第50話 壊れた万華鏡にはいつか儚く花が咲く
めるくが進んだのとは逆方向を選んだらびぃ。彼女が出会うことになる相手は決まっている。
花房らびぃの心の支えとしてずっと寄り添ってくれていた、姉のような存在。
いまとなっては彼女の金色は枯れ色になってしまったがそれでもらびぃの思い出には変わりはない。
エフェメラル・ブルーム──穣こむぎ。
彼女はらびぃが現れたのを見つけると、手元のティーカップを満たしていたハーブティーを飲み干し、空の容器をていねいに置いてから立ち上がった。
「来てくれたみたいね、らびぃちゃん」
笑顔に曇りはなく、敵の手中に堕ちた姿とは思えなかった。
その手にはすでにティーカップではなく拳銃が握られているのを視認していても、敵だと思いたくなかったのだ。
注射器を構えるのにはどうしても躊躇いがあって、それでも握らなければならない。
引ける腰をおさえて、戦闘体勢になろうとする。
実際はとても戦えるような心の状況じゃなくて、どうしても息苦しく、呼吸は荒くなっている。
そんな相手と戦ってもしょうがないと思っているのか、目の前の相手は笑顔を保ったまま、呆れたように首をすくめた。
子供のいたずらを微笑ましく思うような反応に、らびぃは歯を強く食いしばる。
次の瞬間、銃口が向いたのを把握するより前に、らびぃの頬をかすめるように銃弾が放たれた。
笑顔はとうにない。そんな覚悟も伴っていない構えでいたら、眉間を撃ち抜いて殺してやると宣言されたも同然だ。
らびぃは今一度武器を握り直し、呼吸を整えようとした。
だが、もう武器は向けられている。
エフェメラルとの戦闘ははじまっているのだ。
そんなことをする猶予などどこにもなく、相手は容赦なく攻撃をはじめる。
真っ先に放たれた弾丸たちがらびぃの足元に着弾しようというより前に、飛び退くらびぃへとエフェメラルが向かってくる。
至近距離での銃撃はなんとか注射器ではじくものの、接近の最中にも銃は作り替えられており、より重い一撃がらびぃを襲う。
度重なる銃弾に、しだいに注射器はらびぃの手を離れていき、ついにはエフェメラルの蹴りに指を狙われると離してしまった。
すかさず武器を奪い取り、らびぃに針を突きつけてくるエフェメラル。
針先から薬剤の雫が滴り落ち、地下の薄暗い中でも金属光沢が目に飛び込んでくる。
その光を、らびぃは見たことがあった。
こむぎに突きつけられてではなく、自ら突き刺そうとして、だ。
それはジャンク・スコープとして天使のみんなに大きく迷惑をかけてしまった事件であり、また助けられた瞬間のことも鮮明に覚えているほど印象深い一件だった。
記憶そのものは欲望とともに分離し、ジャンクとして消えていった。
でも、身体は覚えていて、どこかであの薬剤を打ったときの高揚や快楽を思いだそうとしている。
それではだめだ。以前とは違うらびぃになろうと、天使らしくしようと心の中に決めたはずなのに。
こむぎがいなくなったとき、あたしはなんとかやっていくと別れに告げたのは紛れもなくらびぃだった。
この衝動もこむぎを傷つける躊躇いも、ぜんぶ潰して天使として羽ばたかなければ、こむぎに合わせる顔なんてない。
そうだ。らびぃはがらくたじゃない。
だって、あのこむぎの妹なんだから。
もし姉が相手だったとしても、戦い抜いて、乗り越えてみせなきゃ。
向けられている針を掴み、エフェメラルのことを引き寄せる。
予想外の展開に引き金に指をかけるのが遅れる相手から、今度はらびぃが武器を奪い、拳銃の重みを知る。
そして反撃開始の合図に弾丸を放ち、響き渡る銃声とともに、エフェメラルはこの日はじめて血を流した。
肩にできた傷は腕につながる筋肉を損傷させ、注射器を持つ手が危うくなる。
そこに隙が生まれることくらい当のエフェメラルでもわかっていて、新たに出現させた二丁の銃器で不利を取り返そうとする。
至近距離で回避の余地はない。なら、いっそのこと踏み込んでしまえとらびぃは進み、銃身を掴むとその向きを変えてやった。
向かい合うようにされた二丁はたがいに壊しあい、金属の音が響くなか注射器は奪還される。
そして、今度はしっかりとエフェメラルに向いた針先から、雫が落ちた。
エフェメラルの素肌にふれたそれは小規模ながら爆発を起こし、彼女の腕に傷痕を残す。
さらには、爆風に怯んでしまったことはらびぃへ攻撃の好機を与えることとなった。
傷ついた腕をかばうエフェメラルの胸へ冷たい針が突き刺さり、注入されるのは先ほどと同じ爆薬だ。
弾け飛ぶ瞬間にらびぃは目を覆いたくなったが、それでも自らの手で彼女に下した攻撃であると受け入れるため、その現実を見る。
こむぎがらびぃを抱きしめてくれたあの胸は焼け爛れており、片腕は辛うじて皮一枚で繋がっている程度である。
露出している肺もまた損傷がひどく、頬まで届く火傷とともに、彼女がすでに満身創痍であることを示していた。
それに、腕の付け根のあたりには赤い石がひび割れているのが見え、死したはずの彼女に命を与えていたものが限界を迎えていることも明確だった。
咳き込んで血を吐き、よろめき、また血を吐くエフェメラル。
らびぃがその抉れた身体を支えると、力なく笑って身体を任せてくる。
彼女に時間は残されていない。遺言も、込み上げてくる血でうまく言えないだろう。
それでも、こむぎはらびぃに向かって口を動かした。
「せっかく、らびぃちゃんといっしょに飲もうと思ったのに……これじゃ、お紅茶飲めないや」
「……ばかじゃないの。紅茶なんて、天使に飲めるわけないじゃない」
天使の身体に合わない、吸収できないものを用意していたのは、こむぎなりの好奇心だったのか。
らびぃには、やはりこむぎの考えていることはわからない。
いま言えるのは、こうして相手を殺すまで至っておきながら、勝手にあふれてくる感情が苦しくてしかたがない、ということくらいだ。
言葉にして吐き出せるのは、ほんの一握りだった。
「なによ。お別れもまともに言わせてくれなかったくせに。こむ姉のばか」
「またばかって言った……あはは、そうかも、私は」
「うるさいっ! こむ姉がばかなわけないでしょ、ばか!」
「……手厳しいわね、らびぃちゃんは」
「いいわよ、それで」
こむぎの身体は崩れ始めている。
別れの前に、今度こそ、らびぃには告げたいことがあった。
押し寄せる感傷どもを押し退けて、それだけは言わなければ。
思いっきり息を吸い込んで、せいいっぱいの笑顔で、見送ろうとする。
「もう、こむ姉がいなくたって、なんとかしてみせるんだから。
だから、安心して眠ってね、こむぎ」
崩れゆく少女は目を丸くする。
それから、背負ってきたものをぜんぶ降ろしてしまったかのように、らびぃにすべてを預けてくれた。
「まさからびぃちゃんになぐさめてもらえちゃうなんて。あまえすぎて、だめになっちゃうかも」
そして、少女らしく可愛らしい笑みをみせたのを最期にして。
エフェメラル・ブルームは消失していった。
らびぃだけが残されて、地下道には静寂が広がっている。
灰だけを名残惜しそうに抱き締めていても変わらないことぐらいわかっているのだから、動かないと。
せめてこむぎの考えていたことを知りたくなって、まず向かったのは洞窟にぽつんと佇むテーブルとそこにていねいに置かれたティーセットのもとだった。
ほとんど使われていない新品も同然のものだとはひとめでわかる。
そのほか、なにやらメモ書きが添えられており、遺言書であることを想像しながら手に取った。
そこに書いてあったのは、遺言書よりも、いまのらびぃに必要なことだ。
わかりやすいようまとめられているのはこむぎらしいと言うべきか。
メモ書きにはファム・ファタールの力を減衰させられる方法が記されており、それはもう一方の地下道にあるあの装置を必要とするものだった。
つまり、らびぃはこれからせれすとえりすを迎えに行く、ということになる。
彼女たちが結末を迎えてしまっていたのなら、見届ける役目もふくまれているだろう。
だからこそ、らびぃは迷わずに、こむぎのメモに従い動き出すのだった。




