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第五部 第一章 第4話

 丘の上――高所の岩場を利用して展開していた第五班が、複数体の魔物に押されるようにして後退を始めていた。


 防御結界を張っているのは細身の男子生徒。

 額には汗が滲み、展開した防壁が魔物の牙を受けるたび、表面に波紋のような揺らぎが走る。

 「くっ……持たない……!」

 生徒の声が震えている。


 もう一人は片腕を負傷した仲間を肩で支え、足場の悪い岩場を必死に下がっている。

 「やばい……後ろ、崖だぞ! 退けない……!」


 「……他班が苦戦してる。第五班、三名……後衛の一人が負傷」


 ザック・ミルドレイの《アナリシス・フィールド》が、上空から見下ろすかのような詳細な戦況を浮かび上がらせ、その情報が《マインドリンク》経由でアリスの耳に直接届く。


 視界に映るわけではないのに、戦況が“脳裏で見える”。

 緊迫した呼吸、結界のきしむ音、魔物の唸りすべてが共有されている感覚。


 「このままだと囲まれる。放っておけないね」


 アリスの声は静かだが、瞳には明確な決意が宿っていた。


 仲間全員が即座にうなずく。


 「救援行く?」

 ラース・エルヴァンは既に双剣に手を添え、踏み込みの姿勢に入っていた。


 「うん。でも正面から突っ込むのは危険。丘の斜面を回り込んで、側面から挟撃する」


 アリスは呼吸をひとつ整え、淡々と言葉を続けた。


 「ミレーネは支援準備、ザックは位置誘導。私は先行して隙を作る」


 「了解――行動開始」

 ラースが短く返し、顎を引いた。


 「任せて。後方からは私が守るわ」

 ミレーネ・フォルトナーが胸元の触媒を握り、術式展開のリズムを整える。


 「誘導データ、班全員へリンク……《マインドライン》接続完了」

 ザックの声は落ち着き、視線は既に地形図の中へ没入している。


 四人は草木の陰に身を潜め、丘陵の斜面を滑るように移動する。


 足裏に伝わる湿った土の感触、折れた枝のかすかな音――

 どれも敵に悟られないよう、極限まで抑えられていた。


 風が低く唸り、草木がわずかに揺れる。

 その度にアリスは仲間の動きを手で制し、最良のタイミングで再び進める合図を出した。


 ラースが低く囁く。

 「敵との距離、あと四十……いや三十五メートル。丘の影に入ったら、すぐ接敵だ」


 「ザック、第五班の現在位置は?」

 アリスが問いかける。


 「崖の手前、横幅三メートルほどの平場。動けない……このままじゃ追い詰められる」

 ザックの声がわずかに強まる。

 「アリス、急いだほうがいい」


 「分かった。ラース、私と一緒に先行する」

 「……ああ」


 ミレーネが小さな声で言った。

 「アリス、気をつけて。私、すぐ後ろから結界展開するから」


 アリスは振り返らずとも微笑むような声で応えた。

 「ありがとう。みんなの支援があるから、怖くないよ」


 そして、アリスは草陰から身を乗り出し、斜面の向こうの光景を睨む。


 ――魔物の唸り。

 ――第五班の悲鳴。

 ――きしむ結界の音。


 風が、一瞬だけ止まった。


 「……行くよ。救援開始」


 アリスの声が落ちた瞬間、

 四人は同時に斜面を駆け上がった。



 やがて、魔物の群れの側面に回り込んだタイミングで、アリスが低く手を挙げる。


 「今。全力でいくよ!」


 その声と同時に――


 「《イグニス・ダーツ・連射》!」


 アリスの右手から連続して火矢が射出され、

 ボッ、ボッ、と爆ぜる空気の振動が耳の奥まで響いた。

 熱い風が頬をかすめ、草葉の水滴が蒸気となって弾け飛ぶ。


 放たれた炎矢は弧を描き、敵群の中央へ一直線。

 着弾と同時に――小規模ながら鋭い爆発が連続し、

 焦げた毛の匂いと共に火花が散った。


 「ギャッ……!」

 魔物の悲鳴が重なり、群れが一瞬たじろぐ。


 「こっちだ、こいよ!」


 ラースが双剣を抜き放つ音が、風を裂くように鋭く響いた。

 正面から突進してきた魔物の爪を、一閃で受け止める。


 ガギィン!!


 刃と爪がぶつかり、甲高い金属音が岩場に反響する。

 火花が飛び散り、ラースの足元の石が微かに砕けた。


 「おらっ、下がってろ!」


 ラースは力を流すように受け止め、

 身体の軸をわずかに傾けて相手の勢いを殺し、

 逆手の剣を下から突き上げた。


 「グガァッ!」


 魔物がのけぞる。


 後方では、ミレーネが負傷した第五班の後衛へ駆け寄る。

 砂利を蹴る音すら軽く、一直線に――。


 「《クレア・リカバー》!」


 緑がかった治癒光が負傷箇所を包み込み、

 裂けた皮膚がみるみるうちに塞がっていく。


 「……あ、動く……腕が動く……!」

 生徒が驚きと安堵の入り混じった表情で息をついた。


 「深呼吸して。痛みはすぐ消えるわ」

 ミレーネの声は柔らかく、落ち着いていた。


 「第五班、後衛回復完了。戦闘続行可能」


 その報告が耳に入ると同時に――

 ザックの声が《マインドリンク》で響く。


 『挟撃成立! 一体、行動阻害成功! アリス、右前方!』


 脳裏に映像が流れ込むかのように、位置情報が共有される。


 アリスは草むらを蹴り、動きの止まった魔物へ狙いを定める。


 「《エッジ・スパーク》!」


 杖剣の先端から落雷のような雷撃が弾けた。

 閃光が魔物の身体を貫き、

 バチバチッ! と毛皮が焼け焦げる匂いが広がる。


 魔物は硬直し、その場で膝をついた。


 「もらった!」


 ラースが一気に踏み込み、

 双剣を交差させてその首筋を切り裂く。


 ザシュッ!


 鮮血と魔素の光が弧を描き、

 魔物は重い音を立てて地に崩れ落ちた。


 「撃破完了。残り一体、第五班の術者が抑えてるわ!」


 ミレーネの声が響く中、

 最後の一体が第五班の後衛魔術士の氷結術によって動きを封じられる。


 「《フロスト・バインド》、もう一段強めます!」

 生徒の声は震えながらも必死だった。


 「動き……止まった! 今だ、行くぞ!」


 前衛の剣が深々と突き刺さる。

 氷が砕け、魔物がうめき声を上げる間もなく崩れ落ちた。


 やがて戦場に静寂が訪れた。

 敵は全滅し、残るのは荒くなった呼吸と、焦げた毛と土の混じる匂いだけだった。


 戦闘の余韻で温かくなった空気が、ひんやりした風に撫でられ、

 草の隙間を通るたび、かすかなザワ……という音が耳に届く。

 魔物の体から立ち上る煙が薄く漂い、

 焦げ跡の土が、濡れたように黒ずんでいた。


 「助かった……君たち、本当にすごいな」

 第五班のリーダー格らしい男子が、まだ肩で息をしながら深く頭を下げる。


 息の震えはまだ収まらず、握った剣の先もわずかに揺れていた。

 その目は、安堵と驚きと、少しの尊敬が入り混じった色をしている。


 「困った時はお互い様よ。あなたたちも、無事でよかった」


 アリスがにっこりと微笑むと、

 その微笑みに触れたように、仲間たちも自然に表情を緩めた。

 さっきまでのピリついた空気が、ほんの少しだけ和らぐ。


 「……アリスって、やっぱり頼りになるな」

 ザックがぽつりとつぶやく。


 普段、淡々と情報を処理している彼の口から出た言葉は珍しく、

 ミレーネが横目で「ふふ」と小さく笑った。


 「リーダー、って感じするよな。何か、戦場に出ると変わるっていうか」

 ラースも真面目な顔で頷く。


 戦闘で跳ね上がった心拍がまだ戻らないのか、

 胸の上下が速く、その分だけ言葉に熱がこもっていた。


 「すごく冷静で、でも迷いがないのよね。私も、見習わなきゃ」


 ミレーネがそう言ったとき、

 アリスは少し照れたように視線をそらした。

 耳の先がほんのり赤く染まり、

 杖剣の柄を無意識に握り直す。


 (でも……これで満足しちゃいけない。実地演習は、始まったばかりなんだから)


 胸の奥で静かに思いを固めながら、

 アリスは丘の上に立ち、遠くに続く丘陵の稜線を見渡す。


 風が頬を撫で、草が揺れ、

 微かに残った魔力の余韻が空気に溶けていく。


 訓練場とは思えないほど広大な自然が広がり、

 その向こうには、まだ見ぬ危険、まだ見ぬ挑戦が待っている。


 アリスは小さく息を吸い、

 仲間たちに振り返る前に、ひとつだけ心の中で言葉を落とした。


 (――ここからが本番。気を緩めないでいこう)


 風が丘を渡り、戦場にこもった熱気と血の匂いを少しずつ攫っていく。

 焦げた毛の臭気も、徐々に草の青い香りへと溶けていった。

 吹き抜ける風の冷たさが、火照った頬や首筋に触れ、

 少しずつ身体の緊張をほぐしていく。


 アリスは一度深く息を吸い込み、意識的に肩の力を抜く。

 胸の中に入り込む冷たい空気が、戦闘の余熱を洗い流すようだった。

 目を閉じれば、さっきまで響いていた魔物の唸り声や刃の打ち合う音が、

 まだ耳の奥で反響している。


 (落ち着け……次に備える)

 自分に言い聞かせるように、ゆっくりと息を吐く。


 第五班のリーダー格の男子は、まだ肩で息をしながらも、

 防御結界を解除し、支えていた仲間の様子を確認していた。

 負傷はミレーネの《クレア・リカバー》で塞がっており、

 動きにも支障はなさそうだ。

 治癒光の残滓がまだ肌に淡く残り、回復したばかりの部位を温かく照らしている。


 「本当に助かった。俺たちだけじゃ、持たなかった……」


 言葉は震えていたが、彼の瞳には真っ直ぐな感謝が宿っていた。


 その言葉にアリスは軽く首を振る。

 表情は柔らかいが、声には確かな芯がある。


 「ここは演習地だけど、判断を誤れば本番と同じくらい危険よ。

  無事ならそれが一番」


 男子は何度も頷き、唇を噛んで悔しさを滲ませる。

 「……もっと強くならないと、ですね。戻ったら鍛え直します」


 「大事なのは、引くべき時を間違えなかったことよ」

 アリスは静かに答えた。

 「あなたたちはちゃんと判断できた。それは立派な力だわ」


 その言葉に第五班の三人の肩が、ほんの少し軽くなったように見えた。


 ザック・ミルドレイが《アナリシス・フィールド》の情報を班全員に送信する。

 立体的な地形図が意識に浮かび、現在位置、周辺の魔力反応、

 そしてこの丘陵地帯の中で特に魔素濃度の高いエリアが赤く示された。

 魔力残滓の風向き、地形の凹凸、敵の移動パターン――

 その全てが頭の中に流れ込み、状況がクリアに整理されていく。


 「この先、南東方向に強めの反応。

  数はまだ不明だけど、二〜三体規模でまとまって動いてる。

  ……第五班の進行方向と被ってるな」


 ザックの声は落ち着いているが、

 情報の重さを理解している分だけ、わずかな緊張が混ざっていた。


 ラース・エルヴァンが顎に手を当て、短く考える素振りを見せる。

 「なら、こっちで先に抑えるか?

  あっちの班は回復直後だし、無理はさせられない」


 ミレーネがうなずき、短く息を整える。

 「体力的にも、再交戦は厳しいでしょうしね。

  ここで分岐させたほうが安全だと思う」


 アリスは方針を即決する。

 判断の速さは戦闘中と変わらず、その表情には迷いがなかった。


 「そうね。私たちが南東へ回り込んで、

  彼らには安全ルートを通って拠点に戻ってもらいましょう」


 ラースが手早く双剣の汚れを払い、

 鞘に戻しながら小さく笑う。


 「了解。アリスがそう言うなら、それで決まりだ」


 ザックも魔導板型の記録具を操作しながら言う。

 「第五班の再行動は最低数分は必要。

  道案内の幻影出しも、僕がサポートするよ」


 ミレーネ・フォルトナーが頷き、

 第五班のメンバーへ穏やかな声で告げた。


 「あなたたちはこっちの斜面を使って下がって。

  坂を下りきったあたりに目印の立木があるから、

  それを右に折れると演習門方向に戻れるわ」


 「わかりました……ありがとう。本当に、助かった」


 第五班の三人は深く礼を言い、

 慎重な足取りで丘を離れていく。

 まだ呼吸が整っていない者もいるが、

 それでも背中には先ほどより力が戻っていた。


 その去っていく背中を見届けると、

 アリスたち第十五班の視線は自然と南東の丘陵へと向けられた。


 残されたアリスたち《第十五班》は、岩陰に集まって再び陣形と役割を確認した。


 「前衛はこれまで通り、私とラース。後衛支援はミレーネ、索敵と情報共有はザック」


 アリスの声は落ち着いているが、戦闘後の空気をすぐに切り替える鋭さがある。

 その声音に、ラースが自然と背筋を伸ばす。


 「南東に接近するまで、可能な限り隠密行動を維持する。

  戦闘は先制攻撃を狙って短時間で終わらせる」


 ザックが追加の条件を述べる。

 言葉には理屈だけでなく、先ほどの交戦で高まった集中の熱も感じられた。


 「了解」


 ラースは低く返事し、双剣の柄を確かめるように握り直した。

 金属がきゅっと微かに鳴り、刃が次の戦いを待っているように静かに光る。


 ミレーネは小さく息を吐き、補助魔術の詠唱文を頭の中で繰り返す。

 彼女の指先は緊張しているように見えるが、意識の奥には確かな芯がある。


 アリスは全員の顔を見渡し、静かに口を開いた。


 「じゃあ――行こう。次の相手は、私たちが確実に仕留める」


 言葉は静かだが、力強い。

 その一声で空気がひとつ引き締まり、四人の呼吸が同じリズムになった。


 四人は足音を抑えながら丘を下り、南東へと進み始める。


 足元の草が風で揺れ、くぐもったざわめきのように膝下に触れてくる。

 乾いた土の上を踏みしめると、かすかに沈む感触が足裏へ伝わり、

 緊張した身体の重さを実感させた。


 「……風、変わったね」

 小声でミレーネが呟く。


 「魔素の密度も少し高くなってきてる。敵が近い証拠だよ」

 ザックが囁き返し、浮かべた魔力図の細部を微調整する。


 「気配……確かに濃くなってる」

 ラースが斜面の先を見据え、手を双剣に添える。

 彼の呼吸がわずかに深くなり、身体が戦闘のリズムへと馴染んでいく。


 アリスは視線を周囲へ巡らせながら、声を潜める。


 「焦らないで。まだ距離はある。でも、いつ飛び出してきてもおかしくない地形……」


 言いながら、斜面の角度・岩の並び・風の流れ――すべてを頭の中で組み立てる。

 その顔には緊張もあるが、それ以上に“戦況を読む者”の冷静な光が宿っていた。


 長い草の上で陽光がきらりと反射し、

 視界の端で夜露のような光の粒が掠めて消える。

 遠くでは、別の班が放った魔術の閃光が一瞬だけ丘陵を照らし、

 その光が空気を震わせるようにして揺らめいた。


 ラースがごく小さく呟く。

 「他の班も、苦戦してるな……」


 アリスはほんのわずかだけ表情を曇らせる。

 「だからこそ、私たちが崩れるわけにはいかない」


 その言葉に三人全員が静かにうなずいた。


 閃光が消えると同時に、胸の奥に新たな緊張が静かに積もっていく――。

 南東から吹き込む風が、獣の匂いをほんのわずかに含んでいた。


 (来る……。次の交戦は、もっと速い)


 アリスは杖剣を少しだけ持ち上げ、

 四人は半円陣形のまま、さらに茂みの奥へと進んでいった。

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