14
あのあと、リタは「少し考えさせてほしい」と言い、ひとりで自室に戻っていった。過去と折り合いをつけるには孤独が必要なのだろう。私たちはその背中を見送った。
ここに残るか、私たちと一緒に行くか——私は当事者ではないため、決定することはできない。それでも、リタの苦悩は痛いほどに伝わった。手放せないものをはっきりと切り捨てることができるのならば、どんなに楽だろうか。
今の私たちにできることは、リタを信じることだけだった。
その日から、太陽が四回沈んだ。
私が昼食を摂っている時、鍵を開ける音がした。鉄の扉からパパが私に手招きをしていた。先に食事を済ませたかったが、深淵を内包した暗黒の瞳がそれを許さなかった。私は仕方なくスプーンを置いてパパの元に向かった。外に出ると、相変わらず死神のような顔が私を迎えた。私はパパの顔をまじまじと見つめ、「この人がリタのパパなのかぁ」と思った。小麦色の肌に白いひげ、色素を失った灰色の短髪に、顔中に走る深いしわ。どこを取ってもリタとは似ていなかった。
もっと隈なく探せばどこか同じところがあるかもしれない——そんなことを考えているうちに『パパの日』は終わっていた。結局、見つけたのは耳の形ぐらいだった。
自室に戻った頃には日が傾いていた。背後で鍵を閉める音がした後に、私は妙な違和感を覚えた。部屋の真ん中に立ち、辺りをぐるりと見渡してみる。私がパパの部屋に行く前と、何かが変わったように思えた。隅々までじっくりと観察してみたものの、その正体に気付くことはできなかった。
考えすぎなのかもしれない——気だるい身体を引きずり、ベッドに倒れこもうとする。すると、毛布がもぞもぞと動き出した。私は大きくのけぞった。出かかった悲鳴を喉で押し殺した。もしかして、今までくるまっていた毛布は実は生きており、今頃になって私が涙やら唾液やらで濡らしたことを憤怒しだしたのかもしれない。
恐る恐る毛布をめくる。頭の中で謝罪の言葉を思い浮かべる。今まで雑に扱ってごめんなさい、と言おうとする。
毛布の正体はリタだった。彼女は赤子のように指を咥え、小さく寝息を立てていた。
「り、リタ?」
私の素っ頓狂な声にリタは目を覚ました。むにゃむにゃと唇をすり合わせ、指で目元を擦る。頭頂部には金色のトサカが立っていた。
「あ、おはよう。ビビ」
「おはよう、リタ……いったい、どうしたの?」
リタは何度か目を瞬かせると、照れ臭そうにえくぼを作った。
「あの時の答えを言おうと思って。パパの部屋に行ってるようだったから、驚かせようとベッドで待ってたら……」
「そのまま寝ちゃってたんだね」
そう言うと、黄金に輝くトサカはカクンと揺れた。
私は食べかけの昼食をベッドの上に置いた。スープはとっくに冷め切っており、パンは石のように硬くなっていた。もうじき夕食の時間だからと、二人で分けることにした。食べかけのパンを半分にちぎり、スープを交互に飲んだ。質素な食事は冷めているのに、いつもより美味しく感じた。
「誰かと一緒に食べるご飯はおいしいね」
リタは頬を緩ませて言った。「うんうん」と私は大いに賛同した。
野菜の一粒も残さずに食べ終え、「ごちそうさま」と二人で揃えて言った。リタは食器を洗いに洗面台に立った。私も手伝うよ、と言っても「ビビはゆっくりしてて」と私を追い出した。
ベッドから彼女の後ろ姿を眺めていると、これがリタの言う「素敵なお嫁さん」の姿なんだろうな、と思った。彼女は鼻歌を歌っていた。その曲はどこかで聴いたことがあった。
「ステン・バイ・ミー、ステン・バイ・ミー」と、誰もが知っている有名な曲だったはずだ。私は彼女の奏でる歌に合わせて、歌詞らしきものを口ずさんだ。
リタが濡れた手をえんじ色のワンピースの裾で拭いながら戻ってくると、彼女は先ほどの私と同じように、部屋の中をぐるりと見渡した。ひらりと舞うスカートは、風に踊る赤いバラだった。
「前にも言ったけど、ここはママの部屋だったんだ」
彼女は回り続けていた。それが嬉しくてたまらないというように。
「私が幸せなはずだった頃にママはよく絵本を読んでくれた。といっても、その頃は数が少なくてさ、こんなに増えたのは妹が産まれてからなんだ」
私は何も言わずにリタを見つめた。一瞬たりとも目を逸らさなかった。それがしっかりと話を聴く、ということだと思っている。
「メメと会った時、『おやすみ、メメ』を見せてもらってさ。そのとき、私、すごくくやしかったんだ。妹がこんなにすてきな本を読んでもらってたのか、ってさ。私なんて、よくわからない古い本ばっかりだったから」
回転をやめたリタは本棚の前に屈むと、絵本の背表紙を指で順番になぞっていった。一つ一つを確かめるように、読んだことのある本も読んだことのない本も、全てに触れていく。
端の方までなぞり終えると、リタは満足したように立ち上がった。
「ま、もういいんだ。悲しいけど、お別れはいつか必ずやってくるもの」
「リタ、決めたの?」
「うん。決めた」
リタは私に振り向いた。作り物ではない、くしゃっとした屈託のない笑みがそこにあった。
「行くよ。みんなと一緒に外に行く」
私はリタを抱きしめた。花と太陽の香りがした。




