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ココロ・プロブレム  作者: 谷木 大來
第三章
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第七話 打ち上げの準備

 土曜日。朝から夏を感じさせるような陽気のなか、聡恵はオフィス家具が届くのに備えてKPS事務所に向かった。

 事務所に着くとまず、茣蓙の上に寝そべっていたユーコーをどかして、茣蓙を撤去した。ユーコーは名残惜しそうな顔をして、「スペース空いてるし、そのままでもいいんじゃない?」と提案してきたが、「オシャレなオフィスには似合わないでしょ」と一蹴した。

「この仮面も外しちゃうよ」

 聡恵は壁に掛けられた怒り顔の仮面に手をかけようとした。

すると、ユーコーが慌てたようすで叫んだ。「タイム! それはまずいって!」

「だーめ。こんな仮面があったら、お客さん気味悪がるよ?」

 聡恵が毅然として言うと、ユーコーは困り顔で訴えてきた。「それはわかるよ。正直、俺も趣味じゃないし……でも、いま外すと良くないことが起こるらしいからさ」

「どういうこと?」

「その怒りの仮面と」言って、ユーコーは向かいの壁を指さした。「むこうの喜びの仮面を向かい合うようにして飾ると、商売繁盛するんだって。その代わり、店をやめるとき以外に外すと不幸が訪れるらしくてさ」

 ユーコーは苦笑を浮かべて頭を掻いた。

 聡恵はうさん臭さを感じた。「なにそれ。ただの迷信でしょ」

 ユーコーは指を振った。「仮面をもらった美術商から聞いたんだけど――有名料理店のオーナーさんが、代々店に飾られてたあの仮面を、気味悪いからって売りに来たんだって。そのオーナーさん、仮面がいわくつきだってことは知ってたけど、信じてなかったみたい。でも仮面を売ったあとすぐに、その料理店で食中毒による死者が出て、オーナーさんもその恨みだか何だかで殺されちゃったらしくてさ。それで結局、その飲食店は潰れちゃったんだって」

 聡恵は背筋が寒くなった。「呪いはお墨付きってわけ――じゃあ、なんでそんなもの貰っちゃったの?」

「帰国前に上海の露店街をうろついてたら、いきなり爺さんが寄ってきて、店を畳むから、残った品物をもらってくれないか、って声掛けてきてさ。貰い手がいなくて困ってるみたいだったし、日本に帰ってKPSを立ち上げるつもりだったから、商売繁盛ならいいかと思って」

「でも、呪いがあるってこと、説明されたんでしょ?」

「うん。けど商売をやめるときに外せば問題ないわけだしさ。だったら、まあいいかって」

「はあ……じゃあ、KPSをやめるまでこの仮面は外せないってわけ?」

「そゆことだね」ユーコーは平然と言った。

 聡恵はため息をついた。せっかくお洒落なオフィスに仕上がると思ったのに、KPSは呪われた仮面と未来を共にしなくちゃいけないのか――。

「でもさ」聡恵は苛立ちながら、怒りの仮面を指差した。「これで本当に商売繁盛すると思う?」

「さあ。個性が出ていいんじゃない?」ユーコーは冗談っぽく言った。

 聡恵は呆れつつ、怒りの仮面を見つめた。やはり気味が悪い。呪いはともかく、良い効果をもたらすものだとは思えなかった。ユーコーも内心そう思っているようだし、結局は人助けで厄介を引き受けたのだろう。まあ、それもユーコーらしいところだ。仕方ないと割り切るしかない。

 オフィス家具の搬入業者は九時過ぎにやってきた。聡恵は事前に作っておいたレイアウト図をもとに、業者に家具の置き場所を伝えた。業者の二人は息があっていて手際がよく、搬入は三十分ほどで完了した。さすがプロといった仕事ぶりだった。

 その後、ユーコーと二人でカーテンの取り付けをして、事務所を借りたときから手つかずになっていたらしい段ボールの中身の整理を済ませた。それで、オフィスレイアウトは一通り終了した。

 ユーコーは伸びをしながら所長用の椅子にどしりと腰掛けると、

「おお、やっぱ家具があるだけで随分印象変わるね」

 と、感激した様子で言った。

「うん。ちゃんと事務所っぽくなったね」

 聡恵も団員用の椅子に座り、部屋を見回した。古いビルなので洗練された雰囲気は出せないが、レトロで趣のあるオフィスに仕上がったと思う。件の仮面は誤算だったが、何もない殺風景な部屋に飾られていたときよりはマシに見える気がした。

 それから、お茶をしながら一息つくと、時分はもう昼過ぎになっていた。

打ち上げの開始は十七時。ユーコーの発案で、みんなですき焼きをつくることになっていた。その食材と調理器具を調達するべく、聡恵とユーコーは近くの大型ディスカウントショップへ買い出しに向かった。

 買い出しを終え、両手にレジ袋を抱えて戻ってくると、事務所の扉の前に玲が座り込んでいた。

「おーす」

 玲はスマホ片手に、気怠い声で言った。

「やあ」ユーコーが応じた「早かったね」

「ま、やることなかったし」玲は立ち上がり、脇に置かれたビニール袋を指差した。「これ、冷やすとこある?」

 袋の中には数種類のお酒の缶やビンが入っていた。玲はお酒に目が無いらしく、とっておきのお酒を持っていくから、と豪語していたのだった。

「そういや、冷蔵庫は無いなあ」ユーコーは呑気に言った。

「マジ?」玲は目を見開いた。「ぬるくなったお酒とか最悪なんだけど」

「大丈夫。カンさんに頼んでみるから」

 そう言うと、ユーコーはお酒の袋を掴み、いそいそと一階へと降りていった。

 ユーコーから事情を聞いたカンさんは表情一つ変えず、厨房奥にある業務用の冷蔵庫へ袋を入れてくれた。

「――あの人、なんかキレてない?」

 玲が耳打ちしてきた。カンさんの人となりを知っている聡恵には、きっと快く引き受けてくれたんだろうと思えたが、初対面の玲が心配に思うのも無理はない。

 聡恵は笑って答えた。「大丈夫。いい人ですから」

「ふーん……ならいいけど」

 納得した様子ではなかったが、玲はそれ以上気にしないことにしたようだった。

 それから二階に戻り、玲を事務所の中へと案内した。

「へえ、なかなかいいとこじゃん」

 オフィスの中を見回す玲。当然と言うべきか、例の仮面がその目に留まった。

「――なにあのお面?」玲は喜びの仮面を凝視して言った。

 聡恵はおずおずと説明した。「不気味だけど、飾ると御利益があるらしくて……」

「不気味っていうか……ウケる。マジ変な顔」

 言って、玲はケラケラと笑いだした。

 あれを見て面白いと思う人がいるとは――人の感性はわからないものだ。

 思えば、美術館に展示されているような絵画は、社会的に高く評価されているということだが、美術の心得のない聡恵には、どこが素晴らしいのかいまいちわからないものもある。つまりその絵には、審美眼のある人にしかわからない良さがあるということだ。あの仮面だって一度は美術商の人に買われたわけだから、それなりに価値があるのだろうし、あんまり邪険に扱うのも良くないかもしれない、と聡恵は少し考え直した。

 その後、優佳が来るまでの間、応接セットのソファでくつろいで過ごすことにした。

「てか、ノリでオーケーしたけどさ、なんですき焼きなの?」玲が聞いた。

「すき焼き、食べたかったから」ユーコーは御茶目に言った。

「めっちゃ個人的な理由じゃん」玲は笑った。「まあ、私も好きだしいいけどさ」

「ねえ」聡恵はユーコーに聞いた。「ユーコーって料理できるの?」

 ユーコーはカンさんの店に通い詰めているし、自炊をしている様子はない。だが何でも器用にこなしそうな感じがするので、料理もお手のもののような気がした。

 ユーコーは答えた。「最近はめっきりしないけど、海外にいたころ厨房でバイトしたことはあるよ」

「マジ? 何料理?」玲が興味ありげに尋ねた。

「いや、逆に日本料理。やっぱ日本人だから雇ってもらいやすくてさ。そのときに、すき焼きも作ったことあるよ」

「へえ――じゃおいしいすき焼きが食べれるってわけか。期待しとこ」

「玲さんは、料理できます?」

 聡恵が聞くと、玲は顔の前で手を振った。

「アタシ、実家暮らしだし、全く料理しないから。食器並べるくらいしかできないレベル。聡恵はどうなの?」

「私も得意じゃないです。一人暮らしを始めてから料理するようにはなったんですけど、炒め物とか簡単なものしか作れないし」

「じゃ、ユーコー以外は戦力にならないかも。優佳も料理しそうな感じじゃないし」

「大丈夫」ユーコーは安心しろと言わんばかりの笑顔を浮かべた。「みんなで作れば、なんでもおいしく感じるもんだよ」

 確かに、不思議と自分で作った料理はおいしいと感じるものだ。聡恵は今まで自炊した料理でまずいと思ったことはなかった。なので、料理は得意とまでは言えないが、下手ではないと勝手に思っている。誰かに食べさせたことはないので、むろん保証はないのだが。

 おしゃべりをしていると時間が早く過ぎるもので、気付けばもうすぐ十七時という頃合いになっていた。そろそろ優佳も来てもいいはずだ。

 しかし、打ち上げの開始時刻になっても優佳は来なかった。それから十分ほど待ってみたが、一向に来る気配はなかった。

「迷ってるのかな? ここ、けっこう裏道にあるし。電話かけてみる」

 玲はスマホを耳にあてた。しかし、どれだけコールしても応答がないようだった。

「ダメ……出ない」

 玲は耳からスマホを離した。その表情には明らかに動揺のいろが浮かんでいた。

 また優佳に何かあったのだろうか――聡恵の頭にも不安がよぎった。ユーコーも顔をしかめて緊張の面持ちを見せていた。

 一同がどうしようかと思案していると、玲のスマホから着信音が鳴った。

「優佳からメール!」

 玲は飛びつくようにスマホを覗き込んだ。

しばらく画面を凝視した後、玲は小さく息を吐いた。

「――今日、来れなくなったって」

 言って、玲はスマホの画面を見せてきた。


『連絡が遅れてごめん。急用ができて行けなくなっちゃった。ほんとにごめんね』


「せっかく準備したっていうのにドタキャンかよ。ふざけてるよね、優佳のヤツ。今度埋め合わせさせなきゃ」

 責めるような言葉を連ねてはいるが、玲の表情は安堵しているように見えた。

 聡恵も内心ほっとしていた。優佳が来られないのは残念だが、無事がわかっただけ良しとしよう。

「打ち上げ、延期だね」

 聡恵は苦笑しながらユーコーを見た。

 しかし、ユーコーの表情はいまだ険しいままだった。

「――どうかした?」聡恵はまた不安になって尋ねた。

「優佳の無事を確かめなくちゃ安心できない」ユーコーは真顔で言った。

「でも、ちゃんと来られないって連絡あったじゃない」

「本心とは思えないんだ。優佳、絶対来るって言ってたから」

「急用ができたってことだし、仕方ないんじゃ――」

 ユーコーは聡恵の言葉を切るように首を振った。「とにかく、優佳の無事を確かめなくちゃ気がすまないんだ。優佳の家に行ってみよう」

「――なら、アタシも行く」

 玲が口を開いた。その顔はユーコーと同じく、厳しい表情になっていた。

「やっぱ、アタシも変だと思う。優佳、意外ときっちりしてるし。ドタキャンするにしても、急用とかじゃなくて、ちゃんと理由を説明すると思う」

 ユーコーは玲に向かって頷いた。「玲が言うなら間違いないね」

 だがユーコーはその後、思わぬことを口にした。

「でも申し訳ないけど、玲はここに残ってくれる?」

「は?」たちまち、玲の目が鋭くなった。「なんで? アタシがいると邪魔ってこと?」

「そうじゃなくて」ユーコーは慌てたようすで弁解した。「優佳と約束したんだ。住んでるところは誰にも教えないって」

 確かに、ユーコーと二人で優佳の下宿先に行ったとき、そう約束した。だけど――。

「そんなこと言ってる場合? 緊急事態でしょ!」

 聡恵の考えを代弁するように、玲が怒鳴った。

 それでも、ユーコーは怯まなかった。ユーコーは紅潮した玲の顔をまっすぐ見て、諭すように告げた。「どうしても約束は守りたいんだ。だから、わかってほしい」

 その後しばらく、ユーコーと玲はお互い見合ったまま動かなかった。聡恵は固唾を呑んでそれを見守った。

 やがて、玲が目をつむって俯き、大きく息を吐いた。

「――わかったよ。もう何言っても無駄そうだし」

「ごめん……ありがとう」ユーコーは申し訳なさそうに言った。

「絶対、優佳の無事を確かめてきなさいよ。で、いち早くアタシに知らせること」

 玲はユーコーに指を突きつけながら、居丈高に言った。

 ユーコーはきりっとした表情で答えた。「ああ――約束するよ」

 そうして、聡恵とユーコーは再び優佳の下宿先に向かうことになった。

 道中、ユーコーはずっと難しい表情を浮かべていて、口数も少なかった。いつも飄々として陽気なユーコーがそんな調子だと、とてつもなく悪いことが起こっている気がしてならなかった。

 本当に、ただ急用で来られなくなっただけだ。きっと杞憂に終わるだろう――。

 襲い来る不安な気持ちをごまかすように、聡恵は楽観的な希望を心の中で唱え続けた。

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