第五部 第一章 第6話
激戦のあと、アリスたちは荒れ果てた戦場の中央に立ち尽くしていた。
倒れ伏した《ロックホーン・バジリスク》と中型魔獣たちの巨躯が、無秩序に地面を覆っている。
砕けた甲殻、焼け焦げた草、魔力に焼かれた土の匂いが混じり合い、まだ湿り気を残す風に乗って鼻腔をくすぐった。
空には薄く煙と土埃が漂い、傾き始めた斜陽がそれを淡い橙色に染め上げている。
アリスは周囲を一瞥し、短く指示を出した。
「……まずは周囲の安全を確認」
ザックが無言で頷き、一歩前へ出る。
すぐに《アナリシス・フィールド》を再展開すると、淡い魔力の波紋が地表を這うように広がり、森の奥へと溶け込んでいった。
数秒の解析ののち、彼は端末を閉じる。
ザックが報告する。
「反応なし。南東からの強反応も完全に消失してる。今は安全圏だ」
その言葉を合図に、アリスは肩の力を少し抜き、丘の上を示した。
「よし。じゃあ、ここまで移動しよう」
全員を見渡して続ける。
「ここで一度、小休止を取るよ。各自、負傷と装備の確認を」
四人はそれぞれ腰を下ろし、戦闘で荒れた呼吸を整えながら動き出した。
ミレーネは真っ先に救急用の小型ポーチを開き、ラースの左前腕を取る。
双剣を振るった際に受けた浅い裂傷が、汗と土で汚れていた。
ミレーネが優しく声をかける。
「深くはないけど……少ししみるかもしれない」
術式を組み、静かに詠唱する。
「《クレア・リカバー》」
柔らかな光が傷口を包み込む。
ラースは一瞬だけ顔をしかめたが、すぐに息を吐いて力を抜いた。
ラースが軽く肩を回す。
「助かる……これで動きは問題ないな」
アリスも自分の膝に目を落とす。
戦闘中についた軽い擦過傷を見つけ、飲料水で洗い流してから簡易包帯を巻いた。
土埃と汗が混ざった匂いが鼻を突くが、それもまた戦場を抜けてきた証だった。
ザックは黙々と腰のポーチを開き、予備の魔力結晶を取り出す。
ひとつひとつ魔術具に装填していき、幻影用の水晶を手に取った。
表面はわずかに曇り、内部の魔力残量は半分以下に落ちている。
ザックが現状を共有する。
「幻影系は、次の接触があれば長時間は持たないな」
ラースは双剣を膝に置き、刃先を確かめるように指でなぞった。
金属の感触の違いに、眉をひそめる。
ラースが低く呟く。
「双剣の刃は……片方が小さく欠けてる。研ぎ直しと修理が必要だ」
ミレーネも自分の装備を確認し、掌に乗せた小型魔石へ視線を落とす。
淡く光る魔石の輝きは、すでに心許ない。
ミレーネが静かに報告する。
「私の防御結界触媒、残り二回分。予備は……ないわ」
アリスは杖先の魔導石を軽く叩き、内部を流れる魔力の脈動を感じ取った。
出力は安定しているが、消耗は確実に積み重なっている。
アリスが全体を見渡し、冷静に告げる。
「……全体で八割方は消費してるわね」
少し間を置き、続けた。
「帰還までの残り行動は、無駄撃ちできない。慎重に進もう」
四人はそれぞれ頷き、次の行動に備えて静かに準備を続けた。
そんな中、通信珠が淡く光を帯びた。
掌の内で小さく震え、軽い共鳴音とともに、張りのある教官の声が響く。
《こちら第七演習本部。全班、進捗と現状を報告せよ》
一拍置いて、通信が立て続けに重なる。
《第六班、反応消失地点の座標を確認せよ》
《第十二班、負傷者が出たとの報告あり。位置を知らせろ、回収班を向かわせる》
通信珠越しに聞こえてくるのは、複数の班の声。
息を荒げた報告、簡潔な応答、切迫した調子で座標を告げる声――演習とはいえ、戦場の緊張感がそのまま伝わってきた。
アリスは通信珠をしっかりと握り、姿勢を正す。
周囲を一度だけ見渡し、明瞭な声で応答した。
「こちら第十五班。丘陵西部にてブラッドハウンド群三体を排除後、南東斜面で大型危険種および随伴中型三体を殲滅しました」
息を整え、続ける。
「班員四名、全員無事。擦過傷軽度、装備に一部損耗あり。現在は安全圏にて小休止中です」
最後に付け加える。
「戦闘位置および殲滅確認座標を、これより送信します」
通信珠が一瞬強く光り、データ送信の反応を示す。
少しの間を置いて、教官の声が返ってきた。
《確認した。よくやった、第十五班》
声音は、先ほどよりわずかに柔らいでいる。
《初回にしては上出来だ》
その一言に、ラースとザックが顔を見合わせた。
張り詰めていた空気が、ほんの少し緩む。
ラースが小さく息を吐き、呟く。
「……褒められたな」
ザックが肩をすくめ、苦笑混じりに返す。
「珍しいな。本部がここまで素直なの」
ミレーネもくすりと笑い、視線を通信珠へ向けた。
数分後、再び通信珠が震える。
今度は、全班向けの通達だった。
《全班に通達》
教官の声が、はっきりと響く。
《目標地域の初期掃討および危険種排除を確認。天候と日没の関係から、本日の演習はここで終了する》
一拍。
《各班、指定の帰還地点へ移動を開始せよ。第七演習門へ向かえ》
通信が切れ、珠の光がゆっくりと収まった。
アリスは短く頷き、仲間たちを見回す。
アリスが告げる。
「聞いた通り、撤収するよ」
一人ひとりの顔を確認しながら続けた。
「休息はここまで。移動開始。足元、気をつけて」
ラースが即座に応じる。
「了解!」
ミレーネが軽く手を挙げる。
「りょーかい」
ザックが肩を回しながら本音を漏らす。
「帰ったら、まずは風呂……それだけは譲れない」
その言葉に、アリスの口元も自然と緩んだ。
戦場から解放された安堵が、わずかな笑い声となって広がる。
帰還の道は、行きよりも静かだった。
掃討を終えた丘陵は、つい先ほどまでの殺気が嘘のように穏やかだ。
すれ違う他班の面々とも、言葉少なに手を挙げて労をねぎらう。
互いの無事を確認するだけで、十分だった。
夕焼けが丘陵を長く染め上げ、空気にひんやりとした夜の気配が混じり始めるころ、
第七演習門が視界に現れる。
夕焼けに染まった広場では、各班の生徒たちが次々と戻ってきていた。
すでに報告を終えた班は思い思いに腰を下ろし、
戦果や反省点を語り合いながら、静かに疲労を癒している。
第十五班も、その流れの中へと合流していった。
やがて、最後の班が演習門をくぐり、全員が広場に揃った。
ざわめきが徐々に収まる中、教官が一歩前に出て、全体を見渡す。
教官が低く告げる。
「全班、揃ったな」
一瞬の間を置き、続けた。
「初回の実地演習としては、全体的に良好な結果だ。致命的な失敗はなく、各班とも判断と連携は合格点に達している」
その声が一段低くなり、空気が引き締まる。
教官が言葉を区切る。
「だが――」
鋭い眼光が生徒たち一人ひとりを射抜いた。
「本当の戦場では、一瞬の油断が命取りになる。今日の成功を過信するな」
さらに続ける。
「失敗の中から学ぶ者こそが、生き残れる者だ。各自、記録と魔力測定を提出し、今日の内容を明日までに報告書としてまとめて提出せよ」
広場に、わずかなどよめきと緊張が戻る。
教官が最後に告げた。
「以上。今日の演習はこれにて終了。撤収」
その一言で、張り詰めていた空気が一気に解けた。
ラースが大きく息を吐く。
「……ふー、終わったぁー!」
ミレーネが肩を落とし、少し苦笑する。
「やっぱり実地は疲れるね……体力もだけど、精神的にも」
アリスもその言葉に頷き、ゆっくりと深呼吸をした。
(でも、これが始まり。私たちは、ここからもっと……)
視線の先、夕暮れに包まれた学院の方角。
そこには、まだ見ぬ挑戦と試練が待っている。
そしてそれは間違いなく――
誰かを守るための、確かな力へとつながっていく。
学院へと戻る道すがら、魔導馬車に揺られる車内は、心地よい疲労と達成感に包まれていた。
車輪の振動が規則正しく伝わり、夕焼けが窓から流れ込む。
ミレーネがふと思い出したように言う。
「……私、今日だけで十回は魔術使った気がするわ」
ラースが即座に笑って返す。
「もっと使ってると思うけどな。俺たち全員」
ザックは膝の上でメモ帳を広げ、ぱらぱらとページをめくる。
ザックが淡々と報告する。
「実は、使用回数を記録してたんだ」
一同の視線が集まる。
ザックが続ける。
「アリスの《レイ・スパーク》だけで十二発。連携行動中の誘導指示が七回」
さらに視線を落としながら。
「ラースは前衛斬撃で八回の接敵。ミレーネは防御展開が五回、治癒術が三回」
最後に自分を指さす。
「僕は……幻影術だけで六回かな」
ミレーネが目を丸くする。
「ちょっ……地味に全部記録してるんだ……」
ラースが苦笑しながら肩をすくめる。
「凄いけど、ちょっと引いた……」
アリスは思わず苦笑しつつも、どこか安心したように小さく頷いた。
アリスが穏やかに言う。
「みんな、本当にお疲れさま。初めてとは思えないくらい、いい連携だったと思う」
ミレーネが素直に頷く。
「うん。アリスが指示をくれたから、すごくやりやすかった」
ラースも続ける。
「指揮系統がしっかりしてると、前に出る側も迷わなくて済むしな」
馬車が学院前で止まり、扉が開く。
学院に到着すると、他の班の生徒たちも続々と馬車を降り、演習場や記録提出室へと向かっていった。
それぞれが疲労の中にも、確かな手応えを滲ませている。
アリスたちも、自分たちの魔術ログと行動記録をまとめた書類を手に、教官室前の提出箱へと足を運んだ。
ミレーネが小声で確認する。
「レポート、明日の正午までだったよね……」
ザックが頷く。
「うん。今夜中にまとめたほうがいい。記憶が鮮明なうちに」
ラースが冗談めかして言う。
「俺が書くと、“実践派の目線”が強くなりすぎるかもな」
ミレーネが即座に突っ込む。
「なんだと」
すぐに笑顔で続けた。
「ふふ、私は治癒術のタイミングについてまとめてみるわ」
仲間たちと別れ、寮へと戻ったアリスは、自室で制服の上着を脱ぎながらベッドに腰を下ろす。
身体の奥に残る疲労とともに、今日の出来事が静かに脳裏を巡った。
(このメンバーなら、次もいける)
そう確信できる演習だった。
そして、翌朝――
講義棟の実習室には、演習に参加した全班の生徒が集められていた。
石造りの壁に囲まれた室内は静まり返り、昨日の戦場とは対照的な、張り詰めた空気が漂っている。
前方の演台には教官が立ち、卓上に並べられた水晶端末と書類に目を落としていた。
一人ひとりの記録、魔力消費量、戦闘時の行動ログ。
それらを照合しながら、順に講評が進められていく。
やがて、教官の視線が第十五班の席に向けられた。
教官がはっきりと告げる。
「第十五班」
室内に、わずかな緊張が走る。
教官は端末を操作しながら続けた。
「初回にしては、隊列と指示系統の構築が良好だ。無駄な動きが少なく、班としての統制が取れていた」
一拍置き、名を呼ぶ。
「特に、班長アリス・グレイスラー」
アリスは背筋を正し、視線を前に向けたまま、静かに話を聞く。
教官が評価を続ける。
「迅速な状況判断と対応力は評価に値する。索敵結果の反映、役割分担の明確化、いずれも的確だった」
そして、わずかに声色を変えた。
教官が指摘する。
「今後は、想定外の状況――通信断絶、戦力欠損、予期せぬ乱入に対する柔軟性を高めると、さらに良くなるだろう」
小さく、ざわめきが起こる。
感心の混じった視線や、納得したような頷きが、周囲からアリスへ向けられた。
当の本人は、椅子に座ったまま静かに頭を下げる。
アリスが短く答える。
「ありがとうございます」
それ以上、言葉を重ねることはしなかった。
評価を受け止め、次に進むための糧として胸に刻む。
――始まったばかりの、実地演習。
これはまだ序章に過ぎない。
次は、どんな戦場が待っているのか。
どんな判断を迫られ、どんな選択をすることになるのか。
アリスは机の下で、そっと拳を握った。
力を込めすぎない、しかし確かな意志を込めた動作。
(もっと強くなろう)
胸の奥で、言葉が形を取る。
(守るために。進むために)
顔を上げたその瞳の奥には、もう迷いはなかった。
前を見据える蒼の視線は、これから先に待つ試練を、静かに受け入れる覚悟を宿していた。




