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貴文、中学生

 夏休みに入った貴文は、部活と宿題に追われながら合間を縫うように美紗の家へ行っていた。隣の楠姫城(くすきのじょう)市ではあるけれど、電車一本で行けるし、さすがに中学生になって親と一緒に出かけるのを嫌がりだしたので、貴文一人で行かせていた。

 前もって電話をかけてから行っているようだけど。仕事柄、休みの不規則なジンくんに運よく会えたら英語を教えてもらい、会えなければ美紗に本やCDを借りて帰ってくる。そんな風に、貴文は美紗たちの家に通った。

 あまり美紗たちの邪魔をするのもどうかと思って、貴文が訪ねる分だけ私自身が彼らの家を訪ねることが減っていた。



「今日も、貴文はジンのところか?」

 土曜出勤だった達也さんが帰ってきて、冷蔵庫を開けながら言ったのが九月に入ってすぐ。

「なんだか、すっかり懐いちゃったわね」

「年の近い”親戚のお兄さん”って存在がいないからな」

「”お兄さん”ねぇ」

「俺と年が変わらないのにな。自由業だからか、仕事柄か。年をとらんな、ジンは」 

「美紗のパートナーだから、あれぐらいの年に思っているんじゃないの。貴文は」

「それは、サバ読みすぎだろ?」

 冷蔵庫のお菓子を見たらしい達也さんが、お湯を沸かしながら笑う。

 今日のお茶菓子は、ネットでレシピを見つけた錦玉。説明文とか、写真を見た感じ”多分、アレだろう”と思って、作ってみた達也さんの好物のお菓子。

「久しぶりに、お茶点てようか」

「うん。お願い」

 結婚前、職場の先輩たちに『年寄りくさいデートねぇ』とか言われていた私たちの”理想のデート”。


 ゆっくりと二人でお茶とお菓子をいただいた。

 静かな時間が、流れる。



 その日、帰ってきた貴文は。

「父さん、セッターしてたって本当?」

「あぁ? いきなり、なんだ?」

「俺、Bチームのセッターになってさ。今日、ジンさんに言ったら、『桐生さんと一緒だな』って」

「ああ、そういうことか」

 ビールをグラスに入れながら、達也さんが納得した顔でうなずく。中学高校とバレーをしていたって言ってたわね。そういえば。

 かき揚げをテーブルに乗せて、お味噌汁をよそって。私も席に着く。

「そうか、貴文もセッターか」

 目を細めるように笑って箸を手に取った達也さんは、お味噌汁を一口飲んで。

「じゃぁ、今度の休みにでも一緒にやってみるか?」

「いいの?」

「じゃぁ、来週の日曜日な」

「明日じゃなくって?」

「お前な。四捨五入したら四十歳になるおっさんが、いきなり出来るわけ無いだろうが。ウォーミングアップくらいさせてくれ」

「うん」

 貴文は、うれしそうに返事をしてかき揚げに手を伸ばした。



 それから、何度か近所の公園で二人で練習をして。秋の終わりにはジンくんと、もう一人の後輩くんまで巻き込んで練習をしたらしい。その時に何か感じるものがあったらしく、貴文は『父さんみたいになりたい』と、思春期の男子がこれで良いのかと、心配になるくらい達也さんに”憧れて”いる。


 お正月に桐生のおうちに行った時に、男の子を二人育て上げたお義母さんにそのことを相談した。ちょっと腹ごなし……と、達也さんと貴文がふらりと散歩に出た間に。

「達也の”舌先三寸”に、貴文もやられたんじゃないの?」

 というのが、お義母さんの答え。

 横で聞いていた、義弟の智也くんが

「いや、兄さんと一緒にバレーやったなら仕方ないのかも」

 口を挟む。

「ジンさんの学年は特に、かもしれないけど。高校の先輩たちは”桐生 達也”教の信者だらけだったから」

 やりにくいったらありゃしない。

 そう言いながら、お義父さんと自分の分お猪口にそれぞれお代わりを注ぐ。その隣で、昨春に結婚したばっかりのお嫁さんの珠美さんが

「信者?」

 と首をかしげる。智也くんたちは県外に住んでいるから、この子に会うのは結婚式以来だけど。

 かーわいい、なぁ。仕草も何もかも。

 身長は私のほうが低いんだけど。なんかもう『守ってあげたい』って感じの子で。


「うん。あれは、ほとんど信仰。ジンさんをエースに仕立てたのが兄さんだったらしいよ。それも三ヶ月で。そのうえ、兄さん自身も、もう少し身長があれば……ってレベルだったみたいだし」

「達也さんでも小さいんだ」

 百七十センチ超えてるのに。って、私がチビすぎるのか。

「義姉さん、ジンさんを見たんでしょ? 実業団に入ってる人はあれくらいが普通」 

「達也本人が、『バレーは高校まで』って言ってたんだから、良いじゃないの」

 あなたはそろそろ、お酒やめなさい、と、お義母さんが智也くんの前のお銚子をお猪口に空けて、自分でクイっと干した。

「憧れてるポイントがはっきりしているから、大丈夫じゃない? 智也の先輩たちと同じように”憧れの先輩”レベルで達也を見ているだけでしょう? 達也を越えたら、きっと反抗期が来るわよ」

 空いたお銚子とお猪口をお盆に載せて、立ち上がったお義母さんに、それまで黙っていたお義父さんが

「渋ーいお茶、もらえるか」

 と声をかけた。

「ああ、じゃぁ。達也たちが持ってきてくれた、棹物も切りましょうか」

「お手伝いします」

 立ち上がった私につられるように、珠美さんも

「あ、私も」

 腰を浮かしたけど。

「妊婦さんは座ってなさい」

 あっさりと、お義母さんに諭されて、腰を下ろす。

「来年は、こき使うからねー」

 笑い顔で脅すように言う、お義母さんの後について台所へ。


 達也さんも貴文も。早く帰ってこないと、お菓子なくなるわよ。



 翌日の一月二日。本間の家を訪ねた私たちだけど、入れ違いで美紗には会えなかった。

「何、あの子。もう帰ったの?」

「今年は大晦日から帰ってきてたけどね。昨日の……夕方にはここを出たわね」 

 そんなに、実家にいるのが嫌なのかしら。

 お雑煮の用意を手伝いながら、母とそんな会話をした。

「あの子も、親離れの時なのよ。そろそろ」

「そんなものなのかなぁ」

 なんだか、違う気もするけど。

「沙織は、あれから美紗の所に行ってるの?」

「最近は、貴文が一人で行ってる。あの子が一人で行きたがるし、私、一人だったら迷子になりそうで」

「相変わらず、迷うのね」

「面目ない」

 ちょっとふざけて、心にかかるモヤモヤを振り払いながら、膨れたお餅を鍋に放り込んだ。


 このとき、もう少しだけ。

 美紗のことを気にかけていたら……何かが変わっていたのだろうか。



 貴文も、中学三年生になった。

 私も四十歳の誕生日が見え隠れしてきた。ということは、美紗もこの夏、三十歳になる。

 ”同居”から、三年たって進歩の見えない美紗たちの関係にヤキモキする。『私がその歳には、貴文が小学生に……』て、それは私たちもイレギュラーだったから、あまり言うのもどうかと思うけど。 


 その年のゴールデンウィーク。

 連休の前半を試合で過ごした貴文が、久しぶりに美紗の所へ行ってくるといって家を出た。そのまま、お昼もどこかで食べると言って。”どこか”は、”ミサ姉の家で”だろうけど。

 達也さんも短大の頃の友達が帰ってきているからと、昼前から会いに出かけていて留守だし。のんびりと家事を片付けて、私も駅前にランチにでも出ようかな。


 少し前から気になっていたお惣菜バイキングのお店でランチをして。ふーらふらと買い物をして。

 いい気分、で家に帰る。

 台所で、買ってきたものを冷蔵庫に片付けていると、玄関の開く音がした。


「おかえり」

 帰ってきた貴文が、ふらりと台所に姿を現した。その顔からは血の気がうせていた。

「どうしたの!?」

「ミサ姉が……壊れた」

 その言葉に、微笑み以外の表情を失い人形のようだった中学生の妹の姿が蘇る。

 

 何が、あった?

 何を、された?


「どういうことか、ちゃんと話しなさい」

 冷蔵庫から出した麦茶をグラスに入れて、貴文をテーブルに座らせる。

「ミサ姉、急に泣き出して」

 両手の親指の爪を人差し指の腹で撫でながら、息子がポツリポツリと言う。

「なんていうの? こう、ミサ姉の顔をしたお面がパーンて割れて、中から知らない人が出てきたみたいで」

 

 ”お面が割れたように”

 その言葉に、かつての婚約者の狂気を孕んだ表情が脳裏に浮かんだ。ズルリと皮がむけて、異星人が現れそうだった、あの表情。

 思い出したモノに、身震いをする。貴文の感じただろう恐怖に息が詰まる気がする。


「それから、どんだけ呼んでも返事もしないし。オレのことも見てないの」

 怖くなって怖くなって。そのまま逃げてきちゃった。

 そう言って、私の顔を見た貴文はすぐにテーブルに目を落とした。小さな声で、小さかった頃と同じ口調で尋ねる。

「やっぱり逃げたのまずかった?」

 ”逃げた”のが、疚しいわけね。

 でも、この子の表情を見て、責めることができる母親はいないんじゃないかしら?

「あんたに怒ってないから、気にしないで」

 

 怒っているのは……ジンくんに対して。



 あの美紗が”泣く”なんて。

 それも、見るものに恐怖感を与えるような泣き方で、なんて。

 絶対

 ジンくんと何かあったはず。


 『美紗を泣かすようなことはしないで』って、

 私、言ったわよね?


 ジンくん?

 あなた、美紗に何をしたわけ? 

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