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美紗の同居人

 美紗の引越しを手伝った日。家に帰ってから私がしたのは、実家へ電話を入れることだった。

〔もしもし、こんばんは。本間です〕

〔お母さん?〕

〔あら、沙織。みんな元気にしている?〕

〔うん。おかげさまで〕

 母と軽く挨拶を交わして。

〔今日、美紗の引越しを手伝いに行ってきたけど〕

〔ああ。驚いたでしょ?〕

 人の気も知らずに暢気に、母の声に笑いが含まれる。

〔驚いたもナニも。同棲なんて、よく許したわね〕

〔だってねぇ。今田さん、ちゃんと挨拶に来たし、”同居”だって二人とも言っているし〕

〔それ、信じたの?〕

 甘すぎない? お母さん。三十前後の男女が一緒に住んで、”同居”な訳ないじゃない。

〔同居も同棲も大差ないんじゃない? あなたたちは一緒に住んでなくっても、結婚前に子供できたんだし〕

 それを言われると……返す言葉もない。


 よっこいしょ、と声が聞こえる。母が電話の横に腰を落ち着けた、ってことは長話になりそうだから、こっちも椅子に腰を下ろす。

〔お母さんと美紗の二人で話したときにね。あの子、いい顔で言ったの〕

 うーん。どうも私を含めた家族はあの子の”いい顔”に弱いのか。無理もない。中学生なのに人形のような硬い微笑を貼り付けていた子だったし。

〔『万が一、傷つくことがあっても、仁さんなら許せるから』って〕

 続いた母の言葉に、電話のこっちで頭を抱える。

 

 『傷つくことが、あっても』なんて。

 怖いもの知らずにもほどがある。

 

 私たち姉妹は子供のころから拳法を習っていたけど。黒帯もとって、高校卒業まで習い続けていた私とは違って、美紗は”おかしく”なった中学生のころにやめてしまっている。そうでなくっても、ジンくんとあれだけ体格差があるのに、力勝負で傷つけられたら……どうするつもりよ。

〔それにね、あの子。あなたと同じことを言ったのよ〕

〔私?〕

 何を言ったっけ?

〔『私は多分、子供を産むことはないと思う。もしも、産むことがあるのなら……仁さんの子供を』って〕

 うわ、痛。

 言った気がする。そんなこと。

 若かった、よなぁ。


〔”もしも”産むなら、ジンくんの子を……か〕

 思いつめたようなその言葉に、美紗の心の奥底でまだ血を流しているような傷を思う。

 それを、”いい顔”で言ったという美紗。中学校で、あの子は一体どんな経験をしたというのだろう。

〔ジンくん?〕

 母の訝しげな声に、考え事を中断した。

〔あー。今田さん、達也さんの高校の後輩だって。当時からの、愛称みたい〕

〔ふぅん。達也くんは、なんて?〕

〔『優しいから、傷つけたりしない』って〕

〔だったら、心配ないんじゃない?〕

〔そうかなぁ〕

〔心配なら、沙織が時々見に行ってあげて。お母さんたちは、遠いから〕

 『お姉ちゃん、お願いね。』と、小学四年生で”姉”になった私にとっての”殺し文句”を母に使われ。

 了解の返事を返して、電話を切った。



 母に頼まれたから……ではないけれど。それから何度か美紗の家を訪ねた。

 半年ほど前から私もフルタイムで働きだしたので、訪問は達也さんだけが出勤している土曜日。二つ返事で嬉々としてついて来る貴文に道案内をさせて行った。

 達也さんが仕事の日に行くようにしたのは、土曜休みのローテーションが合ったり合わなかったりする私たち夫婦の事情を優先したから。せっかく合った休みは、私たち家族のものということで。

 ”芸能人”のジンくんは、居たり留守だったり日によってまちまちだったけど、何度かは顔を合わした。

 顔を合わすたびに、意識的に彼の目を見る。『美紗を泣かせるようなこと、してないわね?』の意味を篭めて。

 彼はそのたびに、人当たりのよさそうな顔で微笑みながら、こっちの目を見返してくる。



 ジンくんと顔を合わせるたびに、挙動不審だったのが貴文だった。ある日の帰り道、

「タカは、ジンくん苦手?」

 駅まで並んで歩きながら尋ねる。

「べーつに」

 ただ……と、ゴニョゴニョ続けた言葉によると、彼との関係を計りかねて、呼び方に戸惑っているらしい。

 叔母の彼氏、しかも同棲中って。確かに、小学校高学年にはなんて呼ぶものなのか、難しいわ。

「悩め、悩め」

 そろそろ、私に追いつきそうな頭をグリグリなでてやる。

「やめてよ、母さん。頭、撫でんなって。次から、もうついて来ないぞ。どっかで迷子になってろ」

「あら、ミサ姉のところ、来たくないんだ?」

「いや、それは……」

 それとこれとは別問題で、とか、一生懸命言い募る息子を軽くいなしながら

 かわいい甥っ子をいつまでも悩ませてないでね。

 と、今日も、穏やかに笑っていた妹の笑顔を思い浮かべる。



 そうやって何度か訪ねて、迎えたお正月。

 今年は、二日に私の出勤当番が当たったので、実家には大晦日に帰った。元旦の夕方に自宅に戻って、明日は達也さんと貴文の二人で、桐生のおうちへ年賀に行くことに。

 美紗は元日の昼前に帰ってきた。

「美紗、”同居生活”は、うまくやってる?」

「うん、お姉ちゃんも時々来てくれているし」

 おせち料理を囲んで母とそんな会話をしている美紗を横で眺めていて、気づいてしまった。

 美紗は両親と居る時よりも、ジンくんと居る方がリラックスしているらしい。あの家で見かける妹より、まとう空気が硬いし言葉も少ない。そして時々、座敷テーブルの下であの指輪をなでている。

 この家、そんなに居心地が悪いの?

 結婚して十年以上経つ私よりも、両親に対して距離があるような美紗の姿を釈然としない気持ちで、眺めながら数の子を齧る。


 そんな私の視線に気づいた美紗は。

 ふっと笑みをこぼして、目を伏せた。



 子供の適応能力に舌を巻いたのが、この年の春のこと。

 小学校の卒業式を間近に控えた土曜日の午後。達也さんとレンタルショップに出かけた貴文は、スペースオペラの代名詞みたいな映画のシリーズのDVDと一緒に、CDも借りてきていた。  

 DVDを観るよりも先に、CDをラジカセにセットして。

 流れてきた歌声は……ジンくん!?


「どうしたの、いったい?」

 和菓子を買ってきたから……と、お茶を点てるためのお湯を沸かしている達也さんに尋ねると、店の入り口にジンくん達のポスターが貼ってあり、”ミサ姉の彼氏”が芸能人と気づいてしまったらしい。

「それがさ、ポスター見た瞬間に言ったのがさ」

 クスクスと思い出し笑いをしなら、お茶道具を出す手を止めた達也さんが、『こいつら、でっけぇ』と貴文の声色を真似て言う。

 目に浮かぶわぁ。そのときの貴文の顔が。

 思わず、私も声を殺して笑う。

 両親に笑いを提供していることに気づかないまま、貴文は真剣に織音籠(オリオンケージ)のCDを聴いていた。


 小学校卒業と同時に柔道を辞めた貴文は、中学校でバレー部に入った。そして、ジンくんが達也さんのバレー部の後輩だったことを聞いて一気に彼に懐いた。

 悩みの種だった呼び方も『ジンさん』に決めたらしい。


「母さん、ジンさんてすげぇな」

「何が?」

「だって、織音籠の英語の歌、全部。作ってるのジンさんだぜ」

 信じられねぇー、と、三歳のころから変わってないような表情で言う貴文。ゴールデンウィークに美紗から織音籠のCDを二、三枚借りて、気づいたらしい。

「そりゃ、おまえ。あいつ、外大の卒業だぜ」

「あら、私の大学と一緒じゃなかったの?」

「沙織の後輩はジンじゃなくって、もう一人の方の後輩」

「父さん、外大って?」

「外国語の勉強を専門にする大学だな。高校もあいつは特別に英語の勉強を強化したコースだったし」

「だから……」

 いつだったか。さらっと英語を使った時に、きれいな発音だったのを思い出す。

「高校でもそんなコースがあるのね」

「うちは、全県学区で英語と理数のコースがあったからな。あいつは県下随一の偏差値のコースに居たわけだ」

 達也さんの言葉に、貴文がホヘーと間の抜けた相槌をうつ。

 その頭を達也さんがポンポンと撫でるように叩く。

「貴文もジンに負けないように、中学校の英語がんばれ」

「うん!」

 始まったばかりの中学校生活に胸を膨らませているだろう息子は、元気良く返事を返した。



 気合だけではなんともならないのが、勉強というもので。

 中学校から初めて貰ってきた通知簿を、貴文は恐る恐る私に差し出した。

 うーん。私も達也さんも理系だからか、そっち方面はまあまあ……ねぇ?

 ただ、英語が……。

 ガクンとそこだけ低い評価に、眉間にしわが寄るのを止められない。

「かあ、さん?」

 通知簿から目を上げると、私より少し高くなったはずの息子が器用に上目遣いでこっちの顔色を伺っている。

 目が合った途端に、すっと視線が床に落ちる。

 ほほぅ。疚しいか。

 そんな息子を見つつ。

 私もあまり得意じゃなかったし。美紗の英語の成績にはお母さんも頭を抱えてたし。うちの家系なのかしら。

 思いも寄らない特技を持ってたりする達也さんでも、英語が得意って聞いたことないし……。


 いるじゃない。特別、得意な人が。


「貴文」

「は、い」

「どうするの? この英語」

 うー。どうしよう……。小さくつぶやく貴文に、

「いっそ、ジンくんに、英語教えてもらえ!」

 と叫ぶと、目を丸くした顔が一気に上がった。

「いいの?」

「さぁ? ジンくんに訊いてみたら?」


 家庭教師、よろしく。ジンくん?

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