第五部 第一章 第5話
「ザック、周囲の反応は?」
低く抑えたアリスの声に応じ、ザックが一歩前に出る。
短く息を整えると、即座に《アナリシス・フィールド》を再展開した。
淡い魔力光が空気を撫でるように広がり、彼の瞳の奥に一瞬、解析用の輝きが宿る。
周囲に満ちる魔素の流れが平面ではなく立体として把握され、地形と重なるように脳内へ流れ込んでいく。
数秒、わずかな沈黙ののち、ザックの表情がはっきりと険しくなった。
「……南東方向に強い反応。距離は三百五十前後。中型反応が三……それに……もう一つ。明らかに数値が違う。異常値だ」
「まだいるのか……」
ラースが低くつぶやき、自然と剣の柄に指を掛ける。
「このタイミングで増援は厄介ね」
ミレーネも表情を引き締め、視線を南東の森影へ向けた。
「放置すれば、後続の班と遭遇する可能性が高いわ。下手をすれば挟撃になる」
アリスはその言葉を受け、ほんの一瞬だけ思考を巡らせる。
地形、距離、班の疲労度、敵の規模。
必要な要素はすでに揃っていた。
「……休憩はここまで。南東へ回り込んで先制する。布陣はこれまでと同じ。ただし、接触前に索敵と幻影を併用する」
一度、全員の顔を見渡す。
「長引かせない。短時間で終わらせる」
「了解」「任せて」「やってやるさ」
返事は一拍も遅れず揃った。
それぞれの声に覚悟と信頼が滲んでいる。
ザックが即座に地形図を投影し、進路を指し示した。
「南東へ直進すると尾根沿いに出る。ここは見通しが良すぎて逆に危険だ。この丘陵の西側斜面を経由して谷を抜ける。多少遠回りになるが、遮蔽物が多い。回り込むならここが一番安全だ」
「なるほど。死角を使って接近するわけね。悪くない判断だわ」
湿った風が頬を撫で、草木の葉先をかすかに揺らした。
丘陵の稜線の向こう、南東の森影は静まり返っているようでいて、不自然なほど音が少ない。
そこに、また新たな脅威が潜んでいる。
アリスたちは互いに視線を交わし、合図もなく動き出した。
足音を極力殺し、影から影へと溶け込むように進んでいく。
その後、第十五班はザックの指示通り、《シュトラード丘陵地帯》の西側斜面へと進路を取った。
なだらかに見える地形とは裏腹に、この一帯は未踏の区域が多く、正式な調査記録も少ない。
今回の任務では、敵排除だけでなく、地形と魔力環境の把握も重要な目的に含まれていた。
「……この辺り、地図が少しあいまいだな」
ザックは歩きながらマップを確認し、魔導端末を操作する。
「谷になってるみたいね」
ミレーネが目を細め、前方の林を指差す。
「でも、草も木も背が高いから、見通しはあまりよくないわ」
アリスは答えず、周囲の風と魔力の流れに意識を集中させる。
空気が、わずかに重い。
湿気だけではない。
魔素の流れが自然とは異なる淀みを帯びている。
(……いる)
「一度、止まろう」
アリスが手を挙げると、班は即座に動きを止めた。
「どうした?」
ラースが周囲へ警戒を向けたまま低く尋ねる。
「……この先、多分“魔物のねぐら”になってる。反応が重なってる。数が多い可能性がある。気をつけて進もう。ザック、偵察をお願い」
「了解。《シルエット・タグ》、展開」
ザックの魔術によって、半透明の偵察タグが複数浮かび、林の中へと飛んでいった。
やがて、情報が返ってくる。
「……多数反応あり。五体、いや六体。大型の獣型。しかも……一体は反応が明らかに異常、警戒すべき対象だ」
「強化個体、かもしれないね」
アリスが顔を引き締める。
「回避する?」
ミレーネの問いに、アリスは小さく首を横に振った。
「進もう。今後、ほかの班が通る可能性もある。ここで排除しておいたほうがいい」
彼女は素早く手を動かし、地形図と班の位置を重ねて確認する。
「ラースは左斜面から接近して陽動、私が正面で釣る。ミレーネは後衛に回って防御と回復。ザックは幻影と情報支援を」
「了解」「任せて」「やってやるさ」
全員が即座に反応する。
言葉数は少ないが、そこには揺るぎない信頼があった。
作戦開始。
合図を交わす必要はなかった。
全員が同時に理解し、同時に動き出す。
アリスが一歩踏み込み、魔力を流して草叢を大きくかき分けた。
絡み合った蔦と背丈ほどの草が、不自然な揺れ方で左右に裂ける。
次の瞬間、闇の奥から獣の気配が跳ね上がった。
姿を現したのは、黒い毛並みを持つ大柄な魔獣――《ブラッドハウンド》の変異種。
血走った瞳が光を捉え、濁った唸り声が喉の奥で鳴る。
アリスが即座に声を張り上げる。
「来るよ!」
その叫びと同時に、三体の魔獣が地面を蹴った。
腐臭混じりの息を吐きながら、一直線に距離を詰めてくる。
アリスは構成式を展開し、即時詠唱に移る。
「《イグニス・ダーツ・バースト》!」
無数の火矢が空中に展開され、弧を描いて放たれた。
着弾と同時に地面が焼け、炎の帯が魔獣の進路を分断する。
一体が咆哮を上げ、炎を強引に突き抜けた。
焦げた前脚を引きずりながらも、勢いを殺さず突進を続ける。
その死角へ、ラースが低い姿勢で回り込む。
踏み込みと同時に剣を振り抜いた。
「《エッジ・ブレイク》!」
鋭い斬撃が背後から叩き込まれ、硬い筋肉ごと肉を断ち裂く。
魔獣は悲鳴を上げ、地面に転がった。
だが、その瞬間――
林の奥から、空気を震わせるような重い咆哮が響く。
異変を察知したザックが声を上げる。
「……! 来た、異常個体!」
姿を現したのは、明らかに別格の存在だった。
通常の倍はあろうかという巨体。
《ブラッドハウンド・アッシュ》――灰色の煙のような魔力を全身にまとい、裂けた肉が即座に塞がっていく。
アリスは一瞬で状況を把握する。
「ミレーネ、防御強化!」
ミレーネが即応し、術式を展開する。
「了解。《フォース・アンカー》!」
淡い光の膜が形成され、班全体を包み込んだ。
アリスは視線をザックへ向ける。
「ザック、再生阻害系の情報を急いで!」
ザックは魔導端末を展開し、解析魔術に集中する。
「了解。《アナリシス・フィールド:解析特化》!」
アリスは一歩踏み込み、空中に複雑な構成式を描いた。
火と雷、二系統の干渉計算を即座に再構築する。
「──《エッジ・スパーク改・震雷式》!」
火と雷を複合した中距離術式が解き放たれる。
閃光と轟音。
術式は灰色の魔獣の体を貫き、内部から焼き裂いた。
だが、魔獣は止まらない。
灰色の煙が渦を巻き、裂けた肉が無理やり縫い合わされていく。
ザックが解析結果を叫ぶ。
「再生速度が異常に速い! 通常の破壊じゃ追いつかない!」
(なら、動きを止めて――)
アリスは即座に判断を下す。
「《エリア・ジャマー(簡易)》、展開!」
空間の魔力配列が歪み、地面そのものが不安定になる。
魔獣の脚運びが乱れ、突進が大きく鈍った。
その隙を、ラースは見逃さない。
剣を逆手に持ち替え、魔核近傍へ踏み込む。
ラースが叫ぶ。
「終わりだ! 《ヴェノム・スラスト》ッ!」
毒性魔力を帯びた刺突が、脇腹へ深々と突き刺さる。
再生が止まり、巨体が大きく痙攣した。
断末魔のような咆哮。
灰色の煙が霧散し、魔獣は崩れるように地へ伏す。
森に、静寂が戻った。
戦闘終了。
四人はその場で足を止め、荒れた空気の中で短く息を整えた。
焦げた土の匂いと、まだ残る魔力の余波が、森の空気を重くしている。
アリスが周囲を見渡し、仲間の様子を確認する。
ミレーネが少し肩の力を抜きながら口を開いた。
「……全員、無事だよね」
ラースが息を吐き、肩を回しながら応じる。
「ふう……今回のは、ちょっと手強かったな」
ザックが魔導端末を閉じ、苦笑気味に言った。
「でも、リーダーの判断が早かったから、全員無事で済んだよ」
ラースが即座に頷き、アリスを見る。
「さすがだよ、アリス」
アリスは少しだけ照れたように微笑み、静かに頷いた。
――その直後だった。
ザックが鋭く顔を上げ、声を張り上げる。
「……来る! 南東方向から、さっきの強反応だ!」
アリスの表情が即座に引き締まる。
「距離は?」
ザックが即答する。
「二百に縮まった。中型三、それと……異常個体一。反応がかなり重い。たぶん、重装甲型だ」
丘陵の向こうから、木々をなぎ倒す重低音の衝撃が連続して響いた。
乾いた枝の破裂音、岩を砕く鈍い轟音。
それらが近づくたび、胸の奥まで振動が伝わり、自然と鼓動が早まる。
ミレーネが結界用の魔具を強く握りしめる。
ラースは双剣を逆手に持ち替え、足場を確かめた。
アリスは一度だけ深く息を吸い、短く指示を飛ばす。
「迎撃布陣。ラース、左から回って一体目を押さえて」
視線をザックへ向ける。
「ザックは中距離から幻影と視界妨害」
続いてミレーネを見る。
「ミレーネは後衛中央。私のカバーに専念して」
一拍置き、最後に付け加えた。
「異常個体は、私が引き受ける」
茂みを押し分けるようにして姿を現したのは、岩塊そのもののような巨獣。
《ロックホーン・バジリスク》。
全身を覆う灰黒色の重甲殻は刃や矢を弾き、外殻の亀裂には淡く魔力が滲んでいる。
前肢の鉤爪は岩をも削り砕く厚みを持ち、頭部の双角には収束した電撃が走っていた。
その背後には、中型魔獣が三体。
獰猛な咆哮を上げながら列を組み、バジリスクの影のように迫ってくる。
ラースが前に出て声を張る。
「来るぞ――!」
第一波は中型三体。
ラースは《パワーギア》で筋力を底上げし、正面から一体を受け止めた。
金属音に似た衝撃。
双剣の刃が火花を散らす。
アリスが《イグニス・ダーツ》を連射し、二体目の動きを止める。
ミレーネは後方から《フォース・アンカー》を展開し、三体目を地面に縫い止めた。
その隙を突き、ラースの斬撃が二体を切り裂く。
――だが、その刹那。
空気を押し潰すような衝撃音が轟いた。
バジリスクが地面を抉る勢いで突進し、アリスが立っていた位置を一瞬で薙ぎ払う。
土煙が弾け、岩壁が粉々に砕け散った。
飛び散る破片が弾丸のように迫る。
ミレーネが即座に術式を展開する。
「《シールド・シェル》!」
防御障壁が広がり、味方を守った。
ラースが歯を食いしばる。
「硬い……!」
斬撃は甲殻に阻まれ、逆に衝撃で弾き飛ばされる。
着地した足元が土砂で滑り、態勢を立て直す間もなく二撃目が迫った。
アリスが即座に叫ぶ。
「ラース、離脱!」
ラースは後方へ跳躍する。
直後、鉤爪がその場を抉り、地面に深い溝を刻んだ。
ザックの声が共有回線に響く。
「装甲の隙間は胸下部と後頸部! 魔力の流れが薄い!」
アリスは即座に応じる。
「了解」
構成式を再編し、魔力を集中させる。
「──《エッジ・スパーク改・貫雷式》!」
雷を纏った貫通術が、甲殻の継ぎ目へ突き刺さる。
魔力の火花と焦げた匂いが広がった。
それでも、バジリスクは突進を止めない。
(……止めきれないなら、動きを奪うしかない)
アリスは魔力を脚へ集中させ、敵の死角へ回り込む。
「《エリア・ジャマー(簡易)》、展開!」
空間魔力を乱す結界が広がり、バジリスクの脚運びがわずかに鈍った。
アリスが声を張る。
「今だ、ラース!」
ラースは渾身の踏み込みと共に《ヴェノム・スラスト》を放つ。
毒と魔力を乗せた刺突が胸部の隙間を抉り、黒い体液が飛び散った。
バジリスクが暴れ、周囲の木々をなぎ倒しながら吠える。
ミレーネが即座に回復術を展開する。
「《クレア・リカバー》!」
ザックは追加で術式を重ねた。
「《サイレント・バースト》!」
咆哮が遮断され、魔獣の動きがさらに乱れる。
アリスは最後の詰めに移った。
「――《イグニス・ダーツ・バースト》、全出力!」
炎と雷が渦を巻き、装甲内部へ焼き込まれる。
巨体が痙攣し、両角の光が弾け、やがて力が抜けたように崩れ落ちた。
静寂。
鼻をつく焦げた匂いと、微かな土埃の味。
ザックが状況を確認し、報告する。
「……全滅、確認。異常個体も沈黙」
アリスは深く息を吐き、仲間全員の顔を順に見渡した。
視線が交わり、全員が小さく頷く。
アリスが告げる。
「よし……次の行動に移ろう」
戦場の余熱がまだ肌に残る中、第十五班は再び前進を開始した。




