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穢れなき天使の愛し方  作者: 皇緋那
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第22話 移ろい亡き享楽の翼!ジャンク・スコープ!

 ジャンク・スコープ。

 そう名乗りをあげた花房らびぃは、毒々しい色の液体で満たされている注射器をいとおしそうに抱き締めた。


 彼女に対抗するには天使の力をつかうほかないだろう。

 しかし、こむぎはそう冷たくはなれない。

 妹のようにかわいがってきた後輩を撃つには、どうしても躊躇いが生まれてしまうのだ。


 気持ちが定まらないせいで変身することができないまま時が過ぎ、拍子抜けしたという様子でスコープがため息をつく。


「戦う気がないなら、やっちゃっていいってことよね」


 手にした注射器を自らの胸元に突き立て、中身を注入してしまう。

 いまのこむぎは飛び出しても止められない。ただ、痙攣する彼女を眺めるだけだ。


「ほら、いっしょになりましょう」


 囁きはすでに耳元にあった。

 頭がそれを言葉だと認識するとほぼ同時に身をよじらせ、なんとか間に合わせる。

 一瞬でも遅れていれば刺されていた。


 相手に容赦はなく、むしろこむぎにあの薬液を注ぐことこそが目的になっている。

 しかも、いつものスコープよりも動きに迷いがない。

 自暴自棄になっているぶん力が増しているのか、それともこむぎのことしか見えていないのか。


 どちらにせよ、変身もしていないこむぎの身体ではスコープの攻撃を避けきれない。

 注射器の針先がふたたびこむぎへと向き、管制室の無機質な照明をうけて鋭く輝いた。


「そこまでです、らびぃ先輩」


 しかしスコープは針を突き刺せなかった。

 警報を聞きつけた天使が間に合ったからだ。


 光輪より展開される障壁がスコープとこむぎとを隔て、攻撃を通さなかったのである。


「よぞらちゃん。なにしに来たの? 邪魔をしないで?」


 障壁を間に合わせた天使、トゥインクルはそっとこむぎを抱え、管制室から助け出す。

 こむぎが目的である以上、スコープは追ってくる。


 トゥインクルもまたスコープを攻撃できないでいるため、状況がよくなった、とはいえない。

 よぞら含め、いつもの面子ではらびぃを傷つけたくないと思ってしまう。

 同時に、ヒナタの直接指示では、らびぃを殺してでも止めることを選ぶだろう。

 あの女に情がないのは、何年か天使をしていれば嫌でもわかることだ。


 じゃあどうすればいいか。

 そんなの、こむぎが聞きたいくらいだ。


 いまの自分達にできることは、ひとまず彼女を閉じ込めておくことだろうか。

 こむぎは自分を抱えてくれているトゥインクルの耳元で、こっそりと考えていることを囁いた。


 力強く頷いてくれるトゥインクル。

 対ジャンク・スコープ作戦一号は急ごしらえだが、それを使うほかにない。

 変わらず逃げ続けているように見せかけ、トゥインクルはスコープとの距離を徐々に引き離していった。


 そのあいだにこむぎのすることは、めるくへの連絡だ。

 彼女は足が速く、物わかりがいい。

 管制室にはさやがいるはずだったが、なぜか連絡が通じなくなっていたため不可能だ。


 手持ちの端末を操作して通信をめるくに繋ぐ。

 向こう側からは、焦った様子の彼女の応答が聞こえてくる。

 こむぎは構わずに一方的にこれからのことを話していった。


「こむぎさんですか、いったい何が」


「らびぃちゃんがまずいことになってる! 対策を考える時間がなさすぎる、いったんどこかの部屋に閉じ込める!」


「っ、ですが扉の操作は」


「私の指示を信じてくれればいい! いますぐ管制室に!」


 めるくの駆ける音がして、すぐに次の指示を仰いでくる。

 さすがはめるくの脚だと褒める時間はない。空いている部屋を尋ね、それをそのままトゥインクルに伝える。


「よぞらちゃん、訓練場よ。あそこで振り切るわ」


「了解です!」


 スコープはしだいに減速している。

 自らに打ったあの薬が切れかけているのかもしれない。

 訓練場に到着したときは、すでによろめくような飛行しかできておらず、振り切るのは容易だった。


「よし、めるくちゃん、こっちの合図で封鎖して」


「待ってください、そちらへ接近する反応があります」


 いったい何者なのか。心当たりがない。

 それを考察するより先に、こむぎは状況を見た。

 スコープはすでに立ち止まっていて、荒い息で注射針を自分へ向けている。

 もう一度自分に薬液を、と考えているらしい。


 そうだ。あれを繰り返し使用されたら、らびぃはそれだけ後戻りできなくなっていく。

 注射器を奪わなければならない。


 トゥインクルへの指示を考えたとき、訓練場には熱気が飛び込んでくる。

 炎の翼、真っ赤な髪。まきなだ。彼女はエンジェル・ヒートへ変身し、駆けつけてくれたのだ。


「な、なによっ、邪魔しないで、あたしはこれからッ」


「駄目だよ、らびぃちゃん。こむぎに迷惑かけたでしょ」


 薬効がなくなり、疲労が一気に訪れているだろうスコープ。

 彼女がヒートに腕力で勝つなどもちろんできず、注射器は取り上げられる。


「よし、まきなちゃん! 戻るよ!」


「あっ、まっ、まってよぉ……こむ姉、あたし、あれがないと」


 必死に追いかけようとするスコープ。

 その姿は見るに堪えなくて、こむぎは目を背けた。


 彼女をどう助ければいいのか。

 訓練場が封鎖されて時間が与えられるよりも前から、こむぎは思考を回し続けていた。


 訓練場が重い金属の扉で閉じられて、らびぃの声は聞こえなくなった。

 それからすこし間を開けて、ヒートが声をかけてくる。


「こむぎ、ちょっといい?」


「まきなちゃん? どうかした?」


「ヒナタさんからの伝言、これ」


 ヒートから渡されたのは一枚の紙だ。

 ヒナタのくせのある文字で、指令が記されていた。


「花房らびぃを天界社の外へ出す、あるいは1日経ってもあのままであれば、社長の権限で処分する。予想通りの内容ね」


「そんな、ひどい……!」


「一般人の目にふれれば天使隊のイメージにかかわるの。情報の拡散は速いなんて次元じゃないもの」


 タイムリミットは設定された。

 それまでにこむぎのすべきことは、すべての可能性を検証することだ。

 よぞらにも、まきなやめるくにも手伝ってもらわなければならないだろう。


 ◇


 閉じ込められてからどれだけの時間が経っただろう。

 薬の効果が切れていたジャンク・スコープは、ただ広いだけの屋内で倒れていた。


 彼女の指には血が滲んでいる。

 扉をこじあけようと引っ掻き続けたためだ。

 よって、扉にはめちゃくちゃにつけられた血痕が残っているし、スコープ自身の体力も残っていなかった。


 欲望ばかりがあふれだしていた頭が、快楽から離れてすこしだけ冷静になる。

 あの感覚をこむぎと共有できたらとは考えているが、同時にもうあんな目を向けられたくないという思いもあった。


 いまのらびぃを見るこむぎの目。

 憐れむでもなく、怯えるでもなく。罪悪感が宿されているあの目。


 快楽への渇望と身体に訪れる不調を忘れてしまうほど、こむぎが怖かった。


「こむ姉っ、ごめんなさい、ごめんなさい……あたし、いい子でいたかったのに……」


 涙があふれてくる。

 こんなに嫌な思いをするのなら、快楽なんてないほうがいい。

 こむぎといっしょにいられないことがこんなに苦しいなんて思ってもみなかったらびぃにとって、いままで生きてきたなかで最大の後悔ともいえた。


 大好き、とは。

 こんなに苦しくなってしまうものなのだろうか。

 ただ、うれしいこともかなしいことも、一番に伝えたかっただけなのに。

 なにが狂って、こんなことになってしまったのか。

 わからなかった。


 もしたった数時間しか経っていなかったのだとしても、血だらけの手のらびぃには考えることと泣くことしかできなかった。

 一人ではほんとうになにもできない現実が、よりこむぎを恋しいと思わせてくる。


「あやまるから……だから、あたしを、こむねぇといっしょにいさせて」


 誰にも届くはずのない懇願だった。

 扉は固く閉ざされていて、開くはずはなかった。


「そんなに想ってもらえてるなんて、嬉しいわ」


 けれど、ものすごく急いでやってきた様子の彼女は、扉を開けて現れた。


「こむ、姉……?」


 エンジェル・ブルームへと変身した姿で、待ち望んでいたひとが来てくれたのだ。


 体力の限界さえ忘れて駆け寄り、血まみれの手で抱きついた。

 ブルームもまた血が付着することなど気にせずらびぃを受け入れる。


「らびぃちゃん。これからも一緒にいてくれる?」


「うんっ、あんなものはもういらないの、あたしはこむ姉がいいの」


「……ありがとう。じゃあ、いくわね」


 そういって、ブルームはなにかへ向かってエネルギーを集中させはじめた。

 手にしているのは、彼女の武器である拳銃か。

 見たこともない形状になっているのは、きっとよぞらの光輪が装着されているのだ。


 銃弾を浴びるのは、ほんのすこし怖い。

 けど、スコープは身をまかせた。


「フラワーハート☆エクソシズム」


 撃ち抜かれたスコープの喉元からは淀んだものが流れ出していく。

 思考からよけいなものが消えていき、やっといつもの澄んだ感覚が戻ってくる。


 喉元に傷も弾丸も気づけば残っていない。

 もはや歪んだ性欲をもたなくなったらびぃは、もう一度天使の戦闘服ことを許された。

 エンジェル・スコープとして、またブルームといっしょに戦えるのだ。


 漏れでていったものは一ヶ所に集まり、らびぃを模したがらくた(ジャンク)を形成する。

 欲望を背負っていたときの自分と同じ容姿の敵を前にして、スコープは身構えた。


らびぃ(あたし)はガラクタ、らびぃ(あなた)のジャンク。あたしはあたしを殺せるのかしら?」


「……たとえ相手が自分だって戦えるわ。だってあたし、こむ姉といっしょなんだから!」


 素手での直接戦闘は、慣れてはいないけど、訓練生のときに習ったことを思い出せばきっとなんとかなるはずだ。

 拳を握るととっても痛いけれど、我慢する。


 先手必勝だとジャンクに向かっていき、まず蹴りを食らわせようとする。

 相手は自分自身のようなもので、動きは読まれている。

 受け止められたらびぃがどうするかも、感覚で理解されているのだろう。

 投げ飛ばされて、スコープはうめいた。


「その程度でよくあんなこと言えたわね」


 余裕の笑みでいるジャンク。

 しかし、直後に彼女は血相を変えることになる。

 ブルームが長身の銃でジャンクの喉元を狙い撃ち、それをかばわなければならなかったからだ。


 ジャンクの喉元には穴があいたように変色している部分がある。

 きっと、あれが弱点なのだ。


 今度は狙いをつけて、鋭く攻撃を心がけようと思う。

 そこへ、ブルームが思い出したように持ってきたものがあった。


「あ、スコープちゃんちょっと待って。はい、これ」


 ジャンク・スコープの注射器と、天使の光輪『ヘヴンズフォーチュン』だ。

 ブルームはもう衣装のぶんの力を使ってしまったし、あとはスコープががんばらなければ。


 自分が欲望に負けていたがゆえにあの敵が生まれたのだ。

 決着は自分でつける。


「いくわよ、あたしッ!」


 光輪を起動し、スコープの武器である注射器に干渉、変形させる。

 変形した後の形状は、スコープ自身が跨がって操縦することのできる小さな戦闘機であるらしい。


 ためしにエネルギーを集中させてみると、ジェットエンジンが火を噴き動き出す。

 爆発的な推進力をもって、ジャンクへと突撃していく。


「ラビットハート☆ストライカー!」


 音を超えるスピード、そして破壊力。

 衝撃波がジャンクを吹き飛ばすのすら追い越して、彼女を貫いていく。


 貫く瞬間に注入されるのは爆薬だ。

 名の通りがらくたが壊れていくようにがしゃんと音をたて、脚が弾け飛んでいく。


 注射器を制御して、スコープはジャンクのもとへと戻った。

 ぼろぼろになった自分自身が、涙も流さず笑っている。


「……あは、やるじゃない、あたし」


「褒めてくれてありがと、あたし。言い遺すことはあるかしら」


 ジャンクは頷く。


「あなたたちが気づかないかぎり、堕天(あたしたち)は終わらないの。終わらないのよ。せいぜい犯人探しに精を出しなさいよね」


 こんな状況になった原因が、この天界社にいるというのか。

 ジャンクの言うことを、しかもよりによって裏切り者がいるだなんてこと、信じてもいいのだろうか。


「さぁね。嘘を言っててももうわからないでしょう、だって、あたしはここまでなんだから。さぁ、撃ちなさいよ」


 まだ聞きたいことは山ほどあった。

 欲望が強まっているときのことは、薬物のせいかジャンクとして切り離したゆえか記憶が不明瞭なのだ。

 けれど、これ以上口を割りそうにはない。


 スコープは自分の映し身に向かって注射器を振り下ろした。

 針先は過たずに喉元を貫き、そこが刺されたころをきっかけにしてジャンクは全身が崩壊していく。

 ガラスが割れるように崩れて、それらが光になって大気にとけていく。


 ジャンクが倒れていたあとには、なにも残らなかった。


 残ったのは、未来へのかすかな不安をかき消すほどの満たされている気持ちだ。

 らびぃはこむぎとこれからもいっしょにいられる。

 なら、きっとこれからも大丈夫だ。

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