少し、です」


 そして小さく息を吸い、言葉を続ける。


「でも、それ以上に……知りたいことが多すぎて。気が張ってる、って言った方が近いかもしれません」


 ペンを握り直す指先に、わずかな力がこもる。


「そう」


 ティアナは短く頷き、柔らかな声音で言葉を添えた。


「あなたの“感覚”には、期待してるわ」


 一拍置き、金の瞳を細める。


「焦らなくていい。整理できなくてもいいから、感じたことがあれば、どんなに小さな違和感でも教えてちょうだい」


 その視線は穏やかでありながら、指揮官としての真剣さを帯びていた。

 真正面から向けられたその信頼に、アリスの胸は再び高鳴る。


「……はい」


 短く、しかしはっきりと答える。


「私に分かることなら、全部伝えます」


 その言葉に、ティアナは満足そうに微笑んだ。


 車両は低い駆動音を保ったまま、森の奥へと進んでいく。

 霧は次第に薄れ、代わりに、古い土地特有の魔力の気配が、じわじわと濃くなっていった。


 一方、車両の後部区画では、フロリアとミリエルが魔導兵装の最終点検を行っていた。

 区画内には、金属と魔力が混じり合った独特の匂いが満ち、整備灯の白い光が装甲表面を鋭く照らしている。


 フロリアは膝をつき、魔導兵装の脚部フレームに固定された術式接続端子を指先でなぞり、数値を確認していた。

 ミリエルはその背後で、腕部ユニットの内部に収められた演算結晶の反応を端末に投影している。


「出番がないに越したことはないけどね」


 フロリアが低く呟き、最後に固定ボルトを締める。


「……まあ、バロール級が出るような事態になれば、話は別か」


「その時は、その時でしょ」


 ミリエルは肩をすくめながらも、視線は端末から離さない。


「“あれ”を試すチャンスってことで。新型エッジ・シンクユニット、ちゃんと通電してる?」


「もちろん」


 フロリアは即答し、装甲の内側に埋め込まれた発光ラインを一瞥する。


「同期率も安定してる。起動遅延、零点三秒以内。……抜かりなしよ」


「なら問題なしね」


 軽口を叩き合いながらも、二人の手の動きに迷いは一切なかった。

 確認、固定、再確認。

 戦場を幾度もくぐり抜けてきた者同士の、言葉にしなくても通じる呼吸。

 そこにあるのは緊張ではなく、深い信頼だった。


 午前九時を少し回った頃――

 特別装甲魔導車両は、学院演習地跡の外縁部に設けられた仮設駐屯地点へと到着した。


 車両が停止すると同時に、外から微かな振動と共に森の音が戻ってくる。

 周囲には、かつての訓練で使用された標的の残骸や、風雨に晒され風化した魔力演習碑が点在していた。

 刻印の一部は欠け、苔と蔦に覆われながらも、確かにここが「演習地」であったことを物語っている。


 広い平地の中央では、先行して展開していた近隣警備隊がテントの基礎設営を進めていた。

 木槌が杭を打ち込む乾いた音。

 短く交わされる掛け声。

 そのすべてが、静かな森に規則正しく響いている。


 指定された駐屯地点は、露出した平坦な岩地だった。

 地表には魔力拡散を抑える簡易陣が刻まれ、淡い光が幾何学模様のように浮かび上がっている。


 車両の扉が開くと、冷えた外気が一気に流れ込んだ。

 湿り気を帯びた空気が肺に入り、吐息は瞬時に白く染まる。


「気温は十八度台」


 セシリア・グレオール准尉が術式感知器を確認しながら告げる。

 その声は冷静で、無駄がない。


「日中も大きくは上がらないでしょう。防寒層は軽装で維持。汗冷えに注意してください」


 即座に視線を巡らせ、指示を続ける。


「調査機材を降ろし次第、外周から順に術式残留の有無を検知します」


「エミリアさん、記録体制の最終確認を」


「はい。記録板、投射結晶、すべて展開準備完了しています」


「護衛班、展開地点の視界と魔力感知範囲の確認を。速やかに」


「了解!」


 騎士団員たちが次々と車両を降り、所定の位置へ散開していく。

 その動きは迅速で、無駄がない。


 そして――

 轟音と共に、ひときわ異質な存在が姿を現した。


 魔導兵装をフル装備した、ティアナ騎士団の三名。

 重装甲の脚部が地面を踏みしめるたび、低い振動が岩地を震わせる。

 装甲の存在感は、周囲の空気そのものを支配するほどだった。


 彼女たちの装備は、多目的戦闘魔導兵装《G-M19/EX・フルバリアント》。

 防御重視の複合装甲。

 内蔵された魔力変換器と干渉遮断コア。

 肩部には展開型術式ブースターを備え、主兵装はマルチスロット対応の魔導ライフル。

 戦場での臨機応変な対応を前提に設計された、実戦特化の重装型外骨格だった。


 その姿を目にし、魔術師団員の中から思わず息を呑む気配が漏れる。


「……すごい」


 誰かが、抑えきれずに呟いた。


「これが、ティアナ騎士団の精鋭……」


 三名は前へ進み出て、揃って敬礼を送る。

 代表してナディア・フェルグリッド中尉が一歩前に出た。


「ティアナ騎士団、近隣警備兼有事対応班」


 一呼吸置き、明瞭な声で続ける。


「魔導兵装部隊三名。ただ今より、指定区域への配置に就きます」


 甲冑越しでありながら、その声には揺るぎない力が宿っていた。


 セシリアは即座に応じる。


「ナディア中尉、南東側の尾根沿いへ展開を」


「術式探知の死角になりやすい地点です。警戒を最優先してください」


「ミリエル准士官は北側林縁部へ」


「フロリア軍曹は西側丘陵下。索敵を優先し、接敵時は即座に遮断陣を展開。その上で応援要請を」


「了解!」


 三人は一糸乱れぬ動きで散開し、それぞれの持ち場へと向かっていった。

 重厚な装備の背が揺れ、朝の光を鈍く反射する。


 その様子を見送りながら、セシリアは配置記録に視線を走らせ、次の工程へ意識を切り替える。


「――では次に、術式探知班と観測機器班。順次配置につきましょう」


 そして、アリスとクラリスに視線を向ける。


「クラリスさん、アリスさん。石碑ポイントまでの移動は十五分後を予定しています」


 ティアナは二人のもとへ歩み寄り、小さく頷いた。


「ここからが本番よ」


 一瞬だけ視線を遠くへ向け、続ける。


「……あの“碑”の前で、何かを感じたら、迷わず教えて」


「……はい」


 アリスは深く頷き、胸の奥で静かに息を整える。


 霧の向こう――

 その影は、確かにあった。


 見覚えのある石碑が、ひっそりと、再び彼女を待っていた。

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