プロローグ
「あの、この手は……?」
いつのまにか繋がれている手。
私の反応を確かめるように、夕夜が一瞬だけ視線を向けて、小さく笑う。
その顔はずるい。
意地悪で、余裕ぶって――でも、どこか無理してるみたいで。
何かを隠したまま、当たり前の顔で隣を歩いている。
その歩幅と、指先から伝わる “何か” に
気づいてはいけないと感じていた。
***
――四月。
桜が散る満月の夜。
「華っ!」
「ゆ、夕夜! もう無理、ヘルプっ!」
私は今、“天人の成れの果て” と言われている異形【無貌】に追われていた。
「分かってる」
竹林を抜けたところで、前を走っていた夕夜が踵を返す。
「華、避けて」
白装束めいたものを纏う、顔のない天人――無貌。
うねる身体は月光を浴びて、異様に白く光っている。
一瞬だけ私を見た夕夜の視線が、次には無貌を射抜く。
「水鏡――鱗珠っ」
夕夜の手のひらから水しぶきと共に、影が飛び出した。
膨れ上がった影は尖った魚影へと変わり、そのまま高速で向かってくる。
銀色に光る巨大な針。
「はっ?!」
反射的に足を滑らせる。
迫ってくる巨大魚をスライディングでぎりぎり避けた。
「え、カジキマグロ?!」
頭上をかすめたカジキは無貌を貫く。
巨大魚は霧のように散った。
「違う、あれはバショウカジキ」
「いや、どっちでもいい! 今の普通に死ぬやつ!」
「ごめん、まだ加減が分からない」
夕夜の攻撃で無貌の動きは一瞬止まった。
けど、無貌は再生をしようと大きくうねり出す。
――効いていない。
でも、大丈夫。
ここまで来れば――。
「月読――産霊結」
静かな声が夜を切り裂く。
同時に、光の輪が現れ、無貌を囲う。
そのまま締めあげるように収縮し、一瞬でその身体を両断した。
白い光を放ち、無貌はあっけなく消えていく。
「ユーヤ君、さすがに雑魚すぎない?」
月明かりの下に現れたのは、私の双子の兄――名竹鏡夜。
強い霊力を持つ “かぐや姫” の生まれ変わり。
私より数分先に生まれただけとは思えないほど整った顔で、兄は楽しそうに笑った。
「ハナちゃん、ケガしなかった?」
私を抱き寄せ、髪を指に絡める。
「ケガしてたら、誰を殺せばいいか分からなくなるところだった」
夕夜に向けられたその笑顔は月の姫というよりは暗黒界の魔王様。
見た目が良すぎることを差し引いても隠せない狂気が滲む。
「俺より先にハナちゃんが攫われなくて良かったよ」
「だったら華を囮にするのやめない?」
夕夜が呆れた声で呟く。
短く柔らかそうな髪が少しだけ乱れていた。
「ユーヤ君がもうちょっと戦闘向きならね」
「悪かったね」
夕夜の能力は魚が出せるだけ。
――とはいえ、選ぶのはやたら殺意が高い魚。
……十分だと思う。
「ユーヤでもあれくらいは倒せるようにならなきゃね」
「分かってるよ」
兄は無貌が消えた辺りに視線を向けた。
「……まぁ、初回はこんなもんかな」
兄は小さく呟くと帰ろうか、と肩を叩いた。
“敵” と戦うことを、選んだ夜――。
このときの私は、それが正しいと信じていた。
――すべてが間違いだったとも知らずに。




