二人の買い物―この時は普通に買い出しだった……― 日常描写 オチ無し 買い物
私がこの街……この世界に来てからは、まだ日が浅い。
ようやく慣れては来たが、当初は目に入る物全てが未知の存在で、大いに面食らったものだ。
珍しい、とか、真新しいという真っ当な表現では足りない。見る物すべてが驚愕と困惑を与えてくるというのは些かに強烈な衝撃がある。
考えてももらいたい。
精々が中世ヨーロッパ並みの文明レベルの世界の住人が、いきなり現代社会に迷い込んだらどうだろうか? それもそこが、超が付くほどの大都市であるこの古見掛だとしたら。
珍しさよりも恐怖の方が先に来るに決まっている。都市部と田舎などという生ぬるい差ではない。見たことも聞いたこともない巨大なコンクリート製の構造物の森の中に置き去りにされれば不安にもなる。
幸い、とは決して言えないが、この街に来た時、私はまさに命の掛かった逃亡者だったのでそこまで気を回さずに済んだ。
さらに、そのすぐ後に人の好さげな(実際によかった)殿方が付き添ってくれたので、パニックに陥るようなこともなかった。が、それでも内心では大いに慌て戸惑ったものだ。
結局、私はその殿方の下に仕えることになった。
結果として、私は少しずつこの街に慣れて来ている。道行く車を過剰に警戒したりもしないし、ビルが崩れてくるのではないかとも危惧していない。
もちろん、テレビや鉄道を見て「ヒャア! 箱の中に人が住んでるダア!?」だの「鉄の蛇が走っとるう!?」などという面白おかしいリアクションはそもそもしたこともない。
そんな私が、もっとも最初に馴染んだ場所、それはスーパーやショッピングモールといった商業施設だった。
別に何か特定の好印象があったわけではない。ただ、特に食品売り場が元いた世界の市場と似通っていたので安堵感があっただけだ。私の元いた世界に比べ、この世界は輸送、保存技術が著しく発達しているが、それでも食品自体に劇的な変化があるわけではない。もちろん、食材も私の知るものとは異なるのだが、それでも懐かしい気持ちが湧かないわけではない。
前置きが長くなった。
今、私は件の殿方、現在の私のご主人と共に近所のスーパーに足を運んでいる。
用向きはごくごくありふれたもの。食材の買い出しだ。
ありがたいことに、私のご主人は食事のメニューを決めるにも、よく私の意見を求めてくれる。調理自体はご主人の趣味も兼ねているので私が手を出すことは少ないが、それでもたまには二人で台所に立ったり、こうして買い物の供をすることもある。
「さて、今日の夕飯は如何にしようかね?」
「昨夜は私の希望を通してもらったからな。あなたの食べたいものでいいと思うが」
「それにしても色々と選択肢があるからね。ちなみに僕は今日はたっぷり食べたいと思うんだけどどうだろう」
「どうだろうと言われても……。つまり、量をたくさん作る料理、ということか?」
「そうだね。カレーとか、鍋とか、どうかなぁ」
「確かに、今日はそれなりにハードな仕事だったからな。私としても食べごたえは欲しい所だな」
こうして二人で買い物に出るのは珍しい事ではない。
私はなるべくご主人の側に控えるようにしているし、別行動を取っていてもご主人が電話やメールで誘いをくれることも多い。
これは非常にありがたい事だ。ご主人と行動を共にするというのは私の何よりの楽しみだし、多少はこの世界に慣れて来たといってもあくまで多少。出歩いて少しでもこ
の街に馴染んでいきたい。何しろ今の住まい……ご主人の部屋は非常に居心地がいい。居心地が良すぎて外出の理由が無ければ引きこもってしまいかねない。
「ふぅむ……それじゃあ、しゃぶしゃぶはどうかな?」
「しゃぶ……あの肉を湯に通して食べるという奴か?」
「そうそう。本格的な味付けは不要でしかも食べたいだけ食べて食べ残しも出ないという便利な一品だけども、如何かね?」
「味付けなしなのか?」
「うん。取り皿にポン酢やタレを出しておいてそれに浸けて食べるんだ」
「ほほう。よさそうだな」
食品売り場に踏み入りながら、私達は夕食の献立を話し合う。
この一時は控えめに言っても心地いいものだ。取り留めのない話をしながら二人で意見を交わし合い、ああだこうだと頭を捻るのはとても楽しい。
さらに言うと、食品売り場というのは見ていて楽しいというのもある。私が仕える前から、ご主人はたまに食品売り場を意味もなく徘徊する趣味があったという。
実にもっともな話だ。
食品売り場とは、すなわち料理の原点だ。何を作ろうかと見ているだけで心躍る。
食欲をそそり、かつ購買意欲を持たせるために洒落たデザインを施されたパッケージ。文字通り匂い立つ新鮮な果物や野菜。食べないにしても、見るだけで目を楽しませるだけの力があるのが食品売り場だろう。
同時にここは生命の宝庫でもある。より正確に言えば、生命の源の宝庫だ。
食物繊維、ビタミン、タンパク質、炭水化物、等々など……。人間が生きていくのに必要な栄養源が全て揃っている。そういう意味では不思議な安心感もある。
「さてと、それじゃ肉だね、肉。肉の無いしゃぶしゃぶはあまりにも悲しすぎるし、肉だよ肉」
「どれだけ肉が食べたいんだ。言っていること自体は全くの同感だが」
ご主人はカートを押しながら視線を巡らせ、安さと質の釣り合った肉を探す。
ちなみに、本来カートを押すのは私の仕事だとは自分でも思っている。が、主が「君がもう少し幼いか、僕がもう少し年を食った外見をしていたら任せたんだけどね」と言ってカートを押す役を中々任せてくれない。成程、確かに世間体の良い光景ではないかもしれない。しかし、悪い光景でもないと思うのだがどうだろうか。
もっとも、あの時私が「自分の仕事だから」という理由でその役目を願い出たからご主人はそれを聞き入れなかったのかもしれない。この人は自分が不得手とすることは私に任せても、そうでないことは自分でやるというスタンスだ。
(私だって、押してみたいんだが……)
今度はその辺りも含めて頼んでみようかと考える今日この頃だ。
「よし、こんなものかな」
「えっ、あ……」
私が物思いに耽っている間に、ご主人はいくつかのパックをカートに乗せていた。
早い。肉の前に立ってからまだ一分と経っていないといのに。
「まあ、二人分だからね。そんなに大量には必要ないから」
ご主人は朗らかに笑うとそのまま踵を返す。
「ん? もし、ご主人。そっちは野菜売り場ではないぞ?」
見当違いの方向にカートを押していくご主人に声を掛けると、くるりと振り返って手招きしてくる。
「いや、野菜はうちにまだあるからさ。それよりも明日の朝ごはんを確保しておこうじゃない」
テクテクと進んでいくご主人の後を付いていくと、行き着いた先はベーカリーコーナーだった。
このコーナーは単に工場で量産されたパンではなく、店内で造られたパンを取り扱っている。袋詰めされていない品をトングでトレーに乗せていく方式だ。
私がこの店で最も気に入っている場所と言える。
何しろビニールの袋に入っておらず、そのまま陳列されているのだ。元いた世界の市場を否が応でも思い起こさせ、懐かしい気分にさせてくれる。一種の郷愁さえ抱き、目頭が熱くなる程だ。楽しい思い出はあまりないにしても。
同時に、食欲をそそる香りの中、多種多様なパンを眺めてどれを買うか迷うというのは非常に楽しいものだ。まして、敬愛する主と並んであれこれと選ぶとものれば尚更だろう。
「さて、どうしようか。明日の朝の分だから、あんまり重い惣菜パンとかは避けようか……?」
「その辺りは、まあ好みの問題もあるが……。私としても朝は軽めなあっさりしたものがありがたいな」
二人の意見が一致する。
私はトレーとトングを手に取り、ご主人の後ろに並んだ。流石にご主人にカートと一緒に持たせるわけにはいかない。私自身の楽しみだからでもあるが。
「さーて、ど・れ・に・し・よ・う・か・な?」
「楽しそうだな。私もだが」
並んだパンを一種類ずつ指さしていきながら、ご主人は鼻歌交じりに選んでいく。
迷う気持ちはよくわかる。私達の胃袋は一つずつしかないが、それに対して魅力的なパンが多すぎる。生唾が湧いてくることを自覚しつつ、私もご主人に習って良さそうなものを物色する。
「よし、決めた! クロックムッシュー!」
「早速惣菜パンの様な気がするが、比較的軽いし、まあケチはつけまい。では私はカレーパンにしよう」
「君も随分とへヴィーな選択するね。僕もケチは付けないけどね。あとデザートにシュークリームを二つ三つかな」
「主食よりデザートの方が多いとは、怖ろしい……」
「い、いいじゃないか。僕って甘党だし」
「辛党でもあるがな。もしピザパンを選んだのなら怖ろしい量のタバスコをかけるのだろう?」
「うわ~ん! ラヴィニアがいじめる~!」
やはりご主人との買い物は楽しい。
こうして共に日常を過ごせるありがたみを噛み締めながら、私はニヤニヤと自分の主を口撃する。
もっとも、その報いでその夕飯はいろいろ面白可笑しい目に遭わされたのだが。




