百鬼夜行?
『ハロウィンに百鬼夜行をしようと思って』
『は?』
隣で作業する黒田さんの発言が、あまりに想定外すぎて、つい反応してしまった。
(くそ、つい。)
内心で舌打ちする。
『いや、百鬼夜行ですよ、百鬼夜行。水谷さん、知らないんですか?』
『知ってるけど、興味ないです』
『え? あー、水谷さん、ハーフだからかな。きっと百鬼夜行の面白さをご存知ない』
なるべく短く会話を打ち切るように言葉を選んだのに、勝手に私の知識を決めつけて話を広げる黒田魁斗に、心の中でさらに毒づく。
けれど、顔には出さない。
私は彼の方を見ず、忙しそうに見えるように本を戻す作業を続ける。
児童書の棚の前で、顔を寄せ合って『内緒だよ』と囁き合っている女児二人が移動するのを待っている間に、私の三倍近くの返却本を抱えていたはずの黒田さんが、反対側の棚からすでに手ぶらで戻ってきた。
未だに本を抱える私の両手を見て、『おや?』と不思議そうな顔をする。
そして、
『手伝いましょう』
とニコニコそばに寄ってくる。
女児が急に現れた黒田さんをチラッと見ると、二人して小走りで移動していった。
『そんなに多くありませんから、結構です』
そう答えた私を見る黒田さんの顔には、如実に、
『まだ終わってないのに?』
と書いてあり、イラッとする。
空気は読めないくせに、仕事は早くて本当に厄介だ。
『百鬼夜行の話の続きをしたいので、手伝いますよ』
そう言って隣にしゃがみ込み、勝手に私の手から半分ほどの書籍を取り上げる。
私は無言を決め込んで、無視して作業を続けた。
『百鬼夜行って、その字の通り、百くらいたくさんの鬼や妖怪が夜の街を行進するみたいに集団で練り歩くんですけどね、平安時代なんかは、遭遇すると死んでしまうなんて思われてたみたいで』
(ハ行、ハ行、あ、抜けてる)
『妖怪の所業という割に、意外と厳密にスケジュールが決まってるんですよ。僕はここに歴史の闇を感じるなぁ』
(これ、修理回した方がいいな)
一冊だけ棚に戻さずに立ち上がると、すでにとっくに作業を終えていた黒田さんが同時に立ち上がる。
『すみませーん』
『はい!』
カウンターで声を上げる利用者の対応に、急いで入る。
貸出の手続きとカードの更新手続きもあり、少し時間がかかった。
奥の返却口では、黒田さんも窓口対応をしていた。
ふと、修理に回す本をカウンターに置いたままだったことを思い出し、探すが見当たらない。
念のため修理待ちの棚を見ると、黒田さんの字で破損箇所が書かれたポストイットが貼られ、棚に収められていた。
私は苦々しい気持ちに蓋をして、次の貸出対応に向かった。
『おつかれさまでした』
『おつかれさま!』
『おつかれー』
小さく会釈しながら挨拶をして、リュックを背負い、カウンターから出た。
今日は残業もなく、スタッフ全員が定時で上がれるため、仕事終わりにもかかわらず、みなさん挨拶の声が溌剌としているし、雑談している人もいる。
『黒田さんシフトいると、ちょっとうざいけど、ほんと助かるよね! 残業ないし』
帰り支度をしていた時に、年上の女性スタッフが私にそうこぼしていた。
残業の際、彼女がおそらく保育園に電話をかけながら、ペコペコと頭を下げているのをよく見るので、本当に感謝しているのがよく分かる。
私は『そうですね』と同意するのみにした。
『水谷さーん!!』
後ろから掛かる声を聞こえないことにして、早足で歩き続けるけれど、数秒で声の主は隣に並んで歩き出す。
『で、さっきの続きなんだけど――』
あの会話から30分は経過しているのに、まるで今さっきまで会話していたみたいに話し始める。
バス停に着いてしまった私は、逃げることも出来ずに、私は声もろくに耳に入れずに、勝手に話し続ける黒田さんをジロリと睨みつける。
エプロンをつけていて気づかなかったけど、今日の黒田さんの服には巨大な髑髏が描かれていた。
しかも、ゴシックとかデスメタルとか、そういうのじゃなくて、
江戸時代の歌川国芳が描いた、〝がしゃどくろ〟だ。
これを見たから百鬼夜行だのなんだのを思いついたのか。
あるいは、百鬼夜行の話をしようと決めて、これを着てきたのか。
黒田さんに限ってはどっちもあり得るし、どっちでもいい。
いや、どうでもいい。
(とにかく、不愉快)
『あの』
『たぶん、百鬼夜行の厳密なスケジュールを周知させた影のプロデューサーがいて、おそらくお上から依頼された仕事だったんじゃ――ん? なになに? なんか言った?』
『やめてもらえませんか?』
『何を?』
『私に必要以上に話しかけるの』
私はそれだけ言うと、言葉を切って黒田さんの反応を観察する。
黒田さんは過剰に瞬きした後、腕組みをして、一瞬悩むような顔をして、すぐに表情を明るくした。
『あ! 妖怪嫌いだった? それとも歴史?』
『両方です』
(やっぱり伝わらない)
私はもう話す気力もなくなって、適当に返事をした。
黒田さんがうちの図書館に転勤してきてから4ヶ月。
異常に絡まれ続け、もう拒絶するのすら諦めかけていた。
『なんで? 妖怪のどこが嫌いなの?』
『何もかもです』
(あなたもね)
私たちの不穏な気配を察したのか、バス停の前に並ぶ数人の視線を感じる。
黒田さんはまるで今、ここがバス停であることに気付いたのか、列の後ろに並ぶ私とバス停を交互に見る。
『乗らないんですか?』
『乗るから待ってるんです。黒田さんは乗らないなら早く帰ったらどうですか?』
『…そうですね。じゃ!また明日』
黒田さんは、その場で唐突にアキレス腱を伸ばす動作を始める。
そのまましゃがんで靴紐を結び直し、リュックの紐をぎゅうぎゅうに短くする
そして私に軽く手を振ると、いきなり猛烈なトップスピードで走り始めた。
身を低くして、荒々しく地面を蹴りながら走る動きは、アスリートというよりは獣じみていた。
以前スタッフの誰かが話しているのを聞いたことがある。
『え?!黒田くんって走って通勤してるの?!1時間半?!』
『ねー、さすがだよね、なんか黒田くんって感じでさ。なんで?って聞いたら"走らないと頭がごちゃごちゃして眠れないから"だって。』
『ぶっ飛んでるわ〜』
バスの座席に座って目を閉じながら、私はそんな会話を思い出していた。
行列していたバス停に反して、車内はガラガラだった。
翌日、朝からスタッフの数人に顔色の悪さを指摘された。
少しでも血色が良く見えるように、メイクの時に普段はしないチークも塗ったのに、無駄な努力だった。
『先に休憩入りな?』
今日のシフトでは、早朝番の細川さんの方が先に休憩に入る順番なのに、心配して声をかけてくれる。
たぶん今か後かなど関係なく、1時間程度休むことでこの体調が改善するはずもないことは分かっていたけれど、普段から親切な細川さんが善意で言ってくれているのは分かるので、お礼を言って素直に休憩室に入った。
『あれ? 水谷さん今から休憩? 今日は遅休憩だよね?』
私は無言で開けた扉を閉じて、そのまま図書館併設の喫茶店に向かう。
『やなぎでご飯食べるの? 秋限定の金時芋のモンブラン食べた? 美味しいよ!』
後ろから追いかけてくる声に反応せず、入り口の看板でメニューを見て、隣の食券の自販機で究極の激辛カレーのチケットを買う。
『……え? 究極の激辛……? 食べる人いたんだ……』
勝手に傍から覗き込んで、信じ難いといった態度だ。
そのまま慄いて引き返してほしい。
願いは叶わず、なぜか黒田さんは勝手に私の向かいに座って、これでもかと餡子と生クリームを挟んで分厚くなったサンドイッチを食べていた。
カレーを食べると、辛さに反応した身体に熱が戻り、少し元気になってくる。
黙々と食べていると、すでに分厚いあんバターサンドを完食した黒田さんが、観察するようにこちらを見ていた。
『見ないでもらっていいですか。食べづらい』
『……辛くないの?』
『辛いですよ』
『絶対美味しくないでしょ』
『美味しいですよ』
『辛いってことは、舌の味蕾が痛がっているってことだよ。そんなものをわざわざ食べるなんて、あまりに自虐的すぎて、理解できない……』
『食欲なくなるんで、黙ってもらえますか?』
黒田さんはわざとらしく口を両手で押さえつつ、まるで悍ましい行為を見るように、私がカレーを口に運ぶ様を見ている。
『食べます?』
『!!』
あまりに怯えるので、腹が立ってスプーンを突き出すと、なぜか黒田さんは口に手を当てたまま高速で瞬きを繰り返した。
『……食べる』
『冗談ですよ』
『そもそもなんでハロウィンに百鬼夜行なんですか?』
私はずっと無視し続けた疑問を、観念して口にした。
『? ……一番ちょうどいいと思って』
さも初歩的なことを質問されたみたいな表情に、またイラッとする。
(全然答えになってないし)
『だいたい〝やる〟ってなんですか? 商店街にでも呼びかけるんですか?』
ぷっと吹き出したので席を立とうとすると、
『笑ってない! 鼻息! アレルギー性の鼻息です!』
と騒ぐので、もう一度座り直す。
『だって、水谷さんがおかしなこと言うから。商店街に妖怪の商店でも? アーケードが鬼門につながってたり?』
『ハロウィンに、本物の妖怪を想定している思考回路の方が頭おかしいですから』
もう会話に付き合う気が失せて、皿に残っていたカレーライスを口の中にどんどん詰め込んでいく。
ビリビリする辛さが、この会話のストレスを燃やしてくれる気がする。
『日程がハロウィンなのは、ハロウィンの仮装に紛れることで少しでも混乱が起きないようにですよ。本当は子の日とかも考えたけど、昨日も言ったように、そのあたりの日程はプロデューサーの後からのこじつけだと思うので』
カレーを咀嚼しながら、ペラペラと突拍子のないことを話す黒田さんを、ガラスを隔てた向こう側の世界のことのように眺める。
私はぼんやりと、4ヶ月前のことを思い出していた。
異動してきた直後の黒田魁斗という人間は、こんな突拍子のない人ではなかった。
物静かで、仕事が早くて、必要最低限しか交流しない。
そんな人物だった。
背が高く、容姿もそこそこ整っていたこともあり、出会いの乏しい図書館スタッフの女性数人がこぞって彼に話しかけに行っては、素っ気なくされて撃沈した。
彼は上司に携帯番号を教えることすら拒否した。
困り果てる上司を、
『僕は雨でも風でも台風でも、宇宙人でも怪獣でも、どんな未曾有の事態でも通勤するので問題ありません。風邪も人生で一度もひいたことはありません』
と説得したらしい。
その話が職場に知れ渡る頃には、彼の周りを取り巻いていた女性スタッフは、あっという間に遠巻きになった。
その日は黒田さんの歓迎会にもかかわらず、賑やかな場から距離を空けて隅に座っていた私の向かいに、彼は座っていた。
この日も私は〝体調が悪い日〟だったが、歓迎会ということで、多少無理をして参加していた。
向かいに来た宴の主役を気遣えない程度には、具合が悪かった。
私は完全に黒田さんを無視して、手にした梅酒をグイッと煽る。
(このブランデーの梅酒いいな。度数高くてカッとなるのが好みだな)
私はだらしなく肘をついたまま、反対の手でテーブル端のモニターを操作して、同じ梅酒を追加注文する。
『ウーロン茶も頼めますか?』
向かいから声がして、視線だけ動かすと、黒田魁斗が私の方を見ていた。
彼のジョッキには、まだ半分以上、乾杯の時のものと思われるビールが残っている。
『お酒、飲まないんですか?』
『酔った感覚が好きじゃないので』
『それ、飲まないなら頂いていいですか?』
『……どうぞ』
返事の声と同時に手を伸ばしてジョッキを取ると、グイッと一息に飲み干す。
『お酒、好きなんですか?』
『身体が温まるので』
『……寒いんですか?』
『体温が低いので』
お互い話すこともなくなり、会話はそこで終わった。
無言で、運ばれてきた梅酒とウーロン茶をそれぞれ飲む。
そのまま結局、お開きになるまで私たちは何も話さなかった。
帰り際、上司が挨拶を終え、さあ帰ろうと、ぱらぱらと駅に向かう集団とバス停に向かう集団に分かれ始めた時、黒田さんが離れたところに立っていた私の側に歩いてきた。
『水谷さんは、常識では考えられないような、不可思議なことについて、どう考えますか?』
体調も悪いし、アルコールも回って、その時の私は平時とはかけ離れた思考になっていた。
有り体に言えば、意味の分からない質問に対して、うっかり本音で答えるくらいには投げやりになっていた。
『ぶっ壊してやろうと、思いますね』
私はそう言うと、街灯の灯りの下で、ニヤリと片方の口角を上げた。
『水谷さんが先に言い出したんですよ』
今、目の前には、喫茶店のテーブルの向かいに座る黒田魁斗がいた。
『何の話?』
『先に僕が守ってきた馬鹿馬鹿しい常識を壊したのは、水谷さんだ』




