第三十四話 川を制する者
第三十四話 川を制する者
一益の情報網、藤吉郎の兵站、利家の武勇――拠点を支える要素は、これまで着実に育まれてきた。しかし、その中でも、小六が率いる川並衆の存在は、これまであまり表舞台に出ることがなかった。彼らは、いつも、目立たぬところで、拠点の退路と物流を、静かに支え続けていたのである。
ある日、一益がもたらした情報により、今川方が、新たな補給路として、拠点周辺の川を利用しようとしていることが判明した。
「殿、今川方は、これまでの陸路での補給に限界を感じたようで、川筋を利用した輸送を計画しておるようにございます」一益が、報告に来た。
私は、その報せに、少し考え込んだ。「川を使われると、俺たちにとっては、まずいのか?」
小六が、その場で答えた。「殿。川という道は、我らの領分にございます。今川が、我らの目の届かぬところで川を利用するのであれば、それこそが、我らにとって、最大の好機にございましょう」
私は、その言葉に、少し安堵しながらも、慎重に尋ねた。「小六、無理はしないでくれよ。危険なことは、あまりしてほしくないんだ」
(訳:川の上での戦いは、俺には想像もつかないけど、危ないことは変わらないだろうから)
小六は、力強く頷いた。「殿、御安心くだされ。この小六、川筋のことならば、誰よりも熟知しております。決して、無謀な戦いはいたしませぬ」
数日後、今川方の輸送船団が、実際に川を下り始めたという情報が、一益からもたらされた。小六は、直ちに配下の川並衆を率いて、行動を開始した。
小六たちの戦法は、これまでの陸上での戦いとは、まったく異なるものであった。彼らは、川の流れや浅瀬、隠れやすい岸辺の地形を知り尽くしており、今川方の輸送船が油断した隙を突いて、次々と襲撃を仕掛けていった。船を沈めるのではなく、積み荷を奪い、あるいは船を岸に誘導して立ち往生させる――そんな、巧妙かつ被害の少ない戦法が、繰り返し用いられたのである。
今川方の輸送隊は、次々と川並衆の襲撃を受け、思うように物資を運べなくなっていった。
「川筋での輸送、まったく機能しておりませぬ」ある部隊長が、上役に報告した。「まるで、川そのものが、我らに敵対しているかのようにございます」
軍監は、その報告に、深いため息をついた。「陸路が使えねば川を、川が使えねば、いったい、いかにして物資を運べというのだ」
拠点に戻った小六は、誇らしげに、この一件を報告した。「殿、今川方の輸送船団、見事に足止めいたしました。積み荷の一部は、我らが確保いたしております」
私は、その報告に、心底から安堵した。「よかった……。誰も、大きな怪我はしていないか?」
「はい、軽傷者が数名出た程度にございます」
私は、それでも、胸を痛めながら尋ねた。「その軽傷者、ちゃんと手当てはしたか?」
小六は、少し驚いた様子で私を見つめた。「殿、御心配、痛み入りまする。もちろん、手厚く手当ていたしております」
私は、安堵の息をついた。「そうか、よかった……」
(訳:本当に、誰も大きな怪我をしていないことが、何よりも安心できることなんだ)
小六は、その様子を見て、深く感じ入った様子であった。「殿は、いつも、この身のような者たちの安否を、真っ先に気にかけてくださいます……」
彼の脳裏には、かつて、川筋の村々で「盗賊」と蔑まれ、誰からも心配されることのなかった、苦い過去が蘇っていた。だからこそ、私の何気ない気遣いが、彼にとっては、何よりも重い意味を持って響いていたのである。
その夜、拠点では、この勝利を祝う小さな宴が催された。小六率いる川並衆たちは、これまでにない誇らしげな表情を浮かべながら、酒を酌み交わしていた。
「わしらのような者の技が、こうして正しく認められる日が来ようとは、思いもしなかったな」ある川並衆の一人が、しみじみと呟いた。
「まことに。殿は、我らを、盗賊としてではなく、確かな戦力として、頼りにしてくださる」
その頃、今川方の陣中では、「魔王が川神を従えた」という、まことしやかな噂が、静かに広まり始めていた。この噂は、単なる迷信として片付けられることなく、次第に、多くの兵士たちの間で、確かな恐怖として根付いていくこととなる。
私は、その頃、宴の輪から少し離れた場所で、静かに夜空を見上げていた。(今回も、大きな犠牲を出さずに済んで、本当によかった。小六たちが、あんなに頑張ってくれたおかげだな)
私の胸には、四天王それぞれへの、深い感謝の念が、確かに育まれ始めていた。彼らがいなければ、この拠点は、決してここまで発展することはなかったであろう。その事実を、私は、日を追うごとに、より強く実感するようになっていたのである。
(俺一人じゃ、絶対にここまでできなかった。みんなのおかげで、俺は、こうして今も、生きていられるんだ)
その感謝の想いを胸に、私は、静かに宴の輪へと戻っていった。夜が更けるまで、拠点には、久しぶりの、穏やかな笑い声が絶えることなく響き渡っていたのである。




