第20話 あたしが助けてやるからさ
海へ出かけ、正体不明の飛び回る水着に大苦戦させられたあの日から数日後。
めるくの腕の治療も進み、外付けの機械パーツで補強すれば動かしても問題ないくらいになっていた。
海に行った日から回復が急速になっており、あれだけずたずたに断裂し吹き飛んで欠けてさえいた筋肉が戻っているのは奇跡にも等しい。
あの場面で奇跡を起こせそうなものといえば、よぞらから渡された光の輪である。
めるくの手に渡った結果、治癒という形で影響を与えたのではないか。
あの輪の正体も明かされていないものの、まきなにはそうとしか思えなかった。
この日は、めるくに支給された補助パーツの試運転のため、付き添いにまきなとこむぎが呼ばれていた。
まきなから見る限り、めるくに動きの衰えはみられない。
相変わらず剣筋に容赦はなく、誰かのために冷徹になれる器はそこにある。
彼女なら大丈夫だ。ずっと、まきなが背中を預けてきた天使なのだから。
「あぁ、そうだ、まきなちゃん。大事な話がある」
めるくがいずれ前線にも戻れるであろうことを確認して、ふと何かを思い出したらしいこむぎ。
機械的なことはすべてらびぃに任せ、まきなを連れて訓練所から抜け出す。
二人っきりで話さなければならないようなこと。
それがなにかまきなには検討もつかず、自分だけでなく相手の心音までもが伝わってくるようだった。
「大事な話って、いったい」
「この間、私たちはエーロドージアと交戦した。めるくちゃんが片腕を犠牲にして切り抜けたやつね」
話には聞いている。ネトリータたち三体との戦闘は、めるくだけでなく、こむぎにも大きなダメージを与えていたはずだ。
その場に自分も駆けつけていれば、と何度か後悔したこともある。
あのとき、こむぎが相手取ったのはクシュシュであったという。
数多くの触手を操り、天使たちを捕らえようとしてくる強敵だ。
あれを相手にしてよく銃撃で対抗できるものだ。そこは、さすがこむぎであるというほかない。
褒めると、こむぎは照れくさそうにしたけれど、話の中核はそこではないと戻された。
「私がまきなちゃんに話しておきたいのは、クシュシュの正体なの」
正体、とは。
あいつはただ単純に、天使の敵ではないのか。
こむぎの話を聞くと、熾烈を極めた戦いの最中、銃撃の連続によってクシュシュの纏う外套が破れていったらしい。
そのときはじめて、彼女の容姿に既視感を覚えた。
いままで気がつかなかったのが不思議なほどに、よく知る人物の面影をみてしまった。
花柄で可愛らしいスカートに、赤と緑のオッドアイ。編み込んだ髪。幼げな顔立ち。
それらの特徴に合致する少女は、クシュシュのほかにひとりだけ知っていた。
「ひづき……?」
文ひづき。天使としての名はエンジェル・ナチュレ。
めるくとまきなのふたりとともに入隊した仲間であり、行方知れずになってしまった少女だった。
まー子、というあだ名をつけたのも、彼女だった。
「クシュシュの正体がひづきだって、それじゃあまるであいつが裏切ったみたいじゃないか」
「あぁ。私だってひづきちゃんが自分の意思で裏切ったなんて考えてない。それに、私がめるくちゃんやまきなちゃんの名前を出しても反応がなかったんだ」
記憶や意識を操作されている、あるいは精神を乗っ取られている。
そう、こむぎは考えているらしい。
言われてみれば、エーロドージアがどこから現れているのかなんて考えたこともなかった。
今まで戦ってきた相手がかつての仲間だなんて、思ってもみなかったのだ。
いままでどうして気づけなかったのか、自分が嫌にまでなってくる。
「……でも、なんでそれをあたしにだけ?」
「めるくちゃんに伝えたら、きっとあの子は戦えなくなってしまうから」
めるくは心配性で、仲間のことを考えすぎるきらいがある。
ひづきがいなくなったときだって、涙をこらえながら最後まで捜し続けていたのはめるくだった。
それがひづきとクシュシュのことを知ったら、戦闘に心の迷いがあらわれてしまう。
誰かを守るために冷徹になれるということは、守るべきだったものが敵となったときに判断の鈍る可能性を秘めていた。
最悪の場合。クシュシュによって、さらなる天使の犠牲者があらわれてしまう。
それだけは嫌だ。
ひづきがいなくなって、ずっと隣にいたはずの友達が突如いなくなる可能性を知ってしまったのだから。
「……とにかく。私が伝えたかったのはそれだけ。今後の方針は、まきなちゃん自身が決めて欲しい」
悪に堕とされ、非行を繰り返すひづき。
彼女をどうするべきなのかは、わからない。
けれど、こむぎが教えてくれることでもないのは確かだ。
「そろそろ戻ろう、めるくちゃんに心配されちゃうからね」
そう言われて戻っていっても、まきなの思考はずっとひづきのことにばかり向いていた。
めるくに話しかけられても、なんでもない、とか、考え事をしていた、とかしか答えられなくて、様子がおかしいと思われているのは間違いなかった。
◇
その日の夜、まきなは夢を見た。
ずっとひづきのことばかりを考えていたせいか、夢にまで彼女を見る。
夢の中の彼女は、まきなに呼び掛けてくるのだ。
「もし、の話だけど。もし私が悪いことをしたら、殴ってくれるか?」
そうしなければ、ひづきのためにならないのなら、そうする。
まきなの答えは考えるまでもなく口をついて出たものだった。
これが記憶の断片なのか、ただの都合のよい夢なのかはわからなかった。
ひづきの手をとって、彼女のきれいな瞳をじっと見つめる。
取り戻せるのなら、もう一度彼女に隣にいてほしい。
握った手にぬくもりが無いのは、夢だからか。
彼女がすでに、文ひづきではないことを示しているのか。
あるいはまきながとっくに彼女のぬくもりを忘れてしまったのか。
いずれにしても、気分のいい感触ではなくて、そっと手を離す。
それだけなのにひづきが遠ざかっていく気がして。
遠くへと引っ張られていく感覚の正体が眠りから覚める前兆であることは、意識が現実に戻ってから理解したことだった。
「夢か……」
わかっていたくせに吐き捨てる。
当然ながら自室にはまきなのほかには誰もいないし、呟きはどこにもいかずに消えていった。
一度夢を見てから起きてしまうと、まきなはなかなか寝付けない。
布団のなかで、ただ寝返りをうちながら時間を潰そうとしていると、ドアがたたかれるのが聞こえてきた。
「誰?」
扉が開かれる。隙間から金色の髪がのぞく。
ひかえめに顔を出したのはよぞらだった。
こんな真夜中に、どうしてわざわざまきなの部屋に来たのだろうか。
「どうしたのよぞらちゃん、ヨバイってやつ?」
「いえ、起こしてしまったのなら申し訳ないんですが……めるくさんからまきなさんの様子がおかしいときいていたので、不安になってしまって」
「それでこんな真夜中に、かぁ。よぞらちゃんらしいかも。あたしは平気、さっきまでぐっすりだったし」
申し訳なさそうにするよぞら。
気にかけてくれていたのは嬉しいけれど、彼女も寝不足になるといけない。
戻るのも億劫だろうし、ということで、まきなは自分のベッドを譲った。
「あったかい、ですね」
「もちろん、燃え上がる翼のデッドヒートだからね」
まきなの冗談にくすりと笑ってくれて、ひとしきり笑うと、たがいに小さめのため息をついた。
よぞらのほうは安堵によって出た息であるらしい。
「でも、よかったです。なにか抱えちゃってるみたいで心配だったんですけど」
よぞらの目には、いつものまきなとして映っていたのだろうか。
なにかを抱えているのは本当だ。
どうもできない現実という壁にぶち当たっているのも本当だ。
よぞらだったら、あの問いになんと答えるのだろう。
自分を殴ってくれるか、とひづきが夢で投げ掛けてきた問いを、どう捉えるのだろうか。
「ねぇ、よぞらちゃん」
布団に入ったまま、よぞらがこちらへ顔を向けた。
「もしあたしが悪いことをしたらさ。あたしを殴ってくれる?」
聞かれた彼女は難しそうな顔をして、すこし考えてから答えてくれた。
「まきなさんが悪いことを、なんて想像できませんけど。きっと私じゃなくて、めるくさんが怒ってくれると思いますよ」
まきなの考えていた答えの範疇からは外れていたけれど。
なるほど、きっとそうだ。
ひづきがあんなふうになっていると知っても、めるくは必死で彼女を引き戻そうとするだろう。
だから、彼女が傷ついてしまわないように。
代わりにまきながその役目を担い、手を伸ばそう。
「ありがとう、よぞらちゃん」
お礼に彼女の金色の髪をそっと撫でる。
目をつむるよぞらは可愛らしくて、思い詰めているのがゆるんでいく。
けれど、そこで舞い込んでくるのは気を引き締めなければならない事実だった。
真夜中ゆえに全館への警報とはいかないが、まきなに直接通信がとどけられたのである。
送り主はヒナタであり、彼女にしてはか細い声で話しはじめる。
「こんな真夜中だっていうのに、クシュシュが出現したよ……うぅ、申し訳ないが二徹目で頭が回らない、ワープ座標は設定したから出撃を頼むよ……」
一方的に話して、通信が切れた。
よぞらに視線を向ける。うとうとしていた彼女だったが、目が覚めたらしい。
「行きましょう、まきなさん!」
「うん!」
エーロドージアの出現は一刻を争う。
自分の頬にビンタをかまして気合いを入れ直し、ワープを起動させて出撃する。
真夜中の街へと繰り出して、真っ暗な中、クシュシュの姿を見た。
いかにも素行の悪そうな少女を捕まえて、なきわめくのをただ眺めている。
彼女にこれ以上の罪をかさねさせないためにも戦わなければ。
ひづきを助けるのは自分だと言い聞かせながら、衣装を分解し、変身の過程をふんでいく。
炎の翼を展開し、その隣でトゥインクルもまた変身を終え、ふたりの天使は並び立った。
「夜勤ご苦労様。ご褒美はこの子の悲鳴でいいよな」
「だめです、離してあげてください!」
トゥインクルの矢が少女にまとわりつく触手たちを散らそうとするが、一本ちぎれれば新たなものが現れ、そのあいだにちぎれた触手がくっついている。
ただ切り離すだけでは効果が薄い。すべてを吹き飛ばすくらいでしか対抗できないだろう。
「……ねぇ、トゥインクル。あの輪っか、出せるかな」
あたしに考えがある。
その言葉を聞いたトゥインクルは、まっすぐな瞳で信じてくれる。
「私の力、どうか使ってください!」
「もちろん! いくよ、ヘヴンズフォーチュン!」
受け取った光輪は起動し、変形するとヒートの拳に装着される。
この力があれば、戦える。
ひづきのことを、一発殴ってやりに行ける。
「トゥインクル、援護はまかせた!」
触手の群れが迫ってくる中、エネルギーを拳へ集中させながら飛んでいく。
殴り飛ばした場所から燃え盛り、焼け落ちて一瞬できる隙間に入り込んで抜けていく。
取りこぼした相手やまとわりつくものはトゥインクルが払ってくれて、ヒートは自分自身に構わず突撃していける。
人質のいる場所にたどり着くころには、ヒートの拳は赤熱し、あとは放つだけとなっていた。
触手の海は少女に忍び寄っていて、恐怖を募らせている。
炎に赤く照らされた悪意の渦が目の前をふさいでくるのに向けて、ヒートは叫ぶのだ。
欲望の具現である触手どもを焼き払い、その先にいる彼女へと手を伸ばすための焔。
「バーニンハート☆インフェルノッ!」
叩き込まれた両腕は、爆炎の渦を作り出す。
聖なる熱が欲望だけを焦がしていき、崩壊させていく。
真夜中の光景から赤がなくなったとき、そこには囚われていた少女と、触手を切り離して延焼を回避したクシュシュだけがそこに存在していた。
クシュシュの外套はこむぎとの戦いでなくなったのか、彼女は見慣れた衣装だけをその身にまとっている。
天使の戦闘服だ。
ただ、ひづきだったころは若草の色であったはずが、枯れたセピア色のものになってしまっている。
「ひづき、どうして」
問おうとしたまきなの声が届くことはなく、クシュシュは夜の闇に姿を消していく。
夜の静寂ばかりがあたりに立ち込めている気がして、いまのまきなには蝉の声すらも聞こえていなかった。




