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いつか来る別れ(ターフィル視点)

 泣きすぎて気絶するように眠った彼女をベッドに寝かせて部屋を出る。

 未婚の男女がこんな夜更けに同じ部屋にいるのは外聞が悪い。バドルの人々は多分こんな場面を目撃したら、次の瞬間には慈母のような微笑みを浮かべ、立ち去るだろう

 彼はどんな風に見られようとあまり気にしないが、香代はそうではないに違いない。


 自分の部屋へ戻り、明日、と言うより今日の予定を頭の中で組み立てる。

 朝一番に今日の鍛練を無しにして貰えるようにアサドへ進言しよう。

 香代は多分起きられないし、最近のファアルの様子は危なっかしい。ここらへんで時間をとってアサドからしっかり言っておいてほしいものだ。


 朝まで仮眠をとるために寝台に横になって、香代のことを思い出す。

 それだけで安堵から笑みが浮かんだ。

 初めて会ったときから、どこか彼女は危うかった。


 香代は一見気さくで周りを気遣う優しい女性である。聖女という立場に甘えず、自己研鑽に励み、謙虚な態度で瞬く間に王宮に馴染んだ。

 しかし、ターフィルはどこかに違和感を覚えて不安だった。ずっと、無理をしているのではないかと心配していた。


 なんとかその「無理」を解消しようと言葉を尽くしてきたのだが、大人の女性らしい落ち着きを備えた香代にはいつもうまくあしらわれてしまっていた。

 だが、ようやくその無理の源を聞き出せた。その内容はターフィルにどうこうできるものではないが、話すことで少しでも負担を減らすことはできるはずだ。

 ひとつ峠を越えた気持ちで、彼は眠りに就いた。




 翌日、時間通りに起きたターフィルは予定通りアサドに鍛練を休むように進言した。


「そうだな。たまには休みが必要だ」

「私は香代様を見張りますので、アサド様はファアル様をお願いしますね」

「うっ……!」

「お願い、しますね?」

「……わかっている」


 彼が念を押すと、アサドは苦虫を噛み潰したような顔をする。

 本当にわかっているかは怪しいが、うるさくは言わない。助言してもファアルのことに関してはグダグダと言うばかりで面倒くさいのでもう何もしないと決めている。


 その日、香代は部屋から出て来ず、アサドはファアルを連れて街へ出かけた。

 ふたりきりだったが、特に進展はないようだ。何やら落ち込んでいたが、慰めない。そのうち自力で元気になるので必要ない。


 翌日、現れた香代はいつもと変わらぬ落ち着いた様子だった。涙の名残りか目の端が若干赤い。

 しかし、変化は本当にそれだけで、香代はそれからあんなに取り乱したことを忘れたように振舞った。


 彼の方もあの日のことには決して触れず、代わりに香代のことを尋ねることにした。

 家族や、好きなもの。故郷でどう暮らしていたか。

 美織の記憶を見てから自分の記憶が曖昧になったと零していたので、彼に話すことが思い出す助けになればと思ったのだ。


 少しずつ思い出しながらあちらの世界について話す香代は明るく、楽しげで。思い出を反芻しては愛おしそうに目を細める。

 美しいはずのその表情を見るたびに胸が締め付けられるのは、そんなに大切な場所から引き離されている今の彼女の現状を憂えているせいだと、そう思った。

 

 


 鍛練と、時々魔物を倒す日々に変化が訪れたのはあれから一週間ほど経った日のことだった。

 ファアルがついにひとりで魔物を仕留めたのだ。

 本人よりも身内が喜び、大将軍が酒宴を開こうと言い出した。ファアルは「恥ずかしいからやめて!」と全力で止めていた。


 彼女が魔物を倒せれば、少し早いかもしれないが魔王討伐が視野に入れられるようになる。

 明るい兆しに誰もが浮き立った翌日。

 何故か香代が彼の部屋を訪ねてきて、「髪を切ってほしい」と頼んできた。




 彼が使用している部屋はかつて王族が使っていたものを改装した部屋だ。

 それは別に特別なことではなくて、王宮にはそういう部屋がいくつもある。

 時代の変化に合わせてどんどん拡張していくうちにそうなってしまったのだそうだ。

 城というものをターフィルは多分ここしか知らないが、絶対バドルがどの国よりも複雑な構造をしている。


 彼の部屋は王族のための場所だったから、景観をよくする意味で中庭に面している。そこに椅子を出して香代を座らせた。

 服に髪がつかないように布を巻きつける。うなじで髪をまとめて持ち、布の上に出した。


 彼は一度も髪を切ったことがない。それなのに、髪を切れとは香代はどうしてしまったのだろう。

 一応、言われるままに動いているが内心は緊張している。彼女の美しい黒髪を惨憺たる有り様にしてしまったらと思うと手が震えた。


 魔術師は基本的に髪を切らない。

 髪が長い方が魔術の制御が精密になると信じられているからだ。

 魔術師でなくても魔力のある者は髪を伸ばしている。アサドのように短髪にしている者は稀である。

 逆にそこまで魔術に関係ない生活をしている者は髪型を変えて楽しんでいるようだ。バドルは暑いので女性でも短髪にする者は多い。


「髪を切る長さでひと束ずつ縛っておけば切りやすいと思うんだよね」

「ああ、それはいいですね」


 香代の提案に安心する。それなら素人の彼でもなんとかなりそうだった。

 最初に長い髪を櫛で丁寧に梳く。黒は女神ライラの色で、バドルでは最も高貴な色とされる。そんな色の髪を切るのはいささかもったいない気がした。


「どうして髪を切ろうと思ったのですか?」

「んー。元々短かったから長いのに慣れなくて。それに、覚悟を決めようと思って」

「覚悟、ですか?」

「そう。これからも生きていく覚悟」


 随分重い覚悟を髪に託そうとしているのだと知って、櫛を取り落としそうになった。


「わたし、聖女をやることは決意できたけど、そのあとのことがずっと想像できなかったの」

「そのあと……」

「元の世界に帰ったあとのこと。こんな、他人の体になっちゃってどう生きて行けばいいかわからなかった。ジュルネを殴るっていう目標を達成したら、ライラが治した美織の魂に体を返そうと思っていたの」

「それは……」


 ターフィルはどんな顔をしていいのかわからなかった。

 決して、美織が嫌いな訳ではない。魂が砕けてしまった彼女には同情している。

 香代の体は元々美織のものである。正当な持ち主に返すということは正しいことなのだろう。

 しかし、彼女の代わりに香代がいなくなるのは受け入れ難い。バドルのために戦いに身を投じる覚悟をし、ターフィルが仲良くなったのは美織ではなく香代だ。


「もうそんなつもりはないよ。

 美織はここに戻って来る気はないみたいだから」

「そうなのですか?」

「多分ね。わたしは美織じゃないからわからないけど。この体に未練はないと思う。だからわたしが最後まで大事に使わせて貰うよ」


 香代はそう言って笑ったが、その笑顔はぎこちなかった。


「……なんて、言ってみたけど、ほんとは不安なの。ライラは大丈夫って言ってたけど、全然違う姿で帰って、家族はどう思うだろうって。面と向かって『娘とは思えない』って言われたらって……」


 俯いて弱音を零す彼女に、何故かターフィルは感動してしまった。香代が、初めて自発的に彼へ弱味を見せている。


「香代様、そういうときは人のせいにすればいいんです」

「人のせい」


 やや勢い込んでそう言うと儚い笑みを浮かべていた香代が真顔になった。何か間違えただろうか。

 しかし、もう口に出してしまった以上最後まで言うしかない。


「私たちやライラ様のせいにすればいいのです。香代様が現状を望んだわけではないのですから」

「それで、いいのかな?」

「いいのです。それに、香代様のご家族はそんなことは言いません。お話を聞いただけですが、私はそう思います」

「……」


 香代は頷いたが、表情から憂いは消えない。話を聞いているだけの彼の言葉では説得力がないのだろう。


「実は私はバドルの人間ではないのですが」

「はっ? えっ? ちょっと待って? そんな重要なことそんなにサラッと言う⁉︎」


 ぐりんっと勢いよく香代が振り返った。まじまじと彼の顔を見る。

 彼の顔立ちはわかりやすく他国の特徴を備えている。しかし、異世界人の香代はそんなことを知らないだろう。

 ターフィルはわかりやすいように腕を捲った。


「服の下は肌が白い!」

「はい。私はおそらく北方の出身です」

「おそらく?」

「記憶喪失なので十年以上前のことは思い出せないのです。砂漠の真ん中で遭難していたところをバドルの戦士たちに助けられました」

「記憶喪失⁉︎」

「そうなんです。名前どころか言葉や歩き方まで忘れてしまって赤子同然でした。だから名前は陛下につけて頂いて、年齢も本当に二十五かはわからないんです」

「えっ、えぇ〜……」


 香代は絶句している。

 バドルの人々は死にかけで真っさらな彼を王宮で引き取り献身的に治療し、人として当たり前のことを丁寧に教えた。

 おかげでターフィルはまともに人間らしく暮らしている。


「ですから、バドルに移住することを決めました」

「移住?」

「神殿で守護神に願い出れば他国の生まれでもその国に移住ができます。記憶は未だに戻りませんが、今はバドルの人間です」

「過去に未練はないの?」

「はい。まったく」

「家族とかは……」

「未だに記憶が戻りませんが、こうして私はバドルで幸せにしているのです。会えなくても喜んでくれてるだろうと、信じることにしました」

「信じる?」

「はい。家族のことは何も知りませんが。香代様は私と違ってたくさんの思い出があるのですから、ずっと信じられるのではありませんか」


 実際のところ、ターフィルにとって家族は今の彼を育ててくれたバドルの人々だ。何も知らない人間を信用はできない。

 しかし、バドルの人々が教えてくれた家族の在り方を信じることはできる。

 香代は静かにひとつ、頷いた。


「……そうだね。そんなこと言うなんて考えるだけでも家族に失礼だった。ありがとう、ターフィル」


 柔らかい、翳りのない微笑みで礼を言われて安堵する。どうやら失敗ではなかったようだ。

 話の区切りがついたところで髪の長さを相談して決めて、細い紐でいくつかの毛束にまとめていく。


 初めて鋏を入れる瞬間が一番緊張した。

 集中し、慎重に髪を切る。切った髪は香代がほしがったので布で包んで渡した。

 大したことはできないが、最後に長さを揃えて仕上げる。肩にかからないくらいまで切ったので、かなり印象が変わった。

 巻き付けていた布を取り去ると、香代は早速毛先を摘んでいる。


「似合ってる?」

「はい。お可愛らしいです」


 心からそう思ったので、褒めると香代は照れたように笑った。

 こんな笑顔が見られるようになって、嬉しく思う。

 同時に、故郷へ帰るため前向きに歩み出した彼女が眩しく、胸が軋んだ。

 何故胸が軋むのか、その意味は考えないようにした。


 香代と二度と会えなくてもこうして笑っていてくれれば、多分彼は幸せでいられる。そのはずだ。

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