第10話 無理なんてしてないんだから!
ゲレツナーにはいくつかの傾向がある。
自然発生してしまうゲレツナーもおり、必ずしも当てはまるというわけではないが、データベース上では分類がなされている。
分類は見た目ではなく、その性質が基準だ。
エーロドージアにも欲望との相性があると考えられており、同じ幹部からは性質の似た敵が産み出されるというわけだ。
オッドアイの少女、クシュシュは本能のままに行動する獣を扱う。
発情期で気の立っている野性動物はたいてい手がつけられないほど暴れるだろう。
頭の造りまで獣であるため、対処はまだ容易か。
真っ赤な薔薇の少女、バラバローズは殺傷を目的とした凶器を生む。
天使でもいい、街の人々でもいい。
誰かを傷つけるという点において抜きん出ているのがバラバローズである。
最後はネトリーノ。彼は人型の敵を繰り出してくるのがほとんどだ。
天使を集中して付け狙い、人命よりも純潔を狙ってくる。
見習いの天使たちにとってはどれも脅威となるものの、最も凄惨な最期を迎えることになるのは恐らくネトリーノのタイプだ。
理由は明白である。ただ死にゆくよりも、身体を蹂躙され、精神を壊されるほうが誰だって苦痛になる。
そのネトリーノが繰り出すゲレツナーを現在目の前にしているのは、清廉なる天使隊のなかでもあまり戦闘には駆り出されないメンバー・花房らびぃであった。
どうしてらびぃか、というと。
前回交戦したのは小児性愛から作られたものだった。
ゆえに、天使の身体を小さくした上で穢そうとしてきたのだ。
そうして小さくされたまきなは最も戦闘に長けた天使だ。彼女によってゲレツナーの撃破は難なく行われた。
しかし、ゲレツナーの影響を受けたのはたしかであり、大事をとって検査中になっている。
よって、まきなは出撃できない。
他にも、隊長のめるくとらびぃの師匠でもあるこむぎは共に他の天使隊へと出向いている。
曰く、向こうでは教導に向く人材が足りていないらしい。
結果、残っているのは比較的新入りのらびぃと、ぴっかぴかの新米であるよぞらのみ。
そんなとき、よりにもよってネトリーノが出没。ふたりで出向かなければならなくなったのだ。
「あんた、なにしてるのよっ!」
「おや、きょうはうさぎちゃんか……美味しそうだ」
首筋に悪寒が走る。
ネトリーノに出くわす度、もう二度と関わりたくないと思う。
それでも、今回の出撃ではらびぃが一番の先輩なのだ。
いいところを見せなければ。
ネトリーノによって街中に出現したのは、蛇口に手足が生えたような一頭身の化け物だ。
ゲレツナーに向かって啖呵をきり、よぞらのほうを見ると、彼女もやる気に満ち溢れているらしい。
「やりましょう、先輩!」
「せんぱっ……! えぇ、やってやろうじゃない!」
先輩と呼んでもらえたことで、ふしぎと闘志が湧いてくる。
よぞらのことを守り、先輩らしいところを見せるため。
らびぃは衣服を分解して天使の衣装をまとい、武器となる注射器を展開し、しっかりと両手で構えた。
よぞらも同様に翼を開き、弓を携える。
「きらめく翼のトゥインクルスター! エンジェル・トゥインクル!」
「めくるめく翼のカレイドスコープ、エンジェル・スコープ!」
「ははっ、来たな天使! やれ、ゲレツナー!」
指示を受けた蛇口がごぼごぼと唸り声らしきものをあげる。
溺れている人が必死で助けを求めているようなその音は心底気味が悪く、耳を覆いたくなる。
もちろんゲレツナーはそんなことお構いなしに襲ってくるのだが。
栓がゆるんで、濁流が一直線に向かってくる。
スコープは陶器の翼で飛び立った。後ろを振り向き、トゥインクルもついてきてくれることを確認する。
濁流を受けた街路樹が枯死するのを見ると、さっさと片付けなければならない相手であるのは明白だ。
「いくわよトゥインクル、援護お願いっ!」
「はいっ!」
スコープが先陣を切って突撃し、近寄ってくるゲレツナーの腕をトゥインクルが射抜く。
痛覚にうめく蛇口に隙が生まれ、倒すならここで決めるしかないと思った。
すべての力を注射器に集中させる。
衣装を分解し、内容液を作り替え、必殺技を放つのだ。
「ラビットハート☆エールっ!」
注射針は放水が行われる部位に突き刺さり、逆に薬液が流し込まれていく。
すぐにはなにも起こらずとも、異変を察知したゲレツナーが逃げ出そうとする。
ゲレツナーはスコープを振り払うことに成功するが。すでに手遅れであり、あとは体内に溜めすぎたエネルギーにより内側から破裂するのみだ。
スコープは宙に投げ出されていたが、平然と着地し、トゥインクルにもっと離れているように指示を出す。
そして、どうにか爆発を抑えようとしているらしいゲレツナーに声をかけてやった。
「よくがんばったわ。もういなくなっていいわよ」
スコープの言葉を合図として、ついにゲレツナーが爆発した。
爆風はあったものの、生暖かいのが気色悪いだけでダメージにはつながらない。
こうしてゲレツナーを倒し、今回の出撃はうまくいっていた。
「……っくく、やるねぇ君たち。でも、本当の地獄はここからさ!」
ネトリーノの高笑いが響く。
変身を解除し、普段着に戻ったらびぃは、ひとしきり笑うだけ笑って去っていったネトリーノのことを不思議に思っていた。
本当の地獄とは、なんなのだろう?
そう考えてみたとき、らびぃは身体の奥になにかを感じた。
「……らびぃ先輩?」
「い、いえ、なんでもないわ」
それはあまりに突然訪れた。
あのゲレツナーの本当の能力はこれだったのか、と察してしまった。
──その正体は『尿意』である。
幸いらびぃより遠くへ退避していたよぞらには影響がないようだが、らびぃは大丈夫ではない。
「はやく本部に戻りましょう」
「そうですね……あっ!」
首をかしげながらも同意したよぞらだったが、なにかの連絡が入ったのか声をあげた。
大きな声を出されると、らびぃには困るのだが。
「今度はクシュシュが出現したと……」
クシュシュの造り出す獣は人々も見境なく襲う。
すぐに行かなければ大勢の被害者が出てしまうだろう。
そこで、らびぃは再度エネルギーを結集させ、なんとか変身しようとする。
しかしエネルギーは霧散した。変身に失敗してしまったのだ。
原因は、尿意をがまんしているためとしか思えない。
しかし事態は一刻を争うものだ。
再変身には負担がかかるとか、そういう理屈ではなく単純に集中ができない。
敵はらびぃの思っていた以上に狡猾だったのだ。
「大丈夫ですか、らびぃ先輩……?」
「ご、ごめんなさい、先に行って──」
「天使、見つけた」
このがまんしなければならない状況をどうにかしてから合流しようと思っていたのに。
なんとクシュシュのほうから、らびぃたちのところへ来てしまったではないか。
最悪の状況だった。しかもちゃんとゲレツナーを連れている。クラゲ型だ。
やけになったらびぃは、自分のプライドと先輩としての尊厳その他もろもろを叫んでかき消しながら一瞬で変身を済ませた。
二度目の口上は省略だ。ゲレツナーを迅速に片付けることだけ考える。
注射器を絡め取ろうとするクラゲの触手は、トゥインクルが矢で打ち払ってくれる。
敵の攻撃は頼りになる後輩に任せた。
下半身に意識を割かれながらもゲレツナーの傘部分に接近、針を突き刺そうとする。
攻撃はかなわなかった。
そこへクシュシュ本人の触手が伸びていることに気がつかず、引き戻されてしまったのだ。
「どうした、スコープ。動きが悪いぞ」
「いった……なんで、こんなときに出てくるのよ、あたしはいま……その、お花をつみにいかなくちゃいけないのに!」
それは必死でこらえながら絞り出した言葉だった。
なのに、クシュシュもトゥインクルも、意味を知らないのかきょとんとしていた。
「花を? あぁ、天使らしい可愛らしい趣味だな」
「そうですね、先輩! さっさと終わらせちゃって、四つ葉のクローバーとか、探しましょう!」
むりやり話をあわせようとしているふたりのせいで、なんだかスコープがちょっとおかしな発言をしたみたいになっている。
ふたりともそのままの意味で受け取ってしまっているのだ。
もう、とため息まじりに言おうとして、内もものあたりがびくりと震えた。
かなり危険な状況に置かれているのがすぐにわかる。
どうにか抑え込みながら、せめてゲレツナーだけでも倒さなければと注射器を投げつけた。
クラゲのやわらかな身体が相手では、がむしゃらに投げた針はうまく突き刺さってくれない。
しかし、その注射器のおかげで傘に穴が開いた。あの部分からなら、攻撃が通るかもしれない。
「先輩、お手伝いしますっ! ピュアハート☆シュート!」
続くトゥインクルの必殺技は、物理攻撃としては通らずとも、体内へ入ったことで浄化の力が作用する。
水分が蒸発していき、ゲレツナーは消滅していく。
それを見たクシュシュは舌打ちをし、面白がりながら捨て台詞を吐いた。
「これでぞんぶんにお花が摘めるじゃないか、よかったな」
いまだに本当にお花畑に行きたがっていると思われているのか。
クシュシュは挑発をしたつもりだったのだろうが、かえってそれが大きく滑っている。
本人はそれにまったく気づかないまま去っていったわけだが。
二度目のゲレツナー撃退にも成功し、街の平和は守られた。
これでひと安心である。
このままバラバローズが現れたり、なんて可能性も考えてしまう。
けれど、やっと落ち着いてらびぃに襲いかかっているこの問題に対処できるのだ。ないほうがいいに決まっている。
しばらく警戒し、なにも起こらないのを確認し、らびぃはほっと胸を撫で下ろした。
ずっと張り巡らせていた緊張の糸を、やっとゆるめられる。
そのせいで、下半身に込めていた力も抜けてしまったのだが。
「……っ!?」
「らびぃ先輩、どうかしたんですか?」
「い、いやっ、だめ、こないでっ!」
「えっ!?」
脚を伝うなまあたたかなものが、自分の体温によってあたためられたものだと理解したくなかった。
理解したくないのにしなければならず、プライドの崩壊と羞恥に悲鳴をあげるしかない。
「お願い……みないで……みないでぇ……」
この後、らびぃは翌日まで管制室にこもり、しばらく情報抹消に躍起になっていたのは、当然のことであった。




