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対岸の森、魔女の家  作者: 伊藤暗号
第一章 〜魔女の薬屋へようこそ〜
8/19

カズル村に来た侯爵様


ルリィは、あれから少し仮眠をとって、夜明け前に目を覚ますと、日が昇るまでに、村の中を歩き回り、全ての畑の様子を見て回ったが、荒れてはいるものの汚染されている様子がなかった事にホッと胸を撫で下ろした。


ガンザの家まで戻り、再び庭の一角をお借りして、シチューとは別の大鍋で、今日配る分の米粥を煮ておく。

解毒ポーションが効いてくれたので、3日も安静にしていれば、未だ寝込んでいる村人達も動ける様になるだろう。

村人全員分のパンを焼くのは1人では無理なので、昨晩うまくできたベーコンを配って、あとは果物でもあれば良いだろうか。

ガンザが目覚めたら、森の案内を頼もうと、薪の追加を作っておく。


子を失った家族は大丈夫だろうか。

体調が治った後に来るのは、きっと悲しみの前に怒りだろう。

今回の件で、村長にその矛先が向くのはなんとか避けてあげたい。


ルリィは、グルグルと、鍋をかき混ぜながら、卵をパカパカ割り入れる。


今の自分にできることは、村人の身体を健康に戻すことだ。


「栄養と休息、滋養と安静」


呪文の様に繰り返しながら鍋を混ぜていると、空が白んできた。


「・・・おはようございます。なにか、お手伝いできることはありますか?」


ミジュが声をかけてきた。

その顔は、初めて会った時より警戒が解けている様に見えて、ルリィの吐いた息がホッと白く色づいた。


「おはようございます。ではミルクを温めますので、鍋を見ていてくれますか?」


ルリィは、鍋にミルクを注ぎ入れ、塩をひとつまみと、たっぷりの砂糖を加える。


「・・・ありがとうございます」


木杓子を受け取ったミジュの顔が曇った。


王都ではそれなりに流通している砂糖だが、全てを輸入に頼っているのが現状だ。田舎の村で容易に手に入るものではない。

金の心配をしたのだろうと、ルリィはすぐに気づいた。


村長の家では、今回どれだけ私財を払って村人に食糧を用意したのだろう。蓄えもあっただろうが、流通が途絶えて一年以上経っていると言っていた。

もう、金に変えられる物が何も無いのだろう。きっとそれは村人たちも同じだ。

どの家でも本当に食べる物が何もなかったのだ。本当に、ギリギリだったのだろう。


子供が自分で身を売る事を考える現実が、身近にあると言うのは、なんて苦しい暮らしだろうか。

いつでもどこでも、自分と関係のない争いのせいで割を食うのは、弱い個体からと言うのが世の常だ。

ルリィは、俯くミジュの頭を撫でて、今にも溢れ出しそうなその涙を、なんとか止めてあげたい気持ちをどう伝えようか迷っていた。

そういえばこの子も、老いた祖父と2人で暮らしている。


「1年前の(いくさ)で、父は辺境伯爵に徴兵されました。その後、父の遺体を引き取り行った母も、道中で盗賊に襲われ、結局2人とも村に戻る事はありませんでした」


ポツリ、ポツリと身の上を語り出したミジュの顔には、言いようもない悔しさが滲み、やがて何もかも諦めた様に息を吐く。


「村にはそうゆう子供達が他にもいます。王都では、女の子をいくらで買ってくれるか、薬師様は知っていますか?」


ルリィはフルフルと首を横に振った。


「私1人では、この鍋一つ分にも満たないと思いますが、どうか、どうか少しでも高く買っていただける様、お力添えいただけませんか?」

「ミジュは、その言葉遣いをどこで覚えたのですか?」


とても正しく敬語が使えている。こんな田舎では珍しい事だ。


「・・・辺境伯爵の家で(とう)の頃から丁稚に入り、ハウスメイド見習いをしていました。でも、無頼者が多くなった領地から、私をっ村に呼び戻す代わりに、父が、父が戦にっ・・・ウチにはもう、お金に換えられるものが何もないのです。ですがどうか、どうかこの村を助けていただけないでしょうかっ」


とうとうポロポロと涙を流しながら、この15才に満たない少女が口にする言葉のなんと、愚かで崇高な事か。


 考えろ。考えろ。

 自分は今はまだこの話を聞いて泣くべきでは無いのだ。

 考えろ。考えろ。

 自分はどうしたらこの目の前の子供を安心させることができるのだろう。

 ルリィは目を閉じ歯を食いしばった。


「実は私は森の魔女なのです。これを秘密にしていただけるのならば、代わりに村の人達は助ける契約をしてあげましょう。この約束を守ってくれるなら何も心配いらないよ?」


腹を括って、目の前の子供を騙す選択をした。

ミジュはその言葉を聞いて、目を見開いてルリィをみた。

どこからか にゅるり と姿を現せた大きな黒猫が「ギニャァァ」と鳴いてルリィに侍る。


「良いわね。この村の子供達は、丸々と太らせてから食ってしまう事に決めたわ」

「だそうよ? どうする? 契約するなら、さぁこの飴を食べなさい」


ルリィはそう言って飴を差し出すと、ニコリと歪んだ笑みを向けた。

ミジュは迷い無く受け取った飴を口に含むとと「甘い。美味しい」とその美しい笑みを返した。


「さぁこれで契約成立だ。お金の事は心配しないで。たくさん食べて。ね?」

「ありがとうございます ありがとうございます」


ぎこちなく笑うルリィに、ミジュは涙を拭いながら何度もお礼を言うのだった。




マルリが連れてきた子供達が、焚き火を囲んでホットミルクとビスケットを頬張る中、鍋を持って集まった村人達に、ルリィは今後の説明をする。


王都から、支援物資が届くまでの食糧の心配はいらない。と、米袋と芋の入った箱を積んで見せ、後で薪と、ベーコンと一緒に配る事を告げる。

体調の悪い者はいないか、何か他に必要な物はないか聞き取りながら、出来うる限り物資の支援をする事を約束すると、村人達から安堵の声が上がる。一時的だが、飢餓による死の危機を脱した事を、皆で素直に喜んだ。


いまだ栄養失調気味と、本調子には程遠いが、体力の戻った動ける者から積極的に働いて、水車が動かなくても、小麦を粉に挽く事ができたら、みんなで協力してパンを焼き、通常の生活ができる様にもう一踏ん張り頑張ろう。と鼓舞し合っている。

つくづく良い村だ。と、ルリィはその様子に目を細めた。

今回の件の詳細は、みんなが健康になるまで告げないことにして、先遣隊の到着を待つ事にした。


お昼頃になって、やっとアウルスから[カカポート]が届いたが、その内容は希望していた内容とは言い難かった。


「辺境伯爵からの支援は無しか。やっぱり10日以上かかりそうだな」


ルリィは思わず、肩の上のニコに、独り言のように愚痴る。

辺境伯爵邸のある街、辺境伯爵府からの街道の盗賊団は、思いの外厄介らしく、王都から討伐隊が派遣されてくるらしい。

先ずは、辺境伯爵府の畑の現状を精査して、盗賊団を排除し、ガズル村の本格的な救助はその後、と言うことか。

ひいては麦畑の麦角菌汚染の拡大は、王国全ての国民の健康被害につながる大事だ。優先順位としては理解できなくもない。


「またしても、私がいる事で、後回しにしたか。アウルス様め」


いち薬師の負担が多すぎる。ルリィは息を吐いて覚悟を決めると『とりあえず人をよこせ』と[カカポート]を飛ばした。


「まったく。ルリィは人が良すぎるわ。こんな王国など、さっさと見捨ててしまえばいいのに」


ニコは、シュルリとその尾をすりつけながら声に出してルリィに言った。


「んもう。そんな事本当は思ってもいないくせに」


ルリィは、自分の代わりに憎まれ口をたたくニコの頭を撫で、到着した討伐隊に要求されるであろうポーションの制作に取り掛かることにした。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


村人の回復は順調に進み、村の畑を整え芋とトマトを植え、稲作を提案しつつ、村人総出でベーコンを作る。

角ラビットと角猪の罠による捕獲を、ガンザ主体で体系を組み、村が落ち着きを取り戻しつつある中、[カカポート]の返信から3日ほどで村に現れたのはアウルス侯爵本人だった。


「ルリィ・オミナイ、状況の報告を」


空から舞い降りた騎獣から降りるなり、そう言い放った“元”上司に、村の子供達に囲まれながらガンザの家の前で、保存肉制作の指示を出しつつ、ポーションを作っていたルリィは、ゲッコウを影に潜ませ、ニコには小猫の大きさに戻るようにお願いすると、眉を寄せて答えた。


「ヒポグリフを使えるのなら、もっと早く来れたでしょうに」


空を飛ぶことのできる魔獣を使えるなら、3日もかからないだろうに。


「これは俺個人の使役獣で、俺はただの“先触れ”だ。討伐隊の本体到着は、これからさらに3日後というところか、少しでも状況を把握しておきたい」


本来なら王国が軍で使役する魔獣を、個人で所有しているとは、流石は侯爵と言うところか。ルリィはため息を吐いて「詳しくはこちらで」と村長宅に移動を促した。


「ヒポグリフを個人で使役しているなんて。私に仕事を言いつけている時に貸してくれても良かったじゃないですか」


陸路を徒歩と馬車を使って移動するのがこの世の常だ。空路が使えるならどんなに楽だったか。

ルリィが[コンティネス]での10年の勤務中も、他領で問題があれば、国中を徒歩で派遣されていた事を愚痴る。


「君にヒポグリフを使役できるとは思えない。特にこのメルリーナは、俺にしか懐いていないからな」


得意げな顔をしたアウルスが、自分が握るリードの先の魔獣を撫でた。

それを薄目で一瞥したルリィは足を止め、メルリーナと呼ばれたヒポグリフに手を伸ばす。

メルリーナは頭を下げ、前足をおると、あっさりと服従のポーズをとった。


「んなっ!? メルリーナ!?」


ルリィはフンっと鼻息を吐いて、アウルスに目を向けながらメルリーナを撫でさする。

メルリーナは目を細めて、気持ち良さげに クルクル と甘え喉を鳴らした。


「アウルス様が拗ねるので、乗るのは勘弁してあげましょ。行きますよ」


代わりに、ルリィの肩に乗っていたニコが、メルリーナの背に飛び乗ると、メルリーナは楽しそうにスキップをしながらついてきた。


「メルリーナの浮気者めっ」


本来ヒポグリフは主人以外になつかない魔獣だ。ルリィとて普通ならテイムされているとしても近寄ることさえ危険な魔獣だが、フェンリルの気配とシャパルの力でねじ伏せた。

獣の世界は弱肉強食。力の強い個体に弱い個体が従うのは、テイムされた魔獣とて例外ではない。


「そこまで深刻な事態でもなさそうだが?」


道すがら、村の様子を見ながらアウルスは「杞憂だったか?」と眉を寄せた。その言葉に、ルリィはため息を吐いて「さほど大きくもない集落が、1年以上も他との流通が無かったのですよ。私が来た時には、皆瀕死の飢餓に喘いでおりました。ここまで回復できたのは、私が私財を投じたからです。後できっちり請求しますからね」と、アウルスを睨み見る。


「・・・では君は、本当に《魔女の家》を見つけたのだな?」

「・・・ご想像にお任せします」


ニヤリと笑ったアウルスに、ニコがメルリーナの頭上から低い声で咎める。


「悪戯に《神聖遺物》を利用しようと思わないことだ。神罰が降るぞ」


アウルスは、またしても グムぅ と言い淀む。ルリィは呆れて話題を変えた。


「そもそも、先の戦から1年以上、こちらに薬師の1人も出向させていないようですが、辺境伯領から不満の声は出なかったのですか?」


王家への離反につながるのでは? 睨み見るルリィに、アウルスは答える。


「辺境伯爵府には専属の薬師が多数常駐している。なんなら、隣国の薬師の存在も噂されているほどだ。人員不足にかまけていたこちらの落ち度に、不満どころか、なんなら派遣の依頼も無い状態だった」


苦虫を噛み潰した様な顔で目を逸らすと「今回の件もなんの報告も無いほどだ」と、付け足した。


「え、それって・・・」


王都へ向かう街道に、盗賊団がわいている事に報告がないなどあり得ない。

それはつまり“こちら側”との流通が滞っても、なんら問題はない。という事じゃないか。


ルリィの気づきに「まだなんの確証もない。滅多なことは口にするなと」アウルスは首を振った。


「いえ、盗賊団のことはまだしも、麦角菌の事も何も報告が無いのだとすると、むしろ、辺境伯爵府で汚染は無いと考える方が妥当でしょうか? 件の商人も『辺境伯爵府側からきた』と言うだけで、辺境伯爵府の小麦を売ったわけでは無いのかもしれないのです」

「定期隊商の商人ではないのか?」

「隊商の一員であった事は村長に確認しておりますが、見知らぬ者が混じる事などよくある事でもある様ですし」


どうやら、王都で件の商人の確保はできていないらしい。


「・・・アウルス様、今回の先遣隊に派遣されたのは、どの部隊ですか?」


ルリィの質問に、やれやれ相変わらず目敏いなと、アウルスはため息をついて答えた。


「・・・王家直属の騎士隊だ。第3王子が直々に率いる隊に加えて60人ほどが先遣された」

「第3王子、では来るのは第四部隊。盗賊団の討伐が目的では無いのですね?」


もちろん村の救援でも無い。

王都の騎士団第四部隊は、王家の暗部諜報員を含む別名懲罰隊。それを取り仕切っているのが、闇魔法の希代の名手と名高い 第三王子「パトリック・キングス・ラベル・ゾクファイツ」だと噂されている。


ルリィは大きくため息を吐いた。


「60人なんて、ここの村人より多い人数じゃないですか。まさかこの村に駐留するつもりじゃないですよね?」


飢餓で苦しむ村に救助の要請を出したのに、来るのは辺境伯爵への懲罰部隊。どおりで来るのが遅いわけだ。

大所帯の隊で10日以上の移動となると、当然、兵站部も伴ってきているとは思うが、飢餓状態の村に寄って、どうゆう振る舞いをするつもりかわかったもんじゃ無い。

まさか、寝込んでいる老人をベットから追い出して、屋根のある家屋を奪うとは思わないけれど、相手が王侯貴族という事を抜きにしても、もてなしも何もせずに怯えず過ごす。というわけにはいかないのだ。


「迷惑ですよ」

「・・・不敬である」

「うるさいです。村人はこの一年、なんの支援もないまま、本当に生きるか死ぬかの日々を過ごしていたのです。王家直属の騎士隊なんてどうせ全員貴族でしょう? カズル村には逆さにしたってもう何も出すものなど無いんです。やっとここまで立ち直ったのに、たった1日でも止まられるのは迷惑です」

「全く君は。いったい貴族を何だと思っているんだ」

「少なくとも、アウルス様の事は頼れる上司様だと思っていますよ。こうなったら、侯爵様にも協力してもらいますね。黙って通り過ぎてもらいましょう」


ルリィはニヤリと不敵な笑みをアウルスに向けた。


「っ!? どうやって!?」

「盗賊団は1年以上も街道に居座っているのですから、きっと拠点ができていますよ。そちらに駐留して貰えばいいんです。その方が討伐にもハリが出るってもんでしょ」


闇堕ちした元兵士のならず者どもの集まりなど、王族率いる本物の騎士隊になぞ、相手にもならないでしょうよ。


「来るのが救助隊じゃ無いならさっさと追い出して、サクッと退治してもらいましょ」

「あぁっ! こうなると思っていたから先に来たのだっ、強引に特級薬師を辞してその後一切連絡も取れず、俺がどれだけ苦労したことか、わかっているのか!? その上さらに!君は一体俺に何をさせるつもりだ!?」


ルリィはニコに言って、村人達を村長の家に集める様に伝言を頼むと、「アウルス様は、なんっにも、知らなくて、良いのですっ」と、凶悪な笑みを綻ばせた。

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