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縛る言葉

 学校に登校した香澄は、自分にへらへらとした笑顔で手を振ってくる男に近づき一言。


「殺してもらえませんでした」

「残念だったな」


 香澄の言葉を受けても変わらない顔。香澄は「分かってたんですか?」と問いかける。


「当たり前だろ。お前、何で自分が嫁ぐことになったのか、覚えてないのかよ。俺はちゃーんと、共生のためだって言っただろ。和睦のための婚姻で、妖怪側が人間殺したらどうなるのか、さすがにわかるよな」

「最終的には戦争に落ち着きそうですね」

「戦争と落ち着きって言葉を同時に使うな。ちっとも落ち着きがねぇ」


 紫風の指摘をどうでもよさそうに聞き流し、香澄は自分の席に座った。いつもならここで紫風の方を振り向くのだが、今日はそうはせずに机に突っ伏した。


「どうした、熱い初夜イベントでもあって寝不足か?」

「初夜イベントってなんですか」

「その反応なら違うな。まぁ、妖狐様もお前相手に盛んねぇか」


 紫風が何を言いたいのかイマイチわからず「さかん……?」と呟く香澄。それを聞いた紫風は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


「俺が悪かったわ。すまん」


 何が悪いのかもわからないまま謝られても困るが、謝ったのならそこで清算は終わり。香澄にはこれ以上、その話掘り下げる気はない。


「で? 何でそんなに苦しそうなんだよ」


 話の軌道修正を図ったのか、体調を追いかけてくる紫風。香澄は正直なことを言うのを一瞬躊躇う。


「言えないことか」

「……言えるんですけど」

「じゃあ言えよ」


 言えるには言える。けれど、言いにくいことはあるものだ。大したことではないが、香澄の中でそれを言うの止める機能が働いているのも事実。


 そしてこういったことは、早めに言わないとどんどん言いにくくなる。紫風がここで「言わなくてもいい」と引いてくれる性格ではあればよかったのだが、そうではないことが長い付き合いでわかっていた。


 だから香澄は意を決して、紫風に伝える。


「……すぎ」

「声が小さい」

「あ、さごはんの食べすぎ……」

「は?」

「朝ごはんの食べ過ぎです」


 今度ははっきりと聞こえたようで、絶句する紫風。香澄は腕に顔を埋め、誰からも見られないようにした。


(やっぱりこういう反応ですよね)


 香澄の体調不良の理由は単純な食べ過ぎだ。

 倉橋家で香澄に食事が振る舞われることはない。餓死させると自分に虐待の疑いがかかると考えていた篝によって、最低限の食費だけはもらっていたが、本当に最低限の金額。三食をきちんと食べるには到底足りない。

 なので香澄は朝食を食べずにいた。それが数年も続けば、体は朝ごはんを食べない方へと適応していく。

 昼食と夕食は食べていたものの、その量はこの年の人間の平均と比べると少ない。それにも体は慣れてしまい、香澄はかなりの少食だ。

 朝食を食べる習慣のない少食な人間が、適正な量の朝食を食べたらどうなるのか。香澄は今、身をもって学習していた。


「うぅ……」

「残せば良かっただろ」

「せっかく作ってくれたものを残すのは、よくないことだと思います」

「政略結婚の相手に暗殺した奴の発言とは思えねぇ」


 コトン、と何かが置かれる音が香澄の耳に入る。顔を上げれば、有名なメーカーの胃薬が置かれていた。


「使ってもいいのですか?」

「おう。どうせ父さんの物だし。俺の懐は痛まないからな」


 こういう言い方をしてはいるが、好意は好意。香澄は「ありがとうございます」とお礼を言って、通学用のカバンからミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。


「まぁ、これを期に健康になれよ。いくらなんでもお前は細すぎだ。今の枯れ枝みたいな腕はやばい。電柱クラスにしてもらえ」

「電柱くらいの太さは、逆に不健康なのではないのでしょうか」

「例えだよ、例え。真に受けんな」


 胃薬を飲み込み、水で流し込む。薬はすぐには効いてこないはずだが、先程よりも楽になったように感じ、香澄は首をひねる。


「いきなり詰め込みすぎるのも良くないんだから、量は調節してもらえよ」

「食べないほうがいいのですが……」

「不健康まっしぐらはやめろ。それは天寿を全うしたとは言えねぇよ」


 紫風の発言は、何気ない会話の途中に挟む言葉として違和感はない。しかしそれに対する香澄の反応は異常だ。ぐるりと紫風の方へ振り向く香澄。頷く彼女の瞳孔は開いていた。


「そうですね。これは駄目です」


 その様子は正常にも見える。当たり前なことに同意しているだけ。いくら先ほどの彼女がの振り向く様子が恐ろしかったとしても、この彼女の言葉に違和感は覚えない。


 ――紫風以外は。


(この反応。やっぱ、まだ縛られてんだよな)


 じっと香澄を観察する紫風。いつも通りの無表情に見えるが、彼からすれば全然違った。


(まぁ、そもそも無表情ばかりなのがすげぇ違和感だけどな)


 紫風の中に色濃く残る記憶。そこでの香澄の表情は豊かだった。転んで泣いたかと思えば、数秒後にはケロッとした顔で走り出す。目をキラキラと輝かせて虫に近づき、怖いと逃げ出す。


 能天気なバカ。そんな印象だった香澄が、目に見えて変わったのはいつ頃か。紫風は考えなくともすぐに分かった。その辺りから、彼の記憶力は仕事をしなくなったのだから。


 香澄の抱く唯一の願い。それに辿り着くための手段を絞るための言葉。過剰に反応する香澄に、紫風は何を思えばいいのか。


(あんな言葉に反応するアイツに、憐れみを向けるのは違うか。……なにせ、俺が縛ったんだから)


 悪いとは思っていない。感謝しろとも思えない。香澄がどうなろうとも、紫風は何も感じない。彼の感情の薪は、そのほとんどをとっくに使い切ってしまった。まだまだ続く長い生。その最中で、無くならないように大切に使っていかなければいけない。


(せいぜい期待するとしますか。妖狐様に)


「はい、これ」


 顔も知らない妖狐に思いを馳せようとした紫風の思考を中断するタイミングで、香澄が胃薬を紫風の机に置いた。


「返しますね」

「いらね。どうせ家に箱であるし」

「高い物ですよね。貰えません」


 香澄のこういう所は人によっては美徳だろうが、紫風からすれば面倒で仕方ない。


「一粒も、一瓶もそう変わんねぇよ。貰うのが嫌なら、拾ったとでも思っておけ」

「交番に届けた方がいいですかね」

「分かった。貸し一つってことにしろ」

「わかりました」


 面倒で哀れな女をあてがわれた妖狐は、きっと前世でとんでもない悪行を重ねたのだろう。そもそも、妖怪は罪人の転生先というのが祓い人の共通認識。なら妖狐は罪人の中でもトップ中のトップ。キングオブ罪人なのかもしれない。


 そうでなくては、香澄を娶るなんて運命はあり得ない。不良債権すぎる。もし紫風がその立場なら、人間との全面戦争を考えるくらいには嫌だった。 


(頑張ってくれ、名前も覚えてない妖狐様)


 どうか末永く、香澄の面倒を見てほしい。紫風の願いが叶うかどうかは香澄と桂次第だ。

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