第21話 あたしを好きになってもらうんだからねっ!
花房らびぃが天使として活動する時間のほとんどは、管制室にこもって行われるものである。
画面とにらめっこしあい、データを整理したり、外回りに出ている天使のサポートを行っているのだ。
危険が迫れば迅速に対応できるよう、らびぃは目を光らせているというわけである。
といっても、ずっと画面に集中していられるほどの精神力はない。
天使でも飲めるように調整された特製のドリンクバーが設置されていて、それでよく気を紛らせていた。
この日もいつも通りの画面に変化はなく、まがるストローでレモンスカッシュ味を流し込んでいた。
ちょうどなくなってしまい、変えないと、でもちょっと面倒かも、と思っていたのだ。
「あの、らびぃ先輩」
「は、はいっ!? らびぃですけどっ!?」
そこに話しかけられたらびぃは驚いて、つい硬直した笑顔で迎えてしまう。
振り返ると、さやが不思議そうな顔でらびぃのほうを見ている。
「お仕事中でしたか」
「えっと、まぁ、そうよ。といっても、一応ここに座ってるだけみたいなものよ」
「……できれば、お話したいな、と思いまして」
らびぃは目を丸くする。
後輩の天使とはほとんど関わってこなかった。
ちょっと話しても、そこにはこむぎが同席していた。
けれど、今度は違う。さやとらびぃのふたりっきりだ。
話したいと言われても、いったいなにを話せばいいのかわからない。
「えっと、さやちゃん、って呼んでもいいかしら」
「はい、大丈夫です」
「さやちゃん。どうしてわざわざここに来たのかしら? 面白いものなんて、ないと思うわよ」
らびぃにとっては見飽きたものばかりで、毎日こもっているせいでどこにどの機器がいくつあるかくらいは覚えている。
けれど、さやにとっては目新しいのかもしれない。
ふと思ったが。
さやが将来らびぃのようなオペレーターになりたいと言ったら、らびぃが師匠になるではないか。
もしそうなったら自分はうまくできるか、なんて考えてしまって、思考がオーバーヒートする。
らびぃがひとりで熱くなっているのを見て、さやは首をかしげる。
別に彼女はオペレーターの仕事を知りたいわけでなく、純粋にらびぃのことが気になったからやってきた、とのことだった。
「ご、ごめんなさいね。早とちりしてたみたい。それで、なにが聞きたいのかしら? なんでも先輩が答えてあげるわ」
ここは先輩の威厳を取り返すべく、ちゃんとしなければ。
「いいんですか……じゃあ単刀直入に、こむぎ先輩のことどう思ってますか?」
「どう、って、なによ」
「好きですか?」
らびぃは固まった。
こむぎのことは、たしかに嫌いじゃない。
自分のことをお姉さんと呼ばせようとしてくるし、時にむちゃくちゃを言うし、いつも軽い態度で一見不真面目だ。
けれど、彼女なりにいろいろと考えているし、らびぃに機器の扱いを教えてくれたときもやさしくてていねいだった。
こむぎが、いわゆる『いい奴』であるのは確かだと思う。
でも、らびぃが彼女のことを好きであるかと問われると。
どう答えていいのかわからなくなってしまう。
「そ、その、べっ、べつにこむ姉のことなんて、す、す、すっごく嫌いなわけじゃないわ」
「つまり大好きと」
大好き、なのだろうか。
この気持ちの正体は、らびぃにもわからない。
「あ、飲み物注ぎましょうか……私、持ってきますね」
後輩に気を使われてしまった。
もう一杯注ぐのを面倒がっていたところなのでちょうどよかったし、さやの行為は素直に受け取った。
彼女はコップ一杯のホットミルクをもってきてくれたようだ。
らびぃは礼とともに受け取って、口をつける。
途中、あつくて噴き出しかけたけど、なんとか我慢した。
「お味、どうですか?」
さやは、自分も知らない味を先輩へ渡すのがすこし不安だったのだろう。
天使たちは変身能力のかわりに、生殖と消化という生命の営みを放棄したのだと習った気がする。
生殖というものをよく知らないが、消化はわかる。
人間の食べるものを口にしても、天使は生きていくことができないのである。
でも、人間が作ったという飲み物の味はどれも格別だ。
消化能力がなくても、味覚でものを美しいと思うことはできる。
味を再現しただけのものであっても、らびぃを感動させるには十分なのだ。
「……あら?」
らびぃの舌は、用意されている飲み物たちの味に慣れている。
どこかすこしだけ、ただのホットミルクにはない酸味のようなものがあった気がする。
さやの入れ方が変だったのだろうか。
それは、はじめてなのだから仕方がないだろう。
らびぃは気にせず一杯すべてを飲み干して、カップを適当な場所に置いた。
「なにか、変なところでも」
「いえ、そんなことないわ。おいしかったもの。ありがとう、さやちゃん」
多少のミスは気にしない。
らびぃの思い描く先輩とは、器の広い人物なのだ。
それから先は、さやとの話を続けていたが、なんだかぼんやりしてきて内容が頭に入ってこなかった。
めちゃくちゃな受け答えをしてしまったのか、さやにも心配されて、大丈夫かと声をかけられたことだけは覚えている。
ほかはおぼろげだ。
ふたたびらびぃの思考がはっきりとなにか形をなしたのは、しばらくあとのことだった。
脱力し倒れかかったらびぃを、さやが受け止めてくれたとき。
大丈夫ですか、と呼び掛ける声が耳元でしたときのことだった。
その吐息は脳髄まで駆け巡るようにらびぃを刺激し、未知の感覚を与える。
この感覚が、エーロドージアの求めている快楽というものだとは、らびぃは知る由もなかった。
「私、こむぎ先輩を呼んできます、待っててください」
さやがらびぃから離れ、管制室からも出ていく。
思い浮かぶのはこむぎのことだ。
自分が味わってこれだけ気持ちいいのだから、きっとこむぎも満足してくれるだろう。
名前を聞いたとはいえ、真っ先にこむぎのことを考えてしまい、それからずっと頭を離れない。
こむぎと一緒がいい。一緒だったらもっと、お仕事だって忘れてしまうようなものが得られるはずだ。
「……こむ姉、大好き」
もしかしたら。
これが、好きであるということなのかも。
◇
天界社全館に警報が鳴り響いた。
反応があるとされているのは管制室だ。
らびぃが危ないことを知らされ、こむぎは管制室へ急行した。
道中でさやと合流し、こむぎを探していたという彼女に話を聞きながら走り続けた。
事情はよくわからない。
さやのいう、ミルクを飲んだら倒れてしまったというだけの情報では全貌が見えない。
まずらびぃの状態を確認しなければ。
管制室の分厚いドアを蹴破るようにして飛び込んで、そこにゲレツナーの類いやエーロドージアの幹部たちの姿がないことを確認する。
らびぃは部屋の中央に寝かされていて、呼吸が荒く、苦しそうだ。
視界の端で警告の赤い光を放っている画面に目を通す。
管制室に出現しているのは分類不可の敵性存在とされていた。
見覚えがある表示だ。
当然だろう。みなものときも、同じ結果が出ていたのだから。
「さやちゃん、まずらびぃちゃんを医務室へ」
「まってよ、こむ姉」
こむぎはらびぃに起きた異変の特定とその対処法のため、画面に向かおうとしていた。
しかし、さやが連れていくより先に、被害者である彼女がゆっくりと立ち上がる。
「こむ姉もいっしょにきもちよくなりましょう。あたし、こむ姉となら、もっと」
「悪いけど、それはできないよ」
「どうして……?」
らびぃの瞳はいつもの純真な彼女ではなくなっている。
光が消え失せて、天使のあるべき清純から引き離されている。
戻れなくなるのは時間の問題かと思われた。
今すぐにでも眠ってもらったほうが確実だが。
生憎と、戦闘員としてあまり出動していないらびぃをうまく眠らせられるような装備は管制室にはない。
まず、天使がこういったものに侵食されかけることすら想定していないのだから。
「こむ姉、いっしょじゃなきゃイヤよ」
どうしてか、今のらびぃを見ているのは辛かった。
彼女は恥ずかしがりやで強がりで、だからこそかわいらしいのに。
こむぎは首を振った。目を合わせることもしなかった。
らびぃは首を傾げる。頭が拒絶を理解していなかった。
「こむ姉は、あたしのことが好きじゃないのね」
その一言だけは突き刺さる。
けれど、こむぎは天使だ。快楽に身は任せられない。
らびぃの言葉には応えられなかった。
彼女を好いていないなんて言いたくない。
けれど、いまのらびぃを受け入れれば、清純を否定することになる。
こむぎにだって、どうしていいかわからなかった。
「……だったら。嫌でもあたしを好きになってもらうから」
らびぃはエネルギーを集中させていく。変身だ。
天使の戦闘形態へ、欲望にまみれたまま移行すればどうなるか。
その答えを知っている者はこの場にはいなかった。
開いた翼が穢れ、少女は天使から遠ざかっていく。
一度作り上げられたエンジェル・スコープの姿が侵され、陶器の翼は真紅に色づく。
戦闘服は維持できずに崩壊し、新たな形として肩から胸元にかけてを露出した服装が形成された。
戦う意思たる武器もまた、欲望の魔の手を逃れられない。
そこにあるのは相手も染め上げてしまおうという意思であり、注射器は依存と快楽、そして堕落をもたらすものとなる。
「移ろい亡き享楽の翼、ジャンク・スコープ。あなたも一緒に、いい夢を見ましょう?」
こむぎは相手がらびぃであることを知りながら、身構えるほかになかった。




