21
昼は暴風雨だった。激しい飛沫が何度も窓を殴っている。割れるかもしれない、と思っていたが、窓は飛んできた小石にさえひび一つ付かなかった。外で過ごす生き物はこの嵐の中で何をしているのだろうか、と気になった。
窓の縁に置かれたバラの造花を撫でていると、ふと夜が恋しくなった。太陽が見えなくても明るい外の世界は、私にとっては眩しすぎる。夜通し話し込む日々に、私の中の何かは少しずつずれていき、いつの間にか夜の人間になってしまったようだった。朝はすでに私の世界ではなく、まぶたの外にある見えない世界に成り下がっていた。朝鳥のさえずりも、雲をつき分けて輝く柔らかな太陽も、光をたくわえた草木の青色も、思い出せなくなっていた。少しだけ、胸の奥がツンとした。
「箱庭」を脱してから、私ひとりで何かをする時も、みんながそばにいた。脳裏に彼女たちの姿が浮かび、話し声が聞こえてくるのだ。それは優しい幻覚、楽しい幻聴だった。窓の外を見ていても、絵本を読んでいても、顔を洗っていても、トイレにこもっていても、ご飯を食べていても、どんな時でも、みんなは私のそばにいる。昼寝をしている時だって、意識が朦朧とする中で囁き声が聞こえてくる。
その声に耳を傾けて、うとうとしていると、いつの間にか夜が訪れていた。待ち遠しかった時間がすぐそこにあった。もしかしたら私は『メメの魔法』を使って、昼を夜に変えたのかもしれなかった。
夜が十分濃くなってから、私はリタの部屋に向かって壁を叩き、これから迎えに行くと合図を送った。二回鳴らして返事を待った。心の中で十まで数えても、ノックは返ってこなかった。もう一度鳴らしてみるも、その間に暴風雨がひどくなっただけだった。
太陽が雲に隠され、辺りが暗くなる——そんな景色が脳裏に浮かんだ。パパはすでに寝ている時間帯のはずだった。アイリは『パパの日』で疲れているだろうから、私はリタと話そうと考えていた。しかし、彼女から反応が返ってこないこの事実は、私の心の中に広がる青空をうんと暗くさせた。リタの無事を確認せずにはいられなかった。
日々膨らんでいくお腹のせいで、下口をくぐろうとするたびに苦労と苦痛を要した。それでも私は構わずに腹部をめり込ませた。吐き気はいよいよ我慢できないほどの強さになった。脱け出した時の衝撃で口の中に戻した物を、私はぐっと飲み込んだ。
薄暗い廊下には雨の強く打ち付ける音が反響していた。ときおり雨風の合間を小さな雷鳴が通り抜けていった。これは決して不吉な予兆ではない、と自分に言い聞かせる。私の内側からドクドクと激しい鼓動が聴こえてくる。
リタの部屋の前に行き、音を立てずに下口の扉を開ける。すすり泣くような音がした。気配はひとりだけのようだった。もしパパがいたとしても関係ない。私は今すぐにリタのそばに行きたかった。私たちを隔てる鉄の扉を粉々に壊してしまいたかった。
部屋に入ると、室内は廊下よりも薄暗かった。黒いカーテンはぴったりと閉められ、そこから漏れ出る薄光だけが頼りだった。初めてリタと出会った時の、暗黒と似ていた。
ベッドの上に、リタと思しき人影があった。部屋をぐるりと見渡しても、パパのような大柄な人影はなかった。
私は極めて優しく彼女の名前を呼んだ。リタは湿った声で私の名前を呼び返した。ひどいしゃがれ声だった。鈴を転がした声はなくなっていた。
ベッドの軋む音がすると、続いてひたひたと床を歩く音がした。私が立ち上がろうとすると、前から強く抱きしめられた。彼女の表情は薄暗い逆光ではっきりと見えなかった。花と太陽のような匂いが、彼女の存在を証明していた。私は押し倒されるがまま、扉に背を預けた。首筋から腰あたりまでが鉄に張り付いてしまうほど冷たかった。
リタは震えていた。全身を強張らせたまま、私の耳元ですすり泣いた。私の肩に落ちた涙は生温かく、すぐさま冷たくなった。彼女の頭を私の胸に寄せる。お腹が圧迫されてもかまわなかった。胸の中で彼女は、じっくりと呼吸をしたり、むせたり、鼻をすすったりした。
私は頃合いを見計らい、リタの顔を覗いた。そして、あることに気付いた。それは、壁が叩き返されなかった理由としては十分すぎるものだった。
視線に気付いたリタは、咄嗟に片手で顔を覆った。私は無言でその手首を掴み、手を下ろさせた。彼女の顔はひどく腫れていた。目元や口元、頬や鼻の脇などが異様に盛り上がっていた。薄暗闇に目を凝らすと、それはリタ本来の乳白色ではなく、どこにもない紫紅色に染まっていた。その箇所に触れると、彼女の身体が小さく跳ねた。ごめん、と私は謝った。
私たちはベッドの上で向かい合った。ごわごわとした毛布の感触は、いつも以上に肌に突き刺さってくる。
「リタ、何があったの?」
私の問いに彼女は目を伏せた。逃げ場を探した濃藍の瞳が、水たまりの中を泳いでいる。彼女は、たびたび転んで負傷することがあると言ったが、今回の容態は転んだと言い張っても無理がある。他者の介入がある、そう疑った。
「……転んだの」リタは短く言い、逃げるように目を閉じた。
「本当のことを教えてほしい」
「メメには、関係ないよ……」
「そんなことない」
私は少し強い口調で返した。自分からこんなにも冷たい声が出るのか、と驚いた。リタの震えはひどくなったが、やがて口をキュッと結ぶと、意を決したように言葉を紡ぎ始めた。
「ぶたれたの。パパに……」
リタの湿った風が再び、呼吸の隙間を通り抜けていく。
「パパが部屋にやってきて、なんども、なんども……私が何をいっても止めてくれなくて、泣いても、髪の毛を引っ張られて……ずっと、そのくりかえし」
リタは我慢できずに嗚咽を漏らした。無理やり声を押し殺しているのか、喉の奥から獣のような低い音が鳴った。彼女の顔を埋めた私の胸は、空の容器を打ち付けたかのように響いていた。そして、私の中に流れ込んでくる冷たいものが、何か良からぬ形を作っていくのをはっきりと感じた。それは怒りを通り越した、別の感情だった。制御はできるが、今にも暴れ出してしまい、止められなくなってしまいそうな、危険な感情だった。私はそれを必死に抑えながらも、努めて冷静にリタの話を聞いた。
パパは彼女に「何か隠しごとはしていないか」「パパの見えないところで何かをしているのか」と尋ねてきたらしい。リタは平然を装って知らないと答えたが、その態度が気に入らなかったのか、パパは再びリタを殴りつけた。もう一度訊かれ、同じように答えると、同じように殴られた。何度も何度もそれを繰り返した。それでもリタは言わなかった。
「ぜったいに失いたくなかったんだ。メメにこのことを言ったら、メメも私と同じような目に遭ってしまうんじゃないかって。だから、怖かった」
私は何も言わず、リタを丁寧に抱きしめた。今だけは、言葉が出ないことを嬉しく思った。傷ついた彼女のことを想うと、涙が止まらなくなった。辛く痛い思いをしても、自分以外のためを考えてくれた彼女が愛おしかった。いつかのリタが私にしてくれた、ほんとうの思いやりは温かかった。だからこそ、彼女が苛まれる現実を恨んだ。優しさを与える人に優しさは与えられない——そんな現実を呪った。
「ありがとう、リタ」
腕の中にいるリタが頷くと、その額が私の鎖骨にぶつかった。痺れるように全身の骨が揺れた。私たちは涙で濡れた頬と頬を合わせ、涙が乾いても、ずっとそうしていた。
暴風雨は止まず、遠雷が憤慨する人のように轟いている。
制御のできる危険な感情は、嵐のように私の中で吹き荒れていた。悠長にしている時間はない。リタはおそらくこれからも傷つけられる。私たちの日々がこのまま続くことはあり得ない。必ず「そのとき」をもって崩壊してしまう。このまま私たちが辿り着く場所は、残酷な離別に他ならない。
そうなる前に、私はこの嵐を味方にしなければならない。
ベッドの上でただ願うだけではだめなんだ。
動け、動け、行動しろ。私は、私たちを救わなければならない。




