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鍛錬

「お帰りなさいです」


 学校を終えた香澄。倉橋家に帰るわけにもいかないので桂の家に戻れば、満面の笑みの鈴に出迎えられる。

 家に入ろうとするが、鈴が全身を使ってガードしてきて入れなかった。正確に言えば、香澄は鈴を力付くでどうにでもできる。そうしないのは、鈴が香澄へのいじめでそんなことをする子ではないとわかっていたからだ。


「鈴さん。家に入れてくれないんですか」

「まだ駄目です。香澄様は挨拶をしてないのです」

「挨拶?」

「はい!」


 挨拶をしていない。鈴の言葉の意味は深く考える必要もないほど、当たり前のことだった。しかし香澄にとっては数年も縁がなく、思い出すのに数秒かかる。

 その言葉を言うのは久しぶりで、しかも香澄の考えているもので合っているかもわからない。それでもキラキラと輝く目を向けられれば、言うしかなかった。


「その……ただいま、帰りました」

「はい! お帰りなさいです!」


 嬉しそうにする鈴にむず痒い何かを覚えながら、香澄は鈴に先導され家の中に入る。


「学校、お疲れ様です。お弁当箱を回収します!」

「はい。これは鈴さんと蘭さんで作ったんですか?」

「違います、ご飯担当のセンが作ってます」

「そうなんですか」


 香澄がここに来てから会った使用人は鈴と蘭だけだったが、他にいたようだ。


(よく考えれば当たり前ですね。こんなにも広いお屋敷、維持するのは大変でしょうし)


 倉橋家にも使用人はそれなりにいた。正確に測ってはないが、おそらくこの屋敷は倉橋家よりも広い。なのに外観も中も綺麗に整っているので、多くの妖怪が働いているのだろう。


「お部屋わかりますか?」

「はい。だからお弁当箱片付けに行ってもいいですよ」

「ありがとうです!」


 パタパタと足音を立てて、香澄の部屋の反対に消えていく鈴。もしここが倉橋家ならば、足音を立てるなんて、とお小言を言われそうだ。

 香澄からすれば、足音を立ててもらったほうが好都合。そのほうが相手がどこにいるのか、間合いはどのくらいかを把握しやすいからだ。


(気配読むの疲れますしね)


 自分は足音を一切立てずに、与えられた部屋に戻る。

 カバンを置き、制服から動きやすい服装に着替えて、思うことは一つ。


(何しましょうか)


 暇だった。


 倉橋家にいた頃は、そもそもこの時間に家に帰っていなかった。外の空き地で鍛錬をして時間をつぶし、人の行き交いが少ない時間になってからこっそり帰宅していた。なので、家での時間の使い方がさっぱり分からないのだ。


「やはり、鍛錬でしょうか」


 考えた結果がそれだった。華の女子高生としては貧弱すぎる思考。本人は気にしていないが、紫風が見ていれば「うわぁ」と呻いていただろう。


 しかし問題がある。どこで鍛錬をするかだ。

 筋トレならともかく、部屋で武器を使う練習は流石にやめたほうがいい。倉橋家の部屋よりも広いが、室内で動き回るのは推奨されない。

 なら庭でやろうにも、勝手に使ってもいいのかが不明だった。


「誰かに聞くしかないですね」


 桂か蘭を探すために、香澄は部屋を出た。どこにいるのかはさっぱりわからないので、とりあえず桂の自室に向かうことにして朝も通った廊下を進む。

 その途中で、自分よりも小さな背中を見つける。


「蘭さん」

「……香澄様。どうかされましたか?」


 声をかけられ振り向いた蘭の手には箒が握られていた。


「仕事中だったんですね。すみません」

「いえ、香澄様のお世話の方が重要ですから気にしないでください。これは暇だからやっていただけなので」


 香澄を見る蘭の瞳には恐れが宿っている。どうやらまだ蘭の中では警戒対象らしい。香澄も気づいてはいるものの、どうでもよかったので突っ込まずにおいた。


「それで、なんの御用ですか?」

「庭を使ってもいいか聞きたくて」

「庭、ですか。ガーデニングでも始めるんですか」

「いえ、鍛錬をしたくて」

「鍛錬……?」

「はい。鍛錬です」


 蘭の瞳の恐れが薄くなり、変なものを見るような怪訝な色が強くなる。

 香澄からすればさほどおかしなことではないのだが、蘭からすれば変らしかった。


「私、一応祓い人なので。腕が鈍るといけないんです」

「本音ですか?」

「やることなくて暇です」


 正直に伝えたのにも関わらず、蘭は「本当ですか?」と疑いを向ける。何を疑っているのか香澄にはさっぱりわからない。


「桂様を落とすための穴を掘ったりとか……」


 ただ単に、香澄の信用がなかっただけだった。


(穴、掘りそうに見えるんですね)


 香澄が持ち込んだ荷物は多くない。必要最低限の物だけ、その中にスコップはない。果たして蘭は何で穴を掘ると思ったのか。


(短剣は穴を掘る道具としてはイマイチですし、やはり素手でしょうか。効率悪いですね)


 準備にかかる時間と、成功率を考えると採用はできない。けれど、落とし穴を罠として使うという発想は香澄にはないもので、単純に素晴らしい発案だった。


「蘭さんの発想力は豊かなんですね」

「馬鹿にしてるんですか?」


 立場も忘れ、蘭はキッと香澄を睨む。可愛らしい容姿と、香澄より低い目線のせいであまり威圧感はなかった。 


(褒めたつもりだったのですが)


 香澄に自覚はないが、声の調子を変えずに棒読み同前で言えば、そりゃあ褒められているとは感じられない。人との関わりが希薄な人間に妖怪とのコミュニケーションが完璧に取れるか、と問われればそんなわけがないので仕方なのないことではあった。


「庭ですが、使用して大丈夫ですよ」

「そんなにあっさり許可を出してもいいんですか?」


 流石に桂への確認などで、ある程度の時間は持っていかれるだろうという香澄の予想は大外れ。許可が降りたことに喜ぶべきなのに、流石にすんなりすぎて本当にいいのかと、香澄は不安になる。


「えぇ、桂様からある程度は自由にさせても良い、と命じられてますから」


 祓い人である自分に、自由を許すことなんてことをしても良いのか。ただでさえ、桂の命を狙っているのに。そんな危険人物への寛大な処置に、香澄は感謝しつつ疑問を口にした。


「ある程度、とはどのくらいですか」

「桂様の自室と、庭にある蔵。あとは地下室です」

「……もうすでに破ってますね」


 朝、自室に忍び込み、寝首を掻こうとしたことを思い出す。蘭も思い出したようで、頭を押さえながら「もう入らないでくださいね」と注意した。


「何回くらい無断侵入すれば、怒って処断してくれますかね」

「入らないでくださいね」


 質問には答えてもらえなかったうえ、念押しされてしまう。昔のバラエティならば前振りだが、現代では違う。香澄にもそれは分かる。分かってはいるが同意するわけではない。


「ここ、地下室あるんですね」


 なので話を逸らすために、適当な話に切り替えようとした。


「露骨に話を逸らすのはやめてください」


 そしてすぐにバレた。蘭から逃げることも、祓うこともできるが、必要ではないことするべきではない。香澄は諦めて「分かりました」と返答した。

 ちなみにこの「分かりました」は事情は分かったであり、自室に入らないことに同意する分かったではない。そのことに蘭は気付かず「それで地下室の話でしたね」と律儀に答えようとしてくれる。


「今は使われていない座敷牢と、物置があります。入り口は術で隠されていますし、入ったら罠が発動するので入れないとは思いますが、絶対に入らないでくださいね」

「その罠とは、入った瞬間に刃が振ってくるものですか。それとも、酸素が薄くなり息ができなくなるものですか。それか、妖狐らしくほの――」

「結界術のようなもので先に進めなくなります!! 死には至らないので、入らないように!」


 捲し立てて尋ねる香澄が怖かったのか、蘭は急いで術の説明をする。詳細を聞いた香澄は肩を落とす。


「そうですか」

「普通、地下室がある方に興味を惹かれるものではないのですか」

「倉橋の家にもありました。訳ありの呪物を封じた部屋と、折檻に使われる部屋があります。簡易ですが牢もあったかと」

「……それは、私が聞いてもよい話ですか?」

「秘密にはしてなかったと思います」


 まともに伯父家族と話をしない香澄の言葉に説得力は皆無だが、そんなことを知らない蘭はほっと息を吐いた。


 ちなみに、香澄はその地下室に足を踏み入れたことはない。なので本当に合っているのかも自信はなかった。


(思えば、伯父様はどうして折檻部屋を使わなかったのでしょうか)


 自分相手に使ってもおかしくはないのに、篝は一度も使用しなかった。いくら声を上げても外には漏れないし、道具もそろっているはずなのにだ。

 疑問には思う。しかし確かめる方法はない。だから香澄は忘れることにした。


「それじゃあ鍛錬してきますね」

「承知しました。私はもう少しこの辺りの掃除をしますので、もし何か用があれば呼んでください」


 丁寧に礼をする蘭。香澄個人としては、自分はそんなことをされるに相応しい人間ではない。でもこれが彼女の仕事で、それをやめさせるのもおかしい話だ。


 結局、いつもと同じ、何も言わないという選択をして、庭に出るために玄関へと向かうのだった。

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