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打診

「倉橋香澄です。入ってもよろしかったでしょうか」

「……あぁ」


 香澄は襖を開けて、お盆を持ちながら桂の自室に入る。机に向かっていた桂は香澄に視線を向けた。真っ直ぐ、様子を窺う視線に香澄むず痒さを感じつつ、お盆に載せたお茶を桂に差し出した。


「これは……」

「私がお茶を淹れさせていただきました。蘭さんから手順は聞いていれたのですが、あまり美味しくなりませんでした」

「蘭は茶を淹れるのが美味いからな」


 香澄は自分で淹れたお茶を飲む。お茶の味はする。

 蘭の淹れてくれたお茶は風味が良く、ごくごくと飲めてしまうほど飲みやすい。それには遠く及ばない。一度蘭の淹れたお茶を飲んでしまうと、お茶という飲み物の本来の味がよく分かってしまう。

 蘭のお茶に比べれば、香澄のお茶はお茶味のお湯でしかない。手順は同じはずなのに、何が違うのか。練習の余地ありだ。


(機会があればまた挑戦してみましょう)


 その"機会"があるのかは、桂の反応による。


 自然と、見すぎないように桂を見る香澄。

 桂がお茶を一口飲む。香澄は数秒待ってから「ダメでしたか」と呟く。


「やはり毒か」

「はい。妖怪に効く毒です。毒を盛る人間などやはり不要だと思われますのでこう、ザク――」

「やらない」

「残念です」


 毒でも物理でも駄目。手段よりも試行回数を重ねるべきか。

 それにしても、仏も2度目までしか見逃してくれないというのに。桂は何度目で怒るのだろう。単純に興味が湧いてくる香澄。

 願望と興味、どちらも満たせれば良いと香澄は思う。残念なことにその日はまだ遠そうだった。


「……そうそうに毒を盛ってくるとは、心配せずともよかったな」


 桂の言葉に香澄は数回まばたきをする。目が乾いているわけではなく、単純に驚いたからだ。


「心配してくれたのですか?」

「あぁ、いらなかったようだが」


 ため息交じりに吐き捨てる桂。その言葉も耳に入っていたはずなのに、香澄の心に広がったのは暖かい感情だった。


「ありがとうございます」


 自然と香澄の口から漏れた声に桂は目を見張る。


「なぜ、礼を言った」


 思考して出てきた言葉ではなかったので、香澄は問いに答えるために少し考えた。そして出た答えは「……多分、言いたかったんです」という曖昧なもの。


 桂の怒りを買ってはくれないか。香澄はそう思ったが、残念なことに怒りは引き出せない。桂が抱いたのは怒りとは全く違う、疑問だった。

 その疑問を今、この場で追及することも桂にはできる。しかし材料がない。香澄と桂が過ごしたのはまだ数週間。一ヶ月も経っていない。その短い時間で香澄について知れたことは数える程度。

 だから何も聞かず「それで用件はなんだ?」と話の続きを促した。


「あ、そうでしたね。実は昨日、倉橋家から手紙が届きました。依頼の方は簡単に言えば討伐です」

「祓い屋への依頼は大概が討伐だろう」

「桂様の言う通り確率的には討伐が多いですが、調査もあります。あちらも人手が多くないので」


 あちらというのは、警察内部にある妖怪庁直属の組織だ。主に妖怪関連と思われる事件の捜査などを行う。そもそも妖怪が視える人間が多くないため、事件の数と組織の人間の数が釣り合わず、事件が多い時には祓い屋にも捜査協力が来る。

 あくまでも捜査が仕事であり、彼ら自身が妖怪を祓うことはしない、というよりはできない。視えるから戦えるわけではなく、妖怪に対抗できるほどの力を持っていないのだ。

 危険が多く、なり手がいない。人は増えず、減るばかり。それが妖怪捜査課である。


「危険も多く、視える人間も少ない。そろそろ対策をしなければいけないだろうに」

「考えてはいるらしいですが、良い案がいつでるのかは不明ですね」


 正直、香澄からすれば関係ない話なので興味はない。どうせあと十年はこの状態だろう、が個人的な考えだった。


「それで、討伐の依頼書がこれです」


 躊躇いもなく書類を差し出す香澄。


「これは、俺が見てもいいのか?」


 桂が心配するのも無理はない。祓い屋からすれば、他家は商売敵。視えない人間は力を持たない愚物。妖怪は害獣だ。

 例えば人里に降りてきて人間に害をなした動物を射殺、あるいは麻酔銃を撃つことになった時。事前に近隣の森に住む動物や、撃たれる動物当人に「こういう命令来たので撃ちます」と伝えるのか。答えは当然ノーだ。


 そもそもの話として、祓い屋に届いた依頼書を他人が見ても良いのかがある。

 桂は知り合いの妖怪捜査課の男を思い出す。そしてすぐに大丈夫か、と思った。


 三大妖怪である桂が望めば、あの男はある程度のことは融通してくれる。それが妖怪との不必要な軋轢を面倒くさがった末の妥協なことはもちろん知っている。だけど、叶えてくれるのは事実。

 今回の依頼書の件も仕方なしで済ませてくれるだろう。やはり権力。何でもそうだが、力が全てを解決してくれる。


「良いんじゃないですか。見せてはいけないとは言われてないですし」


 香澄もこの発言である。見せてはいけないと言われていないのではなく。見せないのが当たり前なので言っていないだけだということに、残念ながら香澄は気づいていなかった。


 依頼書を受け取った桂は、ざっと目を通す。調査自体は済んでいて、犯人の妖怪の目星はついている。妖怪の特徴と事件が起きた場所と日時。被害者の情報が書かれていた。


「今回の事件……簡単に言えば、あおり運転ですね」

「頭が痛いな」


 香澄の言うことが正しいのは、依頼書を見ればわかる。

 今回の事件は足の速い妖怪、被害者数人が「犯人は一本の足しかなかった」と話したことから一本だたらだと予測される。


 一本だたらは足の速い妖怪だ。被害者は車やバイクを運転している人間。男女年齢は問わず、幅広い世代が被害にあっている。軽症で済んだ者もいれば、対向車に激突し、いまだに意識の戻らない者もいる。

 犯行に関しては、後ろから迫り、追い抜いたと思ったら前方で邪魔をするように走ってみたり。自分の姿を視認させて、恐怖でスピードを上げる車を追いつかないように追いかけて事故を起こさせたり。

 正確には運転していないのであおり運転ではないのだが、あおり行為には間違いない。

 同じ妖怪の桂から見ても悪質極まりない犯行だった。


「もっと他のことに力を使えばよいものの……」


 真剣に依頼書を見る桂。その姿を見て、香澄はやっぱり桂は真面目な妖怪だと思った。


(妖怪からすれば人間なんて力のない道端の石ころみたいなものなのに、この妖怪は人間をそういうふうには見ない)


 きっとその性格は苦労が多い。というか、今も苦労をしている。なのに楽な方に生きようとはしない。現実を受け止め、何とかしようと苦心する。


(私だけでなく、誰から見ても好感を抱くんでしょうね)


 黙ったままの香澄が気になったのか、書類から顔を上げた桂は訝しげな表情を浮かべた。


「おい、何をニヤニヤしている」

「ニヤニヤ?」

「あぁ」


 香澄は口元に手を当てる。しかし触ってもよく分からなかったし、ニヤニヤする理由も思い当たらない。


「気の所為ではないでしょうか」

「何を考えていた」


 香澄の言う気の所為は即座に切り捨てられ、桂は聞き出すためか、香澄に近づき顎をすくう。そしてグッと顔を近づけた。

 自分の発言が否定されたことに不満を、近い距離に緊張を覚えながら、香澄は考えていたことを少しだけ隠して伝える。


「桂様はとても真面目な方だと思っていました」

「……本当にそれだけか」

「えぇ」


 真面目な桂に好感を抱いた。それだけのことなのに、どうしてか伝えたくない。意味の分からない意地に疑問はある。けれど、その理由を知ってはいけないような気がした。だからそれ以上考えずに「それ以外に何があるのですか」とすっとぼける。


「そうだな……例えば、真面目な俺に見惚れたとか」

「……!」


 正確ではない。しかし外れてもいない桂の発言に、香澄は言葉失う。

 わかっている。桂は冗談の一種として言ったことを。

 香澄は動揺を飲み込む。焦りを追い出す。それから「冗談はやめてください」と返した。


「……そのはずだったんだがな」


 香澄から視線を反らし、ポツリと桂が零した声を不思議に思う香澄。しかし桂はその続きを飲み込んで「それよりも一つ頼みがある」と話を変えた。


 先ほどの反応が気になったものの、それ以上に桂の頼みに興味を惹かれる。


「なんでしょうか」

「お前の仕事についていきたい」


 まさかの頼みだった。香澄は脳内で言葉を取捨選択しつつ、口を開く。


「面白いことはありませんよ。数日かかる可能性もあります」

「面白くなくともよい。どうせ妖怪が活発になるのは夜だ。仕事は昼間に済ませておけばいい」


 言い訳を並べても意味はない。だから単刀直入に尋ねることにした。


「どうしてついてきたいのですか?」

「お前の仕事姿に興味がある」

「なぜ」

「俺もわからん。だが見たいのだ」


 彼もわからないのならお手上げだ。自分にわからないものを、他人である香澄にわかるわけがない。

 拒否する理由もないので、香澄は首を縦に振ったのだった。

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