59/ローバス⑬
私はこの数カ月、怪我の療養に専念した。体中の熱傷と樽の破片が私に齎した影響はこの後にも残る事になる。直す方法がないのだ。この国には。
私はあの様な魔法があるのだから、何か怪我に効く物もあるのだろうと、ぼんやりと思っていたが、この国でそのような奇跡の様な魔法などなかった。あの魔法使いの男は南でさえそのような物はないと言い放った。
私は仕方がなく杖をついての生活になった。家には年老いた母がいるだけである。余計な世話をさせる訳にもいかない。
焼かれた喉もしばらく辛かった。言葉だけでなく息でさえ絶え絶えになる時があった。医者の言葉では奇跡だと。熱風で肺を焼かれていたらと思うと少し足が震えた。
あれから私が隊を除隊したの言うまでもない。怪我が過ぎたのだ。これではどうにも役に立つ兵士には戻れない。
そんな私はあまり嘆くことなく毎日を本と暮らしている。あの件の報告もあった。私はなるべく詳細に書いたが、あまりに予想したことや想像したことが多くなってしまった。私は事を簡潔にまとめるのが苦手である。常にあれではないかこれではないかと考え込んでしまう性分なのだ。しかし、これだけは明確に書いた。
『あの術師は私たちを助けてくれた』
ヒリエム司祭の事である。私は彼があの魔術の行使者なのだと確信していた。願望でもあった。私が禁忌の復活を目の当たりにした生き証人だという。
彼はあれからどこへ逃げたのだろう。この国の外で生きる事など出来るはずもないのに。その命を絶ってしまったであろうか。禁忌を破った事を苦にして。
しかし、あの得体のしれない液体の化け物――魔物か――の脅威のから我々を救ってくれた事には代わりあるまい。彼がこの国にいてくれればどれだけの兵の命が守られるであろう。私はそんなことを考え、報告書には一文を加えた。
『生かして捉えるべし』と。
それから私の下にジャーン君や部下たちが来てくれた。ジャーン君も杖をついていた。彼から王都に着いたクッタリアの生存者の話が、他の部下からはナルシアのその後が私に伝わった。
どのように逃げのびたのか、自警団長は生きていたようだ。私は会ったことがないが、ジャーン君の話だと妹思いの良い兄であったらしい。その後、再開した家族は町へと戻ったようだ。あの町にも再び活気が戻るのはいつになるのだろうか分からないが、彼の様な男がいれば安心だろうとジャーン君が言う。彼らもあの若者――ジャイといったか――と共に町を再建するために手伝うのであろう。それに自警団長はとても屈強な猟犬を連れていたようだ。
もしかしたら、その犬の鼻にでも助けられたのかもしれない。あの怪物たちの死臭はそれほどであったと思う。私も犬を飼おうかと悩む。いつまたあの魔物が現れるとも知れないという恐怖もあった。
ダート町長とその息子たちのその後は全く分からないそうだ。時代書のように存在しない町に雲散霧消してしまったのか、雲隠れしたのか。彼らの伝手とは誰であり何が目的だったのか。今の私には調べようも知りようもない。
ナルシアではあの遺跡についてまた不思議な発見があったそうだ。新たに見つけた地下への扉をこじ開けると、そこには大きな水槽の中に一つの鉄の塊があったそうだ。型に嵌められたかのようにきっちり形づけられたその鉄板を町の鍛冶師たちが調べると、それは見事な熱により精錬された物であるという。まだしばらく調査にはかかるそうだ。しばらくではなくずっと何だか分からないかもしれないとさえあの貴族モルチスが言っていたそうだ。遥か昔には私たちには想像もつかないような物がある。それだけが真実だと。
私はあの無鉄砲なその従者のことが気になった。聞く話から察するに彼も元気なようである。そして、町の生き残りの傭兵は後払いの金を貰うとまたどこか金の成る木を探しに向かったようである。彼も良く戦ってくれた。と端から矢を射る様を見ていた私は思う。
そんな私の家に一人の見舞い人が現れた。
「ローバス、元気にしてたか」
コーマック兵士長であった。しかし、彼も除隊したらしい。どうしたのか。
「俺たちはこの一件を受けて、ある組織を立ち上げた。ああ、そうだ。あの術師を捜索する部隊だ」
「彼を殺すのですか」
「そんなことするもんか。あれは良かった。報告書の内容は良かったよ。ローバス。私も感銘を受けた。彼は生かして保護したい。そのための独立部隊だ。騎士団と同じくな」
「それで私に何を」
「ああ、その組織にお前の席を用意した。もちろん来るだろう?」
馬鹿な話だ。私は戦力にはならない。それにただの人である。魔法なども使えない。
「断るってことはないよな?良い給料。良い食い物に良い女。生きているうちは選び放題だ」
「私はこの通りです。兵士長」
「だからもう俺は軍属じゃない。それにお前以外に部隊の指揮を任せられる奴が俺の知り合いにいると思うか?」
コーマックは笑う。たしかに彼の後援者はみな須らく現場仕事、事に戦闘経験などは無いだろう。
「ですが、なぜ私に」
「おいおい、俺はお前を今まで散々可愛がってきたんだ。分かるだろ?お前を信頼しているんだ。それだけじゃあ不満か?」
初めて彼の口から私の評価を聞いた。
「何にやついてるんだ。来るのか?来ないのか?さっさと決めねぇと俺は行っちまうぞ?」
「ええ、もちろん」
「なんだ?はっきり言え」
彼が私を追い捲る。私は力一杯強がって言った。
「コーマック。私がいれば部隊は大丈夫です」
「おし。良く言った」
私はまるで冒険譚の主人公のような気分であった。
私はこれから禁忌の術者を追って世界中を行くのだ。
あの地へもこの地へも。
後ろを任せる者にはあの魔法使いもいるだろう。
私の胸が久しぶりに高鳴った。
未知への旅。
命を賭ける軍属になっても行きたかった未だ知り得ぬ種族の地へ再び。
私の冒険が。
私だけの物語が。
やっと始まったのだ。
「了」