美織3
いつも静かな病室は、騒然としていた。医師や看護師が詰めており、美織はベッドの傍らで玲司の手を握っている。
酸素吸入マスクをつけた玲司は目が虚ろで意識があるのか怪しかった。
「れい、れい! やだ、死んじゃいや‼︎」
美織は必死で呼びかけているが、反応は薄い。もう玲司の命は燃え尽きかけているのだ。
体に取り付けられた医療機器が、かろうじて彼の命を繋ぎ止めている。
ふたりは今十五歳になっていた。美織は高校受験の真っ最中だ。
それでも、中学校にろくに通えない玲司の元へ毎日欠かさず通っていた。
少しずつ、確実に弱る玲司の傍を決して離れなかった。
また美織の過去を見てしまった上、あまりに痛ましい光景に、香代は目を逸らしたくなった。
美織の中にいる香代には到底できず、記憶を受け入れるほかない。
美織が何度も呼びかけたためか、ほんの少し瞳に光が灯る。
かすかに唇が動き、それに気づいた美織は急いで玲司の口に耳を寄せた。
「みお、だいすき……。しあわせに、なって……」
言葉と共に吐息も途切れる。平坦な音を心電図が吐き出す。
そこへ慌しく飛び込んできたのはふたりの両親だ。
両親は美織を押しのけ玲司に取り縋った。
「玲司‼︎」
「玲司! いやよ、死なないで‼︎」
ひび割れた不快な声が悲痛に叫ぶ。
医師が心臓マッサージを施すが、玲司はもう痙攣すらしない。
美織は少し離れた場所からそれを見ていた。
「れい……」
深い絶望からか、視界が虫に食われるように狭まっていく。最後には完全に視界が閉じた。
そこから先は美織の精神的な衝撃の深さか、映像ではなく、静止画に変化した。
玲司の遺影が飾られた立派な祭壇。卒業式を行う中学校の体育館。入学式の校門の前。
美織の心を表すようにモノクロの記憶の断片がいくつも目の前に現れ、消えていく。
久しぶりに視界が色を取り戻したのは、ひとりの少年が現れたからだった。
「山口、俺と付き合わない?」
記憶が飛び飛びでわからないが、多分クラスメイトと思われる少年に美織は告白されている。
髪を金に染めて、ピアスを開けているヤンチャそうな少年だ。真面目な美織とはまったくタイプが違う。
美織はその告白に頷いた。
そこから記憶は再び映像に戻る。視界はモノクロのままだが、彼の周りだけは色づいている。
優等生の美織と不真面目な彼の交際は周囲にとても驚かれた。ふたりは初々しくも健全に付き合っている。
美織に、玲司が望んだような新しい幸せの兆しが訪れた、はずだった。
何故か彼の顔は丸く切り取られたようにぽっかりと穴が空いて、名前はザッピングのような雑音になって聞こえなかった。
ずっと玲司の傍にいて、初めて恋人ができた美織はどう接したらいいかわからないのか、玲司に対するようにべったりと彼に依存した。
彼の方は最初はそれを受け入れていたのだが、だんだん鬱陶しそうな態度をとるようになっていく。
一ヶ月も経たないうちにふたりの仲はギクシャクし始めていた。
また美織の記憶が途切れるようになっていく。
飛び飛びの記憶を、さらに加速させたのが、茶髪の少女の登場だった。
彼女もまた、何故か顔が切り抜かれ、名前が雑音になって聞こえない。
元からかはわからないが、少女は美織の友人らしい。
しかし、その立場を利用してふたりの間に割り込んでいく。
ふたりきりのはずのデートにも現れ、むしろ少女と彼のデートに美織がついて来ているような図になってしまった。
彼は、茶髪の少女のその態度を受け入れた。
その分、美織へのあたりが強くなる。いつしか美織を遠ざけ少女とすごす時間か増えていく。
美織は隠れてそれを見ていた。
「あいつ、つまんねぇんだよな〜」
「美人だから告白したのに顔と体しか取り柄がねぇよ」
「束縛キツくてまじうぜぇ。――と付き合うんだった」
そんな言葉ばかりが彼の口から飛び出す。それを聞いて少女がきゃらきゃらと笑う。
もう彼には、何の色もついていなかった。
美織が学校の廊下を歩いている。前後の記憶がないからいつのことだかわからないが、校舎に人は疎らだ。
「ねぇ、――」
茶髪の少女の声が雑音を紡ぐ。多分、彼の名前だ。
美織はその声の方を見て、物陰に身を隠した。
人のいない教室で、金髪の彼の腕に茶髪の少女が絡みついていたからだ。
「いつまであの子と付き合ってんの?」
「……お堅くてなかなか手が出せねぇんだよ」
「えー。もうよくない? 早く別れてあたしと付き合おうよ。
あたしはなんでもしてあげるよ?」
「……そうだな。そうするか」
「やった! じゃあ、キスしてよ」
ふたりの影が重なる前に、美織は身を翻してその場を去った。
虫食いのように視界が闇に沈んでいく。
また記憶が飛んで、今度は街中をふらふらとおぼつかない足取りで歩いている。
たどり着いたのは香代もよく知る場所だった。
異世界に転移する前にいた駅だ。
虫食いの視界のまま、美織は改札を抜け、ホームに立ち尽くす。
『二番線を電車が通過します』
そのアナウンスだけが妙に大きく響いた。ぴくりと美織が反応し、少しだけ視線を上げる。何かをじっと見ているが、視線の先に美織の気を引くようなものはない。
車輪の重みで枕木が沈む規則的な音。警笛が耳を貫く。
美織はまるで知り合いに駆け寄るような自然さで線路へ向かって走り出す。妙に明るい、弾んだ声が喉を震わせるが、ほかの音に紛れて香代には聞き取れなかった。
ショートボブの後ろ頭が視界の端に見えた気がした。
ぶつり、と電源を落とすような唐突さで、美織の記憶は途切れた。




