第4節 死者の道標
水筒を捨てた代償は、すぐにやってきました。
喉の渇きは限界を超え、乾いた舌が口蓋に張り付いています。
一歩進むたびに、血の混じった砂を吐いているような錯覚に襲われました。
(……あつい、いたい、もういやだ……)
思考が千切れた綿のように散っていきます。
もう、足の感覚すらありません。
ただ、肩に食い込むベルトの痛みだけを頼りに、私は砂を蹴り続けました。
不意に、強い風が止みました。
視界を覆っていた砂埃が晴れ、灰色の地平線がはっきりと見えます。
そして、私の足元に「それ」はありました。
「……あ」
砂山から突き出た、白い枝。
――いえ、違います。それは指の骨でした。
私は思わず台車を止め、その場に膝をつきました。
風化した布切れに包まれた、半ば砂に埋もれた白骨死体。
私と同じように、この砂漠を渡ろうとして力尽きた旅人の残骸です。
ここに来て初めて目にする「人間」の痕跡が、死体だなんて。
絶望が、冷たい泥のように胃の底へ沈んでいきます。
ふと、その骸骨の指先が、何かを握りしめているのに気づきました。
カサカサに乾いた、羊皮紙の切れ端です。
私は震える手でそれを抜き取り、目を凝らしました。
掠れたインクで、震えるような文字が記されています。
『この先、単色層。赤の入場証がなければ、入れない』
『色のない者は、引き返せ。灰に還るだけ。』
それは、かつてこの人が書き残した遺言であり、後続への警告でした。
「赤の入場証」……徴収官が身につけていたような、支配層の証でしょうか。
いずれにせよ、無色の私たちが歓迎される場所ではないことだけは確かです。
「……引き返せ、か」
私は乾ききった声で笑いました。
帰り道なんて、もうどこにもありません。
私が帰る場所は、後ろの台車に乗っているのだから。
私はゆっくりと顔を上げました。
骸骨の指が、皮肉にもその「警告の先」を真っ直ぐに指し示していたからです。
視線の先。地平線の彼方に、巨大な黒い影が見えました。
天を突くような高い防壁と、その向こうから漏れ出る、歪な赤褐色の灯り。
砂漠の闇の中で、まるでそこだけが病気で腫れ上がっているかのように、不味い色彩を放っています。
――灰砂街。
色を奪われた者たちと、色を欲する者たちが蠢く、単色層の街。
「……あそこだ」
喉の奥から、絞り出すような声が出ました。
あそこに行けば、水がある。
あそこに行けば、アイゼンを直す「部品」か「色」が手に入るかもしれない。
あるいは、この砂漠よりもっと酷い地獄が待っているだけかもしれない。
それでも。
「……行くよ、アイゼン」
私は骸骨の手から離れた羊皮紙を握りつぶし、立ち上がりました。
右腕の黒い痣が、灯りを見た私の高揚に呼応するように、ドクンと痛みを放ちます 。
黒が、また一歩、内側へ踏み込んできた感覚 。
でも、止まれない。
私は再び革ベルトを肩に食い込ませ、軋む車輪を回しました。
背中の彼は、何も言いません。ただ、私の命の重りとして、そこに在り続けています。
狂人たちの街の灯りが、私の影を長く、黒く伸ばしていました。
第2章 「砂の海の迷い子」 完




