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おやすみ、メメ  作者: ようひ
35/63

3

 

 深夜、もう寝なければならない時間にモモはやってきた。

 電灯を消した室内で名前を呼ばれた気がして、私はベッドの上で目を開けた。目の前には人の顔と思しき輪郭が逆さ吊りになっていた。人影は暗闇でも分かるほどの、くしゃっとした笑顔を浮かべた。


「おはよう、ビビ」


「おは、よう……? モモちゃん、いまなんじ?」


「今日はね、ビビに紹介したい友達がいるの」


 私の意など介さない様子で黒い輪郭が視界から消えると、パチンと電灯のスイッチを弾く音がした。突然の光に目が眩む。瞬きを三回してから身体を起こすと、そこに居たのはモモだけではなかった。彼女の隣には、二人の女の子が立っていた。眼鏡をかけた茶髪の子と、黒髪の華奢な子。二人とも私と同じ白いワンピースを着ている。その服の寸法は彼女たちの体格よりも随分と長いようだったが、膨らんだ腹でちょうどよい大きさになっていた。


「こんにちは、ビビ」


 眼鏡の子がそう囁いた。秋の空気には少し寒い、涼しげな声だった。私が挨拶を返そうとすると、黒髪の子が突然、私に飛び込んできた。勢いに負け、押し倒されるままに後頭部を壁に打ち付けた。異議を申し立てようとするも、キャッキャと笑う顔が視界に映り、準備していた言葉は忘れてしまっていた。私は反射的にその子を撫でていた。ハチミツのような甘い香りがした。彼女は私と目が合うと、「めーっ」とだけ言った。

 モモが「アイリ」「ムウ」と二人を紹介した。私も返すように「ビビです」と名乗ると、アイリは「知ってる」と苦笑した。


「ビビにどうしても会いたいってふたりが」


 私の隣へとモモは腰をかけた。


「ビビは私たちの大切な友達だからね」


「わたしたち……うん、そうだね」


 私は釈然としないまま頷いた。

 アイリは私の箱庭を物珍しそうに眺めていた。そしてときおり「そういえばこの部屋に来るのは初めてか」とか「これがあの本棚ね、いい趣味してるじゃない」と呟いていた。見開かれたダークブラウンの瞳は電灯に煌めいていた。

 ムウは私のそばから全く離れようとしなかった。私の耳たぶは彼女の分厚い唇に咥えられていた。粘つく涎が執拗に塗られていく。不快に思いつつも、どこか心地よかった。そして彼女はときおり「めっ」と嬉しそうに言った。


「パパは?」


「もう寝てるよ。さっきまで私が『パパの日』だったから、大丈夫なはず」


 本棚から取り出した分厚い本を開きながら、アイリはそう言った。彼女が疲弊している様子は一切なかった。首筋には新しくできたような鮮やかな紅色のあざがあった。


「え、アイリちゃん。そのほんよめるの?」


「もちろん。私の部屋にはこの二十倍は本があるから」


「に、にじゅう……」


 それがどれくらいか想像できないが、おそらくたくさんなのだろう。彼女は本が好きなんだな、と思った。


「アイリはすごいんだよ」


 モモが付け加えるように説明する。


「彼女はなんでも知ってるの。わからないことなんてないんだ」


「へえ、すごいね、アイリちゃんは……」


 私と同じ歳くらいの子なのに、私にはない知性を持っているらしい。少しだけ、羨ましく思った。

 アイリが本を読み終えてから、私たちはベッドの上で小さな円を作った。夜が真黒になり、空気はいっそう冷え込んでいたが、そんな寒さはなぜか感じられなかった。身を寄せ合っているからだと思った。

 四人で話したことはなんてことのない内容で、とりとめがなく、すぐに忘れてしまうようなものばかりだった。それでも、笑いあったり、賛同しあったりしていると、胸の内が温かくなっていた。その感覚は冷えた毛布にくるまった時と似ていた。

 壁時計を何度も見ると、針は二時、三時、四時と盤上をスキップするように動いていた。一時間が過ぎるのはあっという間だった。時間が跳躍している。私たちはタイムスリップをしているのではないか、と思った。

 あんなに眠かったはずなのに、気付けば窓の外は明るくなっていた。私があくびをすると、その様子を見ていたモモが「もう寝ようか」と言った。


「今夜はありがとう、ビビ。また来るよ」


 アイリがそう言い、時間をかけてゆっくりと立ち上がった。私は友好の印として、何か本を持っていってもいいよ、と伝えた。彼女はお礼を言い、本棚から一冊だけ、分厚い本を抜き取った。背表紙には『ツァラトゥストラかく語りき』と難しそうで読みづらそうな題名が書かれていた。

 モモが下口から出て行き、外側から鍵を開けた。アイリは私に手を振って出ていった。ムウは最後まで私から離れようとしなかった。もう時間だよ、と諭しても、彼女は首を大きく横に振った。ガラス玉のような黒い瞳には涙が今にも溢れそうなほど溜まっていた。私はムウを抱き締め、「ムウちゃん。またすぐにあえるから」と告げた。彼女も名残惜しそうに腕に力を込めると、「めっめ」と口にしてから、トテトテと歩いて出て行った。扉が閉まり、鍵をかける音が室内に響く。その短い音は、ひとりになった私の耳の中で転がり続けた。

 壁時計は五時を示している。こんなに起きていたのは初めて——であるはずが、やはりどこか懐かしいように思えてならなかった。私が認識していないところに何かが取り残されており、厚い膜を破ろうと必死にもがいているようだった。幼い芽が土から顔を出すように、鳥の雛が殻を破るように。

 その正体を知ろうとするには、いささか夜更かしが過ぎた。私はベッドに身を投げ、毛布に身を包んだ。首、右腕、左腕、腰の四箇所にはみんなの小さな温もりが残っていた。そこに四肢をあてがうと、寒さに苦しむことなく眠ることができた。



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