第9話「シュピンネの罠」
仕事を終えれば、また次の仕事が来る。
四度ほどそれを繰り返し、春香は今日も疲れ果てていた。
その時である。
「………え、うわっ?!」
突如、ズドンという強い揺れが、春香のいるオフィスを襲った。
地震か?と、咄嗟にその場にいた多くの人々が、身を構える。
屈む者。何かに捕まる者。
春香も咄嗟に、目の前のパソコンを支えるように掴んだ。
だがそれは、ほんの数秒ほどで収まった。
揺れは一度きり。地震とするには、少々短いと春香は思う。
なら、この揺れは何だ?
「あっ!あれ何だ?!」
その答えは、同僚の一声により明らかになった。
彼の指差す方向に、それはあった。
周りの建物をゆうに見下ろすほどの、その大きさ。
その機械的なボディを彩るカラーリングは、枯れた樹木を思わせる薄い茶色。
長い両腕には三本の爪が生え、アーマイゼより力強い足がその巨体を支えている。
背中には、両腕を大型化したような四本の腕が生え、
腰からは昆虫の“はら”を思わせる、太い尻尾のような物が生えている。
円形の頭部には、八つの目のような物が妖しく輝いている。
春香の知る限り、あんな物は街中に佇むには違和感がありすぎる。
普段なら、何かのイベントのバルーンだろうと誰もが思っただろう。
だが、三週間前よりニュースで何度も流れた「あの出来事」により、それを見る人々は、それが危険な物だと一目で解った。
「あ、あれ、ニュースで流れてた巨大ロボットの仲間じゃない?!」
「嘘だろ?!なんでこんな所に!!」
同僚達が、口々に叫ぶ。
春香にも、形状こそ違えどあれが以前のアーマイゼに似た意匠を持ってる事が解った。
『………ギュゴオオオン!!』
六つの腕を振り上げて、巨大ロボット………「インベイドベム・シュピンネ」が咆哮する。
それは大気を揺るがし、春香達のいる丸山ビルにまで響いた。
「は、早く逃げないと!」
同僚の一人が立ち上がり、オフィスの出入り口へ向かおうとした。
「何してんの?」
だが、それを足止めする者がいた。
外に巨大ロボットが現れたというのに、自身のデスクから微動だにしない、上司だ。
「………いや、逃げませんと」
「まだ仕事中だよ、君」
「でも外に………」
「仕事中」
上司に威圧され、逃げようとした彼は、大人しく自分のデスクに戻る。
その場の全員が、目を疑った。
あろう事かこの上司、この状況で仕事を続けると言い出したのだ。
「逃げてる間に、どれだけ仕事が進むと思う?昔の人はね、落石に怯えながらも炭鉱で働いていたんだよ?なら、我々もこういう時こそ頑張るべきでしょ!さあ手ぇ動かす!仕事仕事!」
まるで、名言を言ったように、上司は狂っているとしか言い様のない台詞を口走った。
「………解ってるとは思うけど、席を立ったら問題行動を起こしたとして、クビにするよう上に言うからね?」
脅迫としか言えない台詞を、何の躊躇いも無く言ってみせる。
そして、残念な事に悪意がない。
どれもこれも、社員を成長させようとする善意からの行動なのだ。
故に、この行動に何の疑問も抱かないし、あのシュピンネがたとえこの丸山社を破壊したとしても、彼はここに留まり仕事を続けるだろう。
一番の不幸は、それに巻き込まれた春香以下社員達が、上司に逆らう術を持たない事だろう。
彼等は、研修と学生生活の中で仕事と面接を上手くやる方法は教わった。
だが、上司に………目上の人間に異議を申し立てる方法までは教わっていない。
むしろその行為は悪として深く刻まれている。
おまけに、上司は「席を立った者は問題行動を起こした事にしてクビにする」と言い放った。
2010年代よりマシにはなっているとはいえ、今の世の中に問題行動を起こしたというレッテルを貼られた者を再就職させてくれる企業など、無いに等しい。
実質的な、死刑宣告に等しい。
行くも死、戻るも死。
故に、彼等は「俺と一緒に死ね」と言っているような上司にさえ、逆らう事が出来ない。
このまま、彼の「会社が怪ロボットに襲われる中働き続けた勇敢な社員」という英雄物語に強制参加させられるしかないのだ。
「………ああ、どうしよう………どうしよう………!」
震えた手で、焦りながらキーボードを打つ春香。
タイプミスと修正を繰り返し、思うように進まない。
この状況から脱するには仕事を済ませなければならない。
だが、たとえ眼前の仕事をやりきったとしても、上司は別の仕事を持ってくるだろう。
「私………どうしたらいいの………?!」
今にも泣きそうな顔で、春香は呟いた。
………………
シュピンネは、その爪を振り上げ、地上のシャルルに狙いを定める。
『ギュゴォ!』
そして、叩きつけるように振り下ろした。
「くっ!」
対するシャルルは、咄嗟に飛び上がってそれを回避する。
さっきまでシャルルが立っていた場所には、破壊による轟音と粉塵と共に、シュピンネの爪が突き立てられる。
「デオン!セイグリッターを出すよ!」
『はい、シャルル様!』
そのまま、シャルルは付近のビルの上に降り立った。
そして。
「来い!セイグリッター!」
天高く剣をかざし、叫ぶ。
するとどうだろう。剣から光が走り、天に向けて広がった。
空に広がる、王族の紋章の描かれた魔方陣。
そこから、青き光輝士・セイグリッターが、召喚されたモンスターのように現れ、降りてくる。
デオンの内部に、圧縮されて格納されていた物を、元に戻しているのだ。
「たあっ!」
地面に降り立ったセイグリッター向けて、シャルルが飛び上がる。
瞬間、その身体は光に包まれ、セイグリッターの額に吸い込まれてゆく。
吸い込まれたシャルルは、セイグリッター内部にある戦闘用のコックピットに降り立つ。
「ブレードセット!」
眼前の機械に剣を差し込む。
すると、たちまちコックピットの機材が起動し、シャルルの身体をスキャンする。
『同調完了です、シャルル様』
デオンがスキャン終了を知らせると同時に、球体状の壁に、セイグリッター外部の光景が映し出された。
セイグリッターを通した視界が、シャルルの目に映っている。
シャルルが腕を動かせば、セイグリッターも腕を動かす。
シャルルが足を踏み出せば、セイグリッターも足を踏み出す。
今ここに、少年と巨大ロボ(セイグリッター)は一つとなり、ここに降り立った。
『ギュゴオオオン!!』
再び腕を振り上げ、セイグリッターに向け迫るシュピンネ。
背中の腕のせいか、セイグリッターよりも大きく見える。
『ギュゴォ!』
「うぉっと!」
叩きつけられた腕の一撃。
セイグリッターは咄嗟に回避するが、シュピンネの背中の腕の爪が、セイグリッターに炸裂した。
「うわっ!」
『ギュウウ!』
怯んだ瞬間を狙い、今度はシュピンネのもう片方腕が、セイグリッターに叩きつけられようとする。
「なめるな!」
『ギュゴォ!?』
直撃の寸前、セイグリッターは振り下ろされたシュピンネの腕を自身の腕を使い、攻撃を払い除けるようにガードし、押さえる。
「オレイユビーム!」
そして、顔の両サイドの金装飾より放つ電撃状のビーム「オレイユビーム」を放つ。
牽制用の武装だが、インベイドベムにダメージを与えるには十分だ。
『ギュガッ?!』
「そこだぁっ!」
シュピンネが怯んだ瞬間、セイグリッターの回し蹴りが飛ぶ。
シュピンネの巨体が吹き飛ばされ、アスファルトの道路の上に叩きつけられる。
いくつか駐車中の車が弾き飛び、甲高い警報音が鳴り響く。
「このまま畳み掛ける!」
シュピンネに対して、追撃をかけようとするシャルル。
『待ってくださいシャルル様!』
だが、デオンがそれを制止した。
セイグリッターも、突撃を止める。
「どうしたんだデオン?!」
『一帯の避難は完了したハズなのですが、あのビルを!』
デオンがモニター上に、倒れたシュピンネの背後に立つビルを拡大させる。
そこには………。
「ひ、人が?!」
あろう事か、ビルの中に人がいた。
避難勧告など既に出されているであろうに、ビルの中で、まだ人が働いているのだ。
「丸山………たしか、春香さんが働いている所だ」
『この状況では、あまり派手な武装は使えません』
これでは、戦いの中で彼等が巻き込まれてしまう。
そしてそれに気付いたのは、シャルル達だけではない。
『………ギギュウ!』
立ち上がったシュピンネが、その背中の腕の一つをビーム砲に変形させ、そのビル………丸山社ビルへと向ける。
「まずい!」
セイグリッターが飛び上がる。
ほぼ同時に、シュピンネのビーム砲が火を吹いた。
紫色の光の弾丸が、丸山社ビルへと迫る。
その前に、セイグリッターが降り立ち、立ち塞がる。
「ぐああっ!」
シュピンネのビームが、丸山社ビルとシュピンネの間に立ったセイグリッターに直撃する。
エネルギーシールドの展開が間に合わなかったのだ。
『ギギュギュギュ!』
調子に乗ったのか、シュピンネは背中の四本の腕全てを、ビーム砲へと変形させる。
ターゲットは、丸山社ビル………の前に立ち塞がる、セイグリッター。
『ギギュウ!』
今度は、四門に増えたビーム砲から、マシンガンのように次々とビームが吐き出される。
「え、エネルギーシールド!」
対するセイグリッターは拳を構え、エネルギーシールドを展開。
シュピンネのビームを真正面から受ける。
「うぐっ………!」
シュピンネのビームがエネルギーシールドに当たり、バチバチとしたフラッシュが散る。
シュピンネのビーム砲はアーマイゼのそれと比べて遥かに強力であり、なおかつ砲身の強度も強い。
「………デオン、このままビームを受け続ける事が出来る限界は?」
『………計算上では、五分が限界です』
デオンの弾き出した計算結果に、シャルルの顔が辛そうに歪む。
五分では、丸山社ビルの人々を避難させるには時間が足りない。
その上、丸山社ビルに居る人々も、一向に避難する気配がない。
「くそっ………一体どうすりゃいいんだ!」
どうにも出来ない状況に、シャルルは焦りの声を漏らす。
エネルギーシールドの限界時間は、残酷にも秒刻みで近付いてきている………。
………………
東京湾・連合軍基地タカマガハラ。
そこの頭脳とも云われる、何人ものオペレーターが働く司令室。
そこでは、今まさにシュピンネに追い詰められているセイグリッターの姿が、大型モニターに映し出されていた。
「………司令、あのロボットは、あの建物を守ろうとしています」
副官「佐藤賢」が、眼前のモニター越しにセイグリッターを見つめる諏佐に耳打ちする。
「あのロボットが何者かは解りませんが、今こそデルタを出撃させる時かと」
「………うむ」
諏佐は立ち上がり、口を開く。
最高司令官直々のその指令は、眼下のオペレーター達に向けて、高らかに言い放たれた。
「チームヤタガラスを緊急召集!任務は、現在都内で戦闘中の青い巨大ロボットの援護!デルタ出撃準備!」
諏佐の一声は、雷のように早くタカマガハラ全体に通達される。
神経が痛みを脳に送るかのように早く、その指令はタカマガハラの全職員に走った。
『スカイデルタ、シャドウデルタ、ドリルデルタ、発信準備』
『チームヤタガラス、スクランブル』
普段使う事もないカタパルトが上昇する。
本来、基地の戦闘機を乗せる為に作られたそれは、刃、弥太郎、珠江の三人を乗せた三機の“デルタ”を乗せている。
『シャドウデルタ、ドリルデルタ、ドッキングオペレーション』
空を飛べないドリルデルタは、シャドウデルタに空輸してもらう。
その為に、ドリルデルタがシャドウデルタの下に来る。
『ドッキング、完了』
シャドウデルタの下部に、ドリルデルタがドッキングする。
空輸の準備は整った。
「………デルタ各機へ、知っての通り、このデルタは完全ではない、通常の戦車・戦闘機として戦える程度だ」
カタパルトが上昇する中、スカイデルタから刃が弥太郎と珠江に通信を送っている。
「だが任務はあくまであの青い巨大ロボットの援護だ、あまり気を張るなよ」
「ドリルデルタ、了解!」
「シャドウデルタ、了解!」
通信が終わると同時に、三機のデルタを乗せたカタパルトは、タカマガハラの上部にまで上昇し、停止した。
『カタパルト、展開!』
瞬間、タカマガハラの上部が観音開きのように展開。
空に向かい、展開式の滑走路が走る。
タカマガハラの戦闘機用の滑走路。
市民団体からの抗議を回避する為に、今まで使われていなかった物だ。
そこに、三機のデルタが構える。
スカイデルタのジェットエンジンに火がつき、シャドウデルタの光波推進システムが青白い光を放つ。
出撃準備は整った。
「スカイデルタ、出撃!」
「シャドウデルタ、及びドリルデルタ、出撃!」
轟音を立て、三機のデルタが滑走路を駆け抜け、大空へと躍り出る。
東京湾を抜け、東京の大空を切り裂いて、それは遠くへと消えて行く。
「………頼むぞ、ヤタガラス」
見送る諏佐の頭上には、三機が飛び去った跡の飛行機雲が、長く長く続いていた。