第39話 幼馴染は、昔の俺を勝手に喋る
昔の自分の話というのは、たいてい本人が一番雑に扱いたい。
それを、幼馴染は平気で掘り返す。
しかも本人より少しだけ正確に、少しだけ余計な一言を足して。
その日の昼休み、俺――柊真央は教室のドアが開いた瞬間に、小さく眉をひそめた。
「また来た」
俺が言うと、
「歓迎が雑」
七瀬澪が返した。
「帰れ」
「今日はちょっとだけ」
「その“ちょっとだけ”が長いんだよ」
澪は相変わらず遠慮なく教室へ入ってくる。
最近はクラスの連中ももう慣れてきたらしく、「あ、また二組の幼馴染」くらいの顔で見ているだけだ。
それがそれでどうなんだと思うが、いちいち反応されるよりはましかもしれない。
ひよりは、今日も俺の隣に座っていた。
昨日、自分の中の感情を“嫉妬かも”と口にしてから、少しだけ吹っ切れたようなところがある。
もちろん全部が解決したわけじゃない。
でも、わからないままもやもやしている時よりは、ひよりの空気が少し軽くなっているのがわかった。
ただし、澪が来るとやっぱり少しだけ変わる。
「七瀬さん、今日も?」
ひよりが言う。
「うん」
澪があっさり頷く。
「今日は真央の昔の話でもしようかと」
「何でだよ」
「昨日ちょっと中途半端だったし」
「中途半端で終われ」
「でも気になるでしょ?」
澪がひよりを見る。
「……」
ひよりは一瞬だけ俺を見て、それから小さく言った。
「まあ、ちょっとは」
「ほら」
「おまえが“ほら”って言うな」
蓮が向かいでパンをかじりながら、にやにやしている。
「今日の昼休み、だいぶ情報回だな」
「おまえは実況するな」
「でも気になるって」
「おまえの興味は一番いらない」
澪は空いている席を引いて座った。
俺の斜め前。
ひよりから見れば、俺を挟んで向こう側だ。
その位置がまた微妙にいやらしい。
「で」
澪が箸代わりのコンビニスプーンを振りながら言う。
「真央ってさ、中学の時ほんとめんどくさかったじゃん」
「そこから入るな」
「事実だし」
「何がどう面倒だったの」
ひよりが聞く。
その問いは、前より少しだけまっすぐだった。
昨日までの“知らないのが少し気になる”ではなく、“知りたいから聞く”に近い。
澪はそれに気づいたらしく、少しだけ口元を上げた。
「簡単に言うと」
「簡単に言わなくていい」
「人のこと気にしすぎて、教室で勝手に消耗してた」
「雑だな」
「でも合ってるでしょ」
「……」
否定できない。
「中学の頃って、今よりもっとクラスの人数多かったじゃん」
澪が言う。
「で、あんた人混みとか、教室のむっとした空気とか、そういうの苦手だったよね」
「へえ……」
ひよりが小さく相槌を打つ。
その“へえ”の中に、前より強い関心がある。
俺が知らないふりをしても、たぶん全部はごまかせない。
「体育祭の練習とか最悪だった」
澪が続ける。
「みんな汗だくで騒いでるし、空気重いし、あんたわりと本気で顔死んでた」
「おい」
「でもサボるわけでもないんだよね」
「……」
「自分がしんどいくせに、しんどそうなやつ見つけるとそっち気にするし」
「何それ」
ひよりが少しだけ笑った。
「すごい真央っぽい」
「おまえ、そういう“わかる”顔するな」
「だって、わかるし」
澪は肩をすくめる。
「あと、あんたさ」
「何だよ」
「女子の方がわかりやすいって言ってた時期あったじゃん」
「……おい」
「え」
ひよりが止まる。
「それどういう意味?」
「言うな!」
「いや、でもほら」
澪はまるで悪びれずに言う。
「男子って無理しててもわかりにくいけど、女子の方が緊張とか疲れとか表に出やすい、みたいなこと」
「……」
「で、そこ拾いすぎて勝手に疲れてた」
「……最悪だな」
蓮が言う。
「情報量が濃い」
「おまえは黙れ」
ひよりは少しだけ耳を赤くしながらも、ちゃんと聞いていた。
引いているわけではない。
むしろ、“そういうところが昔からあったんだ”と理解しようとしている顔だ。
それがまた、変に落ち着かない。
「でもさ」
ひよりが小さく言う。
「今の柊くんって、そういうのを隠そうとはしてないよね」
「……」
「昔はもっと嫌だったの?」
その聞き方は、やけにやわらかかった。
澪がこっちを見る。
“ほら、答えろ”みたいな目だった。
仕方なく、俺は少しだけ息を吐く。
「嫌だったよ」
「……」
「自分で自分が面倒だったし」
「うん」
「変だとも思ってた」
「……」
「今も、全部好きになったわけじゃない」
そこまで言ってから、少しだけ視線を落とす。
「でも」
「でも?」
ひよりが聞く。
「前よりは、まし」
「何で?」
「……」
何で。
その答えを、俺はたぶん知っている。
でも、それをこの場でそのまま言うのは少し違う気がした。
ひよりがこっちを見ている。
澪も見ている。
蓮まで、今日は珍しく口を挟まずに見ている。
教室のざわめきが少しだけ遠くなる。
「前より」
俺は言う。
「気づくことが全部嫌なわけじゃなくなったから」
「……」
「それで助かることもあるし」
「うん」
「……」
「あと?」
ひよりが聞く。
そこを聞くな。
でも、聞かれた瞬間に、変な逃げ方をするのも違う気がした。
「……前より、人の中にいてもそこまでしんどくない」
「へえ」
ひよりが少しだけ笑う。
「それ、いいことだね」
「まあな」
「何でそうなったの?」
「また聞くのか」
「聞くよ」
その返しに、俺は少しだけ息を詰める。
そこへ、澪が先に口を挟んだ。
「そりゃあんたが」
「おい」
「何」
「言うな」
「何で」
「何ででもだ」
澪は一瞬だけ黙ってから、ふっと笑った。
「まあ、今のはやめとく」
「助かった」
「でもそのうちバレると思うけど」
「やめろ」
ひよりはそのやりとりを見ながら、少しだけ目を細めた。
たぶん、今のはほとんど答えみたいなものだった。
俺が止めたことで、逆に何かを察したのだろう。
その目の動きが、やけにまっすぐだった。
「……昔の柊くんって」
ひよりがぽつりと言う。
「うん」
「今よりもっと教室にいなかったの?」
「物理的にはいた」
澪が答える。
「でも、なんか半分くらい外にいた感じ」
「何だその言い方」
「わかるでしょ」
「……」
「みんなと笑ってても、ちょっとだけどこか引いてる感じ」
澪は続ける。
「で、しんどそうなやつだけ先に気づいて、結局放っとけない」
ひよりはしばらく黙っていた。
それから、小さく言った。
「私、昔の柊くんにも会ってみたかった」
「またそれか」
俺が言うと、ひよりは少しだけ笑う。
「だって気になるもん」
「何で」
「今よりもっと距離あったんでしょ?」
「まあ」
「じゃあ、その頃の柊くんが今の私見たら、どう思うのかなって」
「……」
「近すぎる、とか?」
「それは思うだろ」
「ひどいなあ」
「事実だろ」
「でも」
ひよりはそこで、少しだけ真面目な顔になった。
「今の柊くんには、ちゃんとここにいられてるんだよね」
「……」
それは、昨日も感じたことだった。
ひよりは、今の俺が“ここにいる”ことを、ちゃんと見ている。
ただ近くにいるだけじゃなく、その変化まで見ている。
そこまで来てしまうと、もう軽く流すのが難しい。
昼休みの終わり、澪は立ち上がった。
「じゃ、今日はこのへんで」
「今日も勝手だな」
「でもちゃんと役に立ったでしょ」
「何に」
「真央理解に」
「いらん」
「朝倉さんにはいるでしょ」
「……」
ひよりは少しだけ笑って、
「まあ、ちょっとは」
と答えた。
その答えに、澪が満足げに頷く。
「でしょ」
「何でおまえが得意げなんだ」
「幼馴染なので」
「その免罪符ほんと強いな」
放課後。
帰り道、ひよりは昨日までより静かだった。
でも、その静けさは暗くない。
何かを考えて、少しずつ自分の中で噛み砕いている感じだ。
「何だよ」
俺が言うと、
「何が?」
ひよりが返す。
「今日はまた考えごと」
「……まあ」
「何考えてる」
「いろいろ」
「雑だな」
「今日は雑でいいの」
少しだけ歩いてから、ひよりは言った。
「私ね」
「うん」
「昔の柊くん、知らないのはちょっと悔しいかも」
「……」
「でも」
「でも?」
「今の柊くんを知ってるのは、今の私なんだよね」
その言葉が、思った以上に胸に残った。
昔の俺は、たしかに澪しか知らない部分がある。
でも今の俺は、ひよりの前でしか見せていない部分もある。
そういうことなのだろう。
「だから」
ひよりが少しだけ笑う。
「昔の柊くんにちょっと嫉妬しつつ、今の柊くんはちゃんと取っとく」
「何だそれ」
「宣言」
「意味わからん」
「意味はこれからわかるかも」
そう言って笑う顔に、昨日までのざらつきはあまりなかった。
少し悔しくて、少しうれしくて、でもちゃんと前を向いている顔。
その変化を見て、俺はまた小さく息を吐いた。
ひよりはやっぱり、前よりずっと強くなっている。
そしてその強さは、たぶんもう俺の隣にいることを前提に育ち始めていた。




