終
黄色い太陽が白く輝く朝。
いつものように目覚ましが鳴ると同時に起床し準備をする。
いつものようにテレビをつけ、洗顔を済ませて、コーヒーのために湯を沸かし、パンが焼き上がればテーブルにつく。
朝食が終わると、いつもの制服に着替え、学校に行く準備。
そして、いつものように玄関を出て、いつものように登校するのだ。
同じことの繰り返し。
それはとても幸せなことで、とても有り難いこと。
帰宅途中、商店街で買い物をして、両手いっぱいの買い物袋を抱えて歩く。
今日は金曜日。週末だ。
と、突然、頭上から何かが降ってきた。
いや、誰かが降って来た。
衝撃で地面が揺れる。
地面に突き刺さって頭だけ地上に曝け出している天使は、ゆっくりと瞬きを二度した。
俺は目を合わせて尋ねる。
「お困りで?」
「……はい、とてもお困りです……」
地面に転がる天使の輪を取ろうと思ったが、それはやめた。
「何をすれば?」
「そこの……そこの輪っかを取っていただければ……」
言われた通りに輪を掴み、天使の頭に載せてやる。
「キタキタ!」
さっきまで涙目だった天使は、意気揚々と高らかに声を上げた。
輪が金色に光りだして、大地が震えだす。
「助かったわ! ありがとう! この恩は近いうちに返すから! じゃあね!」
回復するや否や、そそくさと去ろうとする彼女に俺は待ったをかける。
「おいおい! それはあまりに薄情ってもんだろ!」
「っと……それもそうね。うん、ちょっと待ってて」
そう言うと、ゆっくりと大きな翼をはためかせ、静かな挙動で地に足を付けた。
「それにしても、驚かないのね。あなた」
「そりゃ驚いたさ。呆気に取られたって言うか、なんと言うか。まぁ、天使でも悪魔でも、俺は受け入れる所存だ」
「ふーん……あなた変わってるわね」
「お互いさまだ。俺は風間境。……お前は?」
「天使に向かって、お前呼ばわりとは、なかなか肝が据わってるじゃない」
「名前を知らんからな」
一呼吸置いて、彼女は悩みながらも名乗った。
「……レイ……レイよ」
「レイ……」
心の中でも繰り返す。
レイ。これがマーシャの、彼女の本当の名。
「この名前……あまり好きじゃないのよ。でも、何故かあなた、いや、境には教えていいかなって、そう思えたわ。どうしてかしら?」
「さあな」
そう――相手の感情なんて到底理解できるはずもない。
俺達が伝える想いは決して数値化できない。
どれだけ細かく刻んでも、完全に合致する目盛なんて存在しないのだ。
連続量的な想いを離散量的な世界で正確に複製することは不可能。
自分が抱いている想いは絶対に不完全な状態でしか伝わらない。
でも、それでも、思っていることは伝える。
俺は学んだのだ。可能性が眠っていた一つの世界で。
結果的には……きっとうまくやれた。
ある時、彼女から向けられた一言。
――『……それが一番浅ましいわ』
相手のことを分かっているつもりで選択した行動。それは誤りだった。
けれど、それは当たり前のことで、仕方のないこと。
そんな瑣末事、いちいち気にしている方がアホらしいのだ。
一度や二度、それ以上、何度やっても伝わらなくたっていい。
何回、何十回、何百回だって誤解されていい。
どれだけ、阿呆だとか、馬鹿だとか、愚昧だとか、軽忽だとか、言われようとも。
俺達は伝えなきゃいけない。そうしなきゃ前に進めない。
「すべての感情が理解できるなら、俺は神にでもなっているさ」
「……! そうだ! 神様! 早く帰らなきゃ! またあとで、すぐに来るから! 待ってなさい!」
「はいはい」
レイは華奢な身体にそぐわぬ翼で力強く宙に舞う。
その姿に笑みを浮かべながら、また俺は彼女に声をかけた。
「あ! それと、もう一つ!」
空中で静止するレイは、何か、と首を傾げる。
「家に入る時は玄関からな!」
「もちろん! ……その下手くそな笑顔、嫌いじゃないわよ!」
伝わらないからこそ叫び続ける。
白く輝く太陽の下――この本物の世界で。
・・・‐ ・ ・‐・ ・‐‐ ・‐ ‐・ ‐・・ ・‐・・ ・・‐ ‐・ ‐‐・
心の底に巣食うペストは、いつだってそれを困難にさせる。
いや、その存在があるからこそ、そのことを認識できたのであって、それがなければ、そもそも我々、いや、悪魔も天使も人間も、それを考えることさえなかったのかもしれない。
言い換えてみれば、その死を思わせる病は苦しみだけを与えるのではなく、ある種の幸福を皆に与えているのであって、決して全部が全部まるごと悪いとは言えないということに、彼は遠からず気付いたのである。
まったく、つくづく愛すべき存在だ。
そう思うだろう?
何がって?
言わなきゃ伝わらない?
本当に飽きないね――
――デジタルな世界で生きるアナログな僕らは。




