↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
42/42

42. 来年も、夏至祭で、家族と踊る

 夏至の朝、玄関の壁から年札を外した。二度目の携行である。手はもう作法を覚えていて、読み直す目のほうが、毎年新しい。『来年も、夏至祭で、家族と踊る』。去年、一語だけ足した札である。札の角が、一年ぶんだけ丸い。毎朝毎晩、出入りのたびに目で触ってきた角である。足した一語の中身は、この一年で、勝手に増えた。


 日が落ちて、広場の四隅に火が入ると、人垣がひとつ、大きな息をつく。四度目ともなると、わたくしはこの瞬間の匂いを、季節の暦に登録してしまっている。松明の油、砂糖菓子の焦げ、人いきれ。太鼓の一打ちが石畳を通って足の裏へ届き、膝の古い蝶番(ちょうつがい)が、今年も律儀に応える。ポーレットの屋台は三年目、席は取っといたよ、の合図も三年目である。的当ての一角には三訂版が据えられ、開店と同時に子供の列ができた。七つの検分官の御威光である。


 今年は、留守番がいない。バルテルと若も、広場に来たのである。家令は出がけに式次第を持たず、心得の一行も書かず、手ぶらの丁寧なお辞儀だけを寄越した。


「本日、心得は、ございません」


「あら。では、どうなさるの?」


「楽しみ方は、式次第の外にあると伺いました」


 どこで伺ったのだか。教えた覚えのある家の竈が、三つばかり思い当たる。


 娘夫婦は、オーロールを連れて来た。生後九か月、初めての祭りである。篝火に目を丸くし、太鼓のひと打ちごとに全身で跳ね、屋台の匂いに鼻をひくつかせる。世界の全部が初物の人は、忙しいのである。ソランジュ様は桟敷を持つ身分でありながら、今年は平土間側に立った。式次第の外の見物である。人波に少し酔いながら、それでも姿勢だけは崩さずに立つ横顔が、楽しそうに見えるのは、身贔屓ではないと思う。セドリックは、誘われる前に輪に入った。断らずに、二巡である。硬さは去年より取れて、拍子は今年も合っている。あの子はたぶん、来年は三巡回る。そういう増え方をする子なのだ。


 そして、輪舞である。


「お手を。……段差は、ありませんが」


「ええ。段差がなくても、頂く手ですわ」


 今年は、腕の中に同乗者がいる。眠りかけのオーロールを抱いて、ゆっくり回る外側の輪に、三巡だけ入った。一巡目の途中で、腕の中の頭が、こつんと胸に着く。太鼓のただ中で眠れるのだから、この子の胆力は末が楽しみである。子供の手、粉屋の手、娘の手、息子の手、伯爵どのの手――今年は、知っている手の数が、また増えたのである。膝は一歩目で鳴き、二歩目で拍子に呑まれる。篝火の熱が頬に寄せては離れ、楽の音が汗の下まで染みてくる。三巡のあいだ、腕の中の目方は、安心しきって重くなる一方である。眠った子供というものは、預けた信頼のぶんだけ重くなる。世界でいちばん重い勲章である。


 踊り切って、いちばん近い篝火の前に立った。胸元から、年札を出す。


「成就の検分を」


「異常なし。……家族の欄、全員、異常なし」


 家族の欄、という言い方に、点呼の癖が出ている。出ていて、よい。存在の点呼というものを、わたくしは知っている。あなたが今年もいてくれてよかった、という数えごとである。数えられなかった側の三十七年を思えば、この欄の全員に、毎年「異常なし」が付くことこそ、願いの本体なのだ。


 火にくべる。一年、玄関で日に焼けた紙は、今年も少し飴色で、燃える色が濃い。ちゃんと叶ってから燃える。それだけが、この家の火の自慢である。隣で、あの人が篝火に目を細めている。三年前のこの火を、わたくしはひとりで見ていたことを思い出す。


 祭りの夜は馬車が出ないから、娘一家は泊まりである。夜更け、寝静まった家で、新しい紙を出した。年に一度の書き直しである。ペンを渡し合って、さて一行目、というところで、わたくしの手が止まった。


「……いかがなさいました?」


「足す言葉を、探しているの。去年は『家族と』を足したでしょう。今年は――」


 今年は、見つからないのである。来年も、夏至祭で、家族と踊る。この文面に、足りない言葉がひとつもない。


「不足の報告は」


「ございません」


 軍隊の問答で、締まった。去年と同じ文面を、去年より確かな手で書いて、同じ釘に掛ける。願いというものは、育つ。育って、いつか、満ちる。満ちた願いは、文面を変えないのだ。変えないという贅沢を、わたくしは五十七の年に、初めて知った。


 卓の隅で、目を覚ましたオーロールが、寝床代わりの籠から、こちらへ手を伸ばしていた。伸ばした先は、書き損じのない、白い紙の束である。


「あら。……気が早いこと」


 まだ字も持たない手が、紙の端を掴んで、放さない。掴む力は、生まれた朝と同じで、少しだけ強い。わたくしは笑って、その手に、講義の一行目を差し上げた。いつかあなたの箱を作る日のために、ずっと前から決めてあった一行である。


「よろしいこと、オーロール。――書いてよいのよ。書いたら、すぐ使うの」


「う゛ぅぅ!」


 オーロールは力強い目で私に応えた。


 わたくしはその限りない可能性に満ちた瞳に――少し圧倒され、大きくうなずいた。


 窓の外で、祭りの残り火が夜の底を薄く染めている。卓の上では、茶がふたつ、湯気を立てている。


 わたくしはそっとオーロールの柔らかなほっぺたに、ほおずりをした――――。


 人生――連綿と続く命のリレー。その本当の意味が赤ん坊の少し高い体温から伝わってくる。


 素敵な……リレーだわ。


 甘く香る乳の匂いに包まれながらーわたくしはゆっくりとうなずいた。


 あの人もそんな私を見ながら――ゆっくりとうなずいたのです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。